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第四章 Little Sister 二

『親愛なるヴォルフ様』

『あれから随分と経ってしまいましたが、私の事を覚えておいででしょうか』

『思い返せば懐かしいあの頃、あなたはニンジンを食べたくないと駄々をこね、私の手を散々煩わせまし』

 そこまで読んで、ヴォルフは羊皮紙を握り潰した。


 二


 町を出て数時間。未だに手紙を見ていなかった事に気付いて開いてみたはいいが、書いてあったのは嫌な記憶を呼び起こすだけの文面だった。筆跡を見ただけで誰が誰に宛てた手紙か分かってしまい、嫌々ながらも読もうと思ったのだ。そしてそれが、大きな間違いだった。

「何故潰す」

 横から手紙を覗き込んでいたジゼラは、不満げにそう言った。何故と言われてもヴォルフは答えたくない。

「私は難しい単語は分からぬのだぞ。なんと書いてあった?」

「読まんでいい」

 すげなく返し、ヴォルフはコートのポケットへ手を伸ばす。しかしその手はジゼラの手に掴まれ、止まった。

「ニンジンがどうとか書いてあったぞ。何故あなたの嫌いなものを知っている」

「そこだけ読むな」

「私の他に懇意にしている女がいるというのか、見損なったぞヴォルフ」

「喧しい」

 ジゼラの手を払いのけ、手紙をポケットに突っ込む。彼女は暫く名残惜しそうにポケットを見つめていたが、やがて不満そうに眉根を寄せたまま行く手へ視線を移した。ようやく諦めた彼女を見て、ヴォルフは内心安堵する。

 これは間違いなく、養母からの手紙だ。義母とはとてもではないが言いたくないが、とにかく後見人となってくれた女がヴォルフに宛てた手紙に間違いないだろう。誰か知らない人間が、ヴォルフと同名の誰かに宛てたものとも考えられない。

 手紙を「運命の輪」が取り込んでいた理由も、養母が今更になって手紙を寄越して伝えたかった事も、なんとなくだが予想はついている。あれはジゼラの思考回路以上に常識を大きく逸脱した女だから、何をしても不思議ではない。問題は何故、彼女がわざわざそんな面倒な事をしたのかだ。

 何故というよりは、今更、という思いが大きい。ヴォルフが働ける年齢になってから今まで、彼女からはなんの音沙汰もなかった。それこそ妹が攫われた時も、ヴォルフが旅を始めると決めた時も。もしかしたら何らか手助けしてくれるのではないかと期待していたから、当時は落胆したものだ。

 それが今になって、何故接触を試みてきたのだろう。手紙の内容はどうせ、自分を探せという事に違いない。あれはそうしてヴォルフを試す事が好きな性悪なのだ。

 しかし今更、何をするつもりなのだろう。昔から何を考えているのか分からなかったが、相変わらず読めない女だ。

「次の町は、そんなに遠いのか?」

 ジゼラはこの頃、必要最低限の問い掛けしかしない。煩くないのはいいが、それはそれで寂しいと思ってしまうから不思議なものだ。ヴォルフ自身、知らず知らず騒がしい事に慣れていたのだろう。

「三四週間かかるようだな」

「そんなに風呂に入れぬのか。嫌だな」

 呑気なのは相変わらずのようだ。彼女に緊張感を求めても無駄だし、悲観的になられても、ヴォルフは心配してしまいそうだ。

 懐から地図を取り出して開くと、ジゼラは横から紙面を覗き込んだ。首を捻る彼女は、地図の見方を知らない。生い立ちを聞けば仕方ないとも思うが、これでよく放浪生活をしていたものだ。

「村がありそうな気はするが……行ってみなければ分からんな」

「風呂は?」

 ジゼラはしつこく聞きながら、コートを引いた。今日はヴォルフが左手で荷車を引いているからか、袖を掴もうとしない。

「なかったら湯を沸かしてやる。手鍋しかないがな」

 地図をしまいながら返すと、ジゼラは不満そうに唇を尖らせた。そんな反応をされてもこの時期に水浴は自殺行為だし、街道に風呂屋などあるはずもない。

 ジゼラがふと顔を上げ、ヴォルフを見上げて口を開こうとする。しかしその唇は僅かに開いただけですぐに閉じられ、言葉を発する事はなかった。

 俯いた横顔は、何故だか困っているように見えた。ヴォルフは彼女の様子を怪訝に思いながら、目を眇めて前方を注視する。まだ村の影も形も見えなかったが、賞金稼ぎの一団の背中は見えた。この距離なら、ジゼラが何を言っても聞こえる心配はないだろう。

「喋るなとは言っていない」

 うんと呟いて、ジゼラは再び顔を上げる。様子を窺うような目をする彼女を、ヴォルフは意外に思う。

 どういった心境の変化だろうか。一言喋るのにも躊躇う彼女は、息継ぎする間もなく口を利いていた女とは別人のように見えた。静かなのはいいが、それはそれで心配になる。

「あなたは、うるさいのは嫌いだろう」

 気を遣っているのだろうと、ヴォルフは思う。今更すぎるような気もしたが、今まではジゼラも、彼の迷惑など気にしていなかったのだろう。離れ難くなる前に、どこかへ置いてきてしまうべきだった。

「もう慣れた。話したいなら話せ」

 嬉しそうに頬を緩め、ジゼラは大きく頷いた。しかしすぐに視線を逸らし、僅かに眉間に皺を寄せる。話せと言われると話せないのかも知れない。気持ちは分かる。

 暫く考え込んでいたジゼラは、不意に笑った。何故か満足そうな笑顔だ。

「たくさん話したな」

「お前だけな」

 彼女ばかり話すのは、ヴォルフが喋らないからだ。彼は言ってから少し後悔したが、ジゼラは小さく頷くだけだった。

「あなたは、どのぐらい旅をしているのだ?」

 どこから来たかとは他人からも聞かれたが、年数を聞かれたのは初めてだった。いちいち数えてもいなかったし日付の感覚もなく、ヴォルフは視線を落として思案する。

 村を出てから、何年経っているのだろう。年齢から逆算しようと考えたが、そもそも自分の歳もよく覚えていない。結婚適齢期をとうに過ぎている事だけは分かるが。

「……覚えていないな」

「妹さんが見つかったら、どうするのだ?」

 その質問に違和感を覚え、ヴォルフは顔をしかめる。そういえば、彼女には旅をする理由を妹を探す為だとしか言っていなかった。

 そんな理由しか話していないというのに、よく着いてきているものだ。むしろ因縁を晴らす為だと言った方が、これから先の驚異を伝える上で良かっただろうかと思う。今更言ったところで、ジゼラは自分から離れて行ったりはしないだろうが。

「どうする、か」

 妹を見つけ出して、どうするか。そんな事は考えてもみなかった。

 目的を遂げたら、どうするのか。「魔術師」を倒す事が出来たとしても、妹がもう、この世にいなかったら。妹が生きていたとしても、万が一自分だけが死んでしまったら。何も考えないようにしていたのは、そんな悲観的な考えに囚われてしまいそうで怖かったからだ。

 いつしかヴォルフは、明るい未来を夢見る事がなくなっていた。そんな歳ではないと考えていたし、このまま一人老いて行くしかないのだと斜に構えていた。

 現在は眩い光に包まれていた過去の影でしかなく、闇の中で足掻く事しか出来ないのだと思っていた。この先にはもう、光はないのだと。だから後の事など、考えたくもなかった。怖いだけなのだと自分でも分かっている。

「あなたは、どうしたい?」

 ジゼラの長い髪が、冷えた風に巻き上げられる。冬の冴えた陽光を受けた白い髪は、砂金の粒を混ぜたように煌めいていた。白いだけのはずなのに。

 少し首を傾げる彼女の白い顔は、普段通りの無表情を保っていた。青空を透かした薄雲のような目は、星を沈めたように輝いている。

 タロットにおける星が意味するのは、希望。星を手にするという養母の予言は、いつか希望を持てるようになるという意味だったのではないかと、今は思う。彼女の言う事は全て抽象的で、分かりにくいのだ。

「悪魔」の支配から逃れた時、彼には確かに星が見えた。あれが、希望というものだったのだろうか。

「……静かに、暮らしたい」

 この旅の終わりがどんなものであったとしても、その時命があるならば、平穏な暮らしがしたい。両親の事も因縁の事も、過去の怨みも全て忘れて。誰も自分を知らないところで、ゆっくりと過ごしたい。それこそ本当に、何もなかったかのように。

 叶わない事だから望むのだ。静かな暮らしが出来たとしても、何もかも忘れる事はきっと出来ない。分かっているから、何よりも心の平穏を望んでいる。

 ジゼラは真顔のまま暫くヴォルフを見詰めた後、ゆっくりと大きく頷いた。何に納得したのだか、彼には分からない。

「それでは二人仲良く、静かに暮らすといい」

「お前と暮らす気はない」

 言ってから、はっとした。ジゼラも驚いたように目を丸くしている。

 妹と二人、という意味だったのだ。自分と二人、という意味ではない。ジゼラの普段の発言が悪いのだと心中言い訳をするが、ヴォルフは自分自身気がついている。

 これから先、自分の横にジゼラがいない事。それがどうしても、想像出来なかった。

 ジゼラは見開きがちな目で真っ直ぐに彼を見上げたまま、首を傾げた。彼女と視線を合わせられず、ヴォルフは俯く。

「私も一緒がいいなら、それはそれで嬉し」

「ない」

 言い切る前にすげなく返すと、ジゼラは小さく笑った。どこか寂しそうなその笑顔から、ヴォルフは視線を逸らす。

 何故だか、胸が痛んだ。この旅を終えたら、ジゼラはまた一人になる。元々勝手についてきただけなのだから気にする必要はない。そう思っても、ヴォルフはそれで割り切るほど非情にはなれなかった。

 ふと顔を上げると、前方に岐路が見えた。先を歩く賞金稼ぎの一団は、揃って左側の道へ入って行く。そちらの方向には山しかないはずだというのに。

 怪訝に思いながら岐路に立った道標を見ると、左側を示す木片は表面が削り取られていた。村があった形跡は残っているから、廃れたという事だろうか。賞金稼ぎ達は、廃村に出るアルカナを狩りに行ったのだろう。廃村を狙うより、森の中を歩いた方がアルカナは出るだろうに。

 ヴォルフは迷わず右の道を選んだが、ジゼラにコートを引かれて立ち止まった。怪訝に見下ろすと、彼女は左の道を見つめている。

「あちらへ行こう」

 この娘は何を言っているのか。左へ行っても、恐らく次の町には着かない。彼女が地図を見られないのは知っているから、尚更意味が分からなかった。

「寄り道はせんぞ」

「向こうが臭い。あの賞金稼ぎ達が心配だ」

 他人の心配をしている場合ではないというのに、何故彼女はこうも寄り道をしたがるのだろう。呆れはしたが、よくよく考えてみたら自分も同じようなものだ。文句は言わずに、左の道を歩き始める。

 思えばジゼラと会う前から、彼は度々横道に逸れていた。妹を捜す為、タロットの大元を倒す為に旅を始めたというのに、赤の他人ばかり助けて回っている。そして時折、思うのだ。彼らは今、どうしているのだろうかと。

 無事で暮らせているだろうか。行く先々で出会った子供達は、健やかに育っているだろうか。今はそれが、気にかかっている。

「……臭い」

 呟いたジゼラを見下ろすと、彼女は僅かに顔をしかめていた。アルカナの臭いがしても怯えたりはしないから、におうのはまた別のものなのだろう。それだけは推測出来るが、ヴォルフには何が臭うのか分からなかった。

 死んだ村の臭いを、ジゼラは洞穴のそれだと言っていた。どういう意味なのか今なら分かるし、怯える気持ちも理解出来る。だからこそ近付かない方がいいのではないかと、ヴォルフは思う。

 冷えた風が、胸元に潜り込む。眉根を寄せて身震いした彼は、ふと顔を上げて懐に手を入れた。

「なんだ?」

 砂時計を取り出すと、ジゼラは不思議そうに問いかけた。ヴォルフは彼女の声に答えないまま、熱を持った砂時計が淡く光るのを見て渋面を作る。

 近くに、タロットがいる。しかしこんな人気のない場所に、何がいるのだろう。考えながら目を細めて前方を注視すると、先を歩いていたはずの賞金稼ぎ達の姿が見えなくなっていた。益々訝しく思って歩調を速めたが、荷車のバランスが崩れて立ち止まる。取っ手を握り直した時、不意に寒気を覚えて身震いした。

「ヴォルフ、変だ。さっきより寒い」

 ジゼラに言われるまでもなく、周囲の温度が下がったのには気付いていた。頷いて同意だけして、ヴォルフは再び砂時計に視線を落とす。

 星の砂が放つ光は、一層強くなっていた。ここまで光っていればもうタロットの姿が見える距離まで近付いているはずなのだが、辺りには何も見えない。左右に広がる森の中を確認してみても、小動物の姿さえ見受けられなかった。思念体とはいえ、実体と化しているタロットの姿が見えない事など、果たしてあり得るものだろうか。

 正面から吹く風に、強いカビの臭いが混じっている。埃っぽくもきな臭くもあるその風に、ヴォルフの全身が震えた。コートの背を掴んでいたジゼラも、いつの間にか彼の背にひしとすがり付いて表情を曇らせている。

 そこに理由はなかった。何故なのかも分からないのに、ただただ迫り来る気配が恐ろしくて、二人は立ちすくむ。

 ジゼラがヴォルフの背に顔を埋めた瞬間、二人の横を生ぬるい風が通り過ぎて行った。腹の底から沸き上がる恐怖と強いカビの臭いに、ヴォルフは一瞬にして総毛立つ。背後で震えるジゼラの体温が、彼を辛うじてその場に繋ぎ止めていた。

 そして彼は、そこから逃げ出したくなって初めて気が付いた。それが何に対する恐れだったのか。横を通り過ぎて行ったのが、どんなタロットだったのかに。

「……『死神』だ」

 弾かれたように顔を上げ、ジゼラはヴォルフのコートを握りしめた。華奢な指先には力がこもり、紙のように白くなっている。

「それは……」

 呟くジゼラの唇は、震えていた。ヴォルフは砂時計を懐へしまって、宥めるように彼女の肩を軽く叩く。それで少し落ち着いたようで、ジゼラは僅かに体を離した。

「『死神』もタロットだが、あれは死そのものだ。倒す事は出来ん」

「死神」が司るのは、生と死。表裏一体のそれらは自然の摂理であり、何人たりとも干渉する事はかなわない。どちらも形のないものだから、気配を感じる事は出来ても目視出来るはずがなかった。

 更に今、あのタロットは正位置の意味しか持たない。意味するものが死だけになっているから、「死神」に襲われた町は例外なく廃れて行く。ヴォルフの両親が死神を倒さずにおいたのも、手を出せなかった為だ。

 生きとし生けるもの全てに訪れる、死という災厄。死への恐怖は乗り越えられても、そのものから逃げる事は出来ない。ただ恐れ、惑い、静かに待つしか、出来る事はないのだ。

「倒せない……のか」

 それを、ヴォルフは知らない。だがあれも所詮はカードでしかないし、砂時計を使えば逆位置にする事は出来るのかも知れない。

 確証はないが、「死神」が仕える「皇帝」を倒せば、一時なりとも大人しくさせる事は可能だとも聞いている。どういうわけだか、「死神」は常に「皇帝」に仕えているようだ。

 たとえ倒す事が出来るのだとしても、あれに立ち向かう度胸は、彼にはなかった。しかしこの先出くわしたらと考えると、対抗策もないのは不安なところだ。

「探すか」

 呟きながら、ヴォルフは踵を返す。ジゼラは彼の背中を追うようにして、それに続いた。

 コートを軽く引き、ジゼラは首を傾げて見せる。何を探すのかと聞きたいのだろう。ヴォルフは彼女を一瞥してから、来た道へ視線を移した。

「タロットに詳しい知り合いがいる。どこにいるか分からんが、探せば見付かるだろう」

 ジゼラはふうんと鼻を鳴らして、反対側に首をひねる。よく分かっていなさそうだが、聞く気はないようだ。興味がないのだろう。或いは、聞き返す事で厭わしがられたくないのか。

 手紙を寄越してきたという事は、養母はこの島のどこかにいるはずだ。目立つ女だから探すのに手間はないだろうが、いささか気が重い。単純に、会いたくないのだ。十五まで面倒を見てくれた恩人ではあるが、彼女は苦手だ。

 しかし、そうも言ってはいられない。頼りはあの、嫌な養母しかいないのだ。

 それも少し、不愉快だ。考えながら、ヴォルフは手紙を確認しようとコートのポケットを探った。

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