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第四章 Little Sister 十

 十


 その塔は粉雪の舞う森の中に、ぽつねんと佇んでいた。城壁のそばによくあるような監視塔と、同程度の高さだろうか。周囲の針葉樹の中では抜きん出て大きいお陰で遠くからでも分かったようなものだ。普通に歩いていたら気付かなかっただろう。

 街からここまで案外近かった。昼頃に出て休憩を挟み、着いたのが翌日の朝だったから、この距離に魔女がいるかも知れないとなれば住人が不安に思うのも仕方ないと言える。

 ヴォルフは塔を見上げ、その石壁に触れる。建物自体は古いもののようだが、造りは堅固だった。ここに魔女がいると言われたら、信じてしまう気持ちは分かる。

「ここを上るのか?」

 ジゼラの声は嫌そうだった。上る事自体が嫌という訳ではないだろうから、ヴォルフは怪訝に眉をひそめる。

「上らねば、いるかどうかも分からんだろう」

「何故魔女を探すのだ?」

 すぐには答えず塔の周囲を回ると、程なくしてぽっかりと開いた入り口が見つかった。内部は見る限り明かり取りの窓もない割に、仄かに明るく見える。木々に隠れて上部は見えなかったが、吹き抜けになっているのだろう。燃料は大事に使いたいところだから、カンテラを使わなくて済むのはありがたかった。

 入り口の脇に荷車を置いて少し見回すと、壁沿いに設置された螺旋階段が上へと続いているのが見えた。部屋があるような面積もないから、実際監視塔として使われていたのかも知れない。

「知り合いかも知れん。話を聞きたくてな」

「魔女に知り合いがいるのか。すごいな」

 感心したように呟いて、ジゼラは階段を上り始めたヴォルフの後を追う。塔の内部はカビ臭い割に、空気が乾燥していた。この辺りは海が近い上に雨が多いから、カビの臭いは仕方がない。それよりも、冬とはいえ乾燥しているのが妙だった。外はどうだっただろうと考えながら、ヴォルフはしっかりと階段を踏みしめる。

 おんおんと、上の方から人が喚くような音が聞こえる。やはり吹き抜けになっているのだろう。分かっていても、不気味に思えた。

 足早に階段を上るジゼラは、しきりに左右を見回している。気配には敏感な彼女だから、何か感じ取っているのかも知れない。

 妙に寒い。外は雪が降っているとはいえ、それにしても冷えすぎている。窓もないのにこうも明るいのは不自然だし、微かに生臭いのも気になる。違和感はあったが、上り始めてしまった以上、戻る気にもなれなかった。

「知り合いとは、ご両親の知り合いなのか?」

 問い掛けるジゼラは、ヴォルフのコートの背をきつく握りしめていた。カビ臭いのが嫌なのかも知れない。怯えているような節もあったから、ヴォルフは少し後悔する。

 肩越しに振り返ると、ジゼラは普段通りの真顔で彼を見上げていた。意図的に感情を押し殺しているのか表に出づらいだけなのかは、定かではない。

「養母だ。元は両親の知り合いだったようだが」

 おおと感嘆の声を漏らし、ジゼラは目を輝かせた。その反応に、ヴォルフは顔をしかめる。

「そうか。なら早く行こう、ご挨拶をせねば」

 何故挨拶する必要があるのかは聞かなかった。理由など、分かりきっているからだ。

 彼女の発言に反応する気がなくなったのは、本気なのだと気付いてからだった。ジゼラはいつだって本気でそう思っていて、わざわざ口に出すのは構って欲しいからだ。だから突っぱねるのも哀れで申し訳ないような気がしてしまうから、彼は何も言わない。

 自分の何がいいのだか、ヴォルフには分からない。言葉も足りないし、金もない。愛想も無ければ人相も悪く、あるのは腕力だけだ。加えて十以上歳が離れている。父親へのそれと混同しているのではないかと、彼は密かに思っていた。

 だから反応しないし、今はわざわざ拒絶する気にもなれない。そうする事で、この均衡が崩れてしまうのが怖かった。彼女との関係、というよりは、自分の心の均衡が。

「姉といなくて、良かったのか」

 今更ながらに問い掛けると、ジゼラは少し笑った。何故だか嬉しそうな響きだ。

「お姉様は一人ではないが、あなたは一人だ。私がいないと寂しいだろう」

 何も言わないのをいい事に、調子に乗っている。しかし怒るでもなく、ヴォルフは行く手へ向き直る。

 図星だったのだ。ジゼラがいなくなった時、胸に隙間風が吹いたように寒かった。あれはきっと、寂しかったのだろう。だから否定出来なかったし、たしなめる事もしなかった。嘘をついてまで否定する気はない。

「……そうだな」

 短く肯定すると、ジゼラは僅かに息を呑んだ。白い頬が寒さ以外の理由で朱に染まって行くが、背中を向けたままのヴォルフは気付かない。

 振り向かないヴォルフの背中を見つめたまま、ジゼラはしばし目を丸くしていた。やがてその頬が緩み、笑みへと変わる。嬉しそうな、でもどこか切なそうな、淡い笑顔だった。

「置いて行かれてしまうかと思った」

 ヴォルフは答えないまま上を目指す。一定の速度を保ったまま、黙々と階段を上って行く。ジゼラは少し待っていたが、何も言わないと分かると再び口を開いた。

「だから、嬉しかった。ありがとう」

 苛立ちとも憂いともつかない感情が胸の内に湧き上がり、ヴォルフは顔をしかめた。彼女は、何をしてもありがとうと言う。それが嫌な訳ではないし、律儀だとは思う。しかし、その言葉に違和感も覚える。

 礼を言われるような事など、何一つしていない。だから妙に他人行儀な彼女に、何故だか苛立った。否、単純な苛立ちとも違う気がする。

 腰がむず痒いような、焦りに似た感覚。けれど何に焦っているのか、自分でも分からなかった。

「今更置いて行ったりはせん。少しは信用しろ」

 うんと呟いて、ジゼラはコートを掴んだ手に少し力をこめる。彼女の笑顔は憂いを帯びていたが、先を歩くヴォルフがそれに気付く事はない。

 もう、半分ほど上っただろうか。下を確認すると、入り口から射し込む光がぼんやりと見える。外から見た時はそう高い塔ではないと思ったのだが、上を向くと体感よりも進んでいないようだった。まだまだ、先に階段が続いている。

 さすがに訝しく思った時、ジゼラがコートを引いた。振り向くと、彼女はしきりに鼻を鳴らしている。

「アルカナの臭いがするぞ」

 思わず立ち止まると、ジゼラは彼の背に頭をぶつけた。痛そうに頭をさする彼女の後ろを確認するが、階段下には姿がない。階段は塔の壁面に沿って螺旋状に設置されているから、見えないだけかも知れないが。

「いるようには見えんが」

「だが臭い……あ」

 声を上げた彼女の視線はヴォルフの向こう、階段上を見ていた。その時にはもう、ヴォルフの鼻にも臭いが届いている。背中の留め具を外してメイスを握りながら向き直ると、正面には三体のアルカナがいた。

 二体は所々皮膚が剥がれ、赤褐色の筋肉を晒す腐りかけた死体だったが、一体は完全に白骨化していた。その手には、銀の杯が握られている。並々と注がれたその中身は、腐敗した体液だ。

 カップと呼ばれるこのアルカナは、町に病をもたらす。伝染病で死んだ人の成れの果てで、死んで尚体内に残った病原菌を撒き散らしているのだと言うが、真偽の程は定かではない。

 ソードやワンドはどこへ行っても多いが、ヴォルフがこれを見たのは三年ぶりだろうか。他のアルカナより臭う上に伝染病にかかる危険性があるから、あまりお目にかかりたくない相手だ。大量の金貨を抱えたコインというのもいるようだが、彼は見た事がない。

「臭い」

 不快そうに顔をしかめて呟きながら、ジゼラは外套の下から剣を抜く。ヴォルフは杯を掲げるアルカナを見て、慌ててその白骨化した体を蹴り飛ばした。

 呆気なく崩れた骨だけの体は、真っ逆さまに階段下へと落ちて行く。こぼれた杯の中身を避け、ヴォルフは剣を振りかざす一体へメイスを振る。

 しかしソードは咄嗟に剣を構え、鉄球を弾いた。目を丸くするヴォルフの横をすり抜け、ジゼラが反対側から剣を振る。アルカナも今度は反応出来ず首を落とされたものの、ジゼラもまた、眉をひそめていた。

 知性の欠片もないアルカナが防御の構えを取る事が、今までにあっただろうか。少なくともヴォルフは見た事がなかったし、ジゼラもそうだろう。

 何より、突然湧いて出た事が明らかに妙だ。思考しつつも、ヴォルフは残りの一体の頭上へメイスを振り下ろす。アルカナはまたも受け止めようとしたが、動作が鈍いため間に合わず、頭から縦に潰された。

 崩れた死体を足で避け、ヴォルフは先を急ぐ。確かにさっきまでは、何もいなかったはずなのだ。それが突然湧いて出たという事は、ここにいるという魔女の仕業か。それとも。

「ヴォルフ、おかしいぞ」

 ヴォルフは懐から砂時計を取り出しながら分かっていると言おうとしたが、絶句した。砂が熱を帯び、瞬いていた為だ。

 タロットがいるというのだろうか。ここまで反応していれば、もうその姿を肉眼で確認出来ていてもおかしくない。ジゼラと並んで歩く事も出来ないような狭い足場で、あの化け物と戦う事になるのだろうか。

「……違う、『タワー』だ」

 呟くと、ジゼラは剣を振って汚れを落としながら訝しげに彼を見上げた。ヴォルフは険しい表情を浮かべ、彼女を振り返る。

「この塔自体がタロットだ。これはタワーなんだ」

 災いを内包し、静かに人を待つタロット。それが「塔」だ。それ自体が大きな災いであり、一度足を踏み入れたら逃れる事は出来ない。

「塔」の中へ入ってしまったが最後、倒すまで出る事は叶わないと聞いている。しかし、これをどうやって倒せと言うのだろう。負の意味しか持たないこのタロットは、位置を変えたところでどうにもならないのだ。

 魔女がいるという噂は、この塔自体がタロットだったから流れたのかも知れない。しかしそれならば、「皇帝」がここを利用して情報操作した理由が分からない。噂が先だったのか「皇帝」が現れる方が先だったのかは、恐らく誰に聞いても分からなかっただろうが。

「……とにかく、進むしかないな」

 そう言うと、ジゼラは左右を見回してから改めて上を見た。

「さっきから進んでいないような気がするのだが」

「私もそんな気はする」

 渋い顔をして、ジゼラはふと壁を見た。その目が一瞬にして大きく見開かれ、彼女は後ろへ飛び退く。

 その反応に驚いて見てみれば、石を積み上げて造られているだけのはずの壁が蠢いていた。幼虫が蠕動ぜんどうするような不気味なその動きは、徐々に壁全体へ広がって行く。

 砂時計を出したから、「塔」が反応したのだろう。つまりは目視したのだろうと思うが、ここで時計をひっくり返した所で、効くものなのかどうか。

「気味が悪いな」

 眉間に寄った皺はそのまま、ジゼラは何の気なしに振り返る。次いで驚いたように肩を震わせた彼女の背後、壁からは、人間の頭部が生えていた。ヴォルフが通りすぎた時には何もなかったから、生えてきたと言った方が正しいだろうか。

 まばらに髪が残った頭部に続いて、目玉のない眼窩が覗く。その赤褐色の眼底からは、蝿の子が腐肉を掻き分けて這い出していた。鼻は腐り落ち、ぽっかりと空いた鼻腔にもびっしりと蛆が詰まっている。

 暫く呆然としていたジゼラは、アルカナの首が完全に出た瞬間、反射的に剣を振り上げて打ち下ろした。歯ごたえのない肉を噛んだような嫌な音と共に、屍の頭が壁から離れる。皮膚が剥がれて筋肉の露出した首が、階段を転げ落ちて行った。

 濡れた畦道を行く馬車のような音を立てて落ちる首の横、階段側の壁から、次々と頭が這い出してくる。露出した頭蓋骨に乾いた肉が僅かにこびりついているだけのものもあれば、ほとんど生前の姿を保っているものもあった。

 異様な光景だった。壁から次々と死体が生えてきて、階段に降り立つのだから。そもそも死体が動くだけで充分おかしいのだが、彼らにその感覚はもうない。

「なんなのだ……」

 呟くジゼラの声は、疲れきっていた。まだ何もしていないが、ヴォルフも次々湧いて出るアルカナを見るだけで疲労感を覚える。

 際限なく壁から這い出るアルカナ達は、一斉にその生気の失せた顔を二人へ向けた。この数を二人で相手しなければならないのかと思うと、流石のヴォルフも気が遠くなる。負ける気はしないが、これは骨が折れるだろう。

「……進むか」

 呟いたヴォルフを、ジゼラが怪訝に見上げる。歩いても進んでいないような気はするが、とにかく上へ向かうしかないのだ。

 階段上から向かってくるアルカナ達の足取りは、外にいるものと変わらずおぼつかない。上がって来るものも、重たそうに足を動かしてじわじわと距離を詰めてくる。ヴォルフは上へ向き直ってメイスをきつく握り、駆け出した。

 近付いた彼に反応し、アルカナ達は一斉に手にした武器を振り上げる。しかしその剣も棍棒も、鉄球の一撃で体もろとも轟音を上げながら壁にめり込んだ。ヴォルフは壁からメイスを抜き、反対側へ振って一団をなぎ払う。変色した肉片を撒き散らし、数体のアルカナが塔の底へと落ちて行った。

 ヴォルフの取りこぼしを切り捨てながら、ジゼラは背後を確認する。動きが鈍い為か、後ろの集団は走る彼らに追い付けないようだった。

 走れば進んでいるような感覚はあるが、最上部まで辿り着ける気がしない。奇妙な疲労感と一体切る度に濃度を増す腐敗臭に、彼女は顔をしかめる。

 行く手を阻む亡者達を容赦なく潰し、階下へなぎ払いつつ、ヴォルフは上へと向かう。今度は確実に天井へと近付いていた。安堵しかけたその時、地鳴りのような音が耳に届く。

 訝しく思った瞬間、岩がぶつかり合うような重い音が頭上から聞こえた。見上げると、ついさっきまであったはずの天井が忽然と消え失せている。

 確かにこの塔は吹き抜けだったが、天井が丸々なかった訳ではない。少なくとも階段の最上部には足場があったはずだし、最初からただの筒状ならもっと疑ってかかっていた。天井が落ちてきた訳でもなかったから、「塔」が姿を変えたと考えた方が正しいだろうか。

 上からは更に、瓦礫が崩れる音がする。不安を煽られたが立ち止まる事も出来ず、ヴォルフは走る。ジゼラは彼の後ろを走りながら、しきりに左右を見回していた。

「なんだ、何の音だ?」

「分からんが、気をつけ……」

 言葉を遮るように獣の唸り声に似た音がした後、「塔」が大きく揺れ、吹き抜けから覗く空が光る。立ち込めた厚い雲は、紫がかった灰色をしていた。雪が降る時の空の色ではない。

 やがて耳をつんざくような轟音と共に、目の前に閃光が走る。ヴォルフは後ろへ飛び退いて逃げたが、逃げられなかったアルカナ達は数体が真っ黒に焼け焦げていた。しかし石造りの階段には、焦げ跡一つ残っていない。

 実際よりかなり小規模だから、魔術的な力によって起こした雷だろう。それでも「女教皇」が起こしたそれとは比べ物にならない威力だ。これが、「塔」の力なのだろうか。両親は一体、これをどうやって倒したのだろう。

「さっさと砂時計を使えば良かろうに」

 唖然とするヴォルフの耳に、若い女の声が届く。女にしては低いその声は、確かに聞き覚えのあるものだった。

 声のした方、階段上を見ると、ねずみ色のローブを着た人影がある。「運命の輪」の中で見たあの老人に似ていたが、あちらより背が高かった。手にしたカンテラの灯が、瞬くように揺れている。

「まさか……」

 呟いたヴォルフと背後から迫るアルカナを交互に見て、ジゼラは眉を曇らせる。困惑したような表情だった。

「ヴォルフ、後ろから来ているぞ」

「ちまちま相手をしていても仕方あるまい」

 困ったような声には、ローブの女が答えた。フードに隠れて顔は見えないが、その赤い唇は緩やかな弧を描いている。

 ジゼラが不思議そうに首を傾げると、女は喉の奥で笑った。それから不意に右手のカンテラを突き出し、何事か呟く。炎が爆ぜる音がしたかと思うと、階段の上下にいたアルカナ達が一瞬にして燃え上がった。

「『塔』はなんとかなるのか?」

 目を丸くするジゼラを尻目に、ヴォルフは女に向かって問いかける。彼女は鷹揚に頷き、カンテラを頭上に掲げた。

「久々に会うたというのに、挨拶もナシにそれか。行儀のいい事だの」

 いつしか、「塔」の内部は静まり返っていた。焦げた臭いとアルカナが残した腐敗臭だけが、つんと鼻を突く。耳が痛くなるほどの静寂の中、ヴォルフは浅く溜息を吐いて、手にした砂時計をひっくり返した。

 曇りガラスの中で、黒い砂が落ちて行く。その速度は、人を相手にした時のように速かった。女の持つ魔力が、砂時計の働きを助けているのだろう。

 勿体ぶらずに、さっさと出てくれば良かっただろうに。そうは思うが、ヴォルフは何も言わなかった。代わりに、問いかけを口にする。

「ひっくり返しても、意味はないのではないか?」

「馬鹿だのお前は。位置を変えるだけが能ではなかろうに」

 位置を変える以外の事をする必要がなかったから、すっかり忘れていた。突き放すような彼女の口振りに懐かしさを覚える反面、それがいささか不愉快だった。

 塔の中は、不気味なほどの静寂を保っている。アルカナが湧いて出てくるような気配もなければ、落雷する訳でもない。向こうも観念したのだろうかと、ヴォルフは思う。

「ヴォルフ」

 コートの袖を引き、ジゼラは抑揚のない声で彼を呼ぶ。振り返ると、彼女はまだ困ったように眉根を寄せたまま首を傾げていた。何が起きているのか分からないのだろう。

 聞かれても、答えられない。先に「塔」を浄化し、落ち着いてから説明したかった。とにかく安心させようと頷いて見せると、ジゼラは表情を緩める。

 改めて向き直って視線を落とすと、砂時計は既に金色の光を放っていた。それを頭上へ掲げ、ヴォルフは口を開く。

「『塔』よ。その真意を示せ」

 瞬間、光だけが視界を覆った。思わず目をつむると、浮遊感が全身に伝わる。ジゼラがすがり付いたようで、背中が熱かった。

 やがて瞼の裏が暗くなり、浮遊感が消える。目を開けると、そこは粉雪のちらつく森の中だった。背中にしがみついていたジゼラが恐る恐る空を見上げ、首を傾げる。

 砂時計は、砂が金色に光っている時でないと効果を現さない。だからとりあえずひっくり返したが、あれは正位置にしても逆位置にしても無駄だったに違いない。

「塔」の真の意味は、囚われた者への救済だと言う説がある。示させた真意は、まさしくそれだったのだろう。

「あれは誰だ?」

 見上げてくるジゼラは、ローブの女を指差していた。ヴォルフが答える前に、女の方が口を開く。

「おお、すまんの。自己紹介もしておらんかった」

 声は若いが、口調は老人のようだった。ローブに手をかけた彼女は、フードだけをそっと外す。その下から現れたのは、片眼鏡モノクルを掛けた若い女の顔だった。

 シルクのような質感の黒髪が、青白い頬に緩やかな曲線を描いている。理知的な鳶色の目は仇っぽい切れ長で、笑みを浮かべるように細められていた。肉感的な赤い唇も、同じく笑っている。青白い肌とその赤のコントラストが、一種異様だった。

 佇まいも落ち着いた秀麗な女だったが、艶やかな外見とは反対に纏う空気は暗かった。ねずみ色のローブのせいかも知れない。

「オルガと言う。ヴォルフが世話になったの、ジゼラよ」

 言いながら近付いてきたオルガは、ジゼラに片手を差し伸べた。見開きがちな大きな目で彼女を見上げ、ジゼラは条件反射のように握手を交わす。それから何も言わずに、ヴォルフを見上げた。

 彼女の目は、未だに誰なのかと訴えかけている。ヴォルフは顔をしかめ、視線を逸らした。

「……養母だ」

 おかあさま、と呟くジゼラの目は、何故か輝いていた。

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