表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Turn Over  作者:
12/50

第二章 Lovers Port 二

 二


 ヴォルフは寝不足だった。部屋を別に取ったにも関わらずジゼラが夜中にやってきて、不安だから一緒に寝るとのたまったせいだ。宥めても帰ってくれない上に話している内にベッドを占領して寝てしまったので、部屋を移動せざるを得なかった。

 とんだ災難だ。こちらは寝不足だというのに、元凶のジゼラがやけに楽しそうで尚の事腹が立つ。

 朝食をとっている間も楽しそうに一人で喋り続ける彼女に対し、ヴォルフは無視を決め込んでいた。元々彼女が何を話していても、ろくに反応しないのだが。

「ん?」

「だからラクダは脂身ばかりでまず……ん」

 真っ先に剣を受け取ろうと向かった研屋は、閉まっていた。まだ午前中ではあるが、店が開いていないような時間ではない。

 何より、営業時間は昨日確認したのだ。看板を見る限り定休日でもないようだから、開いていないはずがない。それという事は、つまり。

「ジゼラ、諦めろ」

 小さな頭がゆっくりと上を向き、目が合った。ガラス玉のような目が不安げに揺れるのを見て、ヴォルフは後悔する。

 店主をもっと注意して見ていれば、こうなる事は予想出来たはずだ。研屋の中には、旅人が長く同じ町に滞留出来ないのをいい事に、預かった武器を遠くの町まで売りに行く者がある。無論、そんな事のない実直な研師の方が多い。今回は運が悪かったと言うしかないだろう。

「研屋に盗られたら、剣はもう戻らん。諦めろ」

 きついようだが、それが現実だった。盗られたものは二度と戻らない。何度も何度も転売され、どこか知らない土地へ行く。そういうものだ。

 ジゼラの表情が、今にも泣き出しそうに歪んだ。彼女のこんな顔を見るのは初めてだろう。

「そんな……だって、あれは」

 震える唇を、見ていられなかった。段々と青ざめて行く白い顔から視線を逸らし、ヴォルフは辺りを見回す。

 希望は殆どないに等しい。研屋というのは目が利くものだから、受け取った時点で高値で売れると判断すればすぐに売りに行ってしまう。それでも、放っておく訳には行かない。

 ヴォルフは再びジゼラを見下ろし、黙って手を出した。その大きな手に視線を落として大きく瞬きしてから、彼女は袖を掴む。不思議そうな顔を見る限り、条件反射なのかも知れなかった。

「捜すぞ。まだ近くにいるかも知れん」

 ジゼラは僅かに表情を緩めた後、唇を引き結んで大きく頷いた。袖を掴む彼女の手を引き、ヴォルフは一先ず町の入り口へ向かう。研師が町を出たなら、入口にあった自警団の人間が見ているはずだ。

 人混みではぐれないようしっかりと袖を握り、ジゼラは背後をついてきた。珍しく黙り込んだ彼女にとって、あの剣はどんなものだったのだろう。みすぼらしくなってしまってはいたが、この反応を見れば大事なものなのだという事は分かる。

 気になってはいたものの、聞く気は露ほどもない。そういう話は自分から口に出さない限り、聞きたくなかった。あまり深入りしたくないと、彼は今でもそう考えている。

 自警団詰所のドアを叩くと、程なくして黒い制服を着た団員が顔を出した。しっかりした体格の青年だったが、彼はヴォルフの顔を見上げて表情を硬くする。

 いつもこれだ。嘆きたくなるのを堪えた結果、ヴォルフの眉間に皺が刻まれた。青年は更に怯えた表情を浮かべる。

「研屋が出て行かなかったか」

「えっ……研屋? どの研屋ですか?」

 はたと顔を上げ、ヴォルフはジゼラを振り返る。どの研屋と聞かれても、店の名前も店主の名前も知らない。答えようがなかった。

 黙して曖昧な記憶を辿っている内に、ジゼラが背後から顔を出して青年を見上げる。白髪の彼女を見る青年の顔は、怪訝に歪んだ後赤くなった。

「あちらの通りの、丸パンがおいしそうなパン屋の前の、小さい研屋だ」

 曖昧だった。ヴォルフは何のヒントにもならないだろうと思ったが、青年は視線を流して首を捻る。考えるような仕草だ。

「ああ、どうだったかな……見てないかなあ。人通りが多いんで、見えなかったのかも知れません」

 曖昧すぎる説明で分かったようだが、何の役にも立たない返答だった。ヴォルフは落胆して肩を落とし、彼に背を向ける。ジゼラは青年にありがとうと言って、ヴォルフを追い掛けた。

 人が多いとはいえ、所詮砂漠の町だ。一日で一回り出来ない程広くはない。それでもしらみ潰しに探すとなると、流石に骨が折れるだろう。

「誰かに聞いてみよう。あの正面の、パン屋とか」

「お前はパンが食いたいだけだろう」

 図星だったようで、ジゼラは渋い顔をした。さっきまでの悲しげな表情はどこへ行ってしまったのか、のんきなものだ。

 人に聞くのはいいが、ヴォルフが話し掛けると逃げられるのだ。先程の青年だって、今にも逃げ出してしまいそうだった。当然ながら、彼自身好きで怖い顔になった訳ではない。

 ジゼラに促されるままパン屋に入って聞いてみたが、返ってきたのは分からないという答えだった。ついでに小腹が空いたのでパンを買い、二人は店を出る。また余計な金を使ってしまった。

「駄目だな、困った」

 全く困っていなさそうな声だった。ぼやきながらも、ジゼラは焼きたての丸パンにかじりつく。ゆっくりと咀嚼して幸せそうに頬を緩ませる彼女は、剣の事など忘れているのではないだろうか。

「手分けして聞いて回るか」

「こうしていると、デートのようだな」

 ジゼラはまるで人の話を聞いていなかった。ヴォルフはパンの袋を丸めて捨てながら、嫌な顔をする。

「常に二人だろう。何だ今更」

「違う。こう、一緒に食べ歩きが良いのだ」

 パンをかじりながら、ジゼラはヴォルフの背にぴったりと寄り添った。片腕がないから、食べながら袖を掴めないのは分かる。しかし、いちいち胸を押し付けるのはどうかと思う。仮にも年頃の娘なのだから、もっと配慮してしかるべきではないだろうか。

 ジゼラは不意に研屋の横の路地を覗き込み、少し考えてそちらへ入った。大通りを進もうとしていたヴォルフは、慌てて彼女の後を追う。

「お、買い物かい?」

 狭い路地の奥には、露店商がいた。通り沿いに店を出していないのは人が多すぎるせいだろうか。路地というのは大抵ゴミで溢れているものだが、この町の人はきれい好きなのか、紙くず一つ落ちていない。

「いや、聞きたい事がある」

 ジゼラが答えると、中年の商人は見るからに落胆した様子で乗り出していた身を引いた。それから彼は値踏みするように、ジゼラの爪先から顔までを見る。細められた目が、ヴォルフには嫌なもののように見えた。

 商人は胡座をかいた膝に頬杖をつき、視線だけでジゼラを見上げる。分厚い唇の端がつり上がり、その表情が好色な笑みに変わった。

「タダじゃ話せねえが、何だ」

 口調ががらりと変わっていた。商人など、客でないと分かると概ねこのようなものだ。

「ここの研師を見かけなかったか? 預けたものを取りに来たのだが、店が閉まっていてな」

 ジゼラは研屋の壁を拳の裏で軽く叩き、そう聞いた。商人はふうんと鼻を鳴らして、にやりと笑みを浮かべる。

「一発相手してくれりゃ、教えてもいいよ」

「何の相手だ?」

 ヴォルフは商人の言葉に怒るより先に、ジゼラの返答に呆れた。商人の方も、驚いたように目を丸くしている。どんな環境で育ったのか、不思議でならなかった。

「腕がねえだけじゃなくて、頭までアレか? 一晩どうだって言ってんだ」

「ああ、それは無理だ」

 納得したような声に、ヴォルフはまた驚いた。しかし背後で驚く彼には気付かず、ジゼラは肩越しに指を差す。

「私は身も心もその人のものでな。他人には渡せない」

 ジゼラが路地の脇へ避けると、商人はその向こうにいたヴォルフを見て身を硬くした。彼女に気を取られていて気付かなかったのだろう。

 ヴォルフは彼女の発言に、大きく顔をしかめた。怒っていると思ったのか、商人が慌てて視線を逸らす。

「な、なんだよ、彼氏持ちか」

「違う、他人だ」

 間髪容れずに言うと、商人は妙な顔をした。何があろうとそれだけは譲れない。

 ジゼラはヴォルフを振り返って、不満そうに唇を尖らせた。そんな顔をされても事実は事実なのだ。連れ立って旅をしているだけで、何の関係もない。間違っても肉体関係などないし、結んだ記憶もなかった。

「いつもああなのだ。好きだと言っても胸を押し付けてみても、何の反応も示さぬ」

 分かってやっていたのかと、ヴォルフは呆れた。何を考えているのか分からないのはいつもの事だが、余計に分からなくなる。彼女に羞恥心というものはないのだろうか。

「病気なんじゃねえのか? あんたも大変だな」

「そうかも知れぬ。全く苦労す」

「私は正常だ」

 遮るように強く言いながらジゼラに近付き、ヴォルフはその首根っこを掴む。正常でないのは、彼女の頭の中身だ。

 そのままジゼラを引きずるようにしてその場を離れ、ヴォルフは意味もなく左右を見回す。相変わらず人通りは多いが、とても通行人に声をかける気にはならなかった。ヴォルフが話しかけると逃げられるし、ジゼラが役に立たないのも理解した。

 襟首を掴まれたまま、ジゼラはふうんと鼻を鳴らす。溜息にも似た響きだった。

「困ったな、手掛かりもないぞ」

「困るのはこちらだ、余計な事ばかり言いおって」

 鋭く咎めてもジゼラは首を傾げるばかりで、言葉が通じているかどうかさえ分からなかった。そしてまた、手探りでヴォルフの袖を掴む。驚いて手を離すと、ジゼラは彼を見上げて微笑んだ。

 怒る気も失せて視線を巡らした先に、母親に手を引かれて歩く少女がいた。母の手をしっかりと握る小さな手を見て、ヴォルフは目を細める。少女を見ると幼い妹が思い出されて、切なくも懐かしくもあった。

「……そうか、そういう事か」

 袖を離される感覚を怪訝に思ってジゼラを見ると、彼女は眉尻を下げて肩を落としていた。明らかに落ち込んだような一連の動作を見て、嫌な予感がする。

「あなたは少女愛好家だったのか。だから私に見向きもしないのだな」

「違う」

 うちひしがれたように力なく首を振り、ジゼラは悲しげに笑った。普段は過ぎるほど楽天的なのに、どうしてそこだけは悪い方に考えるのだろう。しかも人の話を全く聞かない。

 憂いを帯びた彼女の表情は、美しかった。顔はいいが、言っている事は常人の理解の範疇を超えている。喋らなければいいのにと、ヴォルフは心の底からそう思う。

「だが大丈夫だ、それでも私はあなたが好きだぞ。必ず振り向かせて見せよう」

「だから違う。俺の話を聞け」

 ジゼラは目を見張ってしばらく黙り込んだ後、ゆっくりと頷いた。珍しい事もあるものだ。

 話を聞けと言ったはいいものの、これ以上この話を続けるのは周囲にあらぬ誤解を生みそうで嫌だった。結局何も話さず歩き出すと、ジゼラはコートの背を掴んでついてくる。

 買い物は昨日の内に終わらせたから、もう町を出ても問題ない。研師もここを出ているとすれば、今頃は別の町を目指しているだろう。今から追い掛ければ間に合うかも知れない。

 ジゼラと会ってから、寄り道ばかりしているような気がする。ペースを乱されて腹立たしくもあるが、周りを見る余裕が出来たのは確かだった。

 暫く歩いて町の入り口に向かっている事に気付いたのか、ジゼラは躊躇いがちに袖を引いた。通りの脇へ避けて立ち止まると、彼女はヴォルフの正面に回ってその顔を見上げる。長い髪が、肩口から背中へ滑り落ちた。

「見つからないだろうか」

 コートを掴んで縋るような目をする彼女に、妹の姿が重なる。仕事をする為に家を出た日、妹もこうしてヴォルフの服を掴み、行かないでと言ったのだ。あの時は今こうなる事など、知る由もなかった。

 あの頃は幸せだった。両親を失った傷も時間と共に癒え、たった一人残った肉親の為に日々を生きていた。妹と恋人と過ごすなんでもない日々が幸せで、これ以上はないとさえ思った。

 ジゼラにも、そんな頃があっただろうか。大切な誰かと過ごせる幸福な日々が、きっと彼女にもあったはずだ。

「そんなに大事なものなのか」

 ジゼラは困ったように眉根を寄せて、俯く。そこだけは薄紅色をしていたはずの唇が、引き結ばれて白くなっていた。伏せられた長い睫毛が白い頬に淡い影を落とし、表情が憂いを帯びる。

 話したくないのだろうか。下らない事はよく喋るくせにこういう時だけ黙り込む彼女が、ヴォルフには痛々しく見える。よく喋るのは話したくない事があるからではないのかと、勘繰ってしまうからだ。

 黙したままのジゼラに、何も聞く気はなかった。言いたくないのなら聞きたくもない。自分も同じ事だ。

 ヴォルフは黙って手袋を外し、寒々しいほど白い頭に掌を乗せる。つるりとした感触の髪を撫でてやると、ジゼラは驚いたように顔を上げ、僅かに頬を染めた。すぐに再び俯いた彼女の手が、コートをきつく握りしめる。

「……両親から、頂いたものだ。お守りにと」

 そうかとだけ言って、ヴォルフは頭を一撫でした手を離す。ジゼラは上目遣いに視線だけを彼に向け、残念そうな顔をした。

 時計を捜していた少年に親はいるかと聞き、更にたしなめたのは、自分にいないからだったのだろうか。考えても分からない事だが、そう思わずにいられなかった。

 人混みをかき分けてやっと辿り着いた町の入り口は、妙に騒がしかった。怪訝に思って見回すと、門の脇に人だかりができている。自警団を訪れた時は、あんな風に人が屯してはいなかったはずだ。

 妙な胸騒ぎを覚え、ヴォルフは人垣に近づく。外側にいた人が彼に気付き、ひっと小さな悲鳴を上げて道を開けた。有難いが、複雑だ。

「なんだ?」

「タロットが出たんだってさ」

 ジゼラはヴォルフに聞いたのだが、問いには人垣の中にいた女性が答えた。ヴォルフの表情が険しくなったが、買い物途中らしき女性は気に留めず、人だかりの中央を指差す。

「研屋が襲われたって。怖いねえ」

「研屋?」

 ジゼラが問い返すと同時に、ヴォルフが人垣を掻き分けて輪の中央へ入って行く。横へ避けられた人々は文句を言いたげに彼を見たが、その顔を見てやめた。こういう時だけは便利なのだ。

「だからウソじゃねぇよ、向こうのオアシスに『吊るされたハングドマン』が……ひいっ」

 人垣の真ん中で地べたに胡座をかいていた男は、間違いなくあの研屋だった。彼は人だかりを掻き分けて出てきたヴォルフを見て、怯えたような悲鳴を上げる。一瞬にして青褪めた研師に近付くにつれ、彼を囲んでいた人垣が少しずつ後退して行った。

「剣はどうした?」

 研屋は酸欠の魚のように口を開閉し、大きくのけ反った。拍子にバランスを崩して後ろへ尻と片手を着き、そのままの体勢で逃げようと後ずさる。

 ヴォルフの開けた道から出てきたジゼラが、研屋を見て眉をつり上げた。彼は更に手と尻で後退しようとするが、人の足にぶつかって止まる。

 一歩でその目の前へ立ち、ヴォルフは研屋の胸ぐらを掴んで片手で引っ張り起こした。勢い付きすぎて足が地面から浮いたので、少し下ろす。

「剣はどうしたと聞いている」

「とっ……取られちまった」

 眉間に皺を寄せて目を細くすると、研屋はまた小さく悲鳴を上げた。大方、逃げる時に落としたのをタロットに拾われたのだろう。この狡い男から普通に取り返すよりは、心労が少なくて済むかも知れない。

 振り返ると、ジゼラは拳を握り締めて研屋を睨み付けていた。ヴォルフは研屋の胸ぐらを一旦離し、首根っこを掴み直す。そのままジゼラの方へ押し出すと、彼は情けなくつんのめった。

「行くぞ」

 あれほど騒いでいた人々は、いつの間にか静まり返っていた。ジゼラの表情がにわかに厳しいものへ変わる。

「その男とか?」

「場所が分からんだろう。案内させる」

「えっ……」

 二人同時に視線を向けると、驚愕の声を漏らした研屋は肩を竦めて小さくなった。こすい手を使うからこうなるのだ。

「恨むのなら自分自身だ。行くぞ、歩け」

「うっ……ウソだろ」

 しかし研屋の呟きは完全に無視された。二人はそのまま怯える研師を連れ、町を出て行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ