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第一章 Desert Rose 三

 三


 町に着いた翌日、ヴォルフは錬金術師を探していた。そもそも南側から入ってきた彼に北の入り口が分かるはずもない。もっと詳しく聞いておけば良かったと後悔したところで、今更遅い。仕方なく武器屋を冷やかして時間を潰してから、町の北側へ向かう。

 南側は宿や飯屋が多くそれなりに活気があったが、北側は人気もまばらだった。道行く人は皆、人目を避けるように足早に歩いている。派手な看板や賭場が点在している事から察するに、北側は歓楽街なのだろう。

 薄暗い路地を横目で見ると、襤褸を纏った物乞いの姿が見受けられる。南側にはいなかった、客引きをする娼婦の姿もあった。表とはかけ離れた、町の裏の顔だ。

 人の闇と呼ぶべきか、大きな町には概ねこのような一面がある。同じ町だというのに、ある一角だけ全く別の顔を見せるのだ。それを目当てにする旅人もいるが、ヴォルフは普段、こういった場所には近寄らないようにしている。ギャンブルは好まないし、あまり長居すると呑まれそうで恐ろしかった。

 こういった街の一角に蔓延する、邪念や悪心。人の心の闇が、タロット達の糧となる。人に醜い部分がある限り、タロットは消えない。表裏があるのは人もまた然り。そもこの世に害をなすあの化け物達は、人を寓意的に模したものだとも言われている。

 それが何より、恐ろしく感じられた。元は人だったとは到底思えないアルカナ達も、人を模した怪異も。知らず知らずそれを養っている、人の心も。

「ニィさん、いい男だねえ」

 コートの袖を引かれて見下ろすと、ブロンドを夜会巻きにした娼婦が微笑んでいた。艶やかな笑顔と対照的に、その顔色は不健康なものだ。紅を引いた唇と青白い顔との対比に、目眩がした。

 ヴォルフは普通の女には避けて通られるが、娼婦にはよく懐かれる。その分断るのには慣れているものの、複雑だ。そこまで女に飢えているように見えるのだろうか。

「悪いが、急ぐんだ」

「つれないねェ、安くしとくのに。わァ、凄い胸板」

 無遠慮に胸を撫でられ、ヴォルフは困り果てて眉根を寄せた。二の腕に擦り寄るように、女の頬が寄せられる。流石に強面の男には慣れているらしい。

 鼻を突いた甘い香水の香りに、彼は目を細めた。大きく開いたドレスの胸元から、豊かな乳房の谷間が覗く。蠱惑的に唇で弧を描く女から目を逸らし、ヴォルフはわずかに身を引いた。

「持ち合わせがない。長旅でな」

「あらァ残念。こんな逞しい腕に、抱かれてみたかったのに」

 尚も食い下がる女から逃げるように、ヴォルフは足早に彼女から離れる。手を振る女が視界の端に映り、顔を伏せる。

 思えば哀れなものだ。金の為に体を売る道を選んだ彼女達の心中は知る由もないが、誰もが貧しい世だ。そうせざるを得ない事は分かっている。救う手はないし、誰にも助けられはしない。

 この世を蝕むものは、人ならざるもの。どうにかしてやりたいとは思うが、人の心に際限はない。糧がある限り、タロットは永遠にこの世から消えない。そうやって、魔術師は人間を呪ったのだ。

 客引きの娼婦達から逃げるように足早に進むと、町を囲む城壁が見えた。北の入り口はあの辺りだろうか。考えるまでもなく大きな石造りの建物が見え、この辺りだろうと確信する。

 大きな町には、大抵自警団がある。外の脅威から身を守る為に、善意の人々が寄り集まって構成している機関だ。アルカナ達の活動が活発化する夜間に町を見回っているようで、ヴォルフも詳しい事は分からない。町の規則を破った者を捕らえるのもこの機関の仕事だが、大した抑止力にはなっていないのが現状のようだ。

 自警団の詰め所の脇に、路地があった。覗いてみれば露天商の姿がある。異国製らしき絨毯の上に並べられたものを見る限り、あれがこの町の錬金術師だろう。

 路地へ入って行くと、絨毯の奥に座っていた痩せた老人が顔を上げ、いらっしゃいと素っ気なく言った。ヴォルフはそれに輪をかけて素っ気なく、小さく頷く。

 世俗を避けて研究に没頭する者もあれば、こうして露天商として研究成果を売る者もいる。前者は材料が手に入りやすい山中で暮らしている事が多いが、後者は当然ながら客がいる町に住んでいるようだ。性質は違えど共通しているのは、寡黙で人付き合いを嫌うという事だろう。

「マッチを四箱」

「そんなにないな。どっちに行く?」

「北西の町に」

 痩せた老人は、皺だらけの顔をしかめてヴォルフを見上げた。あからさまに嫌そうな顔だ。

「あんな所、行くもんじゃない」

「私の勝手だ」

 白い唇を歪め、老人はふんと鼻を鳴らした。北西の町の状態は、よほどひどいのだろう。村があると聞いて寄ってみたら廃村だった、という事も少なくない。しかしそういう場所の近くには概ねタロットがいるので、必ず立ち寄るようにしている。

 紙袋を受け取って金を払うと、老人は怪訝な表情を浮かべた。ヴォルフは中身を確かめてから、肩に提げていた麻袋へ無造作に買ったものを突っ込む。

 彼が怪訝な顔をした理由は分かっているが、絡まれるのはごめんだった。今日中に町を出たかったし、夜の方がアルカナは多く出るから、路銀が稼ぎやすい。亡者達は時に装飾品を身に付けており、墓穴を探らなくともそれを取り上げてしまえば飯代の足しぐらいにはなる。

 ヴォルフは老人の視線から逃れるようにその場を離れようとしたが、おいと声を掛けられて諦めた。渋々足を止めると、老人は小枝のような指でヴォルフの胸を指差す。

「その懐のもんは何だ」

 錬金術師達の中には、他の錬金術師が作った物の気配にやけに鋭い者がいる。通ってきた町にもこの老人のように、それは何かと聞いてくる錬金術師がいた。

「なんでもない」

「嘘吐け。ちょっと見せてみろ」

 新しい道具の研究を生業とする彼らは、珍しいものを見ると調べたがる傾向にある。盗られる訳ではないにしろ、逐一時間を取られるのが面倒なところだ。研究成果を分けてもらった手前無視するのも忍びなく、ヴォルフは懐から小さな砂時計を取り出す。

 みすぼらしい砂時計だった。枠はいびつな木製で、ガラスは曇っている。中に入った砂は鉄粉のように黒く、お世辞にも正確に時を知らせてくれるようには見えない。見た目は古道具屋にも売っていなさそうな小汚い代物だが、これは確かに高名な錬金術師が作ったものだ。

 老人は砂時計をまじまじと見て、感嘆の息を漏らした。その呼気は、わずかに震えている。

「あんたこりゃ、星の砂じゃないか。どうしたんだ、こんなもん」

「両親が作ったものだ。私はよく知らん」

 希望を詰めた砂時計。両親は、そう言っていた。これがどのような力を持つのかは知っているが、それ以上は錬金術師でないヴォルフには分からない。詳しく聞いたところで理解も出来なかっただろう。

 老人は枯れ葉のような手を伸ばして砂時計に触れようとして、寸前でやめた。そしてヴォルフを見上げ、ほとんど閉じてしまうほどに目を細くする。

「カーティスか。あの夫婦は、死んだんだな」

 知っているのか。

 考えても問う事はせず、ヴォルフは頷く。両親が旅をしていたのは三十年以上前だが、未だに当時の事を覚えている者は先々で見かける。その度に、複雑な心境になるのだ。

 あまり、話したい事ではない。視線を逸らした所で背後にいた親子に気付き、彼はそのまま動けなくなった。

 母親と手を繋いだ少女が、不思議そうにヴォルフを見上げている。年の頃は十にも満たない程度だろうか。あどけないその顔立ちに、懐かしい記憶が蘇る。

 妹とは、十ばかり歳が離れていた。強面のヴォルフとは似ても似つかない愛らしい娘で、本当に兄妹かとよく笑われたものだ。妹が母親似で、ヴォルフが父親似だっただけの事なのだが。

 仲の良い兄妹だった。ヴォルフが仕事を始めた日など、妹は一日中泣いていた。彼自身、目に入れても痛くないほど妹を可愛がっていた。それなのに。

 そこで我に返ってやっと、怯えた表情を浮かべる少女が目に入った。後悔しながらも、ぎこちなく笑みを浮かべて見せる。彼女はびくりと全身を震わせ、母親の後ろに隠れてしまった。自分の顔が怖いのは分かっているが、悲しかった。不精髭を剃ればまだマシに見えるだろうか。

 肩を落として老人に向き直ると、彼は神妙な面持ちでヴォルフを見つめていた。差し出したままだった砂時計をしまい、彼は表情を引き締める。老人は身を乗り出して、太い腕を軽く叩いた。

「頑張れよ」

 浮かべられた不器用な笑顔に、胸が詰まった。理解してもらえた事が嬉しかったのだろう。他人ごとのようにそう考えながら、ヴォルフは大様に頷いて老人に背を向ける。

 すれ違いざま、待たせてしまった親子に軽く手を挙げて挨拶すると、母親がそれに応えた。少女が母親を見上げ、ヴォルフを見た後、小さく手を振る。あどけないその仕草にまたぎこちない笑みで返し、ヴォルフは路地を出た。

「……ん」

 何の気なしに左右を確認した所で見覚えのある二人に気付き、彼は町の外へ向けかけていた足を止めた。はす向かいの路地の前に、フード付きの外套をすっぽり被った人物と、派手なドレスを来た老婆がいる。

 娼婦の方は、マリアと呼ばれていただろうか。明るい所で見ると皺が目立って、更に恐ろしい顔に見える。

 膝までを覆う外套を被った人物の姿に、昨日荒野で会った女の顔が思い起こされる。髪は白かったが、若い女だった。妹が生きているなら、あのぐらいの歳になっているだろうか。若い女性を見ると、ついそんな事を考えてしまう。

「私は脅して金をむしり取ろうと言うような野蛮な事はしない。何度言ったら分かるのだ」

 この声は確かに、昨日荒野にいた女の声だ。ひそめた声だったが、ヴォルフの位置からは明確に聞き取れた。マリアのしゃがれた笑い声までもが、はっきりと聞こえる。

 昨日から盗み聞きばかりしている。罪悪感はあれど一度関わってしまったし、彼女達の話の内容は無視出来ないものだった。旅に出る前は宿屋で働いていたせいか、お節介焼きなのだ。あの頃はまだ若く、見知らぬ人に怖がられる事もなかった。

「何言ってんだい、こっちは厚意でやってんだよ。そんな綺麗な顔しといてそれで稼がないなんて、もったいないじゃないか」

「意味が分からぬ。顔でどう稼げと言うのだ」

「顔じゃない、体だってのにこのトンチキ娘はよ」

 美人局つつもたせの類か。そうは思ったが、どうも会話が噛み合っていない。女の方もあの格好で客引きも何もないだろうから、マリアの方が一方的に売らせようとしているのだろう。

 うぶな若い娘をそそのかして売春させようとする詐欺師は、よく見かける。見かければ助けてやっていたが、今回は事情がよく分からない。黙って盗み聞きするより他はなかった。

 本当なら、首を突っ込む必要もないのだが。

「とにかくもうやめてくれ、迷惑だ。おちおち寝てもいられぬ」

「いちいち叩きのめしてないで、寝てやりゃいいだろうに」

「喧しくて眠れぬ。世話をしてくれたのは感謝しているが、もう構わないでくれ」

 やっぱり噛み合っていなかった。しかし女はそれに気付くふうもなく、その場から去って行く。

 後を追おうかとも思ったが、マリアがこちらを向いたので驚いてやめた。白粉をはたいてはいるが、皺のせいでひび割れている。夕陽に照らされた顔には陰影が濃く浮かび上がり、落ち窪んだ目が真っ黒に見えた。

 言い知れぬ恐怖を覚えて後ずさりしたヴォルフの背中は、無情にも壁に着いてしまった。逃げ場がない。ニヤニヤと笑みを浮かべて近付いてくる老婆の姿に、彼の背筋を寒気が這い上がる。怖かった。

「あんた、昨日もいたね。あの子が気になるのかね」

 思わず素直に頷いて、はっとした。しかしもう遅い。

 マリアは唐突に掌を上向きに開いて、ヴォルフの目の前に突き出した。また逃げかけたがもう後ろに逃げ道はない。及び腰の彼を、老婆は笑う。

「金貨一枚。払いな」

 それには、銀貨二十枚分の価値がある。とは言えそう高い額ではない。せいぜいヴォルフの昼食代ほどにしかならないだろう。女一人をそんな金額で売るのかと思うと、目眩がした。

 結局この女は、情報を売る事で稼いでいたのだ。ここまで歳を食ってしまったら、もう身は売れない。彼女も単純に金が欲しいのではなく、生きて行く為にしているのだろう。それでももっと他に稼ぐ術はなかったのかと、憤りすら覚える。

 気になっていない訳ではないが、彼女を買いたい訳でもない。どんな状況であれ売られる娘を見ると妹の境遇と重なり、見捨てておけないのだ。

「……昨日は、子供らと何を話していた」

 自分で探すつもりでそう聞いた。あの少年達に、金貨一枚は大金のはずだ。流石に払えはしないだろう。

「小僧共と? マルコの家の場所だよ」

「マルコ?」

 男の名前だった。怪訝に問い返すと、マリアは首を縦に振る。

「本名は知らないよ。あの子の事、聞くのかい?」

 言いながら、彼女は手を突き出す。ヴォルフは羊皮紙のような掌に視線を落とし、渋面を作った。話したと言う事は、悠長に探していては間に合わないかも知れない。

 そこまでして助けてやる義理はない。しかし、知っているのに見過ごすのも寝覚めが悪い。無言で悩んでいる内にマリアは痺れを切らしたようで、手を引っ込めた。

「今日行かなきゃ、今度こそ生娘じゃなくなってるかも知れないってのにさ。欲しくないのかい」

 不安を煽られ、ヴォルフは唸りながらコートのポケットに手を入れる。小僧と同じと思われるのは癪だったが、そんな事を言っている場合でもない。

 マリアは差し出された金貨をひょいと取り上げ、目の前にかざしてまじまじと見た。銀貨と違って、金貨はよく真鍮製の偽物が出回っている。商人は皆こうするが、娼婦が確認するのを見るのは初めてだった。

「若くて綺麗な生娘なんて、滅多にいないよ。運が良かったね」

「下らん」

 吐き捨てるように呟くと、マリアは金貨から視線を外してヴォルフを見上げ、片目を細めた。睨むような、探るようなその目に、案外馬鹿ではないのだろうと思う。

 否、馬鹿だったらこんな事はしていないだろう。ヴォルフは長い旅の中で、何度もこんな目をした人間に出会った。彼女はもう、手遅れなのだ。

「小娘に興味はない。私は助けるだけだ、居場所を教えろ」

 マリアは大きく顔をしかめ、ふんと鼻を鳴らした。拗ねたようなその仕草に、ヴォルフは視線を落とす。

 人の心が貧しいのは、タロットのせいなのだと人々は言う。ならばタロットとは何なのだろうか。あれらは人の心を糧として、実体を保っているはずではないのだろうか。

 なんにせよ、ヴォルフにこの女を助ける事は出来ないのだろう。

「つまらん男だね。あんたなら、あんな小娘片手で捻れるだろうに」

「つまらなくて結構だ。言わんなら返せ、私にも無駄な金はないんだ」

 マリアは渋い表情のまま、南を指差した。手の中で金貨を玩びながら、彼女はヴォルフから顔を逸らす。

「大通りから三本目の、右手側の路地。奥から二番目、右側だ」

「分かった」

 短く返すと、マリアは再びヴォルフを見上げ、何とも形容のし難い複雑な表情を浮かべた。怒っているような、けれど悲しそうにも見えるその表情に、彼は南へ向けかけていた足を止める。

 暫く見つめ合った後、娼婦はかすかに笑う。嫌味な笑みではなく、気の抜けたような表情だった。

「あたしの若い時にも、あんたみたいのがいりゃ良かったのに」

 虚勢を捨てた彼女の表情に、ヴォルフは少女の面影を見る。哀れに思えど、彼に言える事は、何もなかった。


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