091 ウネルハガネ その②
カナバミスライムは液体だから音は立てず、口がないから咆哮を発しない。だから今、それが一行たちに迫る様は、霧が垂れ込めてくるかのように静かだった。しかし、視界を埋めんばかりに迫る様は悍ましく、そのちぐはぐさが生理的な嫌悪感を喚起させた。
カナバミはクサバミの時と同様、高く伸び上がり、高波のように襲いかかってくる。男3人は後方に跳んで、リーベは後ろに走ってのしかかりを躱した。
「す、すごい攻撃……」
驚嘆したのも束の間、リーベたちの反対側に広がっていた体液が新たな波となって襲いかかってくる。
「こんなの、どうすれば――」
「見てろ!」
ヴァールは叫ぶと背中から大剣を抜き放った。カナバミと同様に鈍色にギラつくそれを、担ぐ体勢で構える。
「ドオオオオオオオオオオオッッッッッ!」
裂帛の叫びと共に上体の捻りを解放。斬撃を放つ。
ブオン!
切っ先が空を裂いた瞬間、空気がゆがんで見えた。直後、空気の歪みはカナバミへと、波紋が広がるように迫る。
スパンッ!
痛快な音を響かせ、カナバミが2つに割れる。そして2股に分かれた状態で固まった。
「すごい……」
リーベは驚いた。ヴァールの斬撃の威力に。カナバミが瞬時に固体化したことに。
「ボーッとするな」
ハッとして振り向くと、彼がカナバミを指さしながら言う。
「ヤツは刺激を受けると驚いて固まるんだ」
「そ、そうなんだ……」
(図鑑には『防衛本能が強い』とあったけど、このことか!)
「……変わってる」
フロイデがぼそりと呟いた時、当のカナバミはじゅくじゅくと硬化を解き始めていた。そんな中、フェアがロッドを振るう。
「ダイマ!」
光の滴が溶けかけた金属塊に触れ、大きな爆発を引き起こす。最初に音が、次いで衝撃が広がり、リーベのポニーテールを翻した。
(さすがフェアさん。発動までが早い……!)
感心していると彼は固まったままでいる敵を見つめながらフェアが言う。
「……と、このようにすることで動きを止め続けられます」
「なるほど」
「でも、倒せない」
フロイデがじれったい思いを口にする。
(……確かに、カナバミスライムは不透明な魔物で、核がどこにあるのかわからない。わかったとしても、金属の体にはアイスフィストが貫通しないだろう)
彼女の父エルガーは『斬撃を飛ばすしかない』と言っていたが、それもどの程度効果があるのか。
「ううん……」
唸っていると、フェアが「見ててください」と、ロッドを振り翳す。
「メガ・ファイア!」
オレンジ色の光の玉が飛翔し、大きな鉄くずと化したカナバミに打つかる。直後、ダイマの時よりかは控えめな破裂音が響き、命中箇所を赤熱させた。
「そしてこうだ!」
ヴァールが赤熱した箇所をめがけて斬撃を飛ばすと、スパッと、カナバミの一部が切り離され、地面に突き刺さる。
「こうやってヤツの体を削ぎ落としながら核を探すんだ」
その一言にリーベとフロイデは目を合わせ、うなずき合った。
「来るよ……!」
振り向いたちょうどその時、カナバミが硬化を解き、ヴァールが切り落とした部分に触れた。すると大小の水滴を接触させた時みたいに、金属片がカナバミの方へ吸い込まれていった。
「リーベさん!」
フェアに言われると同時にスタッフを構える。
覚えたての魔法を活かす時が来た。魔力を練り上げ……今、解き放つ!
「ダイマ!」
魔弾はゆっくりと飛翔し、高波となった魔物の中心部に至る。「パアン!」と破裂音が轟き、衝撃は波紋のように広がり、その跡が塊となって残った。
硬化が解けない内に……!
(慌てず騒がず落ち着いて………………できた!)
「メガ・ファイア!」
切り落とせるように端っこの方をめがけて放つ。命中。フェアよりも手間取が、無事、真っ赤にしてやれた。
「フロイデさん!」
「うん……!」
呼びかけるも、彼はすでに構えを取っていた。ヴァールと同じ、本気の構えだ。
ふと、疑問に思う。
(フロイデさんって斬撃を飛ばせるのかな?)
以前は10メートルほど離れた所にある木を揺らす程度のものだった。それで果たして、カナバミの体を削ぎ落とすことができるのだろうか。
「にゃあっ!」
短い叫びと共に斬撃が放たれる。
それはヴァールのと比べれば見劣りするが、『空を斬る』という奥義を確と実現していた。つまりリーベの失礼な心配は全くの杞憂だったのだ。
袈裟に斬られた体は切り口に沿って滑り落ち、ズシンと重たい音を立てて地面に突き刺さる。
「すごい!」
「ぼくも、いつも頑張ってる……!」
フロイデが得意げに言った直後、カナバミは硬化を解き、彼が切り落とした部位を体内に取り込んでしまった。
「ああ……」
弟子たちは揃って残念の声を零したが、師匠2人は違った。
「ダイマ!」
フェアは即座に魔法を放ち、魔物の動きを止める。一方でヴァールは「敵の前で呑気してんな」と叱責した。
「ご、ごめんなさい」
2人の声が重なる中、師匠は続ける。
「いいか? 切り落とした分を拾わせるな。じゃねえとジリ貧になっちまう」
「確かに……じゃあ落としたら、それとは反対側に回り込めばいいのかな?」
「カナバミの立場になってみろ。ヤツは触るだけで破片を取り込めるんだから、そっちを優先しないか?」
「確かに……」
「じゃあ」替わってフロイデが提案する。「リーベちゃんがアレを固めるついでに、破片を、遠くに弾き飛ばすのは、どう?」
するとヴァールは「そうだ」と頷いた。
「戦う時は効率適に戦え。長引けば長引くほど、俺たちにゃ不利なんだからな――」
末尾はダイマが爆ぜる音にかき消された。
そして術者が言葉を添える。
「間違っても破片をこちらに飛ばさないように、十分に注意してくださいね」
(そうか、そんな危険もあるのか……これは責任重大だぞ)
リーベは渇いた喉を唾液で湿らせ、頷く。
「はい!」
魔物に視線を戻す。
カナバミスライムは硬化を解き、相も変わらず無感動に獲物を目指していた――




