081 フロイデのペット
クランハウスに帰ると、4人はそれぞれ片付けに取り掛かった。
そんな中、リーベは洗濯に取り掛かろうとしていたフェアに声を掛ける。
「あの、フェアさん」
「おや、なんでしょう」
「その……これなんですけど」
リーベは今回の冒険で得た報酬金を手渡す。
「今回の依頼のものですか?」
「そうです。そうなんですけど……」
「拝見しますね……おや」
短い声を上げると彼は窘めるような目で彼女を見た。
「リーベさん。これは些か、頂きすぎではないのですか?」
「わ、わたしもそう言いました! でも、『人数じゃなくて働きで分けるべきだ』って言ってました」
「とは言いましても、遠慮するべきでしょう?」
いつも優しい彼だが、この時ばかりは母親が叱るときのような威厳を放っている。
そのお陰でリーベは項垂れてしまう。それでも尚、声を絞り出して事情を告げる。
「で、でも……受け取らないと襲うって」
すると彼は目頭を押さえた。
「全く、ブリッツって人は……わかりました。ですが、これはあなたが1人で稼いで来たものです。ですので私が預かる訳には参りません」
そう言って革袋を差しだされるが、リーベは受け取らなかった。
「わたしが持っていたら、きっと無駄遣いしちゃうと思うので、フェアさんに預かって貰っても良いですか?」
そう言うと人の良い彼は断れなかった。
「そういうことなら。私が責任を持って管理いたしましょう」
フェアに報酬金を預けた後、リーベは2階に上がり、私室に入った。そこにはフロイデと、愛犬2人の姿があった。
「ダンク、ボニー、ただいま」
「…………」
2人は心細かったようで、一様に押し黙り、リーベを見つめていた。彼女はそんな2人の様子が愛おしくて堪らないが、生憎と彼女は今、汗だくだった。抱きしめる訳にはいかない。
「ふふ、ごめんね。いま汗だくだから、また後でね?」
微笑み掛けると、利口な2人は辛抱強く口を噤んだ。
そんな様子を微笑ましく思っていると、横からの視線に気付く。
「フロイデさん? どうかしましたか?」
「……リーベちゃん、いつも犬に話しかけてる、よね? 返事って、ある、の?」
彼に揶揄うつもりはなく、純粋な疑問を打つけたのだった。
「もちろんありますよ。確かにぬいぐるみは喋りませんが、心を通じてなら会話できるんですから!」
熱弁すると彼は「へえ……」と、感心した様子を見せた。
「ちょっと検証してみましょうか。これからわたしは下に行くので、フロイデさんは何か、ダンクに話しかけてみてください。それからわたしが聞き出して見せますので」
「う、うん。わかった」
斯くして検証は始まった。
リーベは一階に下りて耳を塞いだ。そうして数十秒経った頃、フロイデが呼びに来る。
「終わった、よ?」
「よし。じゃあ確認してみましょう」
そうしてダンクの前にやって来ると、リーベはしゃがみ、ダンクに目線を合わせる。
「ねえダンク。フロイデさんとどんなお話をしてたのかな?」
くりくりの瞳を見据えて問い掛ける。するとリーベの脳裏にピキーンと稲妻が走る。
「ふむふむ……なるほど…………」
「わかるの?」
「ええ、わかりましたよ」
ダンクを下ろすと、変わってフロイデさんの方を見る。
「『ぼくは魚が好き、ダンクは何が好き?』そう尋ねましたね?」
すると彼は瞠目する。
「当たってる……!」
彼の瞳は、まるで英雄譚を聞いている時のような純粋な煌めきを湛えており、リーベは甚だしく得意な気持ちにさせられた。
「す、すごい……!」
「ふふふ。わたしとダンクは10年来の友達ですから、これくらい当然ですよ。なんなら、フロイデさんが昨夜、何をしていたかも当てられますよ?」
得々と言うと、彼はボッと赤くなり、あたふたと必死の様相を見せる。
「き、聞かないで……!」
「え?」
何かあるのだろうかと訝しんで見るも、やはりダンクに聞いてみないことには始まらない。彼女が愛犬の方を見やると、彼は間に割って入って必死に訴える。
「そんなこと、聞いてもなにも、ない……! だから、聞かなくて、いい……!」
肩を揺すりながら懇願されると、さすがに聞き出すのは憚られた。
「……フロイデさんがそう言うなら……」
(まあ、プライバシーは大事だもんね?)
リーベが納得していると、フロイデは大きなため息をついた。
それから数秒の沈黙を経て、彼は表情を改める。
「でもいいな、ぼくも友達、ほしい……!」
「そう言えばフロイデさんは前に白猫のぬいぐるみが欲しいって言ってましたけど、お目当ての子はいるんですか?」
「うん」
「あのお店の子ですか?」
「そう……! 白くて、もふもふで、左右で目の色が違う……!」
「オッドアイですか。素敵ですね!」
彼はうんうんとしきりに頷く。
「そう言えばフロイデさんって、よく白猫と戯れてましたよね?」
「うん。白猫、だいすき……!」
そう言い切る彼の姿はなんともあどけなく、微笑ましいものだった。
「ふふ! あ、いけない! 晩ご飯作らないと」
和んでばかりもいられないと、リーベは身を翻すが、フロイデさんに呼び止められる。
「リーベちゃん」
「はい?」
「冒険から戻ってきたばかりで、疲れてない、の?」
「ええ。なんだか最近、体力が付いてきたみたいで」
両腕で力こぶを作ってみせると彼は笑った。
「くぷぷそうなんだ、ね」
彼は朝露のように煌めく黒い瞳にリーベを映すと微笑み「いつも、美味しいご飯、ありがと」と言ってくれた。その一言にリーベはとても報われた心地になった。
それから料理を拵えると、リーベたちは夕食となった。
今晩の献立は川魚の香草焼きにポテトサラダ。それに野菜スープだ。
(今日のはお店に出しても良いくらい改心の出来だから、みんなの反応が楽しみだな)
そんなことを考えていると、ヴァールが香草焼きを頬張りながら言う。
「なあリーベ」
「なに?」
「お前の飯は美味いんだけどよ、魚、多くねえか?」
「あー、言われてみればそうかも」
だが、そうなってしまうのも無理はない。なぜなら――
「もっもっ……!」
リーベの視線の先には、頬をリスのように膨らませるフロイデの姿があった。
その瞳からは幸福感が溢れ出ていて、見ている彼女までもが幸せな気分になれた。
「ふふ、あんな幸せそうに食べてくれるんだもん。魚が多くなっちゃうよ」
素直に言うとヴァールは唸る。
「ううむ……俺もこれから肉が出たとき、あんな風に食ってみるかな」
「ヴァール。あなたが真似しても見苦しいだけですよ?」
「フェア、お前……」
辛辣な寸評にリーベは思わず吹き出してしまう。
「ふふ、確かにそうだね!」
「リーベ、お前まで……」
リーベにまでそう言われて彼は割と真剣に落ち込んだ。
「ああ! 今度お肉料理作ってあげるから、そんなに落ち込まないで!」
「……ああ」
そんな年甲斐もない姿に笑いがこみ上げてくるが、どうにか堪える。
「……ね、ねえ。おじさん、フェアさん。ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「藪から棒だな」
「なんでしょうか」
興味津々と彼女を見る2人とは裏腹に、リーベは横目でフロイデを見ていた。そして脳裏に先ほどのやりとりを思い起こしていた。
「あのね。ギガマンティス退治で貰ったお金なんだけど、それでフロイデさんにぬいぐるみを買ってもいい?」
その問い掛けに一座は一瞬、固まった。それから数秒の間を開け、フェアが口を開く。
「アレはリーベさんが1人で稼いできたお金ですので、私たちが口を挟むものではありません」
「ああ。だがよ、お前はそれで良いんか?」
ヴァールの言葉にフロイデは期待を満面に浮かべつつも、うんうんと頻りに頷く。
「うん。だって、キックホッパー退治の時だってみんなで行ったでしょ? なのにわたしだけご褒美を貰っちゃうのはおかしいよ」
「リーベちゃん……」
「フェア、どうするよ?」
「私の意見に変わりはありません。リーベさんがそれで良いとおっしゃるのであれば、ご随意に」
「ほ、ほんとにいい、の……?」
フロイデは心配そうに問うが、その瞳はキラキラとしていた。
「はい。フロイデさんにもペットを飼う喜びを知ってほしいんです」
「リーベちゃん……ありがと……!」
彼はぬいぐるみの事を思い浮かべ、幸福感にため息をついた。そんな姿にリーベもまた、幸せな気持ちになるのだった。
そうして迎えた翌日。リーベたちはボニーを買ったあのぬいぐるみ屋にやって来ていた。ここには犬猫に限らず、鳥やクマ、亀などと言った様々な動物を取り扱っていて、まさに動物王国だ。
「わあ……!」
ここに来るのは3度目であるが、感動が薄らぐことはなかった。
「やあお嬢ちゃん。また修繕に来たのかい?」
「こんにちは、おじいさん。今日は治療じゃなくて、フロイデさんの猫を買いに来たんです」
「ほお、坊やのかい。さて、どの子が目当てかな?」
「アレ……!」
フロイデが示す先――棚の高いところには白猫がいて、そのたたずまいから気高さが伝わってくる。
「きれい……」
「ヴァール、取って……!」
フロイデがピョンピョンとしながら頼む、ヴァールは苦笑しつつも腕を伸ばす。
「ほら、コイツで良いんだろ?」
「うん……!」
その子は昨日、彼が語っていた通り、左目が青、右目が黄色のオッドアイだった。
「もふもふ……!」
フロイデが「むふーっ!」と鼻息を吐き出す中、フェアは店主に問うた。
「おいくらでしょうか?」
「ああ、あの子はたしか――」
フェアがリーベから預かっていた金で支払いを済ませている中、ヴァールがフロイデに問う。
「名前とかは決めてんのか?」
「う、うん……」
彼は気恥ずかしそうに白猫を抱いて俯いた。
「ア――」
「あ? 聞こえねえぞ?」
すると彼は僅かに顔を持ち上げて、愛猫の名を呟く。
「……カティア…………」
「カティア……ということは女の子なんですね?」
「う、うん。白猫だから……」
『白猫だから』とは何なのか気になったものの、彼の愛らしい仕草を前に疑問は流れていった。
「随分と賑わっていますね?」
支払いを終えたフェアがやって来る。
「ああ。名前の発表会をしてたんだよ」
「おや。一つ私にも聞かせてください」
ヴァールがニタニタと笑う中、フロイデは年頃の少年らしい恥じらいをもってその名を告げた。するとフェア何か引っ掛かるものがあったようで、とてもこの場にふさわしくない、悲しそうな目をして彼を見た。
「カティア……ですか……」
彼が小さくため息をつく一方、フロイデは幸福感たっぷりにリーベを見る。
「リーベちゃん、ありがと……!」
リーベはこの時、ダンクを彼女の元へ連れてきたエルガーの心情を理解した




