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第十二話 開戦

 晴れ渡る青空。眩い太陽の光。

 その日は絶好の野球日和だった。

 伊吹臣事は市民球場の観客席から、グラウンドで練習する選手達を眺める。

 チーム・スプリングVS八ツ橋中学野球部チーム。その試合前の守備練習が今行われているところだった。

 臣事の視線はグラウンド横のブルペンでキャッチボールをするバッテリーに向いていた。

 ピッチャー静佳、キャッチャー幸平の二人。

 その姿を見ながら、彼はポツリと呟く。

「肩を壊して野球を辞めたと思ってたが、復帰していたのか」



 左手のミットに白球が収まると共にバシイといい音が響く。

「オッケー、ナイスボール」

 向かいに立つ静佳にそう返しながら俺は立ち上がる。投球練習はこんなところでいいだろう。

「今日は調子良さそうだな静佳」

 立ち上がりが硬かった前の試合とは目に見えて違う。

 彼女は俺の言葉に誇らしげな顔をする。

「ええ、今日は点を獲られる気がしませんね」

「あっはっは、そりゃすげーな。これで失点したら俺のせいにしていいぜ」

「では遠慮なくそうさせてもらいます」

 にっこりと笑顔でそう返される。

 いよいよ試合開始だ。

「じゃ、いくぜ」

 ホームベースの前に集まり俺達は整列する。

 白い布地に青い袖のユニフォーム姿の野球部六人とジャージ三名。

 そしてバラバラな私服姿の俺ら。

 審判のお兄さんが声を張り上げる。

「それではこれより八ツ橋中学野球部対チーム・スプリングの試合を開始します。お互いに礼」

 よろしくお願いします、と十八人の声が重なる。

 相手チームを見回すと最初に目に付いたのは蜜柑と話している高原(兄)だった。

「こうして蜜柑さん達と大会で当たることができて嬉しいですよ。今日はお互いいい試合をしましょう」

 な、なんだこいつ。紳士だ。紳士スマイルだ。

 こいつは危険だ。ただでさえ眼鏡キャラということで俺と被っているのに、俺よりもカッコいいとなったらとても危険だ。

 蜜柑も、ええこちらこそよろしくお願いしますと丁寧な言葉を返している。

 紳士淑女という言葉がぴったりの爽やかな挨拶をしているこちらとは対照的に、非常に好戦的な様子なのが高原(妹)だ。

「ついにこの日が来たね。今日こそ私の方が上だという事をきっちり教えてあげるよ」

 言って相手のピッチャー、源を指差す。

 ヤツはその挑発が癇に障ったのか鋭い視線で、そりゃ楽しみだ、と言葉を返す。

「返り討ちにしてやるのがな」

 とドスの利いた声で付け足して。

『こーへーさん、頑張ってください』

 ベンチからサンタクロースが応援してくれる。

 だが残念、俺らは後攻なのでベンチには戻らずすぐ守備につく。

 キャッチャーズボックスに座り、相手の打者が打席に入るのを待つ。


 一回表、野球部チームの攻撃。

 左打席に足を踏み入れたのは一番でショートの高原和希。

 ふち無しの楕円形眼鏡をかけた長身の先輩を、キャッチャーマスク越しに眺める。

 野球部チームはとにかく上位打線の足が速いのがチームカラーだ。

 そしてこの人はチーム一の俊足。

 高原(妹)から借りたビデオで見た試合によれば、ゴロ打ちの傾向が強く内野安打が多い。

 ここはサードの蜜柑に前よりで守るようにブロックサインを送る。

 蜜柑が定位置よりやや前に出てきたところで俺はマウンドの静佳にサインを送る。

 初球は内角低めに外れるボール球で様子を見よう。

 静佳は頷き、振りかぶる。

 そして体を捻り、その左手から白球が放たれる。

 ボールは注文通りバッターの膝元を通って俺のミットに納まる。

 高原先輩がピクリと反応したその球に、審判がボールを宣告する。

 ふむ、今の動き。ボール球だからバットを振らなかったが、もしストライクだったら打つ気があったみたいだな。

 初回の一番バッターだが様子見をする気はない、か。

 こっちはもう一球ボールで様子を見よう。次は外角低めだ、と静佳にサインを送る。

 彼女は頷いた後、振りかぶって二球目を投じる。

 ボールは左打者の高原先輩から遠い、右打席側にボール一個分外れたところに来る。

 ほお、いいコースに投げるじゃないか、そう思ったのは一瞬だった。

 その球を高原先輩のバットがひっぱたいのだ。

 三遊間への鋭い打球が地面を疾走する。

「高原!」

 すぐさま俺は指示を飛ばす。

 ショートの高原妹が深いところまでボールを追う。

 そして逆シングルでなんとかその球を止める。

 俺はチラリと一塁に向けて走る先輩の姿を見る。

 やべえ、ホントに足はええぞ。

 高原妹は送球体勢になって一塁の方へ向く。

「私のところへ飛んだのが運の尽きだったねカズ君」

 楽しそうな声でそう言って一塁へ送球する。

 ファーストの織編先輩が片足をベースにつけたままワンバンの送球をミットで掬い上げる。

 その後ろを既に高原先輩が駆け抜けていた。

「セーフ」

 一塁塁審が両手を広げてそうコールする。

 うーわー、と高原妹が残念そうな声を出す。

 相変わらず走るの速いね和希さん、と蜜柑が言葉をかける。

 どんまいどんまい、まだ始まったばかりよ、とチナが励ましの声を飛ばす。

 静佳は複雑そうな顔で一塁につく高原先輩を見ている。

 内野安打というピッチャーの勝ちとも負けとも言えない微妙な決着だからな。

 しかし、ボール球を強引に打ったにしては鋭い打球だった。

 ボール一個分外した程度ではあの人にとってはストライクと変わらないということか。

 次は二番。サードの日下が左打席に立つ。

 デコの広く開いたセミロングの髪型。口元にはにやけた笑みを張り付かせている。

 静佳はプレートを踏んでセットポジションで構える。

 一塁の高原先輩がリードを広げる。

 俺は牽制球を投げるようサインを出し、静佳がプレートを外して一塁にボールを投げる。

 受け取った球を織編先輩がタッチしようとすると高原兄は上半身から一塁に滑り込む。

 織編先輩が静佳に返球すると、再び高原兄はリードを広げる。

 機動力野球を得意とするこのチームの一番打者、高原先輩はノーデータのバッテリーに対しては積極的にスチールする傾向がある。

 アウトになってもいいから相手バッテリーの腕を確かめようということだろう。そして大したことないと判断されればその後は走られ放題になる。

 初球から走ってくる可能性は十分あるな。

 高原先輩ほどの人が牽制死などするとは思えないが、それでもリードをとり辛くさせようと何球か、静佳に牽制を入れるよう指示をする。

 何度目かの牽制球の後、静佳がこちらを見る。

 初球は盗塁警戒で行こう。静佳、クイックだ。

 俺はサインを送る。

 静佳は頷き、一塁ランナーの方を見ながら投球動作に入る――と、同時に高原先輩がスタートを切った。

 仕掛けてきやがった!

 素早いモーションで静佳はボールを投げる。

 バットが届かないくらい遠くに外れた球を俺は立ち上がって捕球する。

 視線の先では、静佳がしゃがみ、高原妹が二塁ベースカバーに入ってるのが見えた。

 そして二塁に向けて快足を飛ばす高原先輩も。

 やらせねえ。

 俺はボールを右手に持ち替え、二塁に向けて投げる。

 白球は静佳の頭上を越え、二塁キャンバスを目指す。


 ボールがセカンドベースに近づくと共に、高原先輩も足から滑り込んでくる。

 きわどいタイミング。高原妹が低目の送球を受け取り、すぐ目の前に滑り込んできた先輩の足にグラブを押し付ける。

 ほぼ同時と思えるくらいのタイミングで先輩の足も二塁ベースに触れる。

 どっちだ。グラウンドにいる全員の視線が二塁塁審に注がれる。

 彼は拳を握り締めて、声を張り上げた。

「アウトー!」

 っしゃああ。

「いえーい、やったやった。カズ君を殺してやったぞー」

 高原妹が歓喜の声を上げる。

 そんな彼女に、兄の方は苦笑を浮かべながらベンチへ戻っていく。

 ふーっ、しっかしギリギリだったな。

 今の送球は低めに投げれたからこそ、高原がキャッチしてからランナーにタッチするまでのタイムラグが短くてすんだ。

 少しでも俺のコントロールが乱れてたらセーフだったな。

 グラブをバフバフ叩きながらチナが俺の方を見て拍手をする。

「ホント、この一ヶ月送球練習を徹底した甲斐があったわね。最初の頃なんかコントロール悪くて外野まで飛んでいきそうな暴投だってしょっちゅうだったのに」

 うっ、言うなよそういうこと。敵の前で。

「よーっし、ワンナウトだ」

 俺は人差し指を天に向け、内野に声を飛ばす。

 ランナーもいなくなってこれでバッターとの勝負に集中できる。

 俺は再びキャッチャーズボックスに座る。

 そこにバッター日下の楽しげな声が飛んできた。

「やるじゃんキミら。ウチのキャプテンが刺されるとはね」

「いやー、恐縮です。先輩方に褒められるなんて」

 言いながら俺は静佳にサインを送る。

 日下はにやけた顔と共に言葉を吐き出す。

「可愛い後輩に一ついいことを教えてあげるよ」

 静佳が振りかぶって投球モーションに入る。

 日下の言葉は続く。

「足を武器にする打線と戦うときに大事なのは投手力よりもむしろ守備力だ」

 静佳が左腕を振りぬき、白球が放たれる。

「キミらのチームの守備力はどうかな?」

 日下がバットを横に寝かせ左手で添える。

 なっ、これは。

 日下のバットがコツンとボールの勢いを殺し、三塁線に転がす。

 セーフティバントだと。

「蜜柑」

 俺は彼女を呼ぶ。

 サードの蜜柑が慌ててボールを拾う。

 蜜柑は強肩、そう簡単には一塁へ辿り着かせねえ。

 彼女が送球体勢になり、一塁にボールを投げる。

 その横で、日下は地を蹴り疾走していた。

 そしてボールより速く一塁ベースを駆け抜ける。

 セーフ!と一塁塁審がコールする。

「まだまだだなあ蜜柑ちゃん。サードの守備ってヤツを後でじっくり教えてあげるぜ」

 一塁ベースに戻ってきた日下がにやけた顔でそう吐き出す。

 これでワンナウト一塁か。

「あー、だりー」

 口に手をあて、欠伸とともにそんな言葉を吐き出しながらゆるふわパーマの男が歩いてくる。

 三番でファーストの月城。

 スイッチヒッターの彼は右打席に立つ。

 そしてすぐにバットを寝かせて構える。

 送りバントか。

 ランナーを得点圏に確実に進めて四番に回したいというわけか。

 内野陣にバントシフトのサインを送り、ファーストの織編先輩とサードの蜜柑が前に出てくる。

 さて、バント失敗を狙ってアウトハイを攻めてみるか。

 俺は静佳にサインを出す。

 静佳は一塁ランナーを視線で牽制した後、セットポジションで投球動作に入る。

 その瞬間、ランナーの日下が走った。

 またか。

 静佳の左腕が白球を投じるとともに、月城はバントの構えをやめヒッティングに移る。

 バスターエンドランか!

 月城のバットが白球を捉え、ピッチャーとファーストの間の地面を跳ねる。

 バント処理のつもりですぐ近くまで来ていた織編先輩はその球に反応できず、横を抜けていく。

 くっ、まずい。

 そこにチナがバックアップに入りボールを捕る。

「チナ、ファーストだ」

 俺は指示を飛ばす。

 チナは一塁を見ると悔しげに口元を歪める。

 当然だろう。今一塁には誰もベースカバーがいない。

 チナがボールを持って一塁へ走る。

 同時にバッターの月城も一塁を目指し地を蹴る。

 競争になる。

 二人はそれぞれ異なる方向からファーストキャンバスに向かう。

 どっちが速いか。

 月城の足が僅かに早く一塁ベースを踏み、駆け抜ける。

「セーフ」

 くっ、やられた。

 スタートの良かった日下は二塁を蹴り三塁まで到達していた。

 ワンナウト一三塁。これで三者連続内野安打かよ。

 このチームの走力は本物か。

「頑張れー、っていうか少しは外野にもボール飛ばしてくれー。こっちは暇だぞー」

 なんかセンターの方から春火の理不尽な注文が飛んできた。

 静佳が面白くなさそうにマウンドの土を蹴っている。

「いやー、楽しい展開になってるね。これは、もっと苛めたくなっちゃうなあ」

 嗜虐的な笑みと共にそう吐き出しながら小柄なショタっ子が左打席に立つ。

 四番セカンドの紫苑だ。

 俺は一塁、三塁の両ランナーに視線を巡らす。

 来るか?

 静佳がセットポジションで構え、一塁ランナーに視線を送りながら第一球を投げる。

 そしてその瞬間、一塁の月城がスタートを切った。

 高めのストライクを紫苑は見送り、俺が捕球する。そしてすぐに二塁に向けて投げる。

 ショートの高原が二塁カバーに入る。

 それと同時に三塁ランナーの日下もスタートを切り、ホームを狙って走り出す。

 ダブルスチールか。だが。

 ボールが二塁に届く前に、チナが割り込んで送球をカットする。

 距離が短くなった分、時間が短縮された。

 すぐさまチナはボールをホームに投げ返す。

 俺はそれを受け取ると、こちらに向かって走ってきていた日下を見る。

 残念だったな。ダブルスチールは計算の内なんだよ。

「うおっ、やべえじゃん」

 日下は俺を見ると足を止め、焦った様子で三塁に引き返す。

 俺はその背中を追う。

「蜜柑」

 日下の前に立つ蜜柑に俺はボールを投げる。

 蜜柑がボールを受け取ると、日下は再び方向転換し俺の方へ走ってくる。

 無駄だ。完全に挟んだ。

「相馬さん」

 蜜柑が俺に返球する。

 俺はそれを受け取り、日下は三度みたび方向を変え、三塁に戻る。

「はっはー、モテる男は辛いなー」

 そんな減らず口を叩きながら蜜柑の脇を抜ける。

 だが三塁の前にはショートの高原がカバーに入っていた。俺は彼女にボールを投げる。

「頼む高原」

「任せて」

 ボールを受け取る高原、その瞬間日下がヘッドスライディグでその横に飛び込んだ。

 高原は焦った顔でその背中にタッチする。しかし日下の手は三塁キャンバスに触れていた。

「セーフ」

 三塁塁審のそんなコールが響く。

 嘘だろ。完璧に挟んだ筈だったのに。

 これで結果は、一死二塁三塁。

「タイムお願いします」

 そう言ったのはチナだった。

 主審がタイムを了承し、内野六人がマウンドに集まる。

 チナはパンパンと手を叩きながら言う。

「さっ、切りかえていこう。次のバッターはどうする?」

 そこに織編先輩も続く。

「そうだね。一塁は空いたし、ここは塁を埋めた方が守りやすいかな」

 しかしそういう話なら、やはり捕手である俺が決めるべきであろう。

「まだ初回だ。一点もやっちゃ駄目なんていうガチガチの守りをする場面じゃねえ。

 満塁になれば押し出しの危険もある。ここはランナーが一人くらい還ってもバッターで確実にアウトを取っていこう」

「オッケー」高原が頷く。

「そうですね」と蜜柑も納得する。

 静佳だけが、一言も喋らなかった。

「話はわかったか静佳?」

 俺がそう訊くと彼女はいつもの無表情で「ええ、まあ」とそっけなく返す。

 これは、納得してないな。

 そりゃピッチャーとしては一点もやりたくないわな。

 俺達は解散してそれぞれの持ち場に戻る。

 キャッチャーズボックスに座り、紫苑を見る。

 ヒッティングの構えか。

 初回ワンナウト二三塁で四番と言ったら、普通はヒッティングだよな。

 犠牲フライの可能性も高いし、ヒットなら二点入る。

 スクイズだとリスクばかり高い割りに、決まっても一点しか入らない。

 カウントはノーボールワンストライク。とっととストライク取っちまうか。

 俺は静佳にサインを送り、彼女がそれに頷く。

 二球目、セットポジションから静佳の右足が上がり、左手を振り抜く瞬間紫苑がバントの構えをとって来た。

 スクイズ? いや、これは。

 静佳は表情を強張らせ、彼女の投げた球は外角に大きく外れ、俺はキャッチャーズボックスから出てその球を捕る。

「ボール」

 審判がそうコールする。

 ランナーはスタートすら切っていなかった。それをを見て静佳は狐につままれた様な顔をしている。

 スクイズと見せかけたフェイントか。

 もしスクイズだったら、バットが届かないくらい遠くに外せば飛び出したランナーをアウトにできる。

 だから静佳は咄嗟にボールに外したんだろうが、それが紫苑の狙いなんだ。

 これでワンエンドワン。

 静佳にボールを投げ返し、俺は座り直す。

 三球目、サインを送り静佳が頷いた後、投球動作に入る。

 そして左手を頭上まで上げて振り下ろす瞬間、再び紫苑がバットを横に寝かせた。

 静佳は口元を歪め、ボールを外に外す。

 俺はそのウェストボールを受け止める。

 これでツーボール。

 ちっ、ボールカウントが増えればピッチャーはストライクをとらなければという焦りから甘いコースに投げざる負えなくなる。

 その為に紫苑はバントの構えで撹乱しているのだろう。

 俺は再びタイムをとって、マウンドに向かう。

「いちいち来なくていいです」

 苛立った様子で静佳から先制パンチを食らった。

 マウンドから打席の方を見てみると、紫苑がニヤニヤと嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 なるほど、あんな風に挑発されれば静佳が苛つくのも無理はないか。

 俺は彼女に言葉をかける。

「静佳、スクイズ恐がんなくていいぞ」

 そう言ってやると彼女は、むっとした顔をする。

 一点を捨石にするのが嫌だという気持ちはわかるぜ。けどよ、

「むこうはバントの構えで揺さぶって自分に有利なカウントを作るのが狙いだ。恐らく追い込まれるまでまともに打つ気はねえ」

「そうですか?」

 訝しげな目をされる。

 俺は言う。

「どーしてもバントさせたくないっていうんなら、速い球でインハイを攻めてバント失敗を狙ってやりな。一塁は空いてるし、ぶつけてもいいぞ」

 冗談めかしてそう言ってやる。

「わかりました」

 静佳は仕方ないといった風に頷く。

「じゃ、そういうことで」

 俺は話をまとめてホームに戻る。

 表面上は納得してくれたから、もう大丈夫だろう。

 さて、紫苑の後ろに座って考える。

 カウントはツーワンか。ここはもう無理に勝負しないで歩かせてもいいくらいの気持ちでいこう。

 俺は内角高めボール気味のところに要求する。

 静佳は頷き、セットポジションから三球目を投じる。

 投げる瞬間、紫苑は今度もバントの構えで撹乱してくる。

 ランナーは動いてない、っとか考えていると静佳の投げた球は真っ直ぐに左打席を目指し、紫苑のヘルメットに直撃した。

 えっ、ちょっ、おい。

 打席内で紫苑が倒れる。

「お、おい。大丈夫か」

 俺がそう言葉をかけると紫苑は地面に手をついて立ち上がる。

「あ、あはは。うん、ちょっとびっくりしちゃったよ」

 彼は苦笑いを浮かべ、ベンチから駆け寄ってきたチームメイトに大丈夫大丈夫と両手で制す。

「すいません、大丈夫ですか」

 静佳がマウンドから心配そうな声をかける。

 けどさ、あいつ声弾んでないか?

 多分ある程度付き合いがある奴でないとわからないくらい僅かにだけど。

 わざとか。静佳め、軟球だからいいものの。そんなにバント攻撃に苛立ってたのかよ。

 まったく、ウチのチームもエライ問題児を抱え込んだものだ。俺は内心溜息を吐く。

 デッドボールで紫苑は一塁に歩いていき、一死満塁となる。

 入れ替わりに打席に立つのは目つきの鋭い五番でピッチャーの源。

 右打ちか。にしてもピッチャーなのにバッティンググローブはつけてないのか。

 こりゃスクイズは百パーセントないな。

 バッター勝負か。

 死球で満塁にした後だからな。初球はストライクを入れたい。

 だが相手もピッチャーだ。こちらがそう考えるのを読んで初球を狙ってくるかもしれない。

 ここはボールから入ろう。静佳のコントロールならストライクはいつでも取れる。

 源は飛ばすタイプだから犠牲フライを打つ為に食いつきやすい高めのボール球で。

 そう決めて俺はサインを送る。

 静佳は頷き、セットポジションから体を捻り、左腕を振り抜く。

 白球は源の胸より高めに通り、俺のミットに納まる。

 ボール、ワン。

 手え出さなかったな。少し反応したところを見ると振る気はあったみたいだが。

 次は内角低め、内野ゴロ狙いでストライク入れろ。

 静佳は頷き、二球目。

 彼女の手から放たれたボールは源の膝元に入ってくる。

 そこにバットが振り抜かれた。

 快音と共に、打球はライト方向の空に飛ぶ。

 そしてファールゾーンのフェンスに叩きつけられる。

 ひゅー、飛ばすな。

 審判から新しいボールを貰い、静佳に投げて渡す。

 次も同じコースだ。

 静佳は表情を変えず頷き、セットポジションから第三球を投げる。

 ボールは再び源の膝の高さ、体の近くに飛んでくる。

 それを奴のバットがはじき返した。

 打球は一塁ファールグラウンドの壁にぶち当たり、織編先輩が追っていったところでボールを拾う。

 今のはボール球だったんだが、狙い通りファール打ってくれたな。

 一塁方向に走っていた源が、不満げな顔で戻ってくる。

 しかし、どうするか。

 こいつ反応がいい。ファールを打たせるならともかく打ち取るとなったら骨が折れそうだな。

 ここはストレート一本じゃ厳しいか。

 仕方ねえ静佳、予定より早いがあの球を見せてやれ。

 俺はサインを送る。

 四球目、セットポジションで右足を上げ、体を捻って静佳の左手から白球が放たれる。

 源がスイングを開始する。

 そのバットがホームベースの上を横切り、バットの下を緩い軌道を描く白球が落ちていく。

「なっ」

 体を泳がせながら源は驚いた顔をする。

「ストライーク、バッターアウト!」

 球審が力強くそうコールし、源は打席を出ながら舌打ちする。

「ちっ、変化球持ってたのかよ」

 と言い残して。

 まあ、前の試合じゃ投げてなかったしあいつらは知らないよな。

 これがこの二ヶ月静佳が練習してきた新球種、チェンジアップだ。

 低めに投げられるようになったが、ストライクに入るかはまだまだ運任せなところが強い。

 俺は立ち上がってグラウンドに声を飛ばす。

「ツーアウトだ!」

 よーし、ツーアウト。あと一つだよ、と高原。

 おし、バッチこーいとチナ。声が野手陣に伝染していく。

 そして六番。ぽっちゃりした体型の右打者西園がボックスに入る。

 セットポジションから静佳の放った初球。

 ストレートをそのバットが捉えた。

 げっ。

 ボールはセンター方向の大空に高く上がる。

 春火がボールに背を向け、フェンスの方へ全速力で走る。

 途中走りながら上半身だけボールの方へ振り向き、グラブを頭上に伸ばす。

 そこに白球が落ちていく。

「アウトー、スリーアウトチェンジ」

 はー、心臓に悪い。

 高めのボール球をあそこまで運ぶか。

 滞空時間の長い外野フライになったとはいえ、春火の守備範囲の広さがなけりゃやばかったかもな。

 一回表を無失点で終え俺達はベンチに戻る。

 入れ替わりに野球部チームの野手陣がグラウンドに散り、一回裏の攻撃が始まる。

 こちらの一番バッターはレフト、速薙翼。

 卵の殻を被ったヒヨコみたいなデザインのヘルメットを被り、意気揚々とベンチを出る。

「さー、打ってくるのですよ」

 俺はその背中に声をかける。

「おい速薙。作戦は覚えてるよな」

 その言葉に彼女は自信満々な顔で親指を立てる。

「わかっています。翼とキャプテンの仲じゃないですか。言葉にしなくても伝わってます」

 そうか。よかった。

「朝は洋食がいいってことですよね?」

 うん、全然伝わってないな。

「何度言ったらわかる。俺は和食派だっつったろ。第一話で」

 そう怒鳴ると、みーと彼女は頭を抱える。

「すいません、私は二期から見始めたので第一話の話とかはわからないんです」

 そこに春火が口を挟む。

「そりゃ残念だね。第一話ではこーちんが『俺は一流の野球選手になって世界から戦争をなくしてみせる』って伝説の名言を放つ回なのに」

 チナもそれに続く。

「そーそー、アタシと幸平の出会いを綴った一期のクライマックスを見てないとか許さないわよ」

 おー、と高原が感心した声を出す。

「千夏さんと幸平君の出会いってどんなだったの?」

 その問いにチナは遠い目をする。

「あれは私が入院してた頃だったわ。病室の窓の外に見える木の葉っぱが枯れる頃までは私はもたないって言われてた。

 そんな時、私は幸平と出会ったの。

 彼の第一声はこうだったわ。『今、何色のパンツ穿いてるの?』

 私はその言葉に勇気づけられたの」

 チナの語りを聞いて、織編先輩が涙ぐむ。

「すごい、いい話だね」

「感動のストーリーだね」

 高原も貰い泣きする。

『こ、こーへーさん。ツッコミスキルのない静佳さんと麻白さんと蜜柑さんが困ってますよ』

 サンタクロースにそう言われてそちらを見ると確かに、蜜柑と水無月がおろおろと反応に困っていて、静佳は呆れ顔をしていた。

 俺はとりあえず水無月に言葉をかける。

「水無月、実は今まで黙っていたが俺とお前は生き別れの兄妹だったんだ。俺のことお兄ちゃんって呼んでいいぞ」

「ええ!」

 水無月はやったら驚いていた。

 そしておろおろと視線を彷徨わせた後、上目遣いに俺の顔を見上げて戸惑い気味に呟く。

「お、お兄ちゃん」

「呼ばなくていいからね麻白ちゃん」

 静佳の冷静なツッコミが入る。

「いえ、そういう話ではなく。作戦の話をしましょう?」

 蜜柑がそう、話を戻してくれる。

「バッター、早くしないか」

 そこに主審のお兄さんの声が飛んできた。

 仕方ない。

「では翼は行って来ますね」

 速薙がバットを担ぎ、敬礼してベンチから出て行く。

 俺も彼女を送り出す。

「ああ、俺の写真が入ったロケットを胸ポケットに入れておけ。銃で撃たれた時、奇跡的に生き延びられるから」

 春火も声援を送る。

「頑張れー翼ちゃん。この戦いが終わったら、結婚しよう」

 こいつ節操ないな。前は水無月とのカップリングだったのに。

 んじゃ、アタシもネクストに行くね、とチナはバットを持って出て行った。

 春火と織編先輩もランナーコーチに向かう。

 さて、残った俺らはというと。

「じゃあ受験とか進路の話しでもするか」

「やだよ」

 高原に即行拒否されてしまった。

「そんなことより、今は試合の話をしようよ」

 俺は彼女に言葉を返す。

「馬鹿な。野球の話なんかして、そんなものが将来なんの役に立つ? 進学や就職に何か有利になるというのか?」

「いやいや、将来の役には立たなくても今役に立つことを話そうって」

 高原が困り笑いを浮かべる。

 グラウンドでは速薙が左打席に立ち、プレイが開始されるところだった。

 ふむ。

 敵ピッチャーの源が振りかぶってオーバースローから第一球を放つ。

 瞬間、速薙はバットを横に寝かせ、セーフティバントを狙う。

 源の表情に動揺が浮かび、すぐに投手、一塁手、三塁手がバント処理に前進してくる。

 速薙はバットを引き、ボールはキャッチャーのミットに納まる。

 高めのボール球だ。審判はボールワンとコールする。

 二球目、源が振りかぶってボールを投げる。

 再び速薙はバントの構えを見せ、相手の内野陣が前進してくる。

 しかしバットを引き、再び高めに外れるボール。

 よし、いいぞ。

 俺は呟く。

「なんだかんだで、あちらさんも速薙の足を警戒してるよな。

 特に源は一回戦を見ても、立ち上がりストレートが高めに浮いて制球が定まらない。スロースターターなピッチャーだ」

 なるほど、と高原が拳を握る。

「立ち上がりが悪いなら、そこをついてとにかくピッチャーのリズムを崩しまくろうって事だね」

 ああ、その為に背が低くてストライクゾーンも狭い速薙を一番にした。

 その上、セーフティバントをちらつかせ揺さぶってやれば源の球はまともにストライクをとれない。

 スリーボールワンストライクからの五球目。

 速薙の見送った球が西園のミットに納まり、審判が告げる。

「ボール、フォアボール」

 よし。

 得意げな顔で一塁に歩いていく速薙を見ながらサンタクロースが感嘆の声を吐き出す。

『やりましたね翼さん。ちゃんと作戦通りにやれてますよ』

 ああ。



 ふああ。

 月城徹志は一塁を守りながら欠伸を噛み殺していた。

 はあ、だりー。

 ボールが飛んでこなければやることもないし。

 視線の先では、敵の一番打者である翼が四球で歩いてくるところだった。

 マウンドを見る。

 それにしても、源は本当に立ち上がりが悪いな。

 一応は今の二年では最も評価の高いピッチャーなのだが、これでは自分達三年が引退した後どうなるのか少々心配でもある。

 やり遂げた顔で一塁ベースを踏む翼を見ながら考える。

 ここはひとつ、可愛い後輩を助けてあげますか。

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