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第二章 Lovers Port 四

 四


 砂漠地帯に入ってから、早三ヶ月。ようやく岩と砂ばかりの大地を抜け、鬱蒼とした森に入った。目的の港町まではまだ遠いが、暑さは格段に和らいでいる。

 何より所々に泉が見受けられるようになり、水の心配をしなくて済むのは助かった。惜しむらくは、どこで道を間違えたか通常旅人が通る街道から大分逸れてしまった事だろうか。

 街道から逸れてしまうと、行商人の姿がなくなる。彼らは町から町へ渡り歩きながら道中で旅人相手に商売するものだから、こんな人影のない森の中にいるはずもない。

 運が良ければ森の中に住む錬金術師に会える事もあるが、彼らは人目から逃れるように居を構えている。あまり期待も出来ないだろう。会えたところで、何も売ってもらえない可能性の方が高い。並べて彼らは人嫌いなのだ。

「こんな森の中にも、アルカナは出るものなのだな」

 戦利品のネックレスを眺めながら、ジゼラは感心したように呟く。感心するような事でもない。

「死体を街道に埋める訳には行かんからな」

「普通の墓は、もう作れぬのだな」

 ジゼラは担いだ麻袋の中にネックレスを落としながら、抑揚のない声で呟いた。しかしその無感動な声が、ヴォルフには寂しそうに聞こえる。

 両親もアルカナと化しただろうかと、ヴォルフは考える。遺体は滅多に人が寄り付かない森の中に墓を作って埋めたが、土の中から出てきていないとは限らない。出来るなら、そうであって欲しくないと思う。

 あの頃は頭を潰せばアルカナにならない事を知らなかった。火葬するという頭も金もなかったから、棺をそのまま埋めてしまったのだ。いくら悔やめど、今更確認する事も出来ない。

「静かだな」

 木々のざわめきが、妙に大きく聞こえる。独り言のようなジゼラの言葉に頷いて、ヴォルフは木々の隙間を注視した。特に何も見えないが、食えそうな野草はある。歩きながら野草や木の実を摘んでばかりいるから、もう今日の夕飯になる程度の量は確保されていた。

 片手のコンパスを確認しながら、二人は森の中を行く。時々狼の遠吠えと擦れ合う葉の音が聞こえる以外は、静かなものだった。あまりの静寂に耳が痛くなる。

「……どうした」

 唐突にジゼラが腕にぴったりと寄り添ったので、怪訝に問い掛けた。右腕しか持たない彼女は、片手でしっかりとヴォルフの腕を抱き込んでいる。革のコートを着ているにも関わらず、腕がないだけで体の左側が寒そうに見えた。

 顔を上げた彼女は、不安そうに眉尻を下げていた。こんな静かな森の中を歩いていれば誰でも不安になるだろうが、ヴォルフは意外に思う。今まで彼女が不安を口にした事はなかったし、こんな風に表情に出す事さえなかったからだ。

「迷っていないか?」

「方向は間違っていない」

 ヴォルフの手の中のコンパスに視線を落とし、ジゼラは首を竦めた。

「だが、あなたはたまに抜けているだろう。心配だ」

 ヴォルフは思わず顔をしかめ、二の腕の高さにある小さな頭を見下ろす。再び顔を上げたジゼラは、彼の表情を見て不思議そうに首を傾げた。

 確かに、ヴォルフはたまに道を間違える。現に今も、間違えたが故にこんな獣道を行くハメになっている。それでも今まで目的地に辿り着けなかった事は一度たりともなかった。終わり良ければ全て良いのだ。寧ろ彼女を一人で歩かせる方が危ないと思っている。

「道に迷っても、あなたとなら大丈夫だ。だが、あなたが腹を空かせてしまわないかと心配でな」

 ヴォルフの渋い表情をどう勘違いしたのか、ジゼラは早口にフォローした。しかし彼は益々眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに顔を歪める。刃物で切ったような目と濃い眉との隙間が殆どなくなり、三人は殺してきたような顔になった。

「だから迷わんと言うのに」

「いいのだ、迷ったなら迷ったで正直に言ってくれ。迷子になっても、私はそんなあなたが好きだ」

「迷っていない。人の話を聞け」

 しかし、ジゼラの耳には入っていないようだった。話して安心したのか、彼女は袖を掴み直す。ヴォルフは視線を逸らして、呆れたような溜息を吐いた。結局彼女は、反応して欲しいからこんな事を言うのではないかとも思う。

 ヴォルフはふと右手側に視線を移し、その先に見えた白い影に怪訝な表情を浮かべる。見る限り建物のようだ。

「……なんだ、教会か?」

 白い建物の屋根には、大きな十字架が鎮座していた。疑う余地もなく教会だ。こんな森の中にあっては、訪れる人もいないだろうに。或いは近くに地図にない村でもあるのか。

 ジゼラは呟いたヴォルフを見上げ、彼の視線の先を見た。よく見ようと身を乗り出した彼女の肩口から胸へ、長い髪が滑り落ちる。白くはあるものの、その髪は滑らかだった。

「あそこで一泊しよう」

 言いながら、ジゼラは袖を引いてヴォルフを急かす。屋内で休みたいのは分かるが、気乗りしない。アルカナの出る森の教会になど、どうせ誰もいないだろう。だが無信心のヴォルフにとって、教会とはあまり近寄りたくない場所だった。

 嫌々歩くヴォルフを引っ張って、ジゼラは教会に近付いて行く。小さな建物の白い壁には蔦が這い、丸い窓に嵌め込まれたステンドグラスも割れている。外から見ても、長年誰も訪れていない事は明白だった。屋根の十字架が倒れずに済んでいる事が奇跡だ。

 ジゼラが袖を掴んだままだったので、扉のノブにはヴォルフが手をかけた。壊されたのか元々開いていたのか鍵はかかっていないが、扉を開けられる事を拒むように、暗緑色の蔦が這っている。構わず無理矢理開くと錆びた蝶番がぎいと嫌な音を立て、ちぎれた蔦が足下に落ちた。

 扉を開けた瞬間、ジゼラは袖を離して口元を掌で押さえた。整った顔が不快そうにしかめられている。

「カビ臭いな」

 ヴォルフは鼻を鳴らして嗅いでみたが、分からなかった。

 室内には通路の両脇に木製の長椅子が並んでおり、ごくありふれた教会のようだった。他と違うのは、正面の大きなステンドグラスの手前に何もないという事だ。

 普通ならあそこには、大なり小なり神の像が祀られている。何もないと言う事は物取りにやられたのだろう。その割に、ステンドグラスは無事だというのが不思議だった。ガラスは高値で売れる。像を盗み出すだけで満足したのだろうか。

 割れた窓から光が差し込み、板張りの床を丸く照らしている。ぼんやりと拡散する光の中には、埃が舞っていた。

「床を拭けば眠れそうだな。川か泉が近くにあるだろう」

「川ならいいな」

 川を辿って下流へ向かえば、必ずどこかで町に行き着く。だから目的の方向へ向かいながら川を探していたのだが、水の匂いがすると言うジゼラに促されて行ってみたら、全て水浴も出来ないほど小さな泉だった。

 道中で行商人を見かける事もなく、そろそろ蓄えが尽きてきており、香辛料だけでも欲しかった。タロットが溢した砂金を一体分換金してやっと十グラム買える程の高価な品だが、ないと途中で動物を狩っても生臭くて食えたものではない。

 ヴォルフはそれならそれで美味しく頂けるが、ジゼラは鼻がいいせいか辛そうなのだ。燃費はいいようだが、さすがに堅パンと野草だけで過ごしていては彼女も体がもたないだろう。せめて臭い消しに、香草でも生えていればいいのだが。

 放置されてからそこまで時間が経っていないのか、長椅子は全て原形を留めていた。訝しく思いつつ手袋を外し、ヴォルフは椅子の背もたれを指先で撫でる。

「この獣道は、旅人が通るものなのか」

「何故?」

 椅子を撫でた指を見せると、ジゼラは不思議そうに瞬きをした。

「埃があまりついていない。私達の前に誰かいたのだろう」

 ほうと感心したような声を漏らし、ジゼラは室内を見回した。旅人でなかったとしても、近くの村人が来て掃除している可能性はある。

 ジゼラは室内を確認した後、窓を見上げた。薄暗い室内で、ショートパンツから伸びる太腿の白が淡く発光して見える。編み上げのブーツは片手では結び辛いせいか、結び目が少し歪だった。革の黒いコートに隠れてはいるものの、真っ直ぐな背から丸い尻のラインまでもが整っているのが分かる。

 淡い光の柱の中にいる彼女が、ヴォルフには恐ろしく神聖なもののように思えた。元々きれいな女だが、今は輝いているようにさえ見える。教会という場所がそう思わせるのだろうか。それとも髪が白いせいか。

 暫くぼんやりしていたジゼラは、唐突にヴォルフを見て、荷物を椅子に置いた。

「よし、一緒に寝よう」

 口を利かなければいいのに。そうは思うが、喋らないなら喋らないで心配になるから困りものだ。全く口を利かないのは催した時だけなので、分かりやすくていいのだが。

 ヴォルフは黙って麻袋を探り、毛布を引っ張り出した。彼女も疲れているのだと、そう納得する。

「私は外套があるからいいぞ。あなたは寝ないのか?」

 毛布を渡すと、ジゼラは長椅子に腰を下ろしながらそう聞いた。毎日こうして聞いてくるので、ヴォルフはいい加減辟易している。

「お前が使えと言っている。私は飯にする」

「そうは行かぬ、今日こそ一緒に寝よう」

 不毛なやり取りにも、そろそろ嫌気が差していた。言うだけで行動は起こさないものの、逐一返答するのも疲れる。

「狭いだろうが」

 ジゼラは長椅子とヴォルフを見比べて、ああと呟いた。それから床に下りて座り直し、右手を伸ばす。中身のない左袖が、埃だらけの床を擦って白くなった。もう少し気にしてほしい。

「じゃあこちらだ」

「お前と寝る気は毛頭ない」

 すげなく返すとジゼラは不満そうに唇を尖らせて、ヴォルフのコートを掴む。

「一緒にくるまった方が暖かいだろう。一緒に寝よう」

「だから寝ないと言うのに……ん」

 懐の違和感に気付き、ヴォルフは長椅子に荷物を置きながら砂時計を取り出した。分厚い手袋越しにも、ガラスが熱を帯びているのが分かる。

 ジゼラは砂時計を見て立ち上がり、細い眉を寄せた。それから長椅子に置いていた剣を取り、室内を見回す。

「何かいるのか? 教会なのに」

「タロットは悪魔ではない、こういう所に出るものもある。流石に中はまずいな」

 荷物を置いたまま、ヴォルフは外へ出ようと扉を開ける。そこで砂時計が光り始め、剣を握ってついて来ていたジゼラが険しい表情を浮かべた。

 町も見つかっていないのに戦わなければならないのかと、ヴォルフは辟易する。結果的に金は手に入るのだが、あまり道中で体力を消耗したくないというのが本音だ。しかし砂時計が反応する程近くにいるという事は、向こうは間違いなくこちらに気付いている。無視しても襲われるだろう。

 森の中は相変わらず静かだった。葉がこすれ合う音だけが、どこか物悲しげに響いている。小鳥や虫さえ鳴き声を上げず、不気味なほどの沈黙を保っていた。

 ヴォルフは教会を振り返り、その尖塔を見上げた。白く塗られた木製の十字架に、透けた黒い布のようなものが引っ掛かっている。古い教会であるにも関わらず、その十字架だけはやけに新しかった。

「……違う、十字架ではない」

「え?」

 問い返すジゼラの腰に腕を回して抱え上げ、ヴォルフはその場から飛び退いた。尖塔に刺さっていた十字架が音もなく抜け、つい数秒前まで二人がいた場所に何の前触れもなく雷が落ちる。

 大きく抉れた地面から立ち上る煙の焦げ臭さに、ヴォルフはひやりとする。何の疑いもなく教会に入ってしまった事を後悔したが、そんな事を考えている場合ではない。

 硬い表情のヴォルフを見上げ、ジゼラは不満そうに眉根を寄せた。

「だからどうせなら横抱きにしてくれと言っ」

「逃げろ。あれは『女教皇ヨハンナ』だ」

 十字架に引っ掛かっていた黒いベールがふわりと浮き上がり、地面へ向かって下りてくる。小振りのカーテンのようなそれに、何故か十字架がついてきた。

「女教皇」は、逆十字を携えたドレープカーテンのようだった。透けた黒い布地の向こうに小さな人影が見えるが、表情はおろか男女の判別もつかない。その姿は、子供がカーテンを被って幽霊の真似事をしているようにも見える。けれどそんな可愛いものではないのが、タロットというものだ。

 白い逆十字の先端に付いた真っ黒な球体に、三日月が浮かび上がる。球体の周囲に火花が散った瞬間、ヴォルフは再びその場から逃げた。球体から放たれた雷が轟音を上げて地面を穿ち、穴から黒煙が立ち上る。

 逃げた先にジゼラを下ろし、ヴォルフは懐から砂時計を取り出して、「女教皇」に見せ付けるように引っくり返した。風もないのに透けたベールが揺らめき、黒い球体に浮かび上がった三日月が、不気味に青白く光る。

 擦りガラスの中でさらさらと落ちていた砂の動きが、止まった。ヴォルフは苦々しく表情を歪め、砂時計を睨む。

「砂時計が……」

 出口を塞がれたようにぴったりと落ちなくなった砂を見て、ジゼラが呆然と呟いた。ヴォルフはメイスを背中のベルトから外し、右手に握る。

「あれは他より魔力が強い。杖を壊さねばどうにもならんぞ」

 ジゼラは不安げに砂時計を見つめていたが、ヴォルフがそれを懐にしまうと一転して表情を引き締めた。異形に向き直り、鞘を足で押さえて片手で剣を抜いた彼女の目には、一切の迷いがない。

「よし」

 少しは迷って欲しかった。ここまでついて来てしまった事もそうだし、隻腕で戦う事も。本人はあまり顔に出さないが、片腕で戦う事がどれほど気力を消耗するかは想像出来る。戦うなと言っても無駄だろうが、出来るなら安全圏にいて欲しいと、そう願っている。

 逆十字の先端についた球体が、くるくると回っている。そこに浮かび上がった三日月が、猫の目のように見えた。

 再び放たれた雷撃を避け、二人は同時に駆け出す。「女教皇」は迷わずヴォルフを向き、間髪容れず彼に向かって雷を放射した。足下を穿つそれを避け、ヴォルフはタロットの杖目掛けてメイスを振るう。

 大振りの鉄球はかなりの速さで迫って行ったが、タロットは易々と飛び上がってそれを避けた。ヴォルフは腕を持ち上げて軌道を修正し、遠心力に任せて頭上で一回転させたが、それも回避される。しかし「女教皇」の動きに合わせて跳んだジゼラの剣が、僅かにそのベールを裂いた。

「女教皇」が空中で一回転すると、布の裂け目がぱっくりと割れた。皮が剥けるように離れて行ったベールの下には、また同じ布がある。何事もなかったかのように放たれた雷を避け、ヴォルフは渋い顔をした。

「本体を裂いても無駄だ、あの逆さ十字を壊せ」

「一枚に見えたのに」

 残念そうに呟くジゼラは、ヴォルフの方へ向かった「女教皇」を見て慌てて後を追った。どちらが前だか分からないタロットの背後へ追い縋り、剣を振るうが紙一重で避けられ、杖を掠める事も出来ない。その間にも、「女教皇」はヴォルフに向かって雷を放つ。

 小刻みに放たれる雷撃が地面を抉り、ブーツの爪先を僅かに焼く。徐々に後退していたヴォルフは小さく舌打ちを漏らし、木の裏へ隠れた。

 雷が木を直撃し、太い幹を穿つ。辺りに焦げた臭いが立ち込め、衝撃で落ちた葉が舞った。穴の空いた箇所からめきめきと音を立てて倒れた木を避け、ヴォルフは大きく踏み出す。

 彼が距離を詰める間にジゼラは杖を叩いたが、木製に見えるにも関わらず逆十字はびくともしなかった。「女教皇」はジゼラには目もくれず、向かって来るヴォルフへ更に雷を放つ。彼は咄嗟に柄の端を持って体の前に翳し、メイスを立てて鉄球を地面に着ける。

「ヴォルフ!」

 柄の中程に当たった雷は、鉄の柄を通って地面へ落ちた。焦げた臭いが鼻を突き、黒い煙が立ち上る。避雷針代わりにされたメイスは静電気を帯びて熱を持っていたが、ヴォルフは構わず地面から引き抜いて、「女教皇」へ向かって大きく振るう。

 黒く焦げた土くれを巻き込みながら、鉄球が杖に激突した。轟音と共に木片が飛び散り、逆十字が砕けて真っ二つに折れる。「女教皇」がふわりと地面に落ちると同時、杖の先端に付いていた黒い玉が弾けた。

「え……な」

 ジゼラが目を見開き、驚愕の声を上げる。その視線の先では、黒いベールに身を包んだ少女が蹲っていた。

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