第三章 Phantom Pain 二
二
船が港に着いたのは、出航してから五日後の夕方の事だった。案外早かったのは有り難い事だが、ヴォルフは時間よりも、その間ずっと口数の少ないジゼラを気にかけている。
何しろ話し掛けても、躊躇いがちにうんだのああだの、曖昧な返答しかしないのだ。拗ねたか落ち込んだかと考えてはいたものの、流石に五日間も黙り込むとは思っていなかった。
船を降りると、もう夕闇がすぐそこまで迫っていた。港にはレンガ造りの倉庫が建ち並び、燃えるように輝く西日に赤々と照らし出されている。
港町へ繰り出して行く人々に混じって歩きながら、ヴォルフは町の様子を確認しようと辺りを見回す。大陸で散々脅されたから心配していたが、この港町は無事なようだった。見回したついでに背後を見ると、いつもそこにいるはずのジゼラがいない。
町に入りかけたところで足を止め、ヴォルフは振り返る。人混みの中でもよく目立つ白髪頭は、まだ桟橋付近にあった。
「……何をしているんだ奴は」
思わず呟いた彼の視線の先で、ジゼラはぶつかった人に謝っていた。距離感が掴めないのかよく人とぶつかる上に律儀だから、逐一謝っているせいで彼女の歩みは遅い。
一人で人混みを歩かせてはいけなかった。袖を掴ませておかないと、彼女はまともに歩けもしないのだ。ヴォルフは後悔しつつ道の端へ避けて立ち止まり、連れを待つ。
やっとの事で目の前まで来たジゼラは、おずおずと上目使いにヴォルフを見上げた。不安げに下がった眉を見て後悔しつつ、彼は手を差し出す。
「行くぞ」
大きな掌を見つめ、ジゼラは首をすくめた。未だ不安げに揺れる瞳が、こわごわヴォルフを見上げる。
何を恐れているのだろうと、ヴォルフは思う。ジゼラは今まで、一度も彼に怯えた事がない。怒っても気にしない女だと思っていたから、彼女の態度は意外だった。
「……もう、怒っていないか?」
あれだけ怒らせるような事を言っているのに、怒られるのは嫌なのだろうか。そうは思ったが彼女は恐らく、嫌われたくないだけなのだろう。
「怒っていない。早くしろ」
慌てて伸ばされたジゼラの手は、やっぱり袖を握った。腕を下ろすと、華奢な手の頼りない重みが肩に伝わる。五日前までは毎日感じていたその重さが、ヴォルフには懐かしいもののように思えた。
歩き出しても、ジゼラはしばらく腕を見つめていた。少し後ろから着いてくる彼女を振り返ると、顔を上げて嬉しそうに微笑む。何がそんなに嬉しいのかと、ヴォルフは呆れた。
海を渡ったとはいえ、気候も町並みも大陸とさほど変わりない。こちらの方は曇天の日が多いと聞くが、今日はよく晴れていた。夕陽がレンガ造りの町を照らし出し、橙色に染め上げている。
「ご飯にするのか?」
ぴったりと寄り添っているものの、ジゼラは腕を取ろうとはしなかった。彼女も弁えているのかまた別に理由があるのか、ヴォルフには判断出来ない。何にせよ、腕にまつわりつかれるよりは遥かにマシだ。
「とりあえずな。何がいい」
聞いてから暫く待ってみても、ジゼラは答えなかった。普段なら、一つ質問すれば聞いていない事まで矢継ぎ早に話し始めるものなのだが。怪訝に見下ろせば、彼女は目を丸くしている。
「……あなたが私に食事のメニューを聞くとは」
呆然と呟いた彼女は、心なしか目を輝かせていた。確かに食べたいものを聞いた事はなかったが、それの何が嬉しいのかヴォルフには分からない。そんなに自分勝手だと思われていたのだろうか。
「嬉しいぞヴォルフ、あなたはやっと食事より私の方が好きになってくれたのだな」
「何故そうな……」
「アルカナだ!」
ヴォルフの声は、誰かの叫び声にかき消された。振り向くと、港で一服していた船乗り達が町の中へ逃げ込んでくるのが見える。建物に阻まれてアルカナの姿は見えない。それよりも、道行く町人達が妙に落ち着いているのが気になった。
船乗り達と入れ違いに、大剣や棍棒を手にした男達が港へ出て行く。賞金稼ぎだろう。どこにいたものか十人近くは向かって行くのを、ヴォルフは立ち止まって見送った。あれだけいれば、倒してしまえるはずだ。
「行かなくていいのか?」
ああと呟き、逃げてくる者がいないのを確認してから再び歩き出す。わざわざ首を突っ込む必要はない。向こうはあれが仕事なのだから、手を出すのも忍びなかった。
適当に入った飯屋は、港町という事もあってかそれなりに繁盛しているようだった。結局ジゼラの意見は聞かなかったが彼女も気にしていないようで、視線を巡らせて空席を探している。
「おおい、ヴォルフさん!」
聞き覚えのある声に、ジゼラが身を硬くした。ヴォルフは声の主を見て小さく唸る。
同船していた行商の青年が、テーブル席の椅子から身を乗り出して手を振っている。ロベルトと名乗った彼とは船内で何度か会って、その度長話に付き合わされていた。干し肉を安く譲ってもらえたから気に入られるのはいいが、ヴォルフに男色の気はない。誘いを断るのが大変だった。
「席ないだろ、こっち来なよ」
親しげに話し掛けてくるロベルトに、ジゼラが表情を曇らせた。確かに見る限り満席だったが、ヴォルフは悩む。
ここで彼らに挟まれたくはない。船で彼と話している間もずっと黙り込んでいたジゼラは、常に噛み付かんばかりの形相で睨んでいた。無意味な喧嘩が始まっても面白くないが、空腹には勝てない。食事と天秤に掛けたら、なんだろうと些末な問題だ。
「……済まんな」
結局そう言って、ヴォルフはロベルトに近付く。ジゼラは不満そうだったが、彼が青年の正面に腰を下ろすと嫌々隣に座った。ロベルトと一瞬目を合わせて睨み合った彼女には気付かず、ヴォルフは店員を呼ぶ。
「奇遇だな、船降りてまた会えるとは思ってなかったよ」
嬉しそうなロベルトの声はヴォルフに掛けられたはずだというのに、ジゼラが先に反応して顔をしかめた。彼は店員に長々と注文してから、青年に向き直る。
「同じ町に着くんだ、会う事もあるだろう」
「でもこの町広いからさ。嬉しいな」
はにかんだような笑みを浮かべる青年から、ヴォルフは反射的に視線を逸らした。その先にロベルトを睨むジゼラがいて、彼はすぐに反対側を向く。
何が悲しくて挟まれなければならないのだろうと思うが、空腹に負けて同席を拒まなかったのは彼自身だ。さっさと食って店を出てしまった方が賢明だろう。ジゼラは左手がないせいか食べるのが遅いから、難しい事ではあるが。
「こっちはどうだい? 早速アルカナがいたろ」
ロベルトはよほど話したいようで、テーブルに身を乗り出して目を輝かせていた。ヴォルフはコップの水を一気に飲み干し、ボトルから注ぎ足す。
「港に出たようだな。賞金稼ぎ共が群がっていたが……妙に多いな、ここは」
「そうそう。よくアルカナが出るから、この島は大陸より賞金稼ぎが多いんだよ。真っ先に飛び出して行くのは、大体町と契約してるような奴らばっかりだけど」
町の自治体と契約し、自警団の真似事をしている賞金稼ぎも少なくない。傭兵と似たようなものだ。元々自警団がないような小さな町や村に多いのだが、こんな大きな町にいる事は中々ない。
「自警団はないのか?」
「ここ元々、船乗りばっかりだったんだよ。あと商人とか宿屋とか、旅人相手に商売する人だけでさ。大きい港があるから豊かで平和な町だったし、揉め事が起きても、寄り合いで解決出来るような事ばっかだし」
「船乗りは気性が荒いだろう」
「身内のイザコザなんか、自分らでなんとかするもんだよ。だから自警団必要なかったんだってさ」
この港町は、田舎の方だという事なのだろう。誰から聞いたものかと考えながら、ヴォルフは運ばれてきたシチューに手をつける。ジゼラが付け合わせのパンに視線を注いでいたので、半分にちぎってから渡した。嬉しそうに顔を綻ばせた彼女は、パンを皿に押し付けるようにして片手でちぎり、口に運ぶ。
彼女はどうも、パンが好きなようだった。しかも焼きたてでないと駄目で、保存用の堅パンは自分から進んでは食わない。贅沢な事だが、食費自体は安上がりで助かっている。
「この辺りは、そんなにひどいのか」
食べながら聞くと、青年は次々空になって行く皿を眺めながら頷いた。
「言ったろ、向こうの比じゃないって。さっきも、『悪魔』が出たなんて噂聞いたしさ」
「タロットか?」
問い返しつつ、三杯目のシチューの中出てきた大きな人参をジゼラの皿へ避けた。小さく切られているなら食うが、塊は嫌いだ。これだけは昔から食えない。
ジゼラは文句も言わずに人参を口に入れ、美味そうに食っていた。焼きたてでないパン以外に食べないものはないようだ。あれだけ嫌がっていたタコも、出されれば普通に口にする。
「そう、南西の方だったかな。悪魔なんて、縁起でもないよな」
うんざりとぼやくロベルトには応えず、ヴォルフは切り分けた肉の塊をジゼラの皿に乗せた。片手でナイフとフォークは使えないから、切ってやらないと彼女は食えない。一人でいた時はどうしていたのか、つくづく疑問に思う。
テーブルいっぱいに並んだ皿を丸呑みしているかのような速さで片付けながら、ヴォルフは考える。それだけアルカナやタロットが多いなら、ここに「魔術師」がいるというのもただの噂ではないのだろう。
タロットカードを災厄に変えた魔術師が死んでから既に二十年は経過しており、その魔力は殆ど消え失せている。今なおタロットが現れ続けるのは、カードの「魔術師」が作り出しているからだ。
人には太刀打ちできない災厄とはいえ、その力が及ぶ範囲は無限ではない。タロットやアルカナが多いという事は、確かに「魔術師」に近付いている証拠だ。
「よく食うな」
黙々と食べ続けるヴォルフを見つめ、ロベルトは感嘆の声を漏らした。感心されるような事でもないのは、食べている本人が一番よく分かっている。ジゼラは真顔でロベルトを見て、隣をフォークで差した。
「下手をすると食べすぎて路銀が尽きるのだ。大変だぞ」
ロベルトはジゼラの言葉に笑い、彼女の方へ身を乗り出した。さっきまで睨み合っていたのが嘘のようだ。
「いいじゃないか。よく食う人好きなんだ、俺」
「奇遇だな。私もこの人がものを食べているのを見るのが大好きなのだ」
ヴォルフは居心地が悪かった。褒められているのか貶されているのかさっぱり分からない。
好きで大食いな訳ではない。この体格を支えるには、少ない食事量では足りないのだ。道中しばらく飯が食えない時など、歩くのも嫌になる。本人にとっては全くいい事ではなかった。
「なんだ、気が合うな」
「ああ。どうだ、ヴォルフについて夜通し語り合」
「やめろ」
ジゼラはヴォルフを見上げて、小首を傾げた。長い髪が流れて体の前へ落ちたので、彼女は背中へ払いのける。
テーブルの端に最後の一皿を積み、ヴォルフは溜息を吐きながら席を立つ。これ以上ここで話していたら、話があらぬ方向へ行きそうだ。
「あ、待ってよいいよ、俺が払うよ」
「奢られる義理はない」
すげなく返されて肩を落とした青年を見上げ、ジゼラが彼の背中を軽く叩いた。慰めるような仕草だ。
「気にするな、誰にでもああなのだ」
「冷たいなあ。そういうとこがいいんだけど」
「態度は冷たいが、優しいのだ。いい人だぞ。だから好きだ」
ヴォルフは逃げ出したくなるのを堪えながら支払いを済ませ、二人を無視して店を出た。キワモノ達に好かれても、嬉しくもなんともない。
そのまま店を離れようとしたが、ヴォルフは顔をしかめて足を止める。
通りを吹き抜ける潮風に、かすかな腐臭が混じっていた。港からは距離があるから、ヴォルフの役に立たない鼻に臭いが届くはずはない。見回してみれば人通りもまばらになっており、誰もが足早に屋内へ入って行く。
賞金稼ぎ達がアルカナを狩り逃したのだろうか。人々の様子を見る限りそうとしか考えられないが、港へ出て行ったのは少ない人数ではなかった。あの人数で掛かって行って、果たして負けるものだろうか。
「なんだ、臭いな」
ジゼラは店から出て早々、通りを見回しながら呟いた。ちらほらと逃げてくる人がいるのを見る限り、アルカナが迫ってきているものと思われる。どうするかと考えつつ店の前から退くと、続いてロベルトが出てきた。
「あれ、取り逃したのかな? 来たらやだなあ」
のんきなぼやきだった。大陸ならアルカナが出ただけで町中大騒ぎしていたものだが、彼もこの町の住人も慣れたものだ。慣れるのもどうなのかと、ヴォルフは思う。
港へ続く曲がり角から、折れた剣を持った男が一人、慌てた様子で駆けてきた。ジゼラは逃げて行く彼を見送り、港の方へ歩き出す。
「行こうヴォルフ、放っておくのも可哀相だ」
左袖を掴むジゼラに促され、ヴォルフは彼女について行く。食ってすぐにはあまり動きたくなかったが、そんな事を言ってもいられない。
「傭兵の意味がないな」
「え、ちょっと待てよ。なんで行くんだ」
ロベルトの問い掛けに、ジゼラが不思議そうに大きく瞬きした。困惑したような彼の表情を見て、変に思うのも当然だろうと、ヴォルフは考える。
賞金稼ぎが大人数で掛かって行って仕止め損ねたものを、二人加勢して止められるとは思わないだろう。アルカナごとき何体いようとヴォルフもジゼラも負けはしないが、ロベルトが驚く気持ちは分かる。
しかし何故、町の中まで入って来ているのに放置しておくのだろうか。倒さない限り、アルカナが自然に出て行く事はない。放っておいたら被害が拡大するだけだ。
「倒さねば町に被害が及ぶだろう。何でもなにもないぞ」
答えないヴォルフを見かねてか、ジゼラが返した。ロベルトは困ったように眉根を寄せる。
「ほっとけばその内強い賞金稼ぎが退治してくれるよ。この町には、賞金稼ぎなんか山ほどいるんだ」
「案ずるな、私達も強い方だ。あなたはどこかに隠れていた方がいいぞ」
ジゼラの言葉に、ロベルトは怪訝な顔をした。彼女がアルカナを倒せるとは思わないだろう。ヴォルフも最初は信じられなかった。
通りを進みながら、ヴォルフは肩越しにロベルトを振り返る。その厳しい目を見て青年が頬を染めたので、彼は一瞬嫌な顔をした。しかしすぐに取り繕い、視線を外す。
「災厄に慣れてはならん。慣れて放置しておけば、いずれ足下を掬われる。町に被害が出る前に、注意を喚起しておけ」
角を曲がると、港の方から迫りくるアルカナの集団が見えた。所々変色した皮膚は皆同じだが、腐敗の度合いにはそれぞれ差がある。腹の柔らかい皮膚を食い破られて一歩踏み出す度に白い蛆虫を零すものもあれば、殆ど形を保っているものもあった。
棍棒を持ったワンドと呼ばれるものも、剣を持ったソードもあり、甲冑を着込んだものさえいる。共通しているのは、死体であるという事ぐらいだろうか。
覚束ない足取りで歩み寄ってくるアルカナの集団を目にして、ロベルトが立ち止まった。ようやく危機的状況にあると認識したのか、顔が強張っている。
「ロベルト、隠れろ」
ヴォルフは逃げてきた人を通してやってから、メイスの留め具を外す。無造作に背から下ろされた巨大な鎚矛は、夕陽を浴びて鈍く光った。使い込まれた得物の所々に錆が浮き、スパイクも欠けているというのに、持ち主に修理する気はない。そんな金があるなら食費に回したいのが彼だ。
ヴォルフの声に我に返った青年は、慌てて建物の陰へ入った。ロベルトが隠れるのを見届けてから来た道を見て、誰もいない事を確認する。
「臭い。多いぞ」
物陰から顔を出して怯えた表情を浮かべるロベルトとは対照的に、ジゼラの声は落ち着いていた。単純に、数が多すぎたのだろう。どこから湧いて出たのか、アルカナは道を埋め尽くすほどの群れをなしている。あれでは太刀打ちできないのも分かる。
「随分と仕留め損ねたな。やるぞ」
「あの甲冑は高く売れそうだ、終わったら剥ごう。それでおいしいパンを食べよう」
ヴォルフは提案を無視した。
腰の鞘から直に抜いた剣を握り締め、ジゼラが先に駆け出した。水平に振り上げられた白銀の刃が、沈みかけた西日を反射して閃く。躊躇なく突っ込んで行く彼女の長い髪が舞い、一瞬橙色に染まった。
先頭にいたアルカナ達のうち何体かは武器を構えて反応したが、彼らが剣を振るうよりも、鋭い刃がその首を捉える方が早かった。一瞬にして間合いを詰めたジゼラの剣が亡者の首をまとめて刎ね、先頭集団の動きを止める。取りこぼしたアルカナが彼女に剣を振りかざしたが、その刃はすぐさま後ろへ飛び退いた標的には届かず、むなしく空を切る。
ジゼラも大概にして無謀だ。いささか呆れながらも、ヴォルフは相棒の剣をすり抜けてきたアルカナ達と対峙する。しかし間合いに入られても、彼は動かなかった。
やがて降り下ろされた棍棒を、ヴォルフは左手で受け止める。衝撃で腕が僅かに沈んだがそれだけで、体はおろか眉さえ微動もしなかった。魔力で補強されたアルカナ達の力は、普通の人間より遥かに強いはずなのだが。
棍棒を掴んで一体の動きを止めている隙に、横から分厚い剣が迫る。体ごと突っ込んできたアルカナの剣を肩を引いて避けると同時、ヴォルフは掴んでいた棍棒を振った。
力任せに振られた棍棒を尚も離すまいとする亡者が、その軌道を追うように飛んで行く。アルカナがくっついたままの棍棒は、武器の方ではなく持ち主の方が先程避けた一体に激突した。まばらに髪の残る頭同士がぶつかり、割れて何もかもが混ざり合う。地に落ちたアルカナの頭から腐って溶けた脳がこぼれ、蝿の子が蠢いた。
ヴォルフは次々迫るアルカナ達をメイスで薙ぎ払いながら、既に先へ行ってしまったジゼラを追う。強いのはいいが、少しは取りこぼしがないように戦えないものだろうか。ヴォルフがいるからいいと思っているのかもしれない。しかしながら、彼は町中でメイスを振り回すのが嫌だった。鉄球が建物に当たったら壁を壊してしまう。
駆けてきたアルカナの足を払って頭を踏み潰し、三体ほどの頭部をまとめて鉄球で吹き飛ばし、ヴォルフはようやくジゼラに追い付く。歩くのは遅いのに、走るのは妙に速いから困る。
周りを囲もうと退路を塞いだアルカナと向き合い、ヴォルフはジゼラと背中を合わせる。彼女は一瞬視線だけでヴォルフを振り返って、すぐに向き直った。
ジゼラの肩甲骨がヴォルフの背に当たると同時に、二人の得物が水平に動く。鉄球が通り過ぎたそばから亡者の頭が爆ぜて行き、白刃が閃いた方では次々に首が落ちた。
「……すげえ」
青年の呟きは、二人の耳には届かなかった。
転がったアルカナの体を蹴りながら、ジゼラは不意に顔をしかめた。別の亡者が殴りかかると、彼女は蹴ったそばから足を戻し、剣を構え直してなぎ払う。いつも通りの反射速度だったが、彼女の表情はやはり曇っていた。
「まずいぞ」
呟くジゼラを振り返りもせず、ヴォルフは黙々と亡者の頭を吹っ飛ばして行く。答えない彼には構わず、ジゼラはその場で半回転してまとめてアルカナの首を落としながら、再び口を開いた。
「食べてすぐ動いたから、気分が悪くなってきた」
「私は腹が減ってきた」
ジゼラは呆れた顔をしたが、背後のヴォルフを見る事はしなかった。その視線は絶えず動き、次々迫り来る亡者の動向を窺う。
「あなたの腹は底なし沼と繋がっているのか?」
抑揚のない声で言いながらも、ジゼラの剣は正確にアルカナの首を捉える。幾つの首を切ったか本人は覚えていないが、半端な数ではないようだ。刃が脂で曇り始めてきていた。
ヴォルフは懐へ飛び込んできたアルカナの腹を膝で蹴り上げて退かし、その頭に鉄球を降り下ろす。まずいと思った時には、スパイクが石畳にめりこんでいた。
「……しまった」
ジゼラは横から来た亡者の頭を刺し貫き、ヴォルフの背を支えにして正面の者を蹴り飛ばしながら、肩越しに振り返る。そして彼の足下が抉れているのを見て、あーあと呟いた。