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第十五話 キャプテンの仕事

 三回表、ノーアウト満塁。

 打席には四番の紫苑。

 だが焦ることはない、と俺は考える。

 クリーンヒットさえ打たれなければ最悪同点で済む。

 バッターとの勝負に集中すればいい。

 静佳にサインを送る。

 彼女はそれに頷くとセットポジションで構え、体を捻って左腕からボールを投げ放つ。

 その瞬間、紫苑がバントの構えに変えた。

 そう来たか、だが。

 空気が唸りを上げ、鋭い直球が迫って来る。

 紫苑がバットを引いたところで、ボールはど真ん中に突き刺さる。

「ストライーック」

 球審がそう声を張り上げる。

 案の定、ランナーは動いてなかった。やはりスクイズのフリだけか。

 俺は紫苑に向けて言葉を吐き出す。

「残念だったな。今の静佳に揺さぶりは通じないぜ。アイツは迷いを振り切ったからな」

「どういうこと?」

 紫苑は俺の方へ疑問符つきの顔を向ける。

 俺は答える。

「今の静佳の心にもう迷いはない。ただただ俺のことを好きだという気持ちに一直線なのさ」

「ちくしょう、羨ましいな」

 言って紫苑はバットでホームベースを叩く。

「あの、先輩。雑談はいいですからボールを返してください」

 静佳がマウンドからそう声をかけてくる。

「おう、わかったわかった」

 俺は立ち上がって、ボールを投げる。

 蜜柑に向けて。

 危険を察知した高原先輩が咄嗟にヘッドスライディングで三塁に戻る。

 そこに蜜柑はボールを受け捕ったグラブを押し付ける。

「セーフ」と塁審がコールする。

 ふん、やっぱりこの程度じゃ殺せないか。

 蜜柑から静佳にボールを投げ渡しているところで、紫苑が苦笑いと共に口を開く。

「うーん、前の打席みたいに少しは動揺してくれれば苛め甲斐もあったんだけどね」

「悪いが静佳を苛めていいのは俺だけなんでな。諦めな」

「うん、諦めるよ。そしてまともに打つことにする」

 紫苑がにやけた顔のまま、口元を引き締める。

 俺は静佳にサインを送る。

 二球目、セットから白球が放たれる。

 矢の如き速さの直球が、こちらに飛んでくる。

 インハイへの球に紫苑がバットを振る。

 バットは空気を切り裂き、ボールが俺のミットに飛び込んだ。

「ストライック、ツー」

 空振りして体勢を崩した紫苑が、うわーと困った顔を見せる。

 これでノーボールツーストライク、追い込んだ。

 追い込まれればバッターはボール球にも手を出しやすくなる。次は内角高めのボール球で釣ろう。さっきみたいにストライクに入ってくるなよ。

 俺がサインを出すと静佳は頷く。

 そして三球目、彼女の左手から弾丸の様なストレートが飛んでくる。

 インハイのボール球に、紫苑がスイングを開始する、が寸前でバットを止める。

 ボールは俺のミットに納まり、俺は三塁塁審を指差す。

「ノースイング」

 三塁塁審はそう判定をする。

 ふむ、ボール球を空振ってくれればよかったんだがスイングをしきってないという判定か。

 これでワンボールツーストライク。

 ここは次で決めよう。

 俺は低めにチェンジアップのサインを出す。

 静佳のチェンジアップはまだ確実にストライクが取れる程のコントロールはない。使うならカウントに余裕のあるこの場面しかない。

 俺のサインを見て、静佳の表情が固まる。今度はすぐには頷かない。

 ややあって、彼女は首を横に振った。

 やはり恐い、か?

 バッターにとっては、速い球に目が慣れた後で遅い球が来ればタイミングを取りづらい。

 それを頭でわかってても遅い球を投げるというのはピッチャーにとっては勇気が要るものだ。

 特に今みたいに絶対に打たれちゃいけないような場面ならなおさらな。

 覚えたての球に自信が持てないのは仕方ないか。

 俺はサインを変える。

 今度は外低めにボール球のストレートだ。

 静佳が頷き、投球動作に入る。

 そしてセットから空気を切り裂くような直球が放たれる。

 ボールは外角を通り、俺のミットに収まる。

「ボール」

 ちっ、手を出さないか。

 紫苑の顔を見る。奴も流石に真剣な様子で口元を引き締めている。

 ボール球に手を出さないとなりゃストライクで勝負するしかないか。

 満塁だし、スリーボールにはしたくない。

 俺はサインを出す。チェンジアップだ。これで決める。

 静佳は固まる。そして首を横に振る。

 彼女は眉を八の字にして俺の方を見た。

 自信がないです。そう言いたげな表情だ。

 静佳はずっと直球のスピードに頼って生きてきた。仕方がないかもな。

 俺は内角高めのストレート、とサインを変える。

 ならお前を信じるぜ静佳。

 俺は口の端を持ち上げ、自分の胸を拳で叩く。

 お前の自慢のストレートでこのバッターを打ちとってやれ。

 そんな俺の気持ちは彼女に伝わったようで、静佳は覚悟を決めた顔で頷いた。

 そして彼女は投球動作に入る。

 左足を軸にしたまま右足を上げ、体を捻る。

 そして左腕を振り下ろしながら、捻った体のバネを解き放つ。

 そこから発射された閃光の如きストレートが紫苑の胸元に迫ってる。

 紫苑のバットが動いた。

 ボールが飛び込んでくる先に俺はミットを構える。

 その軌道に金属バットの軌道が交差した。

 鋭い金属音が響き、次の瞬間打球は大空を舞っていた。

「水無月ー、バックだ!」

 俺はライトに向けて声を張り上げる。

 水無月がボールを見上げながら外野の奥へと走っていく。走っていく。

 やべえ、随分な飛距離だ。これは犠牲フライになるか?

 水無月は必死にボールを追って走る。犠牲フライどころか、もし外野を越えれば。

 しかしボールを見たまま走っていた水無月は前方に注意が回らず、フェンスに激突した。

 そのフェンスの上を、ボールは越えていく。

 嘘。

 審判が腕をぐるぐる回す。

 逆転満塁ホームラン。

「一ついいことを教えてあげるよ」

 俺が呆然としているところに紫苑の声が届く。

「あれだけ首振ったら球種を教えてるようなもんだよ」

 一方的にそう言うと奴はベースを回りに行った。

 やられた。

 野球部チームのベンチが盛り上がる。

 マウンドを見ると、静佳が放心した様子でライト方向のフェンスを見つめていた。

 内外野全員がマウンドに集まり、静佳を囲む形となる。

「しーちゃん、元気出しな」

 春火が遠慮がちに静佳の肩を叩く。

 その隣では速薙も心配そうな目で静佳を見ている。

 静佳は俯いていて、長い髪に隠れて表情は見えない。

 柚希は呆然としていて、蜜柑は他のメンバーになんと声をかけるべきか困った様子でオロオロしている。

「麻白ちゃん、フェンスに思いっきりぶつかってたけど大丈夫?」

 織編先輩はそう言って、水無月に話しかける。

 水無月は、大丈夫と首を振るもその声には元気がない。

 静佳が俯いたまま、ポツリと言葉を漏らす。

「すいません、皆さん」

 そこにチナが気遣うような声をかける。

「静佳」

 一瞬悩んだ顔を見せた後、彼女は明るい声で告げる。

「ほら、そんな暗い顔をしない。静佳はエースなんだから」

 そして彼女は周りを見回しながらグラブを外してパンパンと手を叩く。

「はいはいみんなも下を向かない。点を獲られたって獲り返せばいいんだから。それが野球でしょ?」

 ちっ、ショックを受けてどうするよ俺。

 みんなが動揺している時だからこそ、俺がチームを引っ張って仲間達の気持ちを前向きにしなきゃ。それがキャプテンの仕事だろ。

 俺はそんなみんなの中に割り込むと、静佳の肩を強く叩く。

「あっはっはっは! はーはっはっは!」

「そ、相馬先輩」

 俺の笑い声に彼女は目を丸くする。

「はーはっはっはっ、あっはははは!」

「ちょ、どーしたこーちん。ついに壊れたか?」

 春火の言葉に、俺は答える。

「いやいや、あまりにも出来過ぎなマグレ当たりっぷりに笑いが止まらなくてな」

 みんなが驚いた顔でこちらを見つめる中、俺は静佳に言う。

「ってーわけだ静佳。今のホームランは百万年に一度のマグレ当たりだ。お前のボールは悪くねーから」

 その言葉に静佳は悲愴な顔を見せる。

「でも、私が相馬先輩のサインに首を振らなければ」

 なんだそんなことに責任を感じてたのか。そんなの新しいサインを出した俺も同罪じゃねーか。

 俺は彼女の目を真っ直ぐ見つめながら言う。

「あのな静佳。お前が今日まで積み重ねてきた野球は、たった一本のホームランで台無しになるほど軽いもんじゃねーよ。お前にはまだマウンドに立ち続ける価値がある」

 それを聞いた静佳は小さく驚いた顔を見せる。

 そして今度は野手陣にも顔を向ける。

「わりーねみんな。この四点はバッテリーの責任だわ。

 でもさ、これは試練なんだよ。俺らならこれくらいの点差跳ね返せるって」

 俺がそういうと、おー、と春火が声を上げる。

「なるほど、神は乗り越えられる人間にこそ試練を与えるってことだね」

「ああ、神様俺らのファンだからな。俺達の逆転劇が見たいって言ってるよ」

 あっはは、そりゃいいと春火が手を叩く。

「神様が見てるとなれば負けられませんね」と速薙も笑顔を見せる。

「うん、ここはしっかり守ろう」織編先輩も頷く。

「よーし、こっからこっから」柚希も拳を天に突き上げる。

 そんな中、静佳の声が俺の耳に届いた。

「相馬先輩」

 静佳は報われたような表情でこちらを見る。

 その顔を見ると、大丈夫そうに見える。

 もちろん、ホームランのショックをまったく引き摺らないということはないだろう。

 今までと同じピッチングができる保証はない。

 ならいっそ開き直って違う投げ方をしてやるか。

 俺は彼女の肩を叩きながら言ってやる。

「よっし、静佳。お前はホームランを打たれた。そしてそのショックを引き摺ってまともにストライクが入らない。そんな感じでいけ」

 へ?っと彼女が眼を丸くした。



 キャッチャーズボックスに戻り、試合が再開される。

 打席に立つのは五番で投手の源。

 三回表ノーアウト。四対一の三点ビハインド。

 静佳が振りかぶって、左腕を振り下ろす。

 その腕から放たれた直球が俺のミットに収まる。

 外角に大きく外れるボール。

 当然源はバットを振らない。

「ボール」

 球審がそうコールする。

 二球目、今度は内高め。

 しかしボールは高めに大きく外れ、俺は腕を伸ばしてその球を捕球する。

 そして。

「ボール、フォアボール」

 源が一塁に歩いていく。

「いけるいける」

「むこうのピッチャー、ホームランのショックが残ってるよ」

 野球部のベンチからそんな声が聞こえる。

 静佳はマウンドで苦しげな顔をしている。

「静佳ちゃん頑張れ! 真ん中投げてもいいよ。絶対捕ってあげるから」

 柚希がショートからそう声をかける。

 六番の西園が右打席に立つ。

「打てー、トモちゃん」

「続けー、コールドにしてやろうぜ」

 あちらのチームからそんな声援が飛んでくる。

 ノリノリだな。

 俺は静佳にサインを送る。

 あの球でいこう。

 静佳は頷いた後、一塁の方を向きながらセットポジションで投球動作に入る。

 さあ西園、そのノリのまま手を出してくれよ。

 静佳の投げた直球は、ほぼ真ん中に入ってくる。

 すぐさま西園はバットを振る。

 金属音が響き、ボールはピッチャーの前で大きくバウンドする。

 その球を静佳がジャンプして捕ると、すぐに二塁へ送球。

 チナがベースを踏みながら受け取りワンナウト。

 さらに一塁へ送球して、西園が着く前に織編先輩のミットにボールが収まる。ツーアウト。

「ナイスゲッツー」

 俺は声を張り上げる。

 やっべ、やっちまったーと西園が苦笑を浮かべている。

 そして次の七番鈴木も、初球に手を出して内野ゴロに終わる。

 大量点を獲った事でチーム全体に早打ちのリズムができてる。

 打ち損じても運が悪かったで済ませてこちらの球を気付いている様子もない。楽勝だな。

 三回裏、チーム・スプリングの攻撃。

 この回はこちらも一番の速薙から始まる。

 俺は三塁コーチボックスに立つ。

 そして相手の内野陣に視線を走らせる。

 初回二回とヤツラの守備が気になっていたところだ。この回はよく観察させてもらおう。

 源が初球を投げると速薙がバントで当て、三塁線にボールを転がす。

 すぐに速薙は走り出す。

 サードの日下がボールを拾って一塁に投げるが、ボールが届くより僅かに速く速薙がベースを駆け抜けていた。

 セーフ、と一塁塁審が両手を広げる。

 ノーアウト一塁で二番のチナが打席に立つ。

 源がセットから投球動作に入る。そして投げる瞬間、チナがバントの構えに変える。

 同時に速薙がスタートを切った。

 まった、あのアホは勝手に走りやがって。

 チナもそれは予想外だったようで驚いた顔をする。

 だがいつまでも驚いていられない、源はもうボールを投げているのだ。

 咄嗟にチナは飛んできた球に視線を戻す。

 あいつは元々セーフティバントで速薙を進めつつ自分も生きようとするつもりだった。だが速薙が盗塁した今どうすればいいんだ?

 当初の予定通りバントする? それともバント空振りでもして、キャッチャーの送球を少しでも遅らせる?

 ボールが飛んでくるまでの僅かな時間でそれに結論を出せるわけもない。むしろチナは迷ったせいで中途半端になってしまったのだろう。

 彼女がバントでボールに当てる。だがその球は頭上に上がるファールフライになってしまう。

 すぐさま西園が落ちてきた球を捕る。そして一塁へ送球。

 速薙は慌てて塁に戻るも間に合わない。ボールが一塁手月城のミットに収まると審判がアウトを宣告する。

 ダブルプレー。

 二人はトボトボと帰ってくる。

「酷いです。今のスタートは自信があったのに。絶対盗めると思ったのにこれはないです」と、泣き言を漏らす速薙。

「翼、アンタさ」

 そんな速薙を見て何か言いたそうなチナ。

 だがなんだかんだでバント失敗した自分も悪いので他人のことを叱れない。チナがその先を口にすることはなかった。

 ネクストサークルにいた柚希も、この展開にはショックを隠せない様子だった。

 あの目立ちたがり屋さんはランナー溜めて自分に回って来る事を期待してたんだろうな。

 柚希はその動揺を隠しきれない様子で左打席に入る。

 初球、源の投げた変化球を彼女のバットが引っ掛ける。

 そして三塁線にボテボテのゴロが転がった。

 柚希は慌てて走り出す。

 日下がボールに近づき、拾う。

 ボテボテ過ぎて追いつくのに時間がかかったが、一塁に投げる。

 柚希が一塁ベースを踏むのとボールが月城のミットに収まるのはほぼ同時だった。

 微妙なタイミングだな。アウトか?

「セーフ」

 審判がそう宣告する。おー、棚ボタ棚ボタ。

 続く四番の水無月は歩かされ、五番の方條の打席。

 チャンスの場面で回ってきたせいか硬い表情で彼女はバットを構える。

 だがアイツは源とは相性がいい。さっきみたいに変化球をコースに逆らわず打ってくれればタイムリーが出るんじゃないか。

 そう思いながら彼女の打席を見守る。

 源がセットから初球を投げる。

 その球は右打者の方條からは遠い、外へ逃げるスライダー。それに対して彼女は踏み込んでバットを叩きつける。

 快音ともに打球はレフト方向の空を舞う。レフトが後退してボールを追う。

 やがてレフトは足を止め、落ちてくるボールをグラブで受け止める。スリーアウト。

 ふーん、そういうことするんだ。意外に欲張りだなあいつは。

 こうしてこの回は無得点に終わる。

 俺はその間、ヤツラの守備の動きを見ていて一つの確信を得た。

 そして四回表、野球部チームの攻撃。

 ツーアウトながら二塁ランナーに高原先輩を背負って二番日下を迎える。

 静佳がセットから白球を投げる。

 真ん中低めに来た球を日下のバットが捉える。

 鋭い打球が一二塁間へ転がる。

 チナはその球にすぐ追いつき、ボールを拾うと一塁へ投げる。

「アウト、スリーアウトチェンジ」

 審判のその言葉と共にこの回の守備は終わった。

 四回裏、俺達はベンチ前で円陣を組む。

 そこで俺は言ってやった。

「お前ら、ぜんっぜん駄目だな」

 その言葉に、みんなの視線が俺に集まる。

 俺は言う。

「まず速薙、お前はサインも出てないのに勝手に走るのが多過ぎる。さっきだってチナはそれに驚いてバント失敗したんだ」

 うっ、と速薙が言葉に詰まる。

 俺は次にチナに視線を向ける。

「だがチナもチナだ。バントするなら転がせ、しないなら空振れ。上げちまうのは最悪だ」

 チナは、「うー、面目ない」と反省の色を見せる。

 今度は柚希の方を見る。

「んで柚希、お前は前の二人がゲッツー喰らったからって動揺し過ぎだ。そのせいで全然打撃に集中出来てなかったろ」

 げっ、と彼女は表情を引き攣らせる。

 そして水無月、は四球だったか。

 俺はその次の打者に視線を向ける。

「方條、お前は自分がホームラン打てば同点だとか考えて外のスライダーを無理に引っ張ったな」

 俺の言葉に、彼女はドキリとした顔を見せる。

「そのせいで飛距離が足りなくてレフトフライだ。お前は非力なんだから外の球は素直に流しておけばいいんだよ。そうすりゃ一点くらいは返せただろうに」

 柚希が蜜柑の耳元にひそひそと囁く。

「ねえ、幸平君なんでウチらの心の中がわかるの?」

「さ、さあ、相馬さんだからとしか言いようがないよ」

 蜜柑は困り顔でそう返す。

 ってかバッチリ聞こえてるぞ。

 俺は腰に手をあて、チームメイト達を見回す。

「なあお前ら、三点ビハインド背負ってるからって焦り過ぎだ。

 自分がチャンスを広げなきゃ、自分が長打を打たなきゃって一人一人が背伸びし過ぎた結果チームとしての連携がガタガタになってる」

 前の回は一イニングにランナーを三人出しておきながらも点が入らなかったのだ。勿体無い攻撃と言う以外ない。

 俺は言葉を続ける。

「いいかお前ら、焦る必要はない。ウチの攻撃は残り四回。一イニングに一点づつ獲れば最終回には逆転できる」

 みんなの俺を見る視線に興味と疑念の色が混ざる。

 そんな都合よく点を獲る方法があるの?と。

 俺達は今までチームじゃなかった。各々が好き勝手やってただけだ。

 だが野球は一人では勝てない。

 大きな試合の流れの前では選手個人など単なる駒であり、部品でしかない。

 だからこそ必要なのは部品を組み合わせ、チームという大きなシステムを完成させる指揮官の存在だ。

 チームのピンチを自分の力でなんとかしたいとやっていたコイツラが間違っていたわけじゃない。

 だがコイツラには必要なんだ。この人についていけば負けるわけないと思わせる絶対的なカリスマが。

 だから俺は自分の作戦が失敗するわけはないという態度で語る。

「ここからは一イニングに一点づつ獲るのがノルマだ。みんなで繋いで点を獲っていく」

 幸いにしてこの回の打順は俺の言うことを聞いてくれそうなメンバーが揃ってるんでね。

「まずは織編先輩」

 俺はロングヘアーの先輩に顔を向ける。

「先輩は甘いコースの真っ直ぐだけ狙い打ってください。変化球は全部捨てて、ストレートが来ても際どい球には手を出さず確実にストライクに入ってる物だけを打ってください」

 彼女は、うーん、と悩んだ顔で聞き返す。

「ツーストライクになっても?」

「ツーストライクになってもです」

 俺は頷く。

 彼女はしばらく難しい顔をしていたが、やがて決意を固めた表情を見せる。

「うんわかった。じゃあ行ってくるね」

 熊のヘルメットを被り、バットを肩に担いで先輩は打席に向かう。

 そして右打席に立ち、よろしくお願いします、と頭を下げる。

「ねえ、あんなアドバイスで本当に打てるの?」

 そこでチナが俺に声をかけてくる。

 俺は目を閉じ、少し黙考したあと口を開く。

「織編先輩が変化球が苦手だということはむこうのバッテリーももう理解してるだろうな。甘いコースの真っ直ぐなんてまず来ない。

 断言してもいい。先輩はこの打席、一度もバットを振らずに終わる」

 げっ、とチナは表情を引き攣らせる。

「駄目じゃん」

 チナのその言葉に、概ね他のメンバーも同意見の様子だ。

 俺は言葉を返す。

「お前は何を聞いてたんだ? 俺達はチームの戦いをしているんだ。織編先輩が出塁できなくても、それで点が獲れなくなるわけじゃない。

 王将を獲る為には、幾つかの駒を犠牲にしなければいけないんだ」

 チナは疑わしげな視線を俺に返す。

「つまり咲夜が打てなくても、その犠牲には意味があると?」

「ああ、その通りだ。この打席は伏線。ここで織編先輩が犠牲になることで今後のヤツラの配球を読みやすくなるのさ」

 言うと俺はメンバー内の一人の女の子を指差す。

「次は春火だな。お前もどっちかというと変化球より直球打ちの方が得意だよな」

「ん、おう、まあね」

 春火が頷く。俺は言う。

「ならお前も、変化球はスルーして直球が来るのを待て」

 春火が感心したような声を出す。

「おおー、それでストレートが来たら打つわけだね」

「いや、ストレートが来たらそれも見送れ」

「何故!」

 彼女が大げさに驚く。

 俺はその顔を指差しながら言ってやる。

「二球目に来たストレートだ。それを叩け」

 むー、と春火が眉根を寄せて訝しげな顔を見せる。

 だが暫くして彼女は言った。

「おーけー、こーちんがそう言うなら何か意味があるんだろうね」

「ああ、俺が間違ってたことなんて一度だってあったか?」

「昔教えてくれた星座の名前が間違ってた。あの頃のこーちんは知ったかぶりだった」

「いや、そのことはもう許してくれ」

 頼むから。

 春火がネクストサークルに行くと、俺は水無月と方條にもとっととランナーコーチに行くよう促す。



 源がワインドアップから投球姿勢に入る。

 その手から放たれたボールが鋭く曲がりながら真ん中へ入ってくる。

 その球をキャッチしながら捕手西園は考えていた。

(真ん中に入ってくる甘いコースのスライダーだった。しかしこの人は手を出さなかったな)

 打席に立つ咲夜を観察しながら思う。

 狙い球はなんだ?

 二球目、低めストライクのカーブが自分のミットに収まる。

 スライダー、カーブと投げたが咲夜はバットを振らなかった。

 しかし彼女はボールに反応して体が僅かに動いている。振る気がないというより狙い球を待っている感じがする。

 彼女は変化球が苦手だ。なら狙いはストレートか?

 いくら変化球が苦手なバッターでも、変化球ばかり投げ続けていれば目が慣れる。西園はそのことを経験から理解していた。

 だから安直に変化球で三球勝負などはしない。

 西園は投手にサインを送る。

 源が投げた第三球、高めのストレートが自分のミットに突き刺さる。

 これも手を出さない、か。

 ストレート狙いかと思って、ボール球で釣ろうとしたのだが違うのだろうか?

 それともストレート狙いなのは変わらなくて、単にボールに外れてたのを見極められただけか。

 カウントはワンボールツーストライク、決め球はやはり変化球にしたい。

 変化球のキレを引き立てる為には彼女にもう一球速い球を見せておこう。

 西園はサインを決める。

 四球目、高めボールに外れるストレートが再び自分のミットに飛び込む。

 やはり咲夜はバットを振らない。

 だが何を狙っていようがこれで終わりだ。

 西園がサインを出し、源が頷く。

 五球目、源の手からボールが放たれる。

 低目への落ちてくるチェンジアップ。それを咲夜は見逃し、審判が三振バッターアウトをコールした。

 ふー、手を出してこなかったか。

 咲夜と入れ替わりに七番の春火が打席に立つ。

「よおっしゃー、打つでー」

 相変わらずのテンションで彼女はバットを構える。

 源が振りかぶって白球を投じる。

 やや真ん中に入ってくるカーブ。それを春火は見送る。

 こいつも狙いはストレートか?

 ならばとサインを出す。

 源の手から放たれる二球目、内角高めのストレートが自分のミットに飛び込んでくる。

 ボールに外れた球を春火はやはり振らなかった。

 その構えを見ていて西園は思う。

 どうにもおかしい、さっきの咲夜はバットを振らなかったとは言え打つ気はあったように思える。

 だが春火は変化球も直球も、まるで反応がない。

 球種やコースに関係なく、どんな球が来てもバットを振る気がないように見える。

 ワンストライクが入るまで打たないというタイプのバッターもいるが、春火はさっきワンストライクからのストレートにも反応しなかった。

 ひょっとして球数を稼ぐのが狙いか? だから追い込まれるまで手を出さない?

 ならば迷うことはない。真ん中にでも投げて楽にストライクをとらせてもらおう。

 西園はサインを出す。



 右打席に立つ春火は先ほど幸平に言われたことを思い出していた。

(えーっと、ストレートを一回投げたから。次にストレートが来たら打っていいんだよね)

 そう考えながら源の投球を待つ。

 振りかぶってからオーバーハンドでボールが放たれる。

 直球だ。しかもコースは、

(ど真ん中、貰った)

 春火のバットが振り抜かれる。

 快音とともに打球は空を舞い、センター前に落ちる。

 一塁ベースを駆け抜けたところで彼女は足を止める。

 ワンナウト一塁。

 彼女は拳を天に突き上げると次の打者に声を飛ばす。



「よっしゃー、こーちん続けよー」

 春火の声に苦笑を返しながら、俺は打席に立つ。

 ここまでは予定通りか、さて。

 マウンドに立つ源を見る。まあ俺じゃまずこいつの変化球は打てないわな。

 かといって直球は春火に打たれたばかりで警戒してるだろうし。

 源が投球動作に入る。

 その手から白球が投じられ、俺はバットを横に寝かせて軽くボールに当てる。

 一塁方向に転がったボールを月城が拾って一塁へ送球。俺はアウトとなり春火が二塁に進む送りバントとなった。

「こらー、こーちん。ワンナウトから送りバントとは弱腰な。貴様それでも日本男児か」

 うるせえ。

 ベンチに戻る途中、ネクストサークルから歩いてくる静佳に会う。

 その肩を叩き、耳に顔を近づけヒソヒソと内緒話をする。

「ってーわけだ。むこうの守備よく見てな」

「はっ、はい」

 彼女は鳩が豆鉄砲をくらった様な顔で頷く。

 俺はベンチに戻ると腰を下ろす。

「静佳に何言ったの?」

 そこでチナが質問をぶつけてきた。

 その話題に、柚希と織編先輩も興味がありそうな視線を向けてくる。

「あー、あれな」

 俺は答える。

「むこうのバッテリーの配球についてだよ。右方向に打たせたいとか左方向に打たせたいとか、ゴロを打たせたいとかフライを打たせたいとか。そういうの考えながらむこうは配球決めてるってこと」

 そう言うと、チナは不思議そうな顔をする。

「そんなの普通のバッテリーでもするでしょ?」

 俺は頷きながら答える。

「バッテリーだけじゃないよ。その球種を内野陣全体が把握してるんだ。だからバッテリーが左方向に打たせたいと思ったら野手陣も左寄りに守る。右方向に打たせたければ右寄りに守る」

 俺は柚希と織編先輩の顔を見回す。

「二人もよく見ておきな。ピッチャーが投球動作に入った辺りからさりげなく内野陣が移動するから」

 初回二回とヤツラがやたらボールに追いつくのが早いのが俺には気になっていた。

 その正体がこれだ。

 例えば二回裏の満塁の場面は、右方向に打たせる配球をし野手も右寄りに守っていたとなれば紫苑がすぐにボールに追いつけたのも、高原先輩のベースカバーが早かったのも納得できる。

「ピッチャーが投球動作に入った辺りってことは、バッターはピッチャーの動きに注目するところね。守備の動きなんて普通見ないし」

 チナがそう吐き出す。

 ああ、そのせいで気付くのに時間がかかった。しかもヤツラはその特別守備をいつもやるわけじゃない。

 大体やるのはランナーがいるとき。それも一イニングに一回ぐらい、ここぞという場面でやる。

「けどそれがわかれば」柚希が呟く。

「逆手にとれるね」と織編先輩がその先を継ぐ。

 ああ、そうだ。

 今、ランナーが得点圏にいる場面。ここでヤツラは必ず特別守備を敷いてくる。

 打席に視線を戻す。

 静佳が一塁線に鋭いファールボールを飛ばしているところだった。

 カウントはツーツーか。そろそろやってくるかな。

 静佳にはピッチャーが投球動作に入った辺りから、バッティングに支障がない範囲で守備の動きに注目するよう言っておいた。

 第五球、源が二塁の春火に視線を向けた後、セットから投球動作に入る。

 その時、内野陣が数歩あるいて立ち位置を変えた。

 右寄りに。

 源の手から白球が投じられる。

 静佳がスイングを開始する。

 外へ逃げる変化球に迷いなく踏み込み、彼女のバットがボールを捉える。

 打球はセカンドの頭上を越え、ライト前に落ちる。

 春火は三塁を回り、ホームを狙っていた。

 ボールを拾ったライト鬼川原からバックホームが届く。

 ワンバンの送球を西園が受け止めたと同時に、その後ろで春火がスライディングでベースに滑り込んでいた。

 セーフと球審が両手を開く。

 おおー、と俺達のベンチが盛り上がる。

「静佳、ナイスバッチ」

 俺は親指を立てて、そう声を飛ばす。

 一塁上では静佳が控え目にガッツポーズをしていた。

 これで四対二。

 勝負はまだまだこれからだ。

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