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第一章 Desert Rose 十

 十


 懐の砂時計は、既に熱を持っている。混乱して逃げ惑う人々の波に逆らって足早に進むヴォルフは、焦っていた。

 まだ、どんなタロットが出たのかは判じかねる。しかし砂時計の熱さから考えるに、「力」のような弱いタロットではない筈だ。

 可能性があるのは隣の町に出たと言う「戦車」だったが、ヴォルフはまだそれを見た事がない。どんなものなのか分からない事が、余計に彼を焦らせる。

「荒野に出たのだろうか」

 ジゼラはヴォルフのコートを握ったまま、小走りでついて来ていた。重戦車のように人波を割って進むヴォルフの後ろを歩けば、人に当たる心配もない。

「分からんが、火の手は上がっていないな。まだ城壁の中へは入ってきていないだろう」

「でもいい匂いがするぞ」

 は、と問い返して振り向くと、ジゼラは鼻を鳴らしていた。

「何の匂いだ」

「肉が焼ける匂いだな。恐らく人ではない」

 そんな細かいところまで嗅ぎ取れるものなのだろうか。頭が弱い代わりに、鼻がいいのかも知れない。それもなかなか動物的だ。

 やっとの事で辿り着いた門は、当然閉めきられていた。横の(やぐら)で警鐘を鳴らしているから、方向はこちらのはずだ。しかしタロットの姿は、分厚い城壁に阻まれて見えない。

 しかし確かに、肉の焼けるいい匂いがする。懐の砂時計も熱を発しているから、タロットもいるだろう。

「なんだこの腹が減る匂いは」

「あなたもさっきケーキを食べただろう」

 冷ややかな声を無視して、ヴォルフは鋼鉄の大門についた出入り口に近付く。人一人がやっと通れる程度の小さなドアの前で、二人の衛兵が口論していた。この扉では、ヴォルフが通れるかどうか疑わしい。

 興奮した様子で口論する衛兵達は、どちらが見張りを続けるかで揉めているようだった。こんな状況下で、悠長に喧嘩している場合ではないだろうに。

 呆れて暫く眺めていると、二人はふと横に佇むヴォルフを見上げて同時に全身を震わせた。怖かったのだろう。タロットの脅威から町を守らなければならない立場だというのに、一般市民に怯えていてどうするのだろうか。

 全身を甲冑で覆っている彼らよりも、ヴォルフの方が大きく見えた。本人も怖がられる理由は分かっているから、衛兵を責めたりはしない。いい加減辟易してはいるが。

「どけ」

 短く言うと、衛兵達は同時にドアの前から退いた。ヴォルフの顔は確かに怖いが、情けない事だ。

 開けた扉から先に出ようとしたジゼラを止め、身を屈める。本当なら町の中にいろと言いたい所だが、彼女は聞かないだろう。ヴォルフは今度は頭をぶつけないよう、慎重に扉をくぐる。

 そっと荒野に出ると、肌を焼くような熱気が全身を襲う。荒野自体も暑いものだが、それとは明らかに違っていた。驚いて見た先には、案の定タロットがいる。

戦車(チャリオット)」と呼ばれるタロットは、真っ赤に燃え盛る肉の塊に二組の馬の足が生えたような、奇妙な姿をしていた。燃えているにも関わらず赤い肉の表面が焼けた様子はなく、てらてらとした生のままの質感を保っている。それでも焼ける肉の香ばしい匂いはするから、不思議なものだ。

 目を凝らして炎の中を見てみれば、肉塊の中央に巨大な唇があるのが分かる。更に肉の塊の上に宝冠が乗っていて、ヴォルフは一瞬そんなに高級な肉なのかと思う。

 コロネットの土台は黄金だが、宝石ではなく眼球が等間隔に並んでいた。時折動くところを見る限り、あの目は全て見えるものなのだろう。

 肉から直接生えた黒毛の馬の足はそれぞれが樫の木のように太く、巨大だった。八つの蹄は、全てが鋼鉄で出来ているかのように不気味に黒光りしている。あんな足で踏まれたら、どんなに堅固に造られた石の建物も倒壊は免れないだろう。

 あれはあの肉が頭部に当たるのだろうか。そう考えながら燃え盛る肉の塊を見て、ヴォルフは思わず喉を鳴らした。小さめの民家ほどはありそうな肉塊を見ながら、彼は腹を撫でる。塩を振って食べたかった。

「あれは、食えるのだろうか」

 続いて扉をくぐったジゼラが、呆れたように肩を落とした。

「あなたの三大欲求は食欲、食欲、戦闘意欲のようだな」

 三大欲求と言う割に、二つしかなかった。ヴォルフは食い入るように「戦車」を見つめたまま、メイスを固定するベルトの止め具を外し、その柄を握る。あの巨大な肉にかぶり付きたい気分だった。しかしそういう訳にも行かない。そもそも齧ったら間違いなく、自分が焼ける。

 メイスを握った瞬間、宝冠についた眼球の全てがヴォルフを見た。視線が向いたのを見計らい、彼は懐から砂時計を取り出して目の前に掲げ、ひっくり返す。肉の塊に表情はないが、炎の勢いが強くなった事で反応したと分かる。確かに目視したはずだ。

「あれ相手に、もつのか?」

 砂が落ちる速度は、予想とは反対に「力」ほど遅くない。しかし落ちきるまでどう戦うかと考えたところで、「戦車」の足が地を掻いた。ヴォルフの顔二つ分はありそうなほど大きな蹄が、地面を深く抉る。駆けて来るのかと思いきや、肉の塊が大きく口を開けた。その真っ黒な口腔の奥が、陽炎に揺らぐ。

 メイスを握りしめて迎え撃とうと身構えていたヴォルフは、小さく舌打ちした。長剣を抜いたジゼラの腰へ砂時計を持った腕を回し、その体を小脇に抱え上げる。思っていたより軽かったが、腰が細すぎて心配になった。

 大きく開いた「戦車」の口から、禍々しい程に赤い炎が吐き出された。「戦車」が意味するのは、復讐。あれが俗に、復讐の炎と呼ばれるものだろう。何に対しての復讐なのかは、ヴォルフにもよく分からないが。

 迫り来る業火をジゼラを抱えたまま避け、ヴォルフは「戦車」へ駆け寄って行く。その表情は真剣そのものだったが、一方ジゼラは不満そうに顔をしかめ、彼を見上げた。

「何故こんな犬のような持ち方をするのだ。どうせなら横向きに抱いてくれ、お姫さ」

「煩い、あれの後ろへ回れ」

 再び「戦車」の口腔から放出された炎を避けてから、ヴォルフはジゼラを地面に下ろす。いくら化け物でもずっと炎を吐き続けてはいられないらしく、「戦車」は一旦口を閉じた。一度放射してから次を吐くまでにタイムラグがあるから、ジゼラなら避けるのに造作もないだろう。

 馬の足は、ヴォルフの方を向いている。さすがにあの頭部が回転する事はないだろうから、後ろへ回ってしまえば体当たりされる心配はないはずだ。背面に口がない保証もないが、身の軽いジゼラなら問題ないだろう。そう思いたい。

 血走った眼球の半分が背後へ回るジゼラを追ったが、炎はヴォルフに向かって放たれた。彼は襲い来る火柱を避けて、馬の足をメイスで殴り付ける。鈍い音がしたから確実に膝は割れたのだろうが、二対あるから一つ潰したところで大した意味はないだろう。こういう時だけは、相棒にメイスを選んだ事を後悔する。

 先に目を潰した方が早そうだ。そうは思うが、「戦車」の目はヴォルフの遥か頭上にある。流石にあそこまでは跳べない。

 足を一つ潰された事で、「戦車」が纏う炎が一層強くなった。あまり近付くと火が移りそうで、ヴォルフは一旦距離を取る。

 二対の太い馬の足が、走り出そうとするかのように地を蹴る。しかし、動くのは口ばかりだ。足の動きは牽制でしかないのかも知れないが、そう思って油断していると突然動き出すのがタロットだ。一見知性がないように見えるが、彼らは概ね、人間と同程度かそれ以上の知能を持っている。

 炎に包まれた唇は、乾ききってひび割れていた。そのくせ肉の塊はてらてらと光っているから、余計に気味が悪い。肉の中央にぽつんと置かれたような口は、不気味にも滑稽にも思える。

「戦車」の口腔で、陽炎が揺らぐ。ヴォルフは放射された炎を避けようと横へ跳んだが、僅かに避けきらずコートの裾を焼かれた。一張羅だというのに。

「気持ちの悪い目だな。眼球だけとは」

 背後へ回ったジゼラがひょいと跳んで、土を蹴り上げた馬の蹄を踏み台に、高く跳躍した。左袖が風に靡いて舞い上がるが、彼女が気にする様子はない。全身バネのようなその跳躍力は称賛に値するが、褒めている場合でもなかった。

 ジゼラは黒いコートを翻して飛び上がった先で、眼球を三つほどまとめて斬った。そこで初めて、「戦車」の口から馬の悲鳴が漏れる。高いいななきは乾いた空気に乗って岩壁に当たり、長く反響した。

 眼球の裂傷部分から、タールのようにどす黒く、ねっとりとした血が流れる。それを血と呼んでいいのかどうかさえ、分からなかった。

「戦車」の唇が、大きく慄いた。目を潰されて怒ったのかも知れない。ヴォルフはちらりと砂時計を確認してから避けようと身構えたが、タロットが炎を吐く事はなかった。代わりに馬の前肢が高々と持ち上がり、バラバラに宙を掻く。

「ジゼラ離れろ、動くぞ」

「足を先に斬れば良かったな」

 ジゼラが「戦車」の更に後方へ退いた瞬間、馬の足が駆け出した。巨体の割にかなりの速度だったが、ヴォルフはぶつかる寸前で横へ避け、すれ違いざま後肢に向かってメイスを振る。鉄球は運悪く蹄に当たって跳ね返され、持ち主の横を勢い良く通りすぎた。あれに激突されたら、ひとたまりもないだろう。

 得物を手元に引き戻し、ヴォルフは「戦車」を追う。彼より早くジゼラが追い付き、背後から太い後肢を二本、まとめて斬り捨てた。真っ黒な血飛沫を上げながら、切り落とされた足が地面に落ちたが、その切断面はただ黒いだけだ。無傷な足が蹴り上げようとするのを慌てて避け、ジゼラは異形から離れる。

「まだか……」

 ヴォルフは砂時計を横目で見て呟きながら、方向転換して向かって来る「戦車」と対峙する。黒い砂は、まだ上部に三分の一ほど残っている。闘牛でもしているような心境だった。

 肉の焼ける、いい匂いがする。それに気をとられている間もなく炎の熱気が全身を襲い、ヴォルフは鬱陶しそうに顔をしかめた。「戦車」と衝突する寸前で再び横へ飛び退き、狼のように鋭い双眸を、擦れ違おうとする巨体へ向ける。同時にメイスを振るうと、今度は後肢に当たった。

 太い枝を折ったような鈍い音がして、馬の足がひしゃげた。あらぬ方向へ曲がった足はよろめきながら数歩ばかり前へ進んだが、巨体を支えきれず、結局地面に崩れる。ジゼラが安堵の息を吐いた。

 肉の塊を覆う炎は、少し弱まっていた。宝冠についた眼球が慌てたように忙しなく動き、肉塊が蠢く。ヴォルフは鼻を鳴らして食欲をそそる匂いを嗅ぎながら、目を細くする。

「……旨そうな匂いだな」

 ヴォルフが呟くと、ジゼラが剣を振って付着した体液を飛ばしながら近付いてきた。その表情は渋いものだ。

「あれを食いたいと思うのかあなたは」

「肉には変わりなかろう」

「タロットとは思念体なのだろう。味はしないのではないか?」

 珍しく正論だった。はっとして、ヴォルフは「戦車」を見る。前肢だけでなんとか立ち上がろうとしているが、後肢を三本潰されては、流石に動けないだろう。

 そういえば、あれは邪念の塊でしかなかった。肉の焼けるいい匂いも、人の食欲を象徴したものなのだろう。

「……騙された」

「砂時計はまだか?」

 ジゼラは落胆したように呟くヴォルフを無視して、そう聞いた。砂時計の中身は、既に大半が金色に変わっている。

 もうそろそろ、いいだろう。ヴォルフは「戦車」の動きを注意深く見ながら、正面へ回る。眼球の瞳が全てヴォルフを向き、唇が大きく歪んだ。また炎を吐くものかと思われたが、異形は火ではなく、言葉を放つ。

「愚者よ。まだ諦めんのか」

 タロット達は皆、ヴォルフを愚者(フール)と呼ぶ。恐らく彼自身ではなく、砂時計の中に入っているカードの事なのだろう。言われていい気はしないが、反応したくないので、話し掛けられても無視するようにしている。

 それにしても、妙なものだ。この砂時計に入っているカードは、もう一枚あるというのに。何故どのタロットも、愚者と呼ぶのだろうか。

「諦めたら、私のしてきた事は全て無駄となる。『戦車(チャリオット)』よ」

「戦車」の目が、ヴォルフが突き出した砂時計へ釘付けになった。上部の砂が全て落ち、曇りガラスが淡く光る。優しくも、美しい光だった。

「正位置へ直り、その意を取り戻せ」

 馬の嘶きが、荒野に響き渡る。「戦車」の全身が瞬く間に黒く変わり、「力」と同じように、弾けて金の粒となる。さらさらと砂金が零れた後、黄金の宝冠が、地面に転がった。

「戦車」は、あれを触媒としていたのだろう。ヴォルフは降り積もった砂金に歩み寄り、宝冠を拾い上げる。元はどこかの上級貴族の持ち物だったのだろうが、彼はこれがどんな階級の者が被るものなのか、知らなかった。

 懐に砂時計をしまってから砂金を集め始めると、ジゼラが近付いてきて手を出した。ヴォルフは彼女の白い手に、黄金のコロネットを乗せる。

「伯爵のものだな。没落した貴族の持ち物かも知れぬ」

 砂金を全て小さな布袋に入れ、ヴォルフは立ち上がる。何故分かるのか、疑問に思っても聞く事はしなかった。

「誰のものでも構わん。売るだけだ」

 ジゼラは暫く宝冠を見詰めていたが、小さく頷いて、それをヴォルフに渡した。一旦町へ戻ろうとメイスを背負い直したところで、ジゼラが袖を掴む。

 視線を落とした彼女の白い頬に、長い睫毛が淡い影を落とす。何を思うのか聞きたくとも聞けないのは、自分の事を話したくないからだった。彼女も昔の事を話さないし、自分も過去を話さない。それでいいと思っている。

「あの子のお父様も、アルカナになるのだろうか」

 一旦町へ戻ろうと歩き出すと、ジゼラはぽつりと呟いた。何を考えているのかと思えば、そんな事だったのだろうか。

「誰しも、死ねばそうなる可能性はある」

 憂いを帯びたジゼラの顔から視線を外し、ヴォルフは行く手に佇む石の城壁を見据える。あれがタロットに対して、どれほどの抑止力となるだろう。誰しもが命を落とす可能性があり、アルカナと化す可能性も、等しくある。

 それでも人は、驚異に晒されながら生きている。真に恐ろしい事が死なのか、化け物となる事なのかも、分からないままに。

「私が死んでアルカナになったら、二度目はあなたが殺してくれぬだろうか」

 ヴォルフは一瞬凍りつき、後れてジゼラを見下ろす。青みがかった灰色をした澄んだ目は、真っ直ぐに彼を見上げていた。

 彼女は何を考えていたのだろう。そんな事を頼まれる義理はないし、謂れもない。けれどその台詞に、違和感も覚える。危惧しているというよりは、何かを期待してした発言のように思えたからだ。けれどそれが何なのか、ヴォルフには分からなかった。

「お前が死んだら、私が頭を潰してやろう。アルカナにならんようにな」

 死なせないとは、言えなかった。守りきれる自信はなかったし、そんな言葉を掛けてやっていいような関係ではない。

 我ながら冷たい返答だと思ったが、ジゼラは微かに笑った。その表情が嬉しそうに見えたので、こんな言葉を望んでいたのだろうかと、ヴォルフは思う。

「それでいい」

 彼女も大概、愚かではないのだ。

 ヴォルフは何も言えずに黙り込み、ジゼラから視線を逸らして下を向く。そして町へ続く大門についた扉を開け、中へ入ろうとして、鋼鉄の枠へ強かに頭をぶつけた。


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