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お側においてくださいませんか?

作者: 茉莉花
掲載日:2026/06/18

「どんなことでもしますから、お側においてくださいませんか?」


 突然告げられた言葉にギルバートは唖然とする。

 今、彼の目の前には一人の令嬢が立っている。

 綺麗な若草色のドレスにキャメルブロンドの髪がなびいている。大きい丸いブラウンの瞳に真っ直ぐに見つめられると、あまりの真剣さにギルバートは目を逸らした。


「急にそんなことを言われても困る。そもそもどこの令嬢だ?名乗りもしないなど、不審である以外のなにものでもないだろう?」


 彼女の手には一通の封筒が抱えらえれていた。慌ててそれを渡される。


「お側においてくださるなら何でもいいんです。今から、一年間だけ……」


(訳ありか?)




 ここは、アディントン伯爵の屋敷だ。広大な領地には森もあり、長閑で緑豊かな田舎である。そのためか、首都からの逃避場所として選ばれることもある。

 目の前の令嬢は、どこぞの貴族令嬢に見えた。彼女もまた、逃げてきた一人なのだろうと考えた。


「はぁ」


 ギルバートは大きなため息をつく。


(めんどくさいことに巻き込まれたな……)


 封筒を開けると、職業斡旋所からの紹介書類だった。

 家門はわからなかったが、身なりからして貴族だろう。

 手順を踏んでいる以上、無下にもできない。

 ギルバートは仕方なしに、彼女を下働きではなく行儀見習いとして雇い受ける判断をした。



「では、行ってくる」


「いってらっしゃいませ」


 執事が代表してあいさつする中、並んでいる使用人の中に彼女を見つける。

 仕着せを身につけている姿に違和感がありつつも、まとめ上げた髪により、一層に瞳の大きさが際立った。

自分に向かって一礼している。しかし、貴族令嬢のような所作が抜けきらない。

それなのに本人は気にした様子もなく、他の使用人たちに混じっていた。

ギルバートは馬車に乗り込んだ。


 この日は友人邸で夜会が開かれる。




 ギルバートは現アディントン伯爵。両親である先代伯爵夫妻は出先での事故でなくなっていた。

 特別仲が良かったわけではない両親が一緒だったことには驚いたが、きちんと仕事は務めていたから、真面目な二人ならではの最後だったと思っている。二人は政略結婚。伯爵家を運営するには良きパートナーとなったのだろうが、愛しみや慈しむ様子などなかったから、結婚に愛は必要ないと考えていた。


 そんなギルバートは二十五歳。伯爵家当主であることを考えるとそろそろお相手を探さなければならない。しかし、打算が見え隠れする貴族社会に、ギルバートの心は曇っていった。




「久しぶりだな、ギルバート。相変わらず動物と散歩する毎日か?」


「散歩じゃない。森の管理だ、エルトン」


「そんなこと言って、以前君を訪ねたら、膝の上にうさぎを乗せていたじゃないか」


「いつもというわけではない」


 二人は握手を交わすと近況について語る。


「父上が身を固めろとうるさくてね。最近は釣書とにらめっこさ」


「え?君が?」


「爵位継承の条件は、私の結婚なのさ。私たちもいい年だろう?そろそろ考えないと、今度は行き遅れるからな」


「行き遅れるって……」


「甘く見るなよ? 釣書見て驚いたよ。案外適齢期のまともな令嬢はいないもんだぞ」


「君が高望みし過ぎなんじゃないか?」


「いやいや。結婚となると生涯を共にするんだぞ?条件も大切だ。伯爵夫人に迎えるわけだからな」


 人差し指を立て熱心に演説するエルトンに、ギルバートは目を細くする。


「だって、また離縁の話を聞いたんだ」


「侯爵家だっけ?今度は?」


「財産目当てだったらしいぞ。夫人が食いつぶしたらしくてな。どおりで羽振りがよくみえたわけだ」


「出身は男爵家だったっけ?」


「結局、愛だの恋だの言ってあんなものだ。私はここまで十分遊んできたからな。今後は生涯のパートナーを探すとするよ」


 ギルバートは静かに頷いた。


(結婚とはもはや契約だな)


 見目も地位も華やかな二人の元に令嬢が群がる。

 皆、伯爵家に相応しいものは自分だとばかりに家門や年齢を引き合いに出す。


(彼女らにはそれしか誇れるものはないのか……)


 それも致し方ないか。そう育てられているのだ。

 令嬢らの強い香りに酔ったギルバートは、エルトンに挨拶すると帰路についた。




「おかえりなさいませ。お早いお帰りでございましたね」


 執事のヘンリーはにこやかに尋ねる。


「あまり人混みは好まん」


 眉間に皺を寄せながら、脱いだ上着をヘンリーに渡す。


「人付き合いも必要でございましょう。人脈から得られることもございますから」


 使用人らがきれいに整列しているのを見渡す。

 その中には、先日突然押しかけてきた娘の姿もある。


(そういえば、彼女もあの中の一人だったのだろうか)


 貴族社会に揉まれた令嬢らを思い浮かべる。

 しかし、彼女は自分の出自を一切語らなかったと、ギルバートはふと思うのであった。




 執務室ではたくさん積みあがる書類を前にギルバートが唸っていた。


「いかがなさいましたか?」


 侍従のロイは書類を整理する手を止めた。


「先日の暴風雨の影響は思いのほか大きいな」


 ロイはギルバートが手にしている書類を覗き込む。


「領民の生活に関わる箇所は整備を終えましたが、森の中はまだまだ倒れた木がそのままになっていますからね」


 橋の修復と崩れた道の整備を終えていた。

 しかし、森の奥はまだまだ行き届いてはいなかった。


「ここ最近は晴天も続いているし、足元はだいぶ乾いているだろう。視察をするか」


「直接ご覧になるのですか?」


「ああ、ちょっと気になることもあってな」


 ふと窓の外を見る。そこには笑い声と共に、洗濯をしている使用人らの姿があった。


(随分と楽しそうだな……こんな姿見たことなかったが……)


 目を凝らすと、その中心にいたのは先日雇った行儀見習いだった。

 顔に泡がついているのを指摘されている。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。




 ロイを連れて森の中に来たギルバートは、整備が必要な箇所を調査していく。


「倒れた大木を処理すれば動物たちへの影響も少なくて済むか。通り道を塞いでいないものは彼らも活用しているようだしな」


 そこには、倒木を新たな住処にしている動物がいた。


「調査も終わりましたし、そろそろ戻りますか?もうすぐ日が沈むと思いますので」


 しかし、ギルバートは辺りを見回し、何かを探している。


「いかがなさいましたか?」


「あ、いや……。うん、戻ろう」


(いつもなら、寄ってくるのだが……。怪我の処置もしてやったんだがな……)


 暴風雨の翌日、ギルバートは倒木に挟まれていた一羽のうさぎを救った。

 彼がこの森でよく見るうさぎだった。怪我の処置もして森に返したが、この日は現れなかった。




 季節は廻り太陽の花が陽光を追うようになった。

 春の嵐が残した傷跡も少しずつ自然に還り、動物たちも新たな環境に馴染んでいる。

 春風と共に屋敷にやってきた令嬢ステラもまた、使用人たちにすっかり慕われ、今では信頼を寄せられる存在になっていた。


 ギルバートは今日も執務室にいた。


「そろそろ休憩にしませんか?」


 ロイに声をかけられ、ふと時計を見る。


「もうそんな時間か……」


「糖分を補給しませんか?今日はステラが菓子を焼いたそうですよ」


「彼女が?」


 気を遣って行儀見習いとしたのだが、本人が何でもすると宣言した通りに、本当に何でも仕事をこなした。

屋敷内の掃除も、花を飾るのも、お茶を出すのも、寝具を整えるのも、水仕事まで。

何でも一生懸命にこなしていく。

仕えることは大変だったろうに、彼女は毎日楽しそうに過ごしていた。

この日は、お菓子を焼いたという。

タルトには色とりどりのベリーが乗っている。


「うん。酸味があってちょうどいいな」


 生地も甘すぎず、ギルバートにとっては美味しいと思えるものだった。


(ベリーか……)


 ギルバートは窓を見る。日差しが穏やかに差し込んでいる。


「ロイ。今日はこのまま終わりでいいか?」


「ええ。ある程度処理できてますし……。何か御用が?」


「ああ、少し出かけてくる」




 ギルバートは森に足を運んだ。

 緑に包まれ、木陰はとても気持ちが良かった。

 新しい倒木に腰かけると、持参した本を読み始めた。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 本から視線を上げたギルバート。彼の周りにはリス、キツネ、鹿が集まっていた。


「ははは。こんなにいたのか」


 ギルバートが手を出すと、彼らは鼻先を寄せる。


(……)


 しかし、彼の目当ての子がいないことに気が付いた。

 この時期ならば、森で休んでいれば、彼の側にはいつの間にかベリーが置かれているはずだった。置いていく瞬間には気付かないのだが、後ろ姿を見たことがある。


(どうしたんだろうか……)


 あの子の温もりに触れられないだけでなく、見てもいない。

 心に小さな影を残した。




それから数日後のこと。この日は夜会に招待されているため、ギルバートは着飾り、馬車の準備を待っていた。


(ん?)


 窓の外ではステラが庭師と花を植え替えていた。


(今日は土いじりか)


 ステラは本当にいろいろなことに取り組んでいるようだった。

 ギルバートは毎日、屋敷のどこかで彼女を目撃した。

 ステラが庭師に指をさされて笑われている。

 ステラの頬には泥汚れがついている。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。


(そういえばあの子も、穴掘りが好きだったか……)


 頬に土をつけている様子が、あのうさぎを思い起こさせた。




「やあ、ギルバート。最近はどうしてた?また森林浴でもしてるのか?」


「そんなに暇じゃない」


 エルトンは相変わらずギルバートをからかうことから始める。


(そういえば、最近は森に足を運ぶ回数も減っていたな……)


 いつからだろうかと考える。


(あの子を見なくなってからか……)


 茶色い毛並みのあの子を見かけなくなってから、森に行くことに躊躇するようになっていた。


(あの時の傷は、悪化してしまったのだろうか)


 もしかしたら、もういないのかもしれない。その事実を受け入れるのが怖くて、あえて避けていたような気がしていた。


「顔色悪いぞ? 何かあったか?」


「いや、ああ、まあ」


「どうした?」


「……見ないんだよ。最近。君も見かけた、膝の上に乗っていたウサギが……」


「ウサギ……」


 すると、「そうか」とエルトンは優しく微笑み、ギルバートの肩をたたく。


「君のお気に入りだったんだな」


 エルトンの言葉に、この心の影の意味を理解した。


「そうだな。気に入っていたんだ……」


 管理しなければならないこともあったのだが、何かあってもなくても、ギルバートはよく森へ出かけた。そのたびによく見かけたウサギだった。

 ただ寄り添っているだけの時もあれば、遠くから覗き見ているだけの時もある。

 その距離感は、ギルバートにとって心地の良いものだった。

 特に気分が落ち込んでいた時には、森に行っていたような気がする。


(癒されていたんだな……)


「野生動物だ。いろいろあるんだろう……」


「ああ、そうだな」


 エルトンはギルバートの背中をトントンと叩いた。

 二人はワインを手にすると話題を変えた。


「そうだ、君は最近どうだ?釣書を見ていると言っていたが、良縁はあったかい?」


 エルトンはにやりと口角を上げた。


「家門も年齢もちょうどいい令嬢を見つけたんだ。姿絵も素敵だった。今度会う予定だ」


「え?条件が合ったということか?」


「条件はね。あとは相性だな。やはり、生涯を共にするんだ。一緒にいても良いと思える人が良いからな」


「とはいえ、会うところまで話が進んでいるなら、時間の問題だな」


「独身から抜けるのは私が先かな、ギルバートくん」


「君が振られることは考えてないのか?」


「私たちの条件を考えたらそれはないだろう。さ、今日も相手するとしようかね」


 二人を見つめる多くの視線に、二人は対峙するのであった。




最後までエルトンと共に夜会に参加したギルバートは疲労困憊で帰路についた。

星空はどこか、寂しさを感じさせた。この日は月が出ていなかった。

屋敷に入るとどこか落ち着いた。沈んでいた心が少しだけ浮き上がる。

部屋に入り、寝るための支度をしていると、花が生けてあるのを見つけた。


「ロイ、これはどうした?」


 服を整えていたロイは振り返る。


「ああ、それですか? ステラですよ。見繕ってきたようで。屋敷中の花を入れ替えていましたよ」


「屋敷中……」


 部屋に飾られていた淡いピンクの花は、奇しくもあの森のうさぎを思い起させた。

森の開けた場所によく咲いていた花だ。

あのうさぎは、なぜかその花畑がお気に入りだった。

花の中で丸くなって眠っていることもあれば、花を踏まないように跳ね回っていることもあった。


(よくあの子がこの花に囲まれていたな……)


 屋敷中がその花で飾られているということに、ギルバートはあのうさぎを近くに感じた。

 胸の奥の寂しさが、少しだけ和らいだ気がした。

 



 秋が来る。木の実が実る。木々が黄色や赤に色づき始めて、動物たちは肥え始めた。


 この頃になると、今日はステラがどこにいたのか気になるようになる。


「ここにいたのか」


 この日は厨房にこもってナッツのパンを焼いていた。ちゃっかり味見もしている。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。




 ある日は庭の落ち葉を片付けているのを見つける。

 この日は風が強く、集めても集めてもまた落ち葉は増えていった。

 ステラの前は片付いたが、後ろを振り返ったステラが呆然と立ち尽くした。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。




 翌日には集めた落ち葉で焚火をしていた。どうやらこっそりイモを焼いていたようで、ステラは口いっぱいに頬張っている。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。


 ステラを見かけるといつも面白い。何をしていても可愛らしいのだ。

 今日は何をしているのか?何をしでかしているのか?

 彼女自身が癒しだった。





「最近楽しそうだな」


 エルトンに言われ、ステラが頭をよぎる。

 彼女と特別何か話をしたわけでもない。一緒に何かしたわけでもない。彼女を見ているだけだった。


「うさぎに代わる子が現れたのかい?」


「……そう、なのかもしれない」


「それは、よかったな……」


 エルトンの声音が元気ないことを不思議に思ったギルバートは、今度は聞き役に回る。


「君は?縁談は進んだのか?」


 ちらりと顔をあげたエルトンは、視線を落とす。


「破談になったよ」


「え?」


「誠実な娘だったな。だから惹かれたところもあるのだが……」


なにが良くなかったかとギルバートは耳を立てる。


「契約結婚を持ち出してきたよ。そもそも私が遊び人だったからちょうどいいと思って縁談を申し込んできたらしい。彼女には身分差により結ばれずにいる恋人がいてね。私の恋愛に口を出さない代わりに、恋人である従者も共に輿入れしたいと言い出してな」


 ギルバートは声を失った。


「私は確かに恋多き男だったかもしれないが、重なって恋をしたことはない。一人ひとりには誠実だったさ。妻がいるというのに恋をしようなんてこれっぽっちも考えてなどない。純愛を貫き通したい彼女に同情するところはあるが、私には関係ないのでね。破談とさせてもらったよ」


エルトンは静かに笑った。


「そんなに貫き通したい愛ならば、家でも出たらどうだと言ってやった。彼女は絶句してたな。そんな考えはなかったんだろう。貴族であることは捨てる気はなかったんじゃないか?愛する人と一緒にいるために、他の男と結婚しようとする女だ。私を利用し契約しようなどと、己の不誠実さを披露するだけだったな」


 エルトンは肩をすくめる。


「それなのに、『恋人がいるんです』なんて正直に打ち明けるとは。ほら、彼女は誠実だろう?」


 皮肉なものだとエルトンは鼻で笑う。


「それで、その令嬢はどうなったんだ?」


「婚約を交わしていたわけではないから、互いに影響はないからな。そこで普通に社交しているよ」


 綺麗なドレスを身にまとい、歓談している令嬢がいた。


「愛を貫かなかったということか?」


「どうせ、今までの生活に戻っただけだろう?」


 エルトンもまた、愛を知らない。二人の男たちに愛を語るほどの経験はなかった。




 ギルバートは、ステラを見ているだけでなく、いつの間にか、彼女を探し、目で追っていることに気づかされた。


──うさぎに代わる子が現れたのかい?


(あの一言が、私を意識させるには十分だ……)


 屋敷が居心地のいい場所になっていたのはいつからだろうか……。

 それは自分だけではなく、アディントン邸全体の変化に繋がっていた。

 眉間に皺を寄せる仕事ばかりの当主の元で働いていた彼らの顔に笑みが添えられるようになった。そして、その仕事ぶりも充実したものだった。

 うさぎが感じさせてくれた穏やかな空間を、彼女が作り出している。

 そう思ってしまったら、毎日彼女を探さずにはいられなかった。




 この日はまた庭掃除をしている。

 紅葉も終わりを迎え、木々が寒々しくなってきた。落ち葉をかき集める仕事も、もうじき終わりを迎えるだろう。風が吹くたびに木の葉がひらりと落ちていく。

 ステラは箒をにぎり、せっせと落ち葉を集めていた。この日も彼女の前には落ち葉の山ができ、後ろには新しく落ち葉が増えている。


「それでは終わらないぞ?」


 ステラは後ろから聞こえた声に飛び跳ねた。


「だ、旦那様!」


 慌てて振り返り主を確認したステラの頭には、葉が一枚ついている。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。

 ギルバートは手を伸ばし、その葉を彼女の頭から取った。


「髪飾りにしてはやけにシンプルだな」


 その扇形の黄色い葉をステラに手渡した。


「あ……。とってくださってありがとうございます」


 ぴっと姿勢を正した姿が妙に愛らしく思え、ギルバートはわずかに口角を上げた。


「もう半年になるが、この生活には慣れたか?」


「はい。突然現れた私に対し、皆さんとてもよくしてくださって、とても感謝しております」


 丁寧に頭を下げるステラ。その頭にはまた一枚、黄色い葉がついていた。


「ならばよかった」


 ギルバートがさりげなくもう一枚の葉もとってやると、その動きに驚いたステラが顔を上げた。


「またついていたぞ」


 再びとった葉をステラに渡すと、ギルバートはその場を後にした。

 この日から、ギルバートはステラに、一日一回は声をかけるようになっていった。




「何を植えている?」


 真上から声をかけられたステラはビクッと体を震わせた。


「だ、旦那様!」


 この日は庭師と手分けして作業をしている。


「球根を植えております」


「球根?」


「はい。春には綺麗に並んで咲くと思いますよ」


 綺麗に並んで咲く花を思い浮かべたギルバートは、その揺れている様子を思い浮かべると、なんとなくステラの笑顔が頭に浮かんだ。


「それは見事だろうな。楽しみにしている」


「……」


 反応のないステラに、ギルバートは首を傾げる。


「どうした?」


「いえ」


 ステラは球根に視線を戻すと、続きを植え始めた。





「こんなところにいたのか……」


 この日は探しても探しても見つからず、日の当たる一室でようやくステラを見つけたギルバート。


 しかし、このつぶやきに反応するものはいない。


「ふっ」


 ギルバートは思わず笑った。


 ステラは取り込んだシーツの山に埋もれるように、丸くなって寝ている。


(これじゃ使用人失格だぞ……)


 ちょうど陽だまりになっていて、寒くなってきた外に比べてとても暖かい。

 探していたのはギルバートだけではなかった。次の仕事場に現れないと心配した他の使用人も探していた。では、自分も手伝おうとギルバートも探していたのだ。


(起こしてやらねばならんのだが……)


 とても気持ちよさそうに寝ているステラ。

 ギルバートはそっと隣に腰を下ろす。

 手を伸ばすと、顔にかかっている髪を流してやる。

 その穏やかな寝顔を見て、心が温まるのを感じる。

 ギルバートは時の流れを忘れ、しばらくその寝顔を見つめた。



「おや、こんなところにおられましたか」


「これは、お声掛けできませんね……」


 ヘンリーとロイは、他のものに気づかれぬようにと、そっと扉を閉めた。





 外が明るく輝く季節になった。一面の銀世界は田舎の特権でもある。

 森の動物たちは各々寒さを越している。時々雪うさぎやキツネが顔を出すが、外で動くものは見かけなくなった。

 窓の外を見てギルバートはため息を一つつく。

 そんな様子にロイは小さく息を吐いた。


「旦那様。そろそろ休憩になさいますか?今日はリネン室を覗かれてはいかがでしょう」


「リネン室?」


「はい。侍女ら総出で針仕事をしているようですよ」


「……」


 ギルバートはちらりとロイを見上げる。

 ロイはニコニコと微笑んでいた。


「……ああ、図書室に行くついでにな」


 ギルバートは席を立ち、部屋を後にした。




「ステラ、随分上達したわね」


「先生の教えが良いからよ」


「あら、先生って呼んでくれるの?」


 ふふふとランドリーメイドは笑っている。


「そうだ、ステラ。刺繍はしないの?」


「刺繍?」


「そうよ。きっとお喜びになるわ。あっ、噂をすればね」


「?」


 ステラが首を傾げると、後ろから声がした。


「今日は針仕事か?」


「あっ。旦那様……」


 他の使用人らは少しお尻を浮かせ少しずつ横に詰めると、隙間を空けた。

 すると、空いたステラの横に、ギルバートは腰掛けた。


「随分といろんなことを学んだな」


 ギルバートはステラの手元を見て、ステラの顔に視線を移す。


「私はお役に立てていますか?」


 その言葉にギルバートは目を見開く。

 そして、ふっと目を細めた。


「もちろんだ」


 ステラは満面の笑みを浮かべた。




 ギルバートはエルトンも出席する夜会に向かっていた。この日の主催である侯爵邸は街を通った先にある。

 ギルバートは御者に声をかけると馬車を止めた。

 街に立ち寄ると、ギルバートは一つの店に入った。

 黄色いリボンで作られた髪飾りを手に取ると自然と口角が上がる。


(あの娘に似合うだろう……)


 ステラの笑顔が頭に浮かぶ。

 二枚のイチョウの葉を連想させたこの髪飾りを箱に詰めてもらう。

 今まで女性に対してこんなことをしたことはない。

 ましてや、使用人に贈り物を用意するなんて。

 思わずにやけてしまいそうな顔を片手で隠す。


(こんな想いを抱いてもいいのだろうか……)


 ギルバートは、心に灯った火を大切に守るように包み込んだ。




「やあ、ギルバート」


「やあ、エルトン」


 二人は握手を交わす。


「上機嫌だな。いいことでもあったか?」


「ああ」


 ギルバートの柔らかい表情にエルトンは微笑む。


「うさぎに会えたのか?それとも、代わる子の方か?」


「うさぎの代わりってわけではない。ただ彼女がかわいくて……」


 エルトンは瞬きをする。


「今、なんと……?」


 エルトンは目をこれでもかと開いている。


「彼女……かわいい⁉君の口からかわいいなんて言葉を聞く日が来るなんて……」


 しまいには口まで開いている。

 事情を聴いてさらにエルトンは目を輝かせていた。


「どこの誰か、詳細はわからないのか?」


「ああ。出自がわからない。紹介状があったから、雇うことにはしたが。はじめは訳あり令嬢なんだと思っていたんだが、根を上げることなくよく働く。紹介元にも問い合わせてみたんだが、どうしてもアディントン邸で働きたいのだという熱量に根負けしたと言っていた」


「ふっ。調べていたのか……」


「ああ、その、ずっと置いておけないかと思ったものだから……」


「侍女として……ってわけではなさそうだな」


 エルトンはにやりと笑う。

 ギルバートは真っ赤になった顔を見られぬようにと、顔を逸らす。


「いや、大事なことさ。格差はないにこしたことはない」


 ギルバートの顔は曇る。


「だがな、ギルバート。君がすでに当主であり、広大な領地を持つ田舎の伯爵さ。君の場合は反対の声は少ないはずさ。君の決断次第じゃないか?」


 エルトンはニカッと笑った。


「私は君が幸せであることを願うよ、ギルバート。今の君は、良い顔をしている」


 屋敷へ戻る馬車の中、ギルバートは小箱を優しく抱えた。

 それは、まるで、膝に乗せたあのうさぎを愛でた時のように。





 ロイはこの日もチラリと主の様子を窺っていた。

 ギルバートは盛大なため息をついている。

 このところ執務室に缶詰めになっていたことで、ステラに会えていない。


「そろそろ休憩にいたしますか?」


「ああ」


「お茶を用意しますので少々お待ちください」


 休憩を了承したが、ギルバートは構わずペンを走らせる。


「失礼します」


 聞こえた声に反応し、ガバッと顔を上げる。

 そこにはステラがいた。


「どうした?」


「お茶をお持ちしました。旦那様が休憩をされるとお聞きしましたので……」


 ちらりとステラの後ろに立つロイに視線を移す。

 ロイはニコニコと微笑んでいた。

 ギルバートは頬をポリポリとかくと、ステラに準備を許可した。


「こちらハーブティーをご用意しました」


 香りを嗅ぐと、気が休まる気がした。


「良い香りだ」


「リラックス効果があるんですよ。あまりご無理をなさらないように」


 ステラは微笑んだ。

 ギルバートは姿勢を変えると提案する。


「君もここに座りたまえ。休憩にしないか?」


「え?」


 ステラはロイに視線を移す。ロイは頷き着席に同意した。

 ステラが促されたのはギルバートの横だった。ゆっくり席に着く。

 ロイはステラに代わり茶を入れる。

 ステラの目の前には、湯気の立った紅茶が置かれた。

 ステラの膝の上には手が揃えて置かれている。

 白く美しかった彼女の手は、あかぎれになっていた。


(……)


「……不自由は、してないか?」


「はい。私は毎日幸せです」


 荒れた手を憂うこともなく、彼女は満足気に微笑んだ。


「そうか」


 ギルバートは茶を口にする。香り立ちも良く、温度もちょうどいい。ギルバートの好む味だった。


「美味しいな」


 つい感想を口にする。


「気に入っていただけたようで、嬉しいです」


 わずかに頬を染め顔を俯かせた彼女を見て、ギルバートはほんのわずかに口角を上げる。


「また、明日も頼む」


 はっと顔を上げた彼女は、優しく微笑んだ。


「はい!かしこまりました」


 これで、自分が探しに行かなくても彼女に会う理由ができた。そして、もう一つやりたいことがあった。


「ここで待っててくれ」


 そういうと、ギルバートは席を立つ。机に戻ると引き出しから小箱を取り出した。

 ステラの横に戻ると、その箱をステラに差し出す。


「?」


 ステラは両手を上に向けるとその箱を受け取る。


「これを君に」


 ギルバートを見上げ視線を合わせる。ギルバートは開けるよう促した。

 ステラは恐る恐る蓋をあける。そして、そこにある髪飾りに目を奪われた。


「どうして……?」


「君に似合うと思ったんだ」


 そして、ギルバートは箱から髪飾りを出すと、ステラの髪に飾った。


「うん。君のブラウンの髪によく似合うよ」


 ギルバートは優しく微笑む。


「旦那様……」


 ステラは口を引き結ぶとその目からは涙がこぼれた。


「ああ、泣かせたかった訳じゃない。笑ってくれると嬉しいんだが……」


「ふふっ。はい。旦那様」


 ステラは涙を拭い顔を上げると、満面の笑みで応えた。


「ありがとうございます」


「ああ」


 ギルバートもまた、微笑んだ。




 彼女は他の令嬢たちと違って、自分に何も望んでいない。

 こんなちっぽけな髪飾りでさえ望んでいなかった。

 私の地位も。

 財産も。

 見目も肩書も。

 彼女の中には、そのどれも基準として存在していない。

 ただ、同じ空間にいる。

 彼女にとっては、それだけで十分なのだ。




 ギルバートはこの日もステラを探す。

 日は出ているものの、雪が残っていてはまだまだ寒い。

 そんな中、ステラは洗濯をしていた。


「はー。はー」


 ステラは赤くなった手に息を吐いている。


「こんなところにいたのか……」


 ギルバートはステラの鼻の頭が赤くなっているのを見て、自分の羽織物をかけてやる。


「そんな、旦那様に風邪をひかれては困りますし……」


「私も君に風邪をひかれては困る」


(心配で仕事どころではなくなってしまうからな……)


 心の内は明かせない。だが、ギルバートは確実な想いを抱いていた。


──ステラが愛しい。


 彼女を目で追い、視界に入れ、空気を感じ、側にいる。

 それだけで穏やかな気持ちになれる。

 彼女の声を聞き、彼女に触れる。

 それだけで、心に熱を帯びるのだ。

 その気持ちが芽吹いたのはいつからだったか……。

 始まりがわからないほど、側にいることが自然なことだと感じていた。


(不思議だな。こんなにも側にいたいと思う相手は初めてだ)


 束ねた髪には贈った髪飾りがつけられている。

 それが視界に入るだけで、ギルバートの心は昂った。


(嬉しい……)


 ステラの真っ赤になった手をとると、両手で包み込む。


「だ、旦那様⁉」


 ステラは大きな瞳をさらに大きくさせた。


「冷たいな……。仕事は終わったのか?」


「はい。干したら終わりです」


「では、お茶にしないか? 君も一緒に休憩しよう。執務室においで」


「は、はい」


 名残惜しいがギルバートは手を離すと、その場を後にした。




「失礼します」


 ステラはお茶のセットと共に部屋に入る。


「君の分も茶を入れて。一緒に休憩しよう」


 ステラは体が温まるようにとシナモンを加えた紅茶を用意する。


「うん、いい香りだ」


 ポンポンとソファの隣を指示され、ステラはギルバートの横に座った。


「寒かっただろう。君も飲みなさい」


「はい。いただきます」


 湯気のたつ紅茶をステラも口にする。

 頬も上気していく。

 その様子に、ギルバートは安堵した。


「手を出して」


 両掌を上に向けて出すと、ステラにも同じように手を出すよう促す。

 ステラはカップを置き、首を傾げながらも両手を出した。

 すると、ギルバートはポケットから小瓶を取り出した。

 そこには、軟膏が入っていた。

 それを手に取ると、ギルバート自らステラの手に塗り込んでいく。


「だ、旦那様⁉」


「染みたか?」


「い、いえ」


「ここへ来た時の君の手は、傷一つなく美しかったのだが……」


「……私がしたくてしていることですから」


「うん。だからね、いつもありがとう」


 ぎゅっと手を握るとギルバートは微笑んだ。


「旦那様……」


「……ステラ」


 名前を呼ばれたステラは息を呑む。


「君は、どこから来たんだい?」


「……」


 ステラは俯く。


「もし、どこかのご令嬢ならば、私は──」


「あの」


 ステラはギルバートの言葉を遮った。


「私には戻るところはもうないんです。ですから、どこから来たかは問題ではないのです」


「そう、なのか……そうか」


 言い聞かせるようにつぶやくと、ギルバートはほっと息を吐いた。


「この薬は君にあげるから使ってくれ」


「ありがとうございます」


 ギルバートはステラに小瓶を握らせた。





 また季節は移ろいでいく。二人の距離はさらに縮まっていった。

 主と使用人という物理的な距離はあるものの、互いを想い合っているのは傍目からよくわかる程に。


「旦那様。こちらを受け取っていただけますか?」


 ステラから手渡されたのは刺繍の入ったハンカチだった。


「これは、どうしたんだい?」


「以前髪飾りをいただきましたので、そのお礼にと思いまして。初めてでしたから、店で売られているような仕上がりではないのですが……」


 ピンクの糸で刺された花は、あの森で咲き誇る花だった。


「ステラは、この花が好きなのかい?」


「はい」


「そうか。私もだ」


 ギルバートはハンカチを胸に抱きとめる。


「ありがとう。ステラ」


 ステラの笑顔は輝いていた。





 雪はすっかり解け、緑が芽吹いている。

 暖かくなり、出会いの季節となった。

 ステラがアディントン邸にやってきたのは、一年前の今頃だ。

 この日ステラは花壇に水を与えていた。


「ステラ。今日はここにいたのか」


 ギルバートはすっと横に立つ。


「旦那様。お仕事はよろしいのですか?」


「君が見えたから切り上げた」


 ステラが見上げると、そこには執務室の窓がある。


「あとでお茶を入れますのに」


「君と春を感じたかったんだ。もうすぐ咲くんじゃないか?蕾になっている」


 秋に植えた球根は、順調に成長し蕾が並んでいた。


「ですが、花開くまではまだまだかかりますよ」


「では、その時は一緒に見よう」


「……」


「どうした?」


 俯くステラに、ギルバートは首を傾げた。


「一緒には、見れません」


「……なぜ?」


「……もう、時間がないんです」


「え……?」


 ギルバートは言葉を失った。


「私がここにいられるのは、明日までです……」


「何を、言っているのだ……?だって、君は、戻るところなどないと……」


「はい、ありません」


「では、どこに行くというのだ……」


「私は……消えてしまうんです……」


「消える?」


「はい」


「嫌だ……そんなの嫌だ」


「旦那様……」


「私は、君といたいんだ。この先もずっと君といたい」


「旦那様……」


「君を失うなんて考えられない。──結婚したいんだ」


「え?」


「私は君と結婚したい」


「そんな……」


「愛してる、ステラ」


 ステラは息を呑む。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「旦那様……でも、できないんです」


 ステラの大きな瞳から、大粒の涙が流れ始めた。


「ステラ……どうして……」





◇◇◇


 アディントンの森には、たくさんの動物たちがいた。

 私もそのうちのひとりだった。

 ここの森は住み心地がすごくよかった。

 それは、この領地を持つ伯爵様のおかげだった。


(聞いて。今日枝に引っかかっちゃって、足が痛くなっちゃったの。でもね、伯爵様が通りかかって、添え木をつけてくれたのよ)


 シカが嬉しそうにしていた。


(私なんて、お家を作ってもらったのよ。見て、あそこよ)


 木の枝には、木製の鳥小屋が作られていた。

 みんなの話も聞いていたから、私も伯爵様のことが気になって、お会いしてみたくて、いつも探していた。

 あるとき、みんなが慌ただしくしていた。


(どうしたの?)


(今日は伯爵様が森を散策しているんですって。本をお持ちになってたみたいだから、長い時間休憩なさるかも)


 みんなの後についていく。

 そこには、大きな切り株に腰かけ、本を読んでいる人がいた。

 わずかな木漏れ日が彼の金の髪をキラキラさせて、その横顔はとても美しかった。

 私もみんなと同じように、邪魔にならないようにそっと近づいて、彼の様子をじっと見ていた。

 彼が本をぱたんと閉じる。上げた顔は驚きで目を見開いていた。


「こんなにいたのか?気付かなかった」


 みんな次々に鼻を寄せていく。彼は嫌がる素振りなど見せず、むしろ自由に匂いを嗅がせたり、なでてくれていた。

 私もみんなに倣って近づいた。


「ん?君は初めましてかな?」


 そう言って、大きな手で頭をなでてくれた。

 彼の低く響く声も心地よく、大きな手の温もりが気持ちよかった。

 私はすっかり、彼の虜になってしまった。

 それからは、彼に会いたくていつも探して回った。

 でも彼は常に遊びに来ているわけではなく、お仕事をしていることもあった。

 遠くから様子を窺い、遊んでくれそうなときだけ近づくようにした。

 彼はいつもため息をついていた。


(人付き合いってやつが大変らしいのよ)


 先住のキツネに教えてもらった。

 それからは、疲れが取れるように、栄養が取れるようにと木の実や果実を運んだこともあった。

 でも、人はそのままでは食べないってことをその時は知らなかった。


 いつからだったか、私を見つけると微笑んでくれるようになった。

 ある時は「おいで」と膝の上に乗せてくれたこともあった。

 とっても嬉しくて、できるだけ彼の近くに陣取って、彼が望んでくれるのを待つようになった。


 森の中には、ピンクの花が一面に咲き誇る場所がある。

 私は、その花の香りが好きで、よく転がっていた。


「ふっ」


 伯爵様の声が聞こえて振り返った。声を出して笑っているのを初めてみた。

 私がピンクの花の上で転がっていると、いつも彼は楽し気に笑う。


「君はこの花が好きなのか?」


(ええ。大好きよ。だって、伯爵様が笑ってくれるんだもの)


「私もこの花が気に入ったよ。君はかわいいね」


──かわいい。


 とっても嬉しかった。


 そんなある日、暴風に見舞われた。森のみんなは何とかねぐらに避難した。

 次の日、嵐は過ぎ去り、食料を調達しに外へ出る。

 ところが、木が倒れてきて下敷きになってしまった。


(痛い……苦しいよ……)


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 急に体が軽くなった。


「ああ、なんてことだ……。大丈夫かい?今手当をしてあげよう」


(伯爵様だ……伯爵様……)


「倒木は危ないな。早く点検をしないと」


(まだぬかるんでるよ。まだ木が倒れてくるよ。伯爵様も危ないよ)


 伯爵様は処置を終え、私を安全な場所に下ろすと、次の場所へと行ってしまった。

 助けてくれたことが嬉しかった。森の安全のためにすぐに行動してくれる優しい人だ。


(お側にいたいな)


ところが、処置をしてくれたけど、足はもう動かなくなっていた。


(もう、時間がない……)


(彼のお役に立ちたい。彼との時間はとても幸せだったから。もっともっと一緒にいたい)


(終わるのは、嫌だよ……)


 急に辺りが輝いた。

 私の前には森の女神が舞い降りた。


「うさぎよ。そんなにギルバート・アディントンの側にいたいのか?」


「いたいです。彼が大好きなんです。もっともっと一緒にいたい」


「お前のうさぎとしての時間は長くない。だが人間の時間に例えれば一年だ。お役に立ちたいというお前の願いを叶えるとすれば、お前の残りの命と引き換えに、人間としての一年を授けてやろう。人間として生きる覚悟はあるか?」


「彼のお側にいれるのならば、人間として生きたい!」


「では、残り一年を謳歌するといい」


 耳元が光る。そこにはピアスが飾られた。




 気が付けば、美しいドレスに身を包んだ女性に姿を変えていた。

 しかし、ここから先どうすればいいかわからない。

 キツネによれば、伯爵様は女性が苦手だからそのまま行ったら相手にされない、まずは職業斡旋所に行き、人として生きるための証明を作れと教わった。

 キツネとの作戦会議は夜遅くまで続いた。

 空を見上げ、キラキラと輝く星から、名前をステラとした。


 人となって驚いたことがあった。

 彼が全く目を合わせてくれなかった。

 あの綺麗な碧い瞳が見れない。

 キツネが言っていたことは本当だったのだ。

 それでも何とか食い下がった。彼の側にいられればそれでいい。

 紹介状のおかげで、私はアディントン伯爵家に置いてもらえることになった。


 できることは何でもした。

──役に立ちたい。

 女神さまが認めてくれたこの気持ちで、今の自分がある。

 掃除もした、洗濯もした、料理もした、茶も入れた、土いじりもした、裁縫もした。

 いろんな経験ができた。楽しかった。毎日が楽しかった。

 その生活の片隅には、伯爵様がいる。

 お見かけすることもあったが、私の全てが彼の役に立っているのならと思うと、何よりも嬉しかった。


 そして、困ったことが起こった。

 彼のことがどんどん好きになっていくのだ。

 いつからだったか。私に話しかけてくれるようになった。

 会話をした。笑顔を向けてくれた。その碧い瞳に私を映してくれた。

 嬉しくて、嬉しくて。

 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。


(彼が大好きだ!)


 ただ、それだけだった。




 彼が、私に贈り物をしてくれた。

 箱を開けたら、黄色いリボンの髪飾りだった。


「君に似合うと思ったんだ」


 これは、私が大切にしているものとそっくりだった。

 部屋に戻ると、机の上の箱を開ける。

 そこには、二枚のイチョウの葉が入れてある。

 彼から手渡されたものだったから、大事にとっておいたものだった。

 その横に、もらった髪飾りを置いた。


(ありがとうございます。旦那様……)


 彼との日々で、宝物が増えていく。




 この生活も残り一カ月を切った頃、刺繍したハンカチを彼に贈った。

 お礼としたけれど、形あるものを残したかった。

 そこで彼が、刺繍したピンクの花を好きだと言ったことが、私の胸を熱くした。

 ステラの中のうさぎの私を覚えてくれているようですごく嬉しかった。


彼との思い出作りができればいいとも思っていたのに。

──消えたくない。

 ここまで来たら、この気持ちが芽生えてしまった。


 


 森に足を踏み入れる。


(女神様……女神様……)


 私の願いが通じたのか、女神様が現れてくれた。


「ステラ。あなたの献身はギルバート・アディントンに届いているようですね」


「女神様。欲深い私をお許しください。彼を、愛してしまいました……。もっと一緒にいたいんです。彼とずっと一緒にいたい。このまま生きることはできないのでしょうか?」


「ステラ。一つだけ、方法はあります」


──それは……


 それは、すぐに決断できるものではなかった。



◇◇◇


「ステラ……どうして……」


 ギルバートは震える唇から紡ぎ出す。


「私は、一年だけ、このステラとして生きる人生をもらいました。……一年だけです」


「……その一年が終わったら?」


 ギルバートは恐る恐る口にする。


「ステラは、消えるんです」


 何度聞いてもその未来は変わらない。


「だったら、なぜ?その貴重な一年を、ここにいさせてくれなんて……」


 与えられた一年を、もっといろんなことに使えたはずだと、ギルバートは眉間に皺を寄せる。


「あなたの側にいたかったんです。ただ、それだけでした」


 ステラは真っ直ぐにギルバートを見つめる。


「ステラ……」


 名前を呼ばれたステラの目には涙が溜まっていく。


「でも、これからも一緒にいたい……。その気持ちは、私も同じなんです。旦那様のプロポーズ、嬉しかった。──私も、愛しています」


 ステラの目から零れた涙を、ギルバートは手を伸ばし拭う。


「どうにか、どうにかならないのか?側に、ずっと側にいるために、方法はないのか?」


 ステラは視線を上げた。


「実は、一つだけ、あるんです」


「え?」


「私がこのままステラとして存在する方法が……」


 ギルバートはステラの両肩を掴む。


「ならば、それをしよう! いったいどんな方法だ?」


 ステラは真っ直ぐにギルバートを見つめた。


「私と共にいた時間の記憶を捨てれば、私はこのままここにいられるんです」


「君と……共にいた……記憶?」


 愛が育った時間を捨てる。女性を好きになる日が来るとは思わなかったギルバートにとって、すぐに決断できることではなかった。


「でも、君が覚えていてくれるのならば……」


 ステラは首を振る。


「私からも、共に過ごした記憶は消えるんです。……私は、この幸せだった日々を、あなたとの記憶を、愛の記憶を消したくない……。あなたに、私を忘れて欲しくない。覚えていて欲しい……」


「ステラ……それが、君の決断なのか?」


 ステラはコクリと頷く。


(記憶と、引き換え……)


 愛する彼女との記憶を失う。

 私は彼女に恋をし、穏やかに育む愛を知った。

 いつ芽吹いたかもわからないほど自然に。

 魂で惹かれ合ったかと思うくらいに。

 これほどの想いを抱く相手は、初めてだった。

 いや、二度とないかもしれない。


──私を忘れないで。覚えていて。


 だが、その言葉は、私にも強く刺さった。




 翌日、ステラの最後の一日となった。


 ギルバートはステラを誘い、出かけることにした。


──私を忘れないで。


(ならば、美しい思い出を残そう。二人でやりたかったことをたくさん)


 最後の一日を一緒に過ごす。

 街へ繰り出す。初めてデートをする。手を繋いで歩く。

いろんなものを見て、食べて、買い物をして。

 領地へ戻ると、森を散策し、ギルバートのお気に入りの切り株で休憩した。

 森以外にも自然は多い。夕日が美しく映える湖へと足を運んだ。

 二人でその景色を目に焼き付けた。


 屋敷に戻る。もう日は暮れ、夜空には星が輝いている。この日は、満月だった。


(明るいな。今日は、月明かりが私たちを照らしてくれる)


 ギルバートは横にいるステラの美しい横顔を見る。



 今日はたくさんの思い出を作った。

 私たちが恋をした二人だという、恋人らしい思い出を。


(だけど……苦しいよ、ステラ……。君が、愛おしすぎて……)


 このままステラが姿を消すか、ステラとの記憶を消すか。


──やっぱり!失いたくない!


 意を決し、ギルバートは告げる。


「ステラ。君との記憶を消す」


 ステラは大きく目を見開いた。


「ステラ。私は、君を失うなんて考えられない。この先も君には側にいて欲しい。側にいたいんだ」


「でも……」


「大丈夫だ。再び君との時間を重ねれば、私は再び君を愛するだろう。きっと私は、また君を好きになる」





 ステラは丸い月を見上げた。


(女神様、決めました。私は、生き続けます。この記憶と引き換えに)




「愛してます、旦那様……。ずっと、お側にいさせてください」


「ステラ、愛してる。この先もずっと一緒だ」


 ステラは森の女神から教わったとおり、耳につけていたピアスを外す。そして、呪文を唱えた。


 すると、ステラの体が光を帯びる。


「ステラ!」


 ステラの体は徐々に小さくなっていった。


「どうして⁉消えないでくれ!」


 ギルバートは慌てたが、次の瞬間目にしたのは、茶色いあの、野うさぎだった。


「まさか、君だったのか……」


 なぜ、彼女が自分の元を選んだのか。ギルバートがその答えを知ったのは、ステラの記憶を失う直前だった。

 気が遠のいていく。

 あたり一面が闇に覆われた。



◇◇◇


「その女は誰だ? こんな使用人いたか?」


ヘンリーは苦笑した。


「ステラでございます。一年前から雇っております。とてもよく働くいい子です」


「一年も前から?」


ギルバートは眉間に皺を寄せる。

その時。彼女の瞳と目が合った。


ドクン。


胸が大きく波打つ。

なぜだろう。目が離せなかった。


「そうか。覚えていないなど失礼した」


ステラは困ったように微笑んだ。




ヘンリーの言う通り、彼女はよく働いた。


いつの日か。

ギルバートは彼女を目で追い、探し、気づけばその笑顔に心を和ませるようになる。


「ふっ」


思わず笑みがこぼれるまで、そう遠くはない。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。


ステラとギルバートを見守ってくださり、ありがとうございました。


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