093 こわれつちまつた悲しみに…
「う、うう……」
初めて買ってもらったスタッフを早々に失った悲しみ。そして壊してしまった不甲斐なさがリーベを惨めな気持ちへ陥れた。それは拭い難い感情であり、フロイデが友呼びの笛を譲ってくれても、やって来たアデライドがもふもふさせてくれても、変わらず彼女の心を蝕むのだった。
「はあ……」
ため息と共にもふる手が止まる。するとアデライドは心配するように小さく鳴き、大きな頬をすり寄せてくる。その繊細な毛並みを肌で感じていると微かに心が温かくなるが、やはり負の感情には勝てなかった。
「アデライド……慰めてくれるんだね」
「ウォフ」
彼の温もりを全身で感じていると、後方からカンカンと甲高い聞こえてくる。横目で見ると、そこではヴァールがツルハシを振るい、カナバミの残骸を砕いているところだった。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
彼が1度振るうたびに残骸に大きな亀裂が走り、ボロボロと小さく崩れていく。それをフェアとフロイデ、そしてアデライドの騎手であるスヴェンが荷車に運んでいた。
「えっほ……! えっほ……! えっほ……!」
残骸を抱えたフロイデさんがわたしたちの横を通っていくと、おじさんが呼びかけてくる。
「もう十分落ち込んだだろ? お前も手伝え」
気分は相変わらず最悪だが、その言葉には了解するより他になかった。
「……はーい――アデライドはここで待っててね?」
普通の魔物であればアデライドが咥えて荷車に乗せてくれるが、カナバミはアデライドが咥えるには重く、また、口内を切る恐れがあった。だから今の彼は暇なのだ。
「ウォン……」
残念そうな鳴き声に後ろ髪を引かれつつも、リーベは残骸を運ぶのを手伝った。
カナバミの残骸はそれこそ山のようにあって、とても1回で運び出せる量ではなかった。それにリーベたちの体力にも限界が迫っていたため、数回に渡って運び出されることとなった。
「お、終わった……」
リーベの火照った体からは汗がだくだくと滲み出てきて、まるで魚に塩を振ったかのよう。そのせいで肌着とレギンスが体にべったりと張り付いてきて不快極まる。
だがそんなものは圧倒的な疲労を前にしては些細なことだった。
「づがれだあ……」
リーベは鉛のように重くなった体を動かし、アデライドの前までやって来た。すると彼は彼女をペロペロで労ってくれた。
「おら、いつまでも戯れてねえで帰るぞ」
いつの間にか上裸になっていたヴァールが上着を絞りながらながら言う。その先には馬車が停まっていて、フェアとフロイデが乗り込むところだった。
「うう……またね、アデライド」
「ウォン!」
「スヴェンさんもお疲れ様でした」
アデライドに騎乗していた彼は「リーベちゃんこそ。午後はお家でゆっくり休んでね」と言った。
挨拶を交わすと2人に道を空け、見送った。それから街道の脇に停車していた馬車に乗り込む。毛布を敷いた座面に尻を置くと、もう動けないかに思われた。
「ああ……疲れた」
「お疲れ様です」
「フェアさんこそお疲れ様で……って、結構余裕そうですね」
「ふふ、体力には自信があるので」
冒険者の中では細身のフェアだが、それでもやはり冒険者らしい体力を持っているようで、リーベは「自分もそうならないと」と思うのであった。
フェアの隣ではフロイデがスカーフを結び直していた(作業中は外していたのだ)。
彼もまた細身で、しかも小柄なのに随分余裕そうだった。
「フロイデさんはあと体力どのくらいありますか?」
「……4割、かな?」
小首を傾げた彼に「すごいですね」と素直な感想を言うと、得々と鼻を膨らませた。
「むふーっ!」
そんな会話をしていると、御者が「お疲れ様です」と声を掛けてきた。
「何も手伝えなくてすみませんね。なんせ歳なもんで」
「いいさ。それよか、随分待たせちまったな」
「それも仕事ですから。それじゃ、出発しますが、忘れ物はありませんね?」
ヴァールが面々を見回し「ないぞ」と返すと馬車は動き出した。
リーベは慣性とに負けないように左手を突いて踏ん張る。すると指先が麻袋に触れた。
「あ……」
膝に乗るサイズの麻袋。内側から押されて不規則に隆起したこれの中には、彼女のスタッフの残骸が収まっている。
悲しい事実を思い出し、リーベはひどく落ち込んでしまった。
「リーベちゃん……」
「明日にでも新しいものを選びに行きましょう」
対面の座席に掛けた2人が口々に励ましてくれる中、ヴァールが気まずい思いで喉を鳴らした。
「あー、なんだ。その……悪いな。壊しちまって」
「……おじさん」
彼がリーベの顔面目掛けて飛翔するカナバミの破片の軌道を逸らした結果がこれなのだ。不当なものではあるが、律儀なヴァールは責任を感じているのだった。
「謝らないで。おじさんはわたしを守ってくれただけなんだから……」
(……そうだ。あんな避けようのないものから守ってくれたんだ。その結果としてスタッフが壊れちゃったけれども、わたしのするべきはそれを嘆くことじゃない。今、命があることを喜ぶことなんだ)
「……スタッフが壊れちゃったのは悲しいけど、それでも、おじさんのおかげでこうしていられるんだもん。だからありがと、おじさん」
涙が滲んだ視界に小さな瞳を映すと、ヴァールは彼女の名前を呟いた。
スタッフとの別れを経て、リーベはまた1つ強くなれたような、そんな気がした。




