第四章 Little Sister 七
七
固く閉ざされた収容所の扉の前に、甲冑を着た巨漢が佇んでいる。いや、人間ではない。
その頭は、羊そのものだった。鼻も顔も体毛さえも真っ黒で、頭の両脇に生えた太い角も鉛のような黒。頭部の中で唯一色の付いた金の目は、爬虫類のそれにも似て不気味に光っている。
頭は羊だが、体はヴォルフより一回りほど大きい人間のものだ。首から下を覆う甲冑は、少し前に流行ったものだっただろうか。艶消しの黒で塗装されており、巨体が持つ威圧感を増大させている。
人の筋肉の形を模したような甲冑は見事なものだったが、その上に羊頭が乗るといささか滑稽に思われた。手にした立派な大剣があまりにも不釣り合いだ。
「『皇帝』か……だから町が荒れたんだな」
砂時計を懐から取り出しつつメイスを握り直し、ヴォルフは呟く。戸惑ったようなシルヴィアの目が、ヴォルフと「皇帝」を交互に見た。何か言いたげな仕草だったが、彼女は結局何も言わずに宝剣を収容所の壁に立てかける。
「皇帝」は「女帝」と似たようなタロットで、城下町に姿を現し、まずその地の領主を操る。そうして町を変え、自分は領主の影のようにして暮らすのだ。誘惑して虜にする「女帝」と違い、これは人が夜見る夢の内へ潜り込んで、こっそりと人心を変えて行くという。
魔女が出たとの噂は、あれが人々の中に植え付けたものだったのだろう。騎士団が魔女狩り部隊と化していたのも、この「皇帝」が命じていたからなのだ。ヴォルフはそう思いたかったし、きっと、そうに違いない。
「シルヴィ、気を付けろ。あれは硬いぞ」
「羊なのに?」
問い返す声には答えず、ヴォルフは「皇帝」に見せつけるように手にした砂時計を引っくり返す。じわじわと落ちる砂が、彼自身の焦りを象徴しているかのようだった。
砂時計を見た「皇帝」は、目を細めてヴォルフを睨む。しかし近付いてくる異形のゆっくりとした足取りには、余裕が見えた。常に堅固である「皇帝」には、焦りも動揺もないのだ。
ある程度の距離まで近付いたところで、「皇帝」は剣を構える。間合いとしてはヴォルフと同程度だろう。西日を受けて鈍色に光る大剣の動きに注意を向けたまま、彼は牽制するように異形を睨み付ける。シルヴィアを巻き込まないよう少しでも離れるべく、間合いのぎりぎり外側まで近付き、ヴォルフも立ち止まる。
冷たい夕刻の風が砂を巻き上げ、コートの裾をはためかせる。微動だにしない両者の間を吹き抜けた北風は固く閉じられた収容所の門の隙間を抜け、ひゅうと音を立てた。背筋を痺れさせる緊張感に、寒ささえ感じない。
このままの状態が少しでも長く続いてはくれないだろうかと、ヴォルフは思う。砂時計の様子から考えるに、落ちきるまでにはかなり時間がかかるはずだ。これを打ち倒せる自信はないから、恐らく持久戦になるだろう。いくらヴォルフに体力があると言っても、疲労を知らないタロットとの長期戦を強いられるのはさすがに辛い。
そんな彼の心中を見抜いたかのように、「皇帝」が大きく踏み出した。一歩で間合いを詰められたと見るや、ヴォルフも左足を出して右腕を大きく引き、迎え打つ体勢を取る。倒す必要はない。持ちこたえられさえすれば、それでいいのだ。
腕を振ったのは、ヴォルフの方が少し早かった。しかし鉄球の方が空気抵抗が大きい為か、二つの得物は互いの体の正面で交わり、鈍い衝突音を響かせる。両者とも弾きもせずに押し返したが、膠着を避けてほぼ同時にほんの少し力を緩め、後ろへ飛び退く。
落日が放った最後の光が「皇帝」の目に映り込み、不気味に反射する。漆黒の異形の全身で唯一金色に光るその目は、ヴォルフを見下ろして薄く笑った。羊の顔が笑うはずはないのだが、彼には何故だか、そう見えたのだ。眩しさに目を細める事で、羊の笑みにぞっとする自分を誤魔化す。
振り切れなかったメイスを手元へ戻し、ヴォルフは鉄の柄を握り直す。それを見計らったかのように、「皇帝」が再び距離を詰める。彼は今度は動かず、メイスだけを振った。
鋼鉄に覆われた異形の腕は、瞬時に剣を立ててメイスを止める。肩に当たる寸前で分厚い刃に衝突した鉄球は、それ以上動かない。「皇帝」も力をこめてはいるが、ヴォルフの腕もまた、押し返す事を許さなかった。
得物を交えた時の感触から考えるに、「運命の輪」より力は少し弱いだろうか。攻撃を防いでさえいれば終わるだろうが、剣だけが能ではないのがこのタロットだ。
あまり膠着状態が続けばこちらが危ないと判断し、ヴォルフはメイスを引きつつ剣にこめられた力の向きと反対側へ逃げる。進路を塞いでいた鉄球が退いた事で剣が振り抜かれたが、その軌道から逸れた方向にいた彼には当たらなかった。硬い代わりに、動きは鈍いのだ。
ヴォルフの視線が、肩越しに一瞬だけシルヴィアを振り返る。固唾を呑んで見守っていた彼女はそこでやっと我に返り、ゴメンと小さく呟いた。しかしすぐには動かず、「皇帝」が再び剣を振るさまを観察する。急に飛び込んでも手の出しようがない事を、本人も分かっているのだ。
幅広の刃が、スパイクがびっしり並んだ鉄球と衝突する。互いの力が強すぎる為か、交わった瞬間辺り一体に金属音が響き渡る。反動でヴォルフの肩が揺れたが、向こうも同じ事だった。一瞬緩んだ力が再びこもり、鉄球と剣が軋む音を立てる。剣が折れないことが不思議なほどだ。
拮抗する両者に、シルヴィアがようやく駆け寄る。「皇帝」は彼女に視線を移したが、意識が逸れた隙にヴォルフに押され、すぐに正面を向く。シルヴィアは異形の注意がそちらへ向いてからは手にした剣を地面に対して水平に持ちかえ、漆黒の鎧の隙間、肘の間接部を突いた。
「……え」
しかし「皇帝」は、その腕にこめた力を緩める事さえしなかった。ヴォルフは苦い表情を浮かべ、シルヴィアを顎で促す。彼女はその仕草で一旦腕を引こうとするが、鎧の隙間に入り込んだ剣はびくともしなかった。
「皇帝」が、低い笑い声を漏らす。喉の奥で笑ったような不安を煽る声は、首ではなく肘から聞こえた。シルヴィアは眉間に皺を寄せてその肘を確認し、驚愕に目を丸くする。
彼女が手にした幅広の刃は、「皇帝」の肘に噛まれていた。否、そこに生えた肉食獣のような牙に。
「何……これ」
よくよく見てみれば、鎧の隙間からは鋭い歯が覗いていた。びっしりと並んだ牙の奥に、真っ赤な肉が見える。
切れたから赤く見える訳ではない。そもそも、この分厚い剣で切れるはずがない。これは口で、赤い部分は口腔なのだ。そう気付いたシルヴィアの背を、寒気が這い上がる。
「突くな、払え。まだ動くなよ」
低く告げたヴォルフは、メイスを握る手はそのまま、左足を踏ん張って右足を上げた。「皇帝」の腕にこもっていた力が緩むが、逃げる前に膝がその胴を蹴る。太い足が鎧の隙間に食い込み、「皇帝」が僅かによろけた。
「ヴォルフいつも一言足りないよー……」
シルヴィアはぼやきながら剣を引いて逃げた。ヴォルフは苦い顔をしつつも左足を軸にして回転し、右腕を振り切る。頭部を狙った鉄球は、寸前で屈んだ「皇帝」の頭上を通り過ぎた。深追いはまずいと判断し、彼は左へ振ったメイスを右腕側に戻しつつ異形から距離を取る。
しかし退避した彼に、「皇帝」は尚も剣を振り上げる。慌てて水平に構えて盾にしたメイスの柄を、分厚い刃が襲った。上空から鉛玉を落とされたかのような衝撃に、ヴォルフは僅かに腕を落とす。迫った剣先が彼の頭に触れ、傷んで赤茶けた髪を切った。
髪と一緒に頭皮が切れたのか、彼の額に血が赤い線を描く。宵闇に溶け込む漆黒の異形は、更に力を込めて上から剣を押し付ける。ヴォルフは頭を逃がすように首を反らし、刃から逃れた。大剣の軌道から頭が逃げると同時に、支えをなくして僅かに沈んだ「皇帝」の刃の下に別の刃が現れる。
察したヴォルフが左腕をメイスの柄に添えて力をこめると、「皇帝」の刃が上へ弾かれた。いつの間にかすぐ横にいたシルヴィアが、下からすくい上げるように剣を押し返したのだ。元々拮抗していたから、彼女の力が加わるだけでも押し返せたのだろう。
大きく剣を弾かれた「皇帝」の腕が上へ持って行かれた隙に、ヴォルフはメイスを手元へ戻す。「正義」に裂かれた肩が痛んだが、構ってはいられない。無防備になった異形の胴体めがけて、得物を勢いよく振り抜く。しかし鉄球が黒い甲冑に激突したと思ったその瞬間、腹部がぱっくりと割れた。
折れ曲がった胴体の裂け目から、びっしりと並んだ鋭い牙が覗く。一瞬にして大きく開いたその口は、ヴォルフの全身をも一呑みに出来そうなほど巨大だった。黄ばんだ歯にはねっとりと唾液が絡み、糸を引いている。真っ赤な口腔からはえも言われぬ悪臭が漂い、ヴォルフの顔をしかめさせた。「吊るされた男」のそれとも違う、腐敗したゴミのような臭いだ。
「腹も口になるのか……」
巨大な口で食らいつこうと「皇帝」が足を踏み出すより先に、ヴォルフはメイスを引いて横へ逃れる。異形はそれでも彼を追おうとするが、腹を口として開いて重心が傾いた為か動きが鈍く、すぐには近付けない。「皇帝」がもたついている間に横からシルヴィアが飛び込み、真っ赤な口腔を突こうと腕を引く。
口の中なら柔らかいと判断したのだろうが、学習しない女だ。考えながら、ヴォルフはメイスを構える。シルヴィアの剣は予想通り真っ赤な口内へ吸い込まれて行ったが、同じく「皇帝」も、彼女に向かって剣を振る。不安定な体勢の割に、狙いは正確だ。
脇腹めがけて迫る刃に驚いて身を引こうとしたシルヴィアの剣が再び噛まれ、硬質な金属音を立てる。またもや動きを止められた彼女は大きく顔をしかめ、焦ったように腕を引いた。だが両手で柄を持ってみても、異形の力には敵わない。
勢いよく上体を起こした「皇帝」の剣は、彼女の腰に当たる前に鉄球に阻まれて弾き返された。ヴォルフは左上へ振り上げた状態のままでメイスを保ち、一歩踏み出して反対側へ振る。その軌道には、羊の頭。
「ばっ……」
シルヴィアは剣を引こうとした体勢のまま、驚愕の声を上げて硬直した。横を向いた「皇帝」の口が顎が外れんばかりに大きく開き、鉄球に噛みついて止めたのだ。ヴォルフもさすがに目を見張るが、少しの間の後、そのまま鉄球で突いてしまおうとメイスを押し込む。
しかしその一瞬の隙に、「皇帝」は鉄球もシルヴィアの剣も離して横へ逃げた。ヴォルフは苦々しく表情を歪め、一旦距離を取る。シルヴィアは彼の少し後ろへ退避し、手にした剣を一瞥してすぐに異形へ向き直った。かなり強く噛まれたから、刃にヒビが入っていないか確認したのだろう。
これがここまで芸達者なタロットだとは思っていなかった。ヴォルフは自分の認識の甘さを悔やみ、歯噛みする。頼みの綱の砂時計には、まだ黒い砂が残っていた。
今までに戦った「皇帝」は、こうまで強くはなかったはずだ。体の節々が口と化す事は知っていたが、どの「皇帝」も一度に二ヶ所も開いたりはしなかった。だからシルヴィアの剣を噛ませておいたというのに、同時に二ヶ所の口を開けない訳ではなかったのだろうか。
恐らく本来ならば、出来ない事なのだろう。人の心を吸い上げ、それを糧にし、このタロットは変質したのだ。徐々に肥大して行く人の欲望を、憎しみを、怨念を、この「皇帝」は自らの力に変えたに違いない。何故「悪魔」だけが異例だと勘違いしていたのだろう。
他のタロットも、もしかしたら成長していたのかも知れない。ヴォルフ自身旅をして行く内に強くなっていたから、気付かなかったのだ。
「シルヴィ、もう仕掛けても無駄だ。とにかく逃げ回って砂時計を待て」
弾かれたように顔を上げたシルヴィアは、目を丸くしていた。ヴォルフの逃げ腰な姿勢に驚いたのだろう。
昔から無理だと思えば逃げてきたが、彼女と会った頃は闇雲に立ち向かっていたように思う。それまではタロットと出会う事が少なく、その性質をよく知らなかったせいもある。それ以上にあの頃の彼は、自暴自棄になっていた。
旅を始めてから、何年経った頃だったろう。大陸の南へ向かっていた彼は、そこで初めて戦争の爪痕を見た。戦地は既に移動していたが、巻き込まれては堪らないとすぐに北へ戻った。それでも戦地となった町の光景は、彼の目に今でも焼き付いている。
町中、死体の臭いがしない場所はなかった。子供は痩せ細り、大人は死んだ魚のような目をしていた。家は焼け、畑は荒れ、人々は飢えと病に喘ぐ。それでも救いの手が差し伸べられる事はなく、誰もが傷ついた体に鞭打って、明日を生きる為に働いていた。
あれはきっと、タロットの災厄に見舞われた町よりひどい状態だっただろう。タロット達は皆己の糧を確保する為、不特定多数の人を傷つけたりはしない。中途半端に衰退させるような事はせず、草一本残らないほど破壊し尽くす。
生かしておかなければならないが故に食うに困らせる事がないから、人が貧困に喘ぐ事はない。それはある意味、人がもたらした災厄よりマシなのではないだろうか。
ヴォルフ自身が死にたがっていたから、そう思うのかも知れない。救いがないまま苦しむよりは、死んだ方がいいのではないだろうかと。今はそうではないと思えるが、当時はタロットよりも人を憎んだものだ。
思い出を抱えて苦しむより、タロットに負けて死んでしまった方が楽になれるのではないか。このまま人を助け続けるよりは、その方がいいのではないだろうか。そんなふうに、考えていた。
「嫌だよ」
シルヴィアの声に、ヴォルフは思わず目を見開いた。直後、「皇帝」が動く。
大剣を振り上げて突進してくる「皇帝」を見て、シルヴィアが身構えた。柵と収容所の脇に立てられたガス灯だけが照らす闇の中で、彼女の金髪が輝いている。濃い茶色のコートが冷えた風に吹かれてなびき、薄闇に溶けた。
「砂時計を待った方が安全なのは、分かってる。でも……っ」
立ち尽くしていたヴォルフの代わりに、シルヴィアが「皇帝」の剣を止めた。さすがに力が及ばないようで両手が震えていたが、辛うじて保っている。
「あなたに任せきりじゃ……駄目なんだ。ここは、私が守らなきゃいけない町なんだから」
腕に神経を注いでいる為か、シルヴィアの声は途切れ途切れだった。交差した刃から、小刻みな金属音が聞こえる。彼女の腕は震えていたが、「皇帝」は微動もせずに力をこめ続ける。それだけで、力の差は明確に見てとれた。
助けなければ。そう思うのに、ヴォルフの足は動かなかった。臆した訳ではない。彼女の決意を前に、手を貸す事が躊躇われたからだ。
彼女だけではない。どんな逆境に立たされても、どんなに辛い目に遭っても、人は自分の力で乗り越えようとする。そんな人々を見て、彼は考えを改めたのだ。人を助ける意味は、確かにあるのだと。
意味などなくとも。それでも、出来る限りは助けたい。自分もいずれまた逆境に立たされ、助けを求めるようになるかも知れない。だからその時、何もしてこなかった事を後悔しないように。
「お前一人で何が出来る」
顔を上げたシルヴィアは、伸びてきたヴォルフの腕を見て目を丸くする。砂時計を握り込んだ彼の左手は、「皇帝」の腕を掴もうとしていた。鋼鉄に覆われた肘がぱっくりと割れたが、それが食らいつく前に、ヴォルフの手は「皇帝」の手首を掴む。
二人分の力が加わり、「皇帝」の腕はようやく動かなくなる。引けば斬られると判断したか、異形はその口を大きく開けた。同時に、ヴォルフがシルヴィアに目配せする。
ヴォルフに食らい付こうと「皇帝」が頭を突き出したのとシルヴィアが屈んだのは、ほぼ同時だった。剣の拮抗が破れ、異形が僅かによろめく。そして今まで全く表情を変えなかった羊の頭が、驚愕に目を見開いた。
屈んだシルヴィアの頭上を通りすぎた鉄球が、「皇帝」の横っ面を直撃した。顔の右側面が大きく歪み、衝撃で頭から吹っ飛ぶ。ヴォルフは相手に気付かれないよう、シルヴィアの後ろへ隠すように腕を引いていたのだ。
コールタールのような体液を撒き散らしながら倒れ込んだ異形は、それでもすぐに地面へ手を着く。しかし頭に打撃を受けた為か、起き上がる事は叶わなかった。
悔しげに地面を掻いた「皇帝」は、俯せに倒れたまま顔だけを上げた。その金色の目に、もう光は映らない。顔の半分が潰れて崩れてはいるが、まだ動けるようだ。
「喰ろうてやろうと思うたのに」
「皇帝」の声は、男性のそれのようだった。老いた男の、潰れたような低い声。
「お前も、あの魔女も」
西の塔にいるという魔女の事だろうかと、ヴォルフは思う。この「皇帝」が人々を魔女狩りに駆り出したのは、魔女を見つける為だったのかも知れない。そうまでして魔女を食べる利点があるのかどうかは、ヴォルフには分からなかったが。
だがタロット側に何か利点があるのだとしたら、わざわざ妹が連れ去られた理由も分かる。しかしそうなると、妹は、もう。
「『皇帝』よ」
ようやく全ての砂が落ちた砂時計を目の前にかざすと、「皇帝」は右目を見開いた。左目はもう、どこにあったのかさえ分からなくなっている。
「正位置へ戻り、その意を知れ」
「皇帝」の断末魔は、雄叫びのようだった。元々黒かったその全身が影に呑まれて見えなくなり、弾けて再び収縮し、砂金となってこぼれ落ちる。音もなく降り積もった砂金はガス灯に照らされ、瞬いて見えた。そこでやっと、ヴォルフは忘れていた火傷の痛みを思い出す。
「……ごめん」
砂金を拾い集めるヴォルフに、シルヴィアが呟く。ひそめた声は、悲しげにも聞こえた。
「私だけじゃ無理だって、分かってたのに……あんな事言って」
タロット二体分の砂金を詰めた袋を懐に収め、ヴォルフはシルヴィアに向き直る。俯いた彼女は、眉尻を下げてすまなそうな顔をしていた。
なんと返すべきか、ヴォルフは悩む。沈黙する事は簡単だ。こういう時彼はいつも黙す事を選んできたし、相手も責めない。けれど今は、何か言ってやらなければならないような気がしていた。
悩んだ末、ヴォルフは手袋を外してシルヴィアの頭に掌を乗せた。驚いたように顔を上げた彼女は、大きく瞬きをする。その仕草に、いつだったかのジゼラが思い起こされた。
「だから、私がいる」
なくして苦しむくらいなら、一人でいいと思っていた。それが辛くなったのは、一人ではなくなってからだった。孤独というのは、誰かを知って初めて感じるものなのだ。知った時にはもう、それが恐ろしくてたまらなくなっている。
はにかんだような笑みを浮かべるシルヴィアから視線を外し、ヴォルフは収容所を見上げる。そろそろジゼラに会いたいと、そう思った。