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第三章 Phantom Pain 七

 七


「女帝」と「悪魔」のいた町を出て、一ヶ月が経過した。島はとうとう冬を迎え、寒風吹きすさぶ中、二人はそれでもアルカナ相手に得物を振り回す。動いていれば少しは暖かいとはいえ、この地にいるアルカナの数は大陸の比ではない。体が温まるなどと、のんきな事を言ってはいられなかった。

 次々遅い来る亡者達が放つ悪臭に閉口しながらも、ヴォルフは左側から振り払うようにアルカナ達をメイスで薙ぐ。正面にいた三体が鉄球に押され、まとめて彼の後方へ吹っ飛んで行った。

 その軌道を追うように彼らが流した腐った体液が飛び、地面に染み込む。飛んだ際の衝撃で腹の皮膚が破れ、腐敗した脂肪ごと、内臓がぞろりとこぼれ落ちた。耐え難い悪臭が立ちこめ、ヴォルフの顔をしかめさせる。

 大陸では街道にアルカナが出る事は殆どなかったが、ここは向こうとは少々事情が違うようだ。小さな島には適当な土地がないらしく、森の中に遺体を埋める習慣があるものと思われる。国教はここも大陸の大半と同じはずだから、アルカナが出始めてから出来た風習だろう。

 ヴォルフがソードを真っ先に倒すのは、最初の理由とは違ってきていた。なるべくジゼラが楽になるように。背中を預ける事もあるが、手ごわいものは先に沈めておきたかった。

 ジゼラのいる日々に慣れ、彼女に配慮しながら戦うようになった。それが良いのか悪いのかはヴォルフ自身分からないが、隣に人がいる安堵は、一人で旅していた頃には到底感じ得なかったものだ。幾分、落ち着いて戦えるようにもなった。

「……また甲冑か」

 甲冑を着込んだアルカナは、動きがぎこちない以外は生きている者となんら変わりない。中身は他と同じように腐りきっているのだろうが、複雑な心境になる。鼻持ちならない騎士を打ちのめしているような気がして、溜飲が下がりもするが。

 本来甲冑は高価なものだから、副葬品にはしない。騎士が死んだ場合、甲冑はその子供に受け継がれる。副葬するのは子供がいない場合や、子供が騎士にならない場合だけだ。

 アルカナが振り下ろした分厚い剣を避け、ヴォルフは甲冑の頭を横からメイスで殴りつける。鉄板がひしゃげたような音と共に、犬面の兜が大きく陥没した。これは後で売れるだろうかと考えながら、ヴォルフは肩越しに振り返ってジゼラの様子を確認する。

 彼女の動きは、少し鈍かった。大きく腕を振っては眉をひそめて動きを止め、視線ばかりを動かしている。その剣に切れはなく、常のような精彩を欠いていた。顔をしかめた彼女に棍棒が迫るのを見て、ヴォルフは慌てて駆け寄る。

 棍棒を手にしたワンドと呼ばれるアルカナを横から蹴り飛ばし、彼はジゼラを囲むもの達をまとめて薙ぎ払う。不意に顔を上げた彼女の大きな目は、潤んで揺れていた。その目に違和感を覚え、ヴォルフは怪訝に片眉を寄せる。

 このところ冷え込んでいたから、風邪をひいたのかも知れない。考えながらジゼラの前に立ち、剣を振るうアルカナをメイスで一閃する。跳ね飛ばされた亡者は別のものに激突し、両者共に動きを止めた。

 動くアルカナがないのを確認し、ヴォルフは改めてジゼラを見下ろす。彼女は視線から逃れるようにその場に屈み、アルカナの剣を拾った。

「ジゼラ、どうした」

 立ち上がった彼女の顔は、嘘のようにけろりとしていた。不思議そうに首を傾げるジゼラをそれ以上問い詰めるのも憚られ、ヴォルフはその手から剣を受け取る。

 高価そうな剣だけを見繕って拾ってから、ヴォルフはその場を後にする。地図はあってもこの縮尺では次の町までかかる時間の見当がつかず、かさ張る甲冑は持って行けない。

 街道を歩きながら、ヴォルフはコンパスを確認する。方向は間違っていないが、町は一向に見えてこない。ランズエンド付近からは人が離れていると聞いたし、町があったとしても誰もいそうにない。食糧を多めに詰む為に、どこかで荷車を買っておきたかった。

 コートの襟元から、冷えた風が吹き込む。寒地で育ったヴォルフに耐えられない寒さではないものの、乾いた冬の空気を吸い込むと鼻が痛くなった。

 左袖を握ったままついてくるジゼラは、頭から毛布を被っていた。外套だけでは寒いようだが、毛布の下から足だけが出ているせいで別の生き物のように見える。

 ジゼラはいつになく静かだった。喋るとうるさいから丁度いいが、ヴォルフは心配になる。やはり風邪をひいたのではないのだろうか。この気候だから、体が冷えているのかも知れない。だから厚着をしろと言ったのに。

「……おい、ジゼラ」

 振り返って見たジゼラは、俯いていた。呼んでも顔を上げない彼女にまた違和感を覚えて顔をしかめ、ヴォルフは立ち止まる。ジゼラは一歩よろけた後、ゆっくりと顔を上げた。

 元々白い顔が、更に青ざめている。そのくせ唇は紅を引いたように真っ赤に染まり、目が潤んでいるから完全に風邪だろう。

 どこか不安げに眉尻を下げ、ジゼラはまた首を傾げた。毛布の下で髪が流れ、頬に掛かる。薄く開いた唇からは、絶え間なく熱い呼気が漏れていた。

「具合が悪いなら言え」

 短くたしなめて森の中へ入ると、ジゼラは黙ってついて来た。その足取りはひどく重たい。何故こうなるまで黙っているのかと、ヴォルフは呆れた。

 ここの街道は川沿いに作られており、近くには必ず水場がある。そちらへ向かおうと森の奥へ入って行く間にも、ジゼラの息は荒くなって行く。足をひきずるようにして歩いていた彼女はとうとう小枝につまづき、ヴォルフの背に頭をぶつけた。

 顔をしかめて振り返ると、ジゼラは唇を引き結んで首を竦めた。ヴォルフは黙って彼女に向き直り、毛布の合わせ目を掴む。それを開いて肩に掛けていた荷物を取り上げ、自分の荷物と一緒に担ぎ直した。

「すまぬ……」

 鼻声で謝るジゼラには答えず、ヴォルフは周囲を見回す。太い木々に邪魔されて視界が悪く、そう遠くまでは見えなかった。諦めて前方を注視すると、木々の向こうに光が見える。少し開けているようだから、あそこに川があるのだろう。

「もう少し歩けるか?」

 ジゼラが小さく頷くのを確認してから、そのまま川へ近付いて行く。担いでやっても良かったが、どうせ横抱きにしろとうるさいのでやめた。

 木々の隙間を縫って開けた場所へ出ると、案の定川が流れていた。心地良いせせらぎと水のにおいに、ヴォルフは寒さも忘れる。

 川辺には大振りな石が転がっており、さすがにここでは休めそうにない。結局川から少し離れた木の根元へ、ジゼラを座らせた。

 木にもたれて座ったジゼラの正面にしゃがみ、ヴォルフは手袋を外す。左右に分けた前髪の隙間から素手で触れた額は、こもったような熱を持っていた。目を伏せた彼女の睫毛は、濡れて色が濃くなっている。

「熱いな。何故言わん」

 言いながら、ヴォルフは荷物を下ろして中から小枝の束を取り出す。歩きながら乾いたものを見繕い、薪代わりに拾い集めていた枝だ。それを無造作に重ね、彼は更に荷を探る。

 取り出した古い布切れにマッチの火を移して積んだ枝に乗せると、間もなく燃え上がった。橙色の炎を見つめるジゼラの表情は、ひどく険しい。

「何か食って寝ろ」

「……食べたくない」

 鼻をすすりながら、彼女は掠れた声で呟く。声を出すのも苦しそうで、喋らせなければ良かったと後悔する。

 自分の荷物の中から古い毛布をもう一枚引っ張り出して、地面に敷いた。あまり使わないが、袋の中で他の荷物に踏まれていたようでくたびれてしまっている。肩を叩いて促すと、ジゼラはおずおずとその上に腰を下ろした。

「クラッカーをふやかしてやる。待っていろ」

 ジゼラは益々俯いて、唇を引き結んだ。小ぶりな鼻孔から、かすかに苦しげな呼吸音が聞こえる。

 ヴォルフは黙り込んだ彼女を暫く見つめ、何も言わないと分かるとすぐに立ち上がった。おずおずと見上げてくるジゼラは、不安げな表情を浮かべている。風邪をひいて気が弱っているのだろう。

 薬は持ち合わせていないから、何か食わせて寝かせてしまうに限る。ヴォルフは滅多に風邪をひかないから、薬を買っておくという頭さえない。

 しかし川へ向かおうとしたところでコートの裾を引かれ、彼は一歩踏み出したところで振り返る。見下ろしたジゼラは、熱のせいか潤みきった目でヴォルフを見ていた。

「すまぬ……あなたに迷惑をかけるつもりはなかった」

 そもそも着いて来られた時点で迷惑だったのだが、ヴォルフは何も言わなかった。いくら相手がジゼラでも、病人に追い打ちをかけるような事は出来ない。

 相変わらず不安げに見上げてくるジゼラから視線を逸らし、ヴォルフは荷物の中から小さな手鍋を取り出す。冬に入ってから毎日のように使うので、底が焦げていた。

「迷惑だと思うなら飯を食え。寝ていて構わん」

「……すまぬ」

 小さく謝るジゼラを残し、ヴォルフは一旦その場を離れた。川のせせらぎが耳に心地よく、一時の安らぎを覚える。橙色の夕陽に照らされ、川面は眩しいほどに輝いていた。

 手鍋に水を汲みながら、ヴォルフは故郷を想う。ここはそうでもないが、生まれ育った村もその後身を隠した山村も、冬には凍えるほど冷えたものだ。妹は秋の気配が迫る頃になると決まって熱を出し、彼を心配させていた。

 いつからか、故郷を想う事が増えてきた。思い出さないようにしていたはずなのだが、まだあの頃の幸福を忘れられないという事だろうか。

 そういう訳でもないのだろう。思い出して懐かしく感じるものなら、それはただの思い出に過ぎない。懐古するだけのものなら、決別したと言っていいのではないだろうか。

 ヴォルフはそうして、自分に嘘を吐くのだ。過去に戻りたいと願っている訳ではないのだと。戻りたい過去はもう、自分の記憶の中にしかないのだと。

 食事を終えた頃には、すっかり日が暮れていた。どこからか聞こえてくる梟の鳴き声が、ほうほうと物悲しく闇に木霊する。小さな焚き火に薪をくべながら、ヴォルフは傍らで眠るジゼラに視線を落とす。

 白い寝顔は、焚き火に照らされて橙色に染まっていた。薄く開いた唇から安らかな寝息が漏れ、敷いた毛布を揺らす。陰影が濃く浮かび上がるその顔は、風邪のせいか疲れているように見えた。寒くなって今までの疲労が一気に出てしまったのだろう。

 丸くなって眠っていたジゼラが、不意に身じろぎした。足を引き寄せた事で寒いのだろうと判断し、ヴォルフは彼女の荷物の中から外套を引っ張り出して毛布の上から掛けてやる。眉間に寄っていた皺が消え、元の安らかな寝顔に戻った。

 彼女も、我慢してしまう性質なのだろう。怪我をしても痛いとは言わないし、寒くても黙って毛布を被るだけだ。口を利く方を我慢して欲しい所だが、恐らく言っても聞かない。

 どんなふうに、生きてきたのだろう。彼女が時折見せる暗い表情を見る度にそう思うのだが、結局聞けずじまいだった。

 長い旅の中で、誰かに依存する事だけはしないように生きてきた。身の回りの事は否が応でも全て自分一人でこなさなければならなかったし、一人で行かなければならないのだと、強迫観念に囚われてさえいた。それが今は、どうだろう。

 ヴォルフもタロットと戦う時に限っては、左手は使えないも同然だ。砂時計を持っていなければならないから、割るのが怖くて無闇に動かしたりはしない。だから気の回らない背後をジゼラが固めてくれるのは、有難いと思っている。結果的に頼ってはいるが、別段それは依存ではない。

 けれど今更一人になれるかと問われれば、否と答えるだろう。人に避けられ、風貌だけで恐がられる彼を恐れずにいてくれるのは、ジゼラだけだ。孤独に委ねていた心は、彼女がいる事で満たされた。果たしてそれは、依存と呼ぶだろうか。

 どうでもいい事だ。

 己の思考を否定し、ヴォルフはコートの前をかき合わせながら木に凭れる。少し寝ようと目を閉じた彼だが、すぐに瞼をこじ開けた。

「……く……う」

 泣き声のような、呻くような声だった。驚いて見下ろすと、ジゼラが顔をしかめている。さて息苦しいのかと毛布に手をかけたところで、違うと悟った。

 ジゼラの右手が、左腕を掴んでいる。正確に言えば、左腕があるはずの場所を。手自体は毛布に隠れて見えないが、拳の形は見えるのでそれと分かる。野宿など今まで何度もしたし、大抵交替で寝ているから寝姿を見たのも初めてではない。だがこんな仕草を見るのは、初めてだった。

 今まで一度も動いているのを見た事がなかった左肩が、ひどく強張っている。肩の下には掌と同程度の長さの円筒形の膨らみがあり、時折痙攣するように動いていた。

「……ジゼラ?」

 問い掛けても、ジゼラは呻くだけだった。噛み締められた唇が破れて血が滲み、白玉の歯がうっすらと赤く染まる。

 白い額に脂汗が滲み、腫れた瞼に力がこもる。長い睫毛が小刻みに震え、そこに滲んだ涙が青ざめた頬を濡らして行く。ジゼラの表情は、明らかに苦痛を示していた。

 流石に危機感を覚え、ヴォルフは彼女の右肩を掴む。絞り出すような呻き声が、少し落ち着いた。しかしその表情は険しいままで、痛みを堪えているようにも見える。

「ジゼラ、起きろ。ジゼラ!」

 殆ど怒鳴り声だった。掠れた声がぴたりと止まり、ジゼラが大きく息を吸い込む。膨らんだ胸がゆっくりと萎んだ後、彼女は僅かに眉をひそめたまま、重たそうに瞼を開けた。

 焦点の合わない濡れた目をヴォルフに向け、ジゼラは緩慢に瞬きする。やがて弛緩していた表情が再び歪み、眉間に皺が寄った。目だけはうつろなまま、不安げな面持ちで暫くヴォルフを見つめた後、彼女はかすかに唇を開く。

「……痛い」

 消え入りそうな声に、ヴォルフは一瞬硬直する。今にも泣き出しそうに表情を歪め、ジゼラは彼に右手を伸ばした。白い手が、コートの胸元を掴む。

 縋るような仕草だった。華奢な手が震えるのを見て、ヴォルフの胸が詰まる。

「もうないのに、痛い。どうしてだ」

 聞かれても、ヴォルフには答えられなかった。

 幻肢痛というものがある。医学を研究していた母から聞いた言葉で、目の当たりにして初めてその意味を知る。

 なくした体の一部が痛む事があるのだと、母は言っていた。腕の幽霊が繋がっているから痛むのだとか、体が痛みを思い出すのだとか色々言っていたが、結局何故痛むのかは分からないようだった。ヴォルフは幼心にそれを恐ろしく感じていたが、今ジゼラの姿を見ると、痛々しくも思う。

 なくしたものが痛む。それが実際どのような痛みなのか、ヴォルフには分からない。しかしそんな感覚を、彼は知っている。

「私にどうして欲しい」

 出来る限り優しく、そう聞いた。ジゼラはぼんやりと彼を見つめた後、極端に短い左腕を毛布から出す。余った袖は、当然埋もれたままだった。

「撫でてくれ」

 懇願するような、掠れた声だった。ヴォルフは手袋を外して彼女の左肩に手を添えたが、その頭は左右に振られる。聞くのも憚られて少し悩み、彼は左腕があったらそこに伸びているであろう箇所を、ゆっくりと撫でた。

 当然、彼の手には何の感触も伝わってこない。しかしジゼラはほっとしたように表情を緩め、目を閉じた。

 失ったものの記憶をなぞり、反芻してはまた噛み締めながら歩いてきた。何も出来なかった悔しさを、胸の内で澱となった罪悪感を幾度となく思い返して。それらが胸を突く痛みを忘れない限り、決して立ち止まる事はしないと心に決めて。

 思い出したように痛む古傷にも似た記憶は、今でもヴォルフを責め苛む。失くした腕が痛いと呻くジゼラに、彼は自分の中の傷を見た。けれど再び眠りに落ちた彼女の左腕を未だに撫で続けているのは、自己愛でも同情でもない。

 ならば、何なのか。その自問に答えが出ないまま、彼は見えない左腕を撫で続ける。労るように、慈しむように。熱を持って痛む自らの傷を、宥めるかのように。

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