第四章 Little Sister 六
六
そのタロットは、一見すると三人の人間のようだった。人の形をしているだけで人ではないから、石膏製の天秤のようだと言った方が正しいだろうか。
真ん中は優美なドレープを作った白い布を体に巻き付けた若い女の姿をしているが、表皮は人間の皮膚と明らかに違う。灰みがかった無機質な白で、質感が豚革のようだ。
古代人のような衣服から伸びる両足は完全に癒着しており、足の甲だけが左右に分かれている。腕は長さだけが通常の倍ほどあり、両手が異様なまでに大きかった。人間の手を引き伸ばしたようなその両手の平の上に、それぞれ嬰児と老婆が乗っている。
右手側の嬰児は横たわった状態で膝を曲げ、両手で拳を握っていた。窓に突っ込まれていたのはこちら側で、顔全体が真っ赤な血に濡れている。窓を割ったからガラスで切れた訳ではなく、人を食ったせいだろう。彼らは血を流さない。
反対側の手の上、ぼろ切れを纏った老婆は、膝を抱えて座っている。粗末な身なりだがやけに肥えており、たるんだ腕が醜悪でさえあった。こちらの方が重いせいか、真ん中の女の腕は老婆側だけ少し下がっている。
なんの関連性もないような三体に共通しているのは、奇妙に細長い掌で両目を塞がれているという事だろうか。指は異常に長いが、幅は人間のものと変わらない。
指先から腕へ辿って行くと、三本の手が全て真ん中の女の背中から伸びている事が分かる。生えている場所も統一性があるわけではなく、三本の腕を背中へ適当に張り付けたようだった。
「……何これ、三体?」
シルヴィアが呟くと、異形の三つの顔が二人の方を向いた。しかし目が塞がれている為に、本当に彼らを見ているのかは分からない。背中の留め具を外してメイスを握り、ヴォルフは違うと呟く。
「正義」と呼ばれるタロットは、真ん中の若い女の顔だけを笑みに歪めた。目は見えないが、真っ白な全身の中で唯一赤い唇が弧を描いた事でそれと分かる。
今まで出会ったタロットの中で、これが一番厄介だった。目を塞いでいるという性質上、砂時計を見せられないからだ。「正義」が目を見せるのは攻撃する時だけで、隙がなかなか生まれない。
その上「正義」の目を直視すると、目から焼かれると伝えられている。戦うのは賢明ではないが、シルヴィアの為にも逃げる訳には行かない。
「あれで一体のジャスティスだ。目を見せようとしたら逃げ……」
言っている内に、赤ん坊の目を覆っていた手が動いた。口をつぐんだヴォルフを覗き見でもするかのように、ぴったりと閉じられていた指と指の間がそっと開く。そこから目が覗く直前、彼は反射的にシルヴィアの腰を抱えてその場から横へ飛び退いた。
瞬間、ついさっきまで足を着いていた地面が穿たれた。鋭い刃を突き刺したかのようなその穴を見て、ヴォルフの小脇に抱えられていたシルヴィアが息を呑む。
「え……え?」
「手が動いたら、すぐにその場から逃げろ。いいな」
嬰児の目が隠されてから再び地面に下ろしたシルヴィアは、唖然としていた。彼女といた時に遭遇したのは「力」と「吊るされた男」だったから、見えない攻撃をするものがいる事に驚いたのだろう。
掌の上で丸くなった赤ん坊が、突然笑い声を上げた。子供そのものの愛らしい笑い声だったが、見た目との差異にヴォルフの背筋が寒くなる。「正義」なら何度か遭遇したが、相変わらず不気味だ。
「魔術師の血」
笑い声に混じって、しわがれた声が聞こえた。見れば、今度は老婆の口が動いている。
「二人?」
問いかけの形で声を発したのは、赤ん坊だ。産まれたばかりの嬰児が泣き声で無理に喋っているような、奇妙な声だった。
「三人」
老婆が答えた。その意味が分からず、ヴォルフは怪訝に眉根を寄せる。
魔術師の血。それは彼の中にも流れている、呪われた血だ。魔力を持った者と持たない者の間に産まれた子供は、特にそう呼ばれて迫害される。
それというのも、混ざりあった魔術師の血が薄くなると同性の子供しか産まれなくなる為だ。魔女の血なら女児、魔術師の血なら男児しか産まれず、前者の場合は家の存続がままならなくなる。だから忌避すべきだという理由は、ヴォルフにも分かる。
一説には、魔力の混じった血がある一定の割合まで薄まると、人体に有害な物質になるのだと言う。彼にとってはよく分からない理論だったが、両親から聞いた時はそれで納得した。
魔術師と普通の人間の違いは、その血にある。突然変異とは言うが、大陸ごとに違う人種が存在するように、魔術師や魔女というのも人種なのだ。魔力の有無は血に左右され、それを持つ者ならば、タロットの影響を受ける事もほとんどなくなる。
だからヴォルフは、タロットに汚染された町にいても無事でいられる。「節制」に汚染された村に住んでいた女も、魔術師の血を引く錬金術師だから、惑わずに済んだのだろう。ジゼラに話せなかったのは、魔術師の血を引いていると知られたくなかったからだ。
「愚者よ、待っていた」
真ん中の顔が、若い女の美しい声を発した。タロットに話しかけられるのは珍しい事ではないが、こんな言葉をかけられるのは初めてだ。
「お前のお陰で、やっと形を成せた。因果なものだ」
言いながら、「正義」は左腕を傾ける。その上で膝を抱える老婆の目を覆っていた手が動くのを見て、ヴォルフはその場から飛び退いた。瞬間、再び地面が抉れる。
間髪容れずに、今度は嬰児の目が覗く。横へ跳んで見えない刃を避けると同時、ヴォルフは異形に向かって大きく踏み出した。何故か唖然としていたシルヴィアが彼を見てようやく我に返り、反対側からタロットへ迫る。
「シルヴィ、真ん中を狙え。目を直視するなよ」
「分かった!」
威勢のいい声と共に、シルヴィアは両手で握りしめた剣を振り上げる。迫って行った側、嬰児の目を覆う指が動くと、彼女はすぐさま横へ退いた。異形の暗い目から放たれた刃が、地面を削り取って行く。
少し観察して、一体ずつしか目を開けないと気付いたのだろう。昔からそうだったが、頭の回転は速いのだ。代わりに、剣の筋はあまり良くない。本人も分かっているから大剣を使っているのかもしれない。
ヴォルフはシルヴィアとは反対側から、「正義」に向かってメイスを振る。彼女に気を取られていた隙を狙ったのだが、異形は癒着した足で後ろへ跳んで逃れた。ヴォルフはそれを追って一歩踏み出し、空振りした得物を反対側へ振る。
しかし異形は避けるでもなく、ヴォルフに向かって赤い唇を開いた。反射的に左肩を引いた彼の腹の前を、橙色の光線が通りすぎて行く。かすっただけで鋭い痛みが走るほどの熱量に、彼は思わず顔をしかめる。「正義」の真ん中の口から放たれた熱線はシャツを溶かし、腹に火傷の痕を残した。
熱線を避けた為にメイスの軌道がずれ、「正義」の手前を通り過ぎる。鼻先すれすれを横切る鉄球に動じる事なく、異形は指の隙間からシルヴィアへ目を向けた。ヴォルフに気を取られていた彼女は、慌ててその場に屈む。
見えない刃が頭頂部を掠めたが、髪を切るだけにとどまった。彼女は追撃が来る前に身を起こして剣を水平に振り、ヴォルフに言われた通り真ん中の首を狙う。
しかしまたも異形は横へ逃げ、今度は一旦退いたヴォルフを追う形で、その目を見せようと指を開く。直視する寸前で辛うじて顔だけは背けたが、体は間に合わない。不可視の刃が、一瞬反応の遅れた彼の左肩を裂いた。
分厚いコートが紙同然に易々と破かれ、肩の裂傷から鮮血が噴き出す。指先にまで伝わった焼けるような痛みに顔をしかめた彼に追い討ちをかけるかのように、真ん中の女がその目を覆う指を動かした。シルヴィアが息を呑むのと同時に、ヴォルフの左手が目の前にかざされる。
「ヴォルフ逃げて!」
「正義」の目が現れ、シルヴィアが顔を背け、砂時計が引っくり返される。驚いたように見開かれた禍々しいほど赤い目から筒状の熱線が放たれるのと、ヴォルフがそれを避けてメイスを振り上げたのは、ほぼ同時だった。
熱線は頭を狙ったのか彼の髪を焼き、蛋白質の焦げる不快な臭いを漂わせる。先程と同様に左肩を引いて避けたヴォルフは、熱線が通り過ぎた瞬間、体を異形に対して横に向け、間合いを保って得物を振り抜く。
「正義」は咄嗟に体を反転させ、嬰児を盾にした。甲高い叫び声が響き、嬰児の足と巨大な手の指が鉄球のスパイクに削り取られる。黒い体液が舞い、嬰児の足と異様に長い指が欠落したが、ちぎれたはずの体の一部が落ちる事はなかった。怨念が固まっただけの存在だから、当然と言えばそうだろう。体の一部が切り離されれば、消失するだけだ。
異形は獣のような声で唸り、再び赤い口を開く。そこから熱線が放射される前に横へ跳んで避け、ヴォルフはメイスを構える。放たれた灼熱の咆哮は彼のコートの裾を焼き、土を焦がした。きな臭い煙が立ち上り、鼻孔を突く。
これで確実に、砂時計を目視したはずだ。ヴォルフは「正義」から一旦距離を取り、動き出した砂時計を横目で見る。落ち始めてしまえば苦労はないもので、そう時間はかからないだろう。
しかし一つ安心したところで、彼の中にはまた焦燥感が湧き上がる。このタロットが発生したのがここなら、収容所にいた兵士は皆逃げ出しているだろう。捕らえられている者がこれ以上危害を加えられる心配はないはずだ。
それでも彼は、背中を痺れさせるような焦燥に駆られる。ジゼラは無事なのだろうか。さっき食われていたのは、彼女ではなかっただろうか。余計な正義感に駆られて、このタロットに対抗してはいなかっただろうか。一人で寂しがってはいないだろうか。
もう、彼女を一人にしてしまいたくはない。
「ヴォルフ何ぼうっとしてるの!」
怒鳴り声に我に返ると、シルヴィアが「正義」の刃を避け、斬りかかるのが目に入った。異形の口が今まさに開かれようとするのを見て、ヴォルフは慌ててその場から飛び退く。足元を抉る熱線に、ひやりとした。
考えている場合ではない。今はシルヴィアもいるのだ。
砂時計を目視した事で余裕がなくなったのか、「正義」の攻撃頻度が明らかに高くなった。避けても避けても順番に刃と熱線を放ってくるから、こちらが仕掛ける隙がない。逃げ回っていればいずれ砂時計は落ちきるだろうが、ヴォルフはともかく、それまでシルヴィアの体力がもつかどうか心配だった。
せめてあの刃を受け止める事が出来ればいいのだが、見えないものを止められるはずもない。微量でも魔力があれば止められるとは聞いているものの、あれに立ち向かう度胸はさすがになかった。
なんとか、動きを止められないだろうか。支点となっている真ん中さえ潰してしまえばいいのは分かっている。だが、大きな掌が邪魔になってなかなか狙いが定まらない。左右をいくら削っても、痛みを感じないタロットには無意味なのだ。
ヴォルフもシルヴィアも使っているのが大型の武器だから、破壊力はあれど小回りが利かないのが難点だ。身の軽いジゼラがいれば、まだ楽だっただろうに。
見えない刃を避け続けるシルヴィアの息は、上がってきていた。狭い額に汗が滲み、玉となって頬を伝う。明白に疲労を滲ませる彼女に、「正義」は容赦なくその目から刃を放つ。足が間に合わず、咄嗟に剣を正面に構えて防御の姿勢を取ったシルヴィアは、はっとして目を見開いた。
見えないものを、果たして受け止められるだろうか。ヴォルフは慌てて駆け寄ったが、到底間に合うはずもなかった。死体の点在する敷地内に、甲高い金属音が鳴り響く。
「ひっ……え」
しかし身構えたシルヴィアの体に、傷がつく事はなかった。激突した衝撃で体が少し後ろへ持って行かれたものの、コートさえ裂けてはいない。先程の金属音は、見えない刃が剣に当たって弾かれた音だったのだろう。
見えないから実体のないものだと、思い込んでしまっていた。逆位置の「正義」が意味する不正や冤罪は、見えないが確かに存在して人を陥れるものだ。恐らく、それと同じ事だったのだろう。
或いは、魔力でありさえすれば微弱でも魔力で止められるという話が、本当だったという事か。二代に渡って女しか産まれなかったという話を聞いてから訝ってはいたが、シルヴィアは魔女の子孫なのかも知れない。ジゼラがタロットの影響を受ける事がなかったのは、そのせいだったのではないだろうか。
「何これ……止められるの?」
「盲点だったな。だが熱線には触れるなよ」
うんと呟いたシルヴィアは、「正義」を見据えて剣を構え直した。しかし当のタロットは彼女ではなく、ヴォルフを見て憎々しげに薄い眉を歪める。異形が見ているのであろう砂時計の中身は、音もなく落ちて金色に変わって行く。
もう少しだと、ヴォルフは内心安堵する。ここまで耐えれば後は逃げていれば終わるだろうが、それは少々癪に障る。「正義」の指が動くのを見て、彼はメイスを握り直しつつ駆け出した。
橙色の円柱が、「正義」の目から放出される。その熱量によって視界が陽炎に揺らぎ、距離感が掴み辛くなる。ヴォルフは目を細めて円柱を避け、他の目を開ける隙も与えずメイスを振った。
身を反らしてヴォルフの右手側へ逃げた「正義」は、尚も彼の側にいる嬰児の目を開く。見えない刃が風で浮き上がった前髪を切ると同時、勢いよく方向転換されたメイスがそれを弾き返した。
「正義」は更にその口を開こうとしたが、無駄だった。ヴォルフが引き付けている間に肉薄していたシルヴィアが、異形の頭部に渾身の力を込めて剣を打ち下ろす。蝋石のような頭を分厚い刃が縦断し、目も口も分からなくなる程に潰しきった。
騎士の剣は、その者の魂が宿る物。メイスは元々聖職者が持つ物だし、ヴォルフは何年もこの相棒と行動を共にしてきた。だから血に潜んだ魔力を外側へ向けて使用するのに必要な触媒の、代わりになったのだろう。
癒着した足が曲がり、「正義」が倒れてやっと、シルヴィアはこもっていた息を吐いた。それからヴォルフの手の中の砂時計を見て、肩の力を抜く。
「喰い損ねた」
しわがれた、老婆の声だった。唯一無傷だが動く様子もない異形は、憎々しげに表情を歪めている。ヴォルフは目を開きはしないかと警戒していたが、指はぴくりとも動かなかった。
「喰われろ」
続いて、嬰児が呟く。愛らしい子供の声からは想像もつかないほど、暗い響きだった。
何に喰われろと言うのだろう。リミットが近い事は、「正義」も分かっているはずだ。彼らは概ね悪意のこもった言葉しか発しないが、根拠のない罵詈雑言は吐かない。
不気味ではあったが、構っている暇はない。早くジゼラを迎えに行かなければ。
そう考えながら、金色に輝く砂時計を「正義」の真上に掲げる。頭を割られた真ん中の女が、空洞の目をそこへ向けた。両目を隠していた手は、今や力なく地面に投げ出されている。
「無駄な事を……」
その声からは、何の感情も見えなかった。ただ呟いただけのような声がやけに人間じみていて、ヴォルフは思わず顔をしかめる。しかし独白に答える事はせず、すぐに表情を引き締めた。
「『正義』よ。正位置へ直り、その意を見よ」
子供の泣き声と、老婆の上ずった悲鳴と、絹を裂くような断末魔。それらが入り交じった不協和音が、冷えた風にこだまする。
異形の全身が影となり、弾けて砂金の粒と化し、その場に降り積もる。虚空から零れる砂金が小さな山を作った後、その上に一振りの剣が落ちた。金と銀で瀟洒な装飾の施されたそれは、儀式用の宝剣だろうか。
「……誰の、だろ」
ヴォルフは宝剣を無造作に拾い上げ、呟いたシルヴィアに差し出した。彼女はそれに視線を落としはしたものの、首を横に振るだけで受け取ろうとしない。
「持ち主はきっともう、亡くなってるよ。売るものがないと困るでしょ」
「遺族に返してやれ。あれが発生したのが今日なら、家の中に飾ってあったものを取り込んだ可能性もある」
困ったように眉根を寄せてしばらく口をつぐんだ後、シルヴィアはおずおずと剣を受け取った。西日を受けて輝く宝剣を見つめ、彼女は考え込むように目を伏せる。
一方ヴォルフも、悩んでいた。魔女の子孫なのかと、聞くべきか否か。聞いても彼女は知らない可能性もあるし、知ってどうしようという訳でもない。
だがそうだとしたら、シルヴィアが政略結婚を選ぶ意味はない。結婚したとしても、跡継ぎとなる男児が産まれる可能性は万に一つもないのだから。何より彼女本人の為を思うなら、止めた方がいいだろうとも思う。
ジゼラを迎えに行って、落ち着いたら話そう。そう考えながら、ヴォルフは砂金を拾い集める。
「正義」が発生したのが今日なら、この町の混乱は身から出た錆でしかなかったという事だろうか。魔女が出たという噂が広まっているなら仕方ないとも思うが、それだけの事で、人の心とは変わってしまうものなのだろうか。そうだとしたら、虚しい事だ。
人の心が悪い方へ変わるのはタロットのせいだと、ヴォルフはそう考えていた。そう思い込んで、変えられた哀れな人々を救っているのだと、自分を納得させていた。そうする事で、人がどんなに醜くとも救う意味はあるのだと、信じ込む為に。
無理に行う善行に意味はあるのかと、彼は時々考える。自分がどうであれ、行い自体は間違っていないと思ってはいる。けれど自分の中に他者への怨みが根付いているのも知っているから、これでいいのだろうかと考えてしまうのだ。
「……行くか」
考えて答えが出る訳ではない。そう思い直し、ヴォルフは砂金を詰めた小袋を懐にしまって立ち上がる。シルヴィアは小さく頷いて、二本の剣を両手に持ったまま歩き出す。
「収容所、開いてるかな」
軽やかな声が、風にさらわれて行く。風になびく白金色の髪を見て、ジゼラも以前はこの色だったのだろうかと、ヴォルフは思う。
「守衛が鍵持ってるんだけど、逃げてるかも」
「開いていないのなら、壊すだけだ」
シルヴィアは事も無げに言い放つヴォルフを呆れたような目で見たが、何も言わなかった。この男は言ったら本当にやるし、出来ない事でもないことを分かっているからだ。
収容所の正面を目指して壁沿いを歩いて行くと、ふとシルヴィアが立ち止まって左右を見回す。首を捻った彼女は、片眉を寄せて怪訝な表情を浮かべていた。同じく視線を巡らせたヴォルフの耳に、金属音が届く。
重い鉄が揺れて、こすれ合うような音だった。生き残りの兵士がいたのだろうか。そう考えながら回り込んだ収容所の正面で、異形がこちらを睨んでいた。