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第二十話 最高の切り札

 打席の中で瞼を閉じ、バットを自分の額に当てる。

 大事なことを忘れていたみたいだ、柚希はそう思った。

「おい、君」

 主審に声をかけられて彼女の意識はそちらに向く。

 彼からは早く構えなさいと注意された。

 既にマウンドの源はボールを握り、投げる準備は万端である。

 確かに自分がバットを構えないと試合は進まない。

 しかし柚希は申し訳無さそうな顔をしながら告げる。

「すいません、タイムお願いします」

 主審のお兄さんは、一瞬驚いたようだがすぐにタイムを許可した。

 柚希は打席を出て三塁コーチスボックスヘ足を進める。

 記憶の引き出しと言うのは面白いもので、一つのことを思い出すとそれに関係することも連鎖的に思い出してしまう。

 一年前、源との一打席勝負で怪我をして野球ができなくなった時期があった。

 その時、既に彼と出会っていたのだ。

 思い出してみれば、ヴィクセンと名乗ったあの時の男の子は確かに幸平だった。

 結局怪我が治った頃にはその時の約束など忘れてしまっていたのだが。

 それでも、不思議な縁だと思う。

 自分も彼も約束のことなど覚えていないだろうに、こうしてあの日の約束を果たすべく野球部と戦っているのだから。

 だから。

 柚希は三塁コーチスボックスに立つ幸平の前で足を止める。

 そして頭を下げながら言葉を放つ。

「今まで勝手なことをしてすいませんでした」

 言い終わって顔を上げると、流石の幸平も驚いた顔をしていた。

「なに、その顔?」

 あまりに意外そうな様子の彼に、柚希はバツが悪そうに訊く。

 幸平はポカンとした様子で言葉を返す。

「いや、お前に謝るなんてスキルがあったことに驚いたんだわ」

 そこで彼は何か閃いた様に手をポンッと叩く。

「あっ、これ履歴書に書いたらいいんじゃないか? 私は見かけによらず人に頭を下げることにできる人間ですって」

「幸平君は私をなんだと思ってるの」

 あまりに酷い反応に柚希は口を尖らせる。

 それに対する彼の返答はシンプルだった。

「柚希だと思ってる」

 直訳すると柚希イコール謝罪のできない人という認識になる模様だ。

 彼女は口元を引き攣らせながら言葉を返す。

「私の認識について後でじっくり話し合う必要がありそうだね」

「ベッドの上でな」

 不敵に笑いながらそう返す幸平に、柚希も笑顔を向ける。

「いいよ、ベッドの上で私がどれだけ素敵な女の子なのか教えてあげる」

「そりゃ楽しみだ」

 そう言って笑い飛ばす幸平を見て、柚希は話を戻す。

「これからは幸平君の言う通りにするから、またサインをください」

 その言葉に、幸平は穏やかな顔で頷く。

「ああ、わかったよ」

 そして柚希の方を指差しながら告げる。

「俺の力だけじゃ試合には勝てない。柚希、お前が必要なんだよ」

 うん、と柚希は頷いて言葉を返す。

「私も幸平君が必要だから」

 そう言って拳を突き出す。

 幸平も拳を握り、彼女のそれにコツンとぶつける。

「相思相愛だね」

「ラブラブだな」

 それだけ言うと幸平は柚希の背中をバシッと叩く。

「じゃ、行って来い」

「うん、行って来ます」

 にっこりと笑みを返した後、柚希は小走りで打席に向かう。

 そして走りながら一年前の約束を思い出す。

 一緒に野球部に喧嘩を売ろうよ。

 それはつまり幸平に背中を預けるということだ。

 彼を信頼し、自分の死角をカバーしてもらう。

 だから信じよう。

 柚希は覚悟を固めながら左打席に足を踏み入れる。

 よろしくお願いします、と一礼したあと源を見つめる。

 彼と視線がぶつかる。

 柚希の雰囲気が変わったことに源も感じ取っていた。

 柚希はバットを二塁ランナーに向けながら声を張り上げる。

「翼ちゃん待っててね、月までかっ飛ばしてあげるから」

 二塁走者の翼は若干驚きながら言葉を返す。

「ええっと、かっ飛ばすのはボールですよね?」

「ボールも含む」

 それが死刑宣告に聞こえて翼は絶望的な表情になる。

「ま、待ってください。私をかっ飛ばすのはやめて下さい」

「残念ながら、今の私は誰にも止められない」

「だ、代走を。誰か代走をお願いします」

 そんな翼の嘆きを聞き入れることなく、試合は再開される。

 柚希はコーチスボックスに立つ幸平を見る。

 彼の出したサインは釣り球の変化球。

 源がセットポジションで構えてからボールを投げ放つ。

 白球がホームベースに迫る、それを見ながら柚希はバットを握り締めて耐える。

 ここは振らない。

 一見ストライクに入ってそうだがここから曲がってボールゾーンに逃げていく、それが幸平の読みだ。

 白球はホームに辿り着く前に鋭く滑り落ちながら西園のミットに収まる。

 ボール!と球審が宣告する。

 ワンボールツーストライク。

 スライダーだった。流石は幸平君、と柚希は思う。

 源が返球を受け取るとともに、柚希は幸平のサインを確認する。

 今度はカーブがストライクゾーンに来る、か。

 それを確認すると柚希は源の投球を待つ。

 源はセットポジションから体を捻り、体重移動と共に右腕を振り抜く。

 彼の手から放たれる六球目、白い光が緩い軌道を描きながらバッターボックスに迫る。

 そこで柚希はバットを迷いなく振り切る。

 金属バットにボールが叩きつけられ、快音と共に打球は高々とライト方向の空を舞う。

 うおー、行ったーと一塁コーチの春火が興奮気味の声を上げる中、白球はライトスタンドめがけて飛距離を伸ばしていく。

 柚希も一塁へ走り出しながら、行け、入れ、と念じる。

 ボールはポールの横を通過し、フェンスの外へ叩き込まれる。

 それを見て一塁塁審が両手を広げた。

 ファールだ。

 くうー、惜っしいなと苦笑を浮かべながら柚希は打席に戻っていく。

 途中、春火が興奮気味に声をかけてきた。

「惜しかったじゃんゆーちゃん。あと数センチ違えばホームランだよ」

「いやいや、次の球もスタンドインさせればいいだけの話でしょ」

 得意気にそう大口を叩くと春火は、おおーすげー大物の風格だー!と騒ぎ出す。

 柚希は打席に戻ってバットを拾う。

 さっきまでの彼女とは明らかに違う。

 それはバッテリーを含む敵チーム全員が感じ取っていた。

 柚希はバットを構えながら自信に満ちた笑みを源に向ける。

「さー、早く次の球投げてよ。今度こそ逆転弾を叩き込むから」

 それを聞いて、源の口に笑みが浮かぶ。

 おもしれえ、と。

 源はセットポジションで構え、二塁走者の翼に注意しながら投球動作に入る。

 全身を捻って体の後ろから右腕を振り抜く。

 そしてそこから閃光の如き速球が放たれ、ストライクゾーンを目指す。

 そこに柚希のバットが振り抜かれ、ボールを叩き斬る。

 鋭い金属音が響き、打球は一塁線に飛ぶ。

 ファースト月城が飛びつくも、白球はそのグラブの先を通過しファールゾーンのフェンスに叩きつけられた。

 やっぱり違う。

 さっきまでの三振を恐れてまともにバットを振れなかった彼女とは明らかに変わっている。

 源はそれを認めざる負えなかった。

 今の柚希は迷いを振りきっている。

 自分のバットがどんなボールも捉えられると信じて疑わない。

 彼女は打席の中で、再び幸平のサインを確認する。

 次はスライダー。そのサインに頷きを返す。

 そして胸の中で呟く。

 幸平君、私達の最強タッグで絶対に打とうね。

 柚希は幸平のサインが当たると信じている。

 自分が最も信頼できるパートナーだから。

 たとえ外れても悔いは無い。彼と心中する覚悟はできている。

 信じるというのはそういうことだ。

 源が体を捻り、左足を上げ、右腕を振り抜いてボールを投げ放つ。

 来る球はスライダー、わかる。打てる。

 あらかじめ心の準備が出来ていれば、球種に対応することは難しく無い。

 ボールは幸平の予測通り、真ん中から膝元へ曲がり落ちるスライダー。

 それを彼女のバットが弾き飛ばす。

 快音が響き、白球が空に舞う。

 打球は再びライト方向のファールゾーンのフェンスを飛び越えていく。

 ファールの判定を受けて、走り出していた柚希は打席に戻ってくる。

 打てる。その実感が彼女の中にあった。

 単に球種がわかるというだけじゃない。それによって彼女は迷わずスイングする勇気を手に入れた。

 幸平への信頼こそが、彼女に力を与えている。

 今まで打席の中で物を考えることをしなかった少女。

 考えることが苦手だった彼女に、代わりに考えてくれるパートナーが出来た。

 幸平は言った。俺の力だけじゃ試合には勝てない、と。

 柚希の力が必要だと。

 そして柚希もこう答えた。私も幸平君が必要だから、と。

 お互いに足りないものを補い合えばいい。

 だからこそ、私達は最強だ。

 一方の相手バッテリーは精神的に追い詰められていた。

 ホームラン級の大ファールを二本も打たれ、源はチッと舌打ちしながら苦しげに額の汗を拭う。

 捕手の西園も理不尽過ぎる現実に歯噛みしていた。

 なんなんだコイツは。

 まるで球種がわかっているような完璧なバッティングだ。

 例え球種を読まれたとしても、ツーストライクからここまでヤマを張って打てるようなバッターじゃなかった筈なのに。

 西園は配球を必死に考える。

 しかしどんな球を投げても柚希を打ち取れるイメージがまるで湧かない。

 そしてこの後に要警戒の四番五番が続く為、勝負を避けることも出来ない。

 西園の視線は柚希から外れ、マウンドの方へ彷徨う。

 そこで源の顔が見えた。

 彼の目は真っ直ぐ柚希を睨みつけていた。

 まだ源には闘志が残っている。

 考えてみればこれだけファールを打たれて黙っていられる性格でもなかったか。

 西園は苦笑した。

 そうだ。何も作戦が浮かばない。こんなときは開き直って意地と根性に賭けるしかない。

 信じるぜゲンさん。そう念じながら、自分のパートナーへとサインを送る。

 源がそれに頷き、投球動作に入る。

 セットポジションから体を捻り、右腕を振り抜いてボールを吐き出す。

 鋭い剛球が放たれ、バッターボックスへと迫る。

 源の渾身のストレートだった。

 今まで変化球で目を慣らしたから、ここは直球で決めに来る。

 これも、幸平の読み通り。

「もらったー!」

 叫びながら柚希はバットを振り切る。

 金属バットにボールがぶつかる手応えを感じ、その後鋭いライナーが弾き返される。

 打球は三遊間の丁度真ん中に迫る。

 いける、そう思って柚希が走り出したところでショートの和希がグラブを伸ばし、ボールに飛びついた。

 白球の行方が茶色いグラブに遮られる。

 そして白いボールは茶色に包まれ、その姿を消した。

 横っ飛びした彼の体が地面に叩きつけられ、そのグラブからボールが零れ落ちて外野グラウンドへ転がっていく。

 おおー、という歓声が味方ベンチから響いた。

 もー、カズ君は意地悪だなあ。こんな時くらい可愛い妹に花を持たせてくれてもいいじゃん、と柚希は走りながら内心で愚痴る。

 しかし余裕は無い。和希の零したボールを三塁手の日下が深いところで拾い、一塁に転送する。

 日下の強肩から放たれたボールが一塁手月城のミットを真っ直ぐに目指す。

 同時に柚希も一塁に向けて懸命に地面を蹴る。

 この競争、負けるわけには行かない。絶対に。

 そう思いながら力の限り、大地を蹴り飛ばす。

 そして白球が月城のすぐ前まで迫ったとき、柚希も思いっきり上半身から飛び込んだ。

 一塁キャンバスに手が触れた後、背中から地面に着地しその先まで転がっていく。

 地面を転げまわりなんとか止まったところで、柚希は痛む体を起こしてすぐに一塁方向を振り向いた。

 日下の片足はベースを踏んでおり、そのミットにもボールが収まっている。

 塁審が大きく両手を広げる。

 セーフ、と言うコールと共に。

 判定を聞いて、一瞬柚希の頭の中が空っぽになった。

 そして徐々にその喜びがこみ上げてくる。

「や、った」

 しかし喜びを噛みしめる暇もなくグラウンドに激しい声が響いた。

「バックホーム!」

 西園の声だった。

 柚希がその方向を見ると、翼が三塁を回っていた。

 三塁コーチスボックスの幸平が腕を回している。

 無謀だ。内野安打で二塁から生還するなんて。

 いや、と柚希はその考えを打ち消す。

 あの子の俊足ならあるいは。



「柚希さんの作ったチャンス。逃さないのですよ」

 翼は楽しげにそう吐き出しながら本塁を目指す。

 いっけえ速薙、という幸平の応援の声が彼女の背中を押す。

 月城からの返球がホームベース前に陣取る西園のミットに向かう。

 翼も必死で走るが、微妙に間に合わない。

 厳しいタイミングなのは誰の目にも明らかだった。

 ズパンという小気味のいい音と共に西園のミットにボールが収まり、すぐに彼は体を反転させ翼の方を見る。

 翼がホームを目指し地を蹴る、しかし彼女とホームベースの間には西園が待ち構えている。

 けど、引くわけには行かない。

 私にはこれくらいしか出来ないから、と翼は思う。

 バッティングも苦手、守備も苦手。そんな自分に出来るのは走ることだけだ。

 この足でチームに貢献する。自分にはそれしかない。

 だから。

「やあああ」

 掛け声と共に翼はヘッドスライディングで飛び込む。

 狙いは捕手の右。外側からホームを狙う。

 滑り込む彼女の背中に西園がミットを振り下ろす。

 ボールを持ったそのミットが彼女の体に触れれば終わりだ。

 だが死なない。死ぬ前にベースに辿り着く。

 タッチをかわす余裕など彼女にはなかった。

 だから手を伸ばす。精一杯に。

 自分の小さい体が少しでも遠くに、その場所に辿り着くように。

 翼の背中を衝撃が襲う。

 ミットを叩きつけられたのが彼女にもわかった。

 翼の動きはそこで止まった。

 息を切らせながら彼女は自分の左手を見る。

 その指先はホームプレートの端に触れていた。

 果たして、どっちが早かったのか。

 グラウンドの全員の注目が主審に集まる。

 その彼が両手を大きく開いた。

 同時に、セーフ!というコールがグラウンドに響き渡る。

 うわー、という歓喜の声がベンチから沸き上がる。

 やったやった。翼ちゃんやったよー、と興奮した様子の春火が一塁コーチスボックスを飛び出す。

 それを見て幸平もタイムを取って、ホームへ向かう。

 ベンチからも他の仲間が出てきた翼を取り囲んでいた。

 四対四。ついに同点。

「翼ー、ナイスラン! 柚希もナイスバッティング!」

 ホーム前に戻ってきた柚希と翼に向けて、千夏は拍手と共にそう賞賛する。

 未だ地面にうつ伏せになっている翼の頭を幸平はポンポンと優しく叩く。

「よくやった翼」

 それを聞いて彼女の顔が、へっへへーと緩む。

「ナイスプレーですよ翼ちゃん」

 静佳がそう言いながら翼の手を引っ張り彼女を起き上がらせる。

「スゴイスゴイ翼さん!」

 感動の余り涙ぐみながら水無月はそう言葉をかける。

 チームスプリングが喜びムードに包まれる中、野球部チームは内野陣がマウンドに集まる。

 それを見て幸平も表情を引き締めた。

 そして騒いでる仲間達を静める為、パンパンと手を叩く。

「みんな、喜ぶのはそこまでだ」

 メンバーの視線が幸平に集中する。

 彼は不敵な笑みを浮かべながら言葉を吐き出す。

「まさか同点で満足してるわけじゃねーよな? まだまだこの回点獲れるぜ」

 その言葉に、一瞬メンバー達が静まる。

 そして、

「おう、もちろんだ」

 拳を握り締めて天に掲げる春火の声がその沈黙を打ち破った。

「ガンガン点取っちゃるぜー」

 そう声を張り上げる彼女に、他のメンバーも便乗する。

「おっけー、私も翼ちゃんに負けないくらいの名走塁でホームインするからね」と柚希。

「ええ、頑張りましょう」と蜜柑。

「強気でいこうね」と咲夜。

 幸平はそんな中、麻白の肩に手を置く。

「水無月、水無月」

 ハンカチで顔を拭っていたところで、彼女は、なーに?とこちらを見返してくる。

 幸平は暖かく笑いながら告げる。

「頼りにしてるからな」



 六回裏、四対四の同点。

 ツーアウトランナー一塁から試合再開となる。

 打席に立つのは四番の水無月麻白。

 肩ほどまで伸ばされたウェーブのかかった栗色の髪。

 ピンクの兎型ヘルメットを頭に載せた小柄な少女。

 しかしその小さな体には恐るべき脅威が潜んでいることを西園は知っていた。

 一打席目の特大場外ファールを忘れることはできない。

 とにかくこいつには徹底的にボール気味の厳しいところをついて、歩かせてもいいくらいの気持ちで攻めるべきだ。

 それが西園の出した結論だった。

 西園は外低めにミットを構え、源の投球を待つ。

 一方の源はそれに納得しかねていた。

 今まで麻白の打席はまともに勝負させてもらえてない。

 自分としてはむしろあの特大ファールのリベンジをしたいと思ってるくらいなのに。

 だが西園のサインを無視して我侭を通すわけにもいかない。

 彼なりに親友である西園のことは信頼しているのだ。

 源はセットポジションから一球目を投じる。

 外角のバットも届かないような遠くにボールは向かい、西園のミットに納まる。

 ボールワン。

 捕手からの返球を受け取り、源は再び投球姿勢に入る。

 バッターボックスに立つ麻白は集中した様子で構えているが、生憎ストライクゾーンにボールが届くことはない。

 それが何より源には屈辱だった。

 バッターがこちらの投球を待っているというのに、勝負から逃げる悔しさ。

 セットポジションで体を捻り、体の後ろから右腕を振り抜いてリリースする瞬間、源は見た。

 打席に立つ麻白が構えを解いているのを。

 右手一本でバットを持ち、それを肩にかける。

 空いた左手は自分の口元に当てられ、欠伸を押し殺していた。

 それが視界に映った瞬間、源の頭に血が上った。

 舐められてる。完全にストライクに投げる気がないと思われている。

 そんな感情を籠めたまま投じられたボールは、当初の予定よりややコースが狂ってしまう。

 外角ボール気味だが、若干ストライクゾーンに寄っている。

 それがホームに迫った瞬間、麻白がバットを持ち直し、そのスイングが空気を切り裂いた。

 源の耳の中にキイインという音が残った。

 白球がバットに弾き返されたのだと思う。

 ボールを打たれたという事実も、響いた金属音も全てが過去形でしか認識できない。そんな神速のバッティングだった。

「レフトー!」

 西園の声がグラウンドに響く。

 打球は左翼手の頭上を越え、フェンスに向かってぐんぐん伸びていた。

 確かに多少コントロールが狂ってバットが届く範囲に投げてしまった、だがボール球であることには変わりないのだ。

 にも関わらず麻白は、外角の敬遠球を引っ張ってレフト奥まで運んでしまった。

 左翼手が追う先、ボールはフェンスに叩きつけられる。

 一塁ランナーの柚希がダイヤモンドを回り、三塁キャンバスを蹴る。

 そこでボールを拾ったレフトからの送球がショートの和希へと帰ってきた。

 和希はそれを捕球するとすぐさまホームへと転送する。

 いっけええ、柚希ー!という幸平の声援が響く中、柚希はホーム目指して地を蹴る。

 ホームベース前に座っていた西園のミットに、和希からの送球が飛び込んでくる。

 それを掴んだ西園は立ち上がり、近くまで来た柚希に手を伸ばす。

 彼女の顔面にミットが迫る。そこで柚希は歯を食いしばって上半身を逸らす。

 そのまま体を後ろに倒してスライディング体勢に入り、走路を大きく外側にずれながら滑り込む。

 避けるのに必死になったせいで、ホームとの距離は離れてしまった。見ていた誰もがそう思った。

 しかし彼女は片手で西園の足首を掴みながら遠心力を利用して、自分の足をベースに伸ばす。

 柚希のスパイクが白い五角形に触れた瞬間、そして球審が叫んだ。

 セーフ、と。

「よっしゃあああ」

 柚希が雄叫びを上げると共に、チームメイト達が集まってくる。

「やったあ、柚希」と蜜柑。

「ナイッス、ラン! ゆーちゃん!」と千夏。

 イエーイ、と馬鹿騒ぎしながら柚希はチームメイトの一人一人とハイタッチを交わす。

 西園と源はそれを呆然と見つめることしか出来なかった。

 これで五対四。ついにチームスプリングが逆転に成功した。

 コーチスボックスに立つ幸平は、二塁ベース上に視線を向ける。

 麻白が控え目にガッツポーズをしているのを見て、幸平もそちらに親指を立てて返す。

「相変わらず相馬先輩は恐ろしいですね」

 そこに静佳が後ろから声をかけてきた。

 ん?と幸平はそちらを見返す。

「何のことかな?」

 笑って誤魔化そうとする彼に、静佳は苦笑気味に口の端を釣り上げながら言葉を返す。

「麻白ちゃんのことですよ。打席内で欠伸をするなんて、いつものあの子じゃ考えられませんから。相馬先輩の入れ知恵でしょ?」

 その問いに幸平は、クックックと笑って返す。

 そこまでわかってるなら説明の必要はないだろとばかりに、彼は麻白の方を見つめながら告げる。

「どんな状況からでも点を獲るのが四番の仕事だからな」

 だからと言って敬遠されてるバッターにまでヒットを打たせてしまうとは、つくづくこの男が味方でよかったと静佳は思う。

 その後、五番の蜜柑は歩かされ六番の咲夜が内野ゴロに打ち取られてこの回の攻撃は終わる。

 そして試合はいよいよ最終回に入る。

 七回表、野球部チームの攻撃。

 この回一点のリードを守りきればチームスプリングの勝利が決まる。

 チームスプリングのメンバーが最後の守備へ散る。

 幸平は自分の持ち場につく前にマウンドに寄り、ニヤリとした顔を見せながら静佳に声をかける。

「さっ、いよいよ締めの時間だ。静佳、ビビるなよ?」

 その言葉に、静佳は瞼を閉じて答える。

「私に恐いものなんてありませんよ」

 そして瞳を開き、真っ直ぐ幸平を見つめながら続ける。

「だって、私と相馬先輩が組んで負けるわけがないですから」

 その返事に、幸平は満足げに口の端を持ち上げる。

「違いねえな」

 今、最後の試練が始まろうとしていた。

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