カーネーションの咲くころには
楽しんでいただければ幸いです。
王妃様はお優しく、聡明で、穏やかな方だ。隣国から嫁がれて、周りとは言語も文化も違うというのに、礼儀正しく知識人である王妃様。私はそんな王妃様の側付きとなった。
私はオメガの男だ。見た目はそばかすがあり、ダークブラウンの髪に瞳だけ珍しい薄緑色。性格は優しくもなく、かと言って薄情でもない。少し寂しがり屋ではある。名前はノエ・マルタン。一応子爵家の息子ではある。
王妃様のお名前はアロイス・グルーバー。少し癖のある小麦色の御髪をまとめて、ターコイズブルーの瞳は全てを見透かされているような気にさせる。身長はオメガにしては高く、端正な顔立ちをされている。王妃様は男性だがオメガである為、子を成す事ができる。しかし、ご結婚されてから一度も王が部屋を訪ねたことはない。このことを面白可笑しく話す不敬な輩もいる。
「王妃様。今日は天気も良いですし、お庭を散歩されるのはどうでしょう?きっと季節の花が美しいですよ。」
「あぁ、そうだね。君の瞳の色の花はあるかな。」
「あら、私の瞳の色の花ですか?薄緑は中々ございませんよ。」
「そうか、残念だな…」
王妃様は私を大変気に入ってくださっている。年も近く、王妃様に対して悪感情のない私は扱いやすいのかもしれない。お茶会の時も、王へ謁見する際も、必ず私が側付きになる。
王妃様と共に庭先に出れば、王妃様に少し笑顔が見られた。薔薇を少し愛でて、何かを探しているようだった。
「王妃様、何をお探しになられているのですか?」
「薄緑の花。」
「…花というものは、あまり緑のものはございません。見栄えもありませんし…」
「僕の庭なら置いてもいいだろう。カーネーションなんてどうかな?」
「王妃様…ありがたき幸せでございます。」
こんなにも人を大切にできる方が、なぜ王の側にいないのだろうか。隣国はこちらに友好的で、何より穀物に関してはあちらの国からの輸入でどうにかしているというのに、隣国が輸出を拒否してしまえば貴族にも影響が出る。王は何を考えているのか。
王妃様はいつも必ず時計がてっぺんを越えるまで起きている。本を読みながら、時に私に昼間は何があったのか聞いてくる。王がしていたことを話せば少し困ったように眉を下げる。その度に王妃様を放置する王に腹を立て、何もできない自身のやるせなさに肩を落とした。
少し前に一度、王に呼び出されたことがあった。打ち首になるような失態をした記憶がなかった私は冤罪で何か言われたのかと考えた。しかし、王が呼び出した理由は私をお手付きにしようというものだった。私は王に太ももを撫でられた時、王妃様の夜寝る前の寂し気な眼差しが頭を過った。王に少し震えた大声で王妃様の日常を話した。朝何をしているのか、昼の散歩での王妃様のウィットに富んだ素晴らしいお話を、夜に異国の文化やおとぎ話を話される際の美しい横顔の造形を事細かに大声で報告した。それが幸いか、王は私から離れて出ていくように命令した。私の操を守ってくださったのは王妃様の日常だった。安堵したが、それと同時に王妃様が愛されていないことも理解してしまった。
「王妃様。お優しい王妃様。木漏れ日のような匂いのする美しい方。どうか幸せになれますように。」
お休みになられた王妃様のために、夜は必ずお祈りをする。それは神かもしれない、遠い先祖や世界にいるのでは噂される精霊かもしれない。何でもいい、王妃様の幸せを守ってくれるなら。
初雪が降り、部屋の外からの音が入らなくなった頃。王妃様は私にとある計画を話した。この国を出ていく準備ができ、隣国へ帰るというものだった。この国の状況に疑問を抱いた下位貴族と平民が明後日、クーデターを起こすとの情報を手に入れた王妃様は、この隙に城を逃げ出すことを考えたそうだ。城の外には既に隣国の護衛騎士が待機しているらしく、王妃様のこの計画は隣国の計画でもあるようだ。
この計画を明かされた時、私は城に残され、王妃様を逃がした罪で打ち首になるのだと確信した。それでもよかった、王妃様が隣国で大切な人達と幸せに暮らせるなら、初めてお会いした時と同じような、否、それ以上の本当に楽しそうな笑顔になれるのであれば。
「王妃様、私、必ずご命令を全ういたします。最後の時まで、お供いたします。」
王妃様は雪を解かすような微笑みを見せてくれた。最後まで、王妃様が城を出られるその時までお側にいるのだ。その後は計画の確認、ルートの計算、城の警備のシフトを自分で調べて頭に叩き込んだ。クーデターが起こるのを王が知っている前提で動く必要があると考えた私は、警備兵のお昼に邪魔したりして情報を集めた。私が王妃付きだと知られているので、警戒されたのかもしれない。
王妃様に何も情報が得られなかったことを報告すると、既に把握しているから問題ないと言われてしまった。
「最新の情報を集めようとしてくれたのだろう?ありがとう、君はよく気がつくね。」
「いえ、無駄足に終わってしまいましたから…」
「いいんだよ。向こうが逃亡を警戒しているかもしれないってわかったのだから。」
あっという間に時は過ぎていく。逃亡の日が来ていた。いつものように朝のお祈りを済ませ、王妃様が朝食を取っている時だった。
「マルタン。宰相殿がお呼びだ。」
同室の執事見習いに耳打ちをされた。王妃様に宰相閣下に呼ばれたことを話して、執務室を訪ねた。王妃様の逃亡計画が私からバレてしまったのか背中が冷たくてしょうがなかった。
ノックをして、返事を貰ってから執務室に入る。良いと言われるまで頭を下げていれば、宰相閣下は私の目の前に立った。
「表を上げよ。」
顔を上げれば眉間に皺を寄せ、口の端に力を入れた宰相閣下の顔が目に入った。どうしよう、やはりバレていたんだ。私は一呼吸置いてから、宰相閣下の言葉を待った。
「ノエ・マルタン。王妃殿下の側付き、家は子爵家、次男。オメガだったな?」
「さようでございます。」
宰相閣下が何を言いたいのか察することができなかった。私の後ろに騎士が立っているのに気づいたが、どういうことなのか理解ができない。質問ができる立場でもないため、次の言葉を待った。
「第二王妃になるのに興味はあるか?」
「ないです。」
「…………。」
宰相閣下が不機嫌なのは流石にわかる。王妃にさせるには双方の同意が絶対に必要、私が頷かなければ不可能なのだ。クーデターのこともあるが、もしかしたら隣国との関係が悪くなっているのかもしれない。王妃様に気に入られている私が王妃になれば、王妃様が隣国に帰っても戦争にはならないとか考えたのだろうか。流石にお花畑な考えか。では何だ、王はまだ私をお手付きにするのを諦めていないのか。それが祟って第二王妃なんて案が出たのだろうか。
「私は王妃様の側付きでございます。王妃様を裏切るような真似をすることはできません。」
「…それが正しい。時間を取らせたな。戻って良い。」
振り返った瞬間に背後から刺されたりしないだろうか。その時はしょうがない。諦めて扉を開けて部屋を後にしたが、私が刺されたり、撃たれたりすることはなかった。部屋を出る時、王妃様を頼むと言われたような気がした。
夜。王妃様と共に、計画にあった塀に向かった。幸いにも誰ともすれ違うことはなかった。正門では叫び声と雄叫び、銃声が響いていた。塀を越えることは容易ではない。抜け穴あるが、王妃様が通るには小さい。警備兵の隠し扉を開き、外を確認すれば隣国の騎士が来ていた。
「王妃様、塀には警備兵もおりません。今なら行けます。」
王妃様を通して扉を閉めようとすれば手で遮られた。王妃様が慌てた様子で扉を押さえている。
「ノエ、君も来るんだ。ここに居ては死んでしまうぞ。」
「王妃様が逃げる時間を稼がなくてはいけないのでは?私はてっきりその為に選ばれたのだと…」
「そんなわけないだろう。ほら、早く。」
そうか、国境付近で私を使うのだな。王妃様に手を取られて、小走りで騎士達の元へ向かう。古い馬車に乗せられ、王都を離れた。城が燃えているのを横目に私達は国境を目指した。
次に目を開けた時には国境の町へと着いていた。目の前に座っていた王妃様は起きた私を見て微笑まれた。それに釣られて私も自然と笑みが出た。国境の兵は王妃様を見ても何も言わなかった。そのまま私達は隣国へと入国してしまった。
隣国に着いてからは、王妃様のことを殿下とお呼びすることにした。殿下は他の兄弟や国王王妃両陛下にご挨拶をしていた。温かく迎えられた殿下を見て、逃亡は隣国の意思だったのだと確信した。私を見た王妃陛下は満足げに微笑まれていたが、従者として認められたのだろうか。
殿下は本来の城に戻られてからは王妃だった頃の精霊のような服でなく、まるでそこらの騎士のような服をお召になられた。そして私には肌触りの良い、フリルのついた服を着せた。確かに婚約者を探すような余裕のあるオメガはこのような服を着るが、まさか、殿下は私の婚約者をお探しになられているのだろうか。最近はこの国の政治や歴史、古語、礼儀等を叩き込まれている。殿下が定期的に私とお茶をしてくださるのも、礼儀作法が身についているかの確認なのだろう。高位貴族との縁談が待っているかもしれない。これは早めに自分で婚約者は見つけるつもりだとお伝えすべきだ。
「殿下。少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか。」
「どうしたのかな。」
「殿下には本当に感謝しております。ここまでの教育をあの国ではきっと受けることはできませんでした。しかし、これ以上、殿下のお手を煩わせてしまうのは気が引けます。」
「いいんだ。僕が君といるためにしてもらっていることだからね。」
「殿下…」
私の側に来て、手を取られる。殿下の手はこんなにも逞しかっただろうか。優しい海のような瞳に包まれた。
「殿下、自分の婚約者は自分で探します。殿下にいつまでもお世話になるわけにはいきませんから。」
「ん?何を言っているのかな。君は私と結婚するのに。」
「え?」
「君と私は婚約している。ほら見てごらん。君の字で婚約届に名前が書かれている。」
これは、書いた覚えがない。いや、この前の言語の授業でこちらの言語で名前を書いたことがあった。それと酷似している。
「で、殿下!私はオメガです!殿下を妻にすることは不可能ですよ?!」
「そこから話す必要があったね。すまない、もう気づいているのかと思っていた。」
結論から言えば、殿下はオメガではない。隣国にスパイとして入ったアルファだった。王にアルファだと気づかれないように姿を変える薬を接種していた。しかし、上背がある為、王は嫌ったようだった。クーデターの情報や権力の腐敗を確認して、帰って来ただけだ。
「ではなぜ私を連れてきたのですか?」
「君が好きだから。口説いていたと思うのだけれど、気づかなかったんだね。」
殿下の少し熱を帯びた視線に思わず目を逸らす。まさか、今までの優しいお言葉が口説き文句だとは思わなかった。しどろもどろになった私の手を握ったまま、殿下は言葉を続ける。
「もう一度言うよ。君が好きだ。強引な手を使ったけれど、それでも、君を手放せないんだ。わかってくれるね。」
「強引というか、法に触れているのでないですか?」
「はは、うん。そうだね。君が通報すれば、私は王族ではなくなるだろう。」
「しませんよ!殿下についていくと決めておりましたから。従者としてではなくなっただけです。私にできることなら何でもいたします。」
「言ったね?」
殿下は私を抱きしめた。あぁ、この匂いだ。初めてお会いした時も、この匂いがした。この匂いが愛しい。この柔らかな御髪を解かす時間が、庭を散歩していた時の微笑みが、夜に隣国のおとぎ話を話される声が、何よりも心地よい。
「アロイス殿下。」
「どうした?」
「私もお慕い申し上げております。どうか私を捨てないでくださいね。」
「当たり前だ。君が嫌だと言っても離す事はないよ。」
庭に咲いているカーネーションが揺れているのが見えた。もちろん、色は薄緑色だ。この人の幸せが私と共に居ることならば、いつまでも、死が迎えにくるまでお側にいましょう。殿下の背中に腕を回した。
宰相は国のクーデターのリーダーです。母国を滅ぼされてから復讐を果たす為にのし上がりました。アロイスと繋がっているため、これから彼が国をひっぱっていくのかもしれませんね。
アロイスはノエに初めて会った時に運命の番だと確信していました。必ず手に入れると思っていたところ、ノエが自ら側付きになってくれたので、わりと楽しく過ごしていました。