062 翌日
ちゅんちゅんと雀が鳴く声にリーベは目を覚ます。
「…………」
疲れて重たい体を起こし、さらに重たい頭で辺りを見回す。
室内は明るかった。
鎧戸の隙間からは明かりが差して枕元を照らしていた。
そこにはダンクが眠っている。
そして彼女は風呂屋から帰ってきた格好のままだった。
これらの情報を彼女の鈍い頭が整理する……が、答えはまとまらなかった。
「ぼけーっ……」
寝癖を部屋の淀んだ空気に晒しているとゴンゴンとドアが鳴った。
「リーベ、起きてるか?」
父の声だ。
「どうぞお~……」
ガチャリとノブが回り、ドアが内側に向けて開く。するとドア陰からエルガーが現われる。その逞しい顔は娘を見るや、ほろりと綻んだ。
「どうやらぐっすり眠れた見たいだな」
「うん……あれ? わたし、いつ寝たんだっけ?」
思い出そうにも、記憶が無く、妙に落ち着かない。飲酒を習慣としていない彼女にはわからないが、その気分はさながら酩酊した翌朝のようだ。
「風呂屋から帰ってきて、晩飯を待ってる内に寝ちまったんだよ」
「なるほど……」
(道理でパジャマを着ていないわけだ)
「それより、朝飯できてるから、さっさと下りてきな」
「うん……」
「冒険のことも、いろいろ聞きたいからよ」
そう言い残してエルガーは退室した。1人私室に残されたリーベは、父がいなくなったドアをボーッと眺めた後、ダンクを抱き抱える。
アプリコットのもふもふヘアーは寝癖になっていた。リーベはそんな彼を笑いつつ、その額にキスをする。
「おはよ。ダンク」
リーベが自分の寝癖の酷さに気付くまで、あと1分14秒。
母特製のラタトゥイユを頬張りながら、リーベは冒険中にあった出来事を語っていた。
「――でさ。ミルク缶が道の真ん中に転がってて、しかもあちこちが溶けてたんだよ!」
興奮気味に言葉を発した彼女は、牛乳で喉を潤した。
「え? ミルク缶って鉄なんでしょ?」
シェーンが驚く一方、元冒険者であるエルガーは実感を持って頷く。
「ラソラナは消化能力が高い魔物だからな」
「あ、フェアさんも同じこと言ってた。お腹の中で獲物に反撃されるかもしれないからって」
自分の言葉に思い出し、リーベは短い声を上げる。
「あ、そうだ。ねえお父さん。魔物の図鑑とか持ってない?」
「あるが――なんだ、勉強か?」
「うん。魔法だけじゃなくて、知識も付けないといけないなって」
するとシェーンがくすりと笑った。
「ふふ、良い刺激を受けられたみたいね」
「ああ。勉強熱心なのは良いことだ」
ところで、と母は心配そうな面持ちで娘を見る。
「その魔物と戦ってどう? 危なくなかった?」
「それは――」
『大丈夫だったよ』
嘘でもそう言いたかったが、出来なかった。
「…………」
口籠もっていると、シェーンは静かに、しかし悲愴な響きを持つ声で問うてくる。
「どうしたの? まさか、危ない目に遭ったんじゃ――」
「シェーン」
エルガーが言葉で制すと食卓は静寂に包まれた。
しかし2人の視線は『何があったのか言って見なさい』とばかりに娘に向けられていて、リーベはこの重苦しい沈黙を破ることを強いられたのだった。
「あのね……その、ラソラナのベロに捕まっちゃって――」
ラソラナの生態を知らないシェーンは夫を見やるが、夫は続きを促すように娘を見ていた。
「で、でもね! おじさんがベロを掴んでくれたから食べられないで済んだの! だから、その……大丈夫、だよ」
胸が苦しくなって言葉尻が霞む。
項垂れつつ、上目遣いに父を見やると、彼は腕を組み、傷跡の目立つ唇を開く。
「それで、どう思った?」
「……怖かった」
「やっぱりやめたいと思ったか?」
その問い掛けにリーベは首を横に振る。
死が急速に迫ってきて、確かに怖いと思った。でも、それで彼女の心が変わることも、勇気が潰えることもなかった。
それを目で訴えると、父は「そうか」と言葉を呑んだ。その後に発せられた小さな溜め息が、リーベにはとても残念そうなものに思えた。
「冒険に出る以上、そういう事もあり得る。だからこれからは、今まで以上に気を付けて行動することだ。いいな?」
「……うん、わかった」
神妙に頷くと、エルガーの目の色が変わった。
「ああほら、あんま話に夢中になってると、飯が冷めちまうぞ」
「そ、そうね。せっかくのお料理なんですもの。美味しい内に頂きましょ?」
何処か気まずいものを残しながらも、食卓には思いやりに溢れた明るい雰囲気が漂っていた。
リーベが温もりに包まれていると、『もしもあの時、おじさんが助けてくれなかったら……』と、恐ろしい想像が過る。
「…………」
今回のような危険を避けるためには、注意するだけでは足りない。ターゲットと、それが出現した地域に生息する他の魔物の性質をよく理解しないといけないのだ。父に図鑑を借りたらそこにある情報を漏れ無く頭に叩き込もう。彼女はそう心に決めると、食べる手を早めるのだった。
食後、リーベはエルガーに連れられて両親の寝室にやって来た。
夫婦の匂いで満たされたその部屋は、入って左奥にダブルサイズのベッドがあり、その反対には小さな本棚があった。それはシェーンの愛読している料理本や小説が多数を占める一方で、隅っこの方には年季の入った革張りの図鑑が2冊、収まっている。エルガーはそれをまとめて取出した。
「重いぞ?」
「うん――おもっ⁉」
リーベはガクッとなるが、どうにか踏ん張る。
「はは! 重いって言っただろ?」
エルガーの笑い声を耳にしながら、リーベはカニみたいな横歩きで自室へと向った。
両親が開店準備をしている中、冒険者であるリーベは父に借りた資料で勉強することにした。
(まずは図鑑でラソラナについて復習しよう)
彼女は2冊ある図鑑の内、ひとまず上巻を開いた。
色褪せた紙面には発行元である冒険者ギルドの偉い人による訓辞と激励の言葉が記されていたが、長いから飛ばした。
ページを捲った先には目次があるかに思われたが、違った。変わりに謎の表が目に飛び込んでくる。
「ええと、『危険度とその定義』?」
その表にはこう記されていた。
特級……迅速なる討伐を絶対的に要する
一級……人間に害を加える事に積極的で、高い戦闘能力を有する
二級……人間に害を加える事に積極的で、周囲に著しい害を及ぼす
三級……人間に害を加える事に積極的
四級……人間に害を加える事に消極的で、高い戦闘能力を有する
五級……人間に害を加える事に消極的で、生活に害を及ぼす
六級……人間に害を加える事に消極的で、周辺環境に害を及ぼす
「ふーん……」
(なんか難しいことがいろいろ書いてある)
今回挑んだラソラナは果たして何級だろうかと考えたリーベは、あの純粋な獰猛さは第三級に該当するのではないかと予想を立てた。
答え合わせをしようと目次を探すと、次のページがそれだった。
「ラソラナ……ラソラナ…………あった」
上巻の中頃に記述があるようで、該当するページを開いてみると、一昨日対峙したあの化けガエルの姿が目に飛び込んできた。
「⁉」
写実的なそのタッチに、舌で捕らえられた時の恐怖が蘇り、反射的に図鑑を閉じてしまう。
「すう……はあ…………」
呼吸を整えてから再度ページを開くと、なるべく挿絵を見ないようにしながら、周囲の文字を追っていく。その中で『ラソラナ……第三級危険種』という記述を発見した。
「やっぱり、三級なんだ」
予想が的中したことに喜びつつ、解説を読み上げていく。
「なになに……『北方の寒冷地帯を除く国内全域に生息するカエル。肉食であり、自分より小さな動物であればなんであろうとも捕食する。
特筆すべきはその投げ縄のような舌であり、これで獲物を捕らえ、口内まで引きずり込む。これは千切れても数日で再生することが確認されている。
丸呑みにした獲物を殺すため、強力な消化液を分泌する。これは鉄をも溶かすほど強力なものであり、剣士諸君はラソラナの胃袋を裂き、愛剣を溶かされないように気を付けるべし。』へえ……」
(あのベロって再生するんだ……トカゲの尻尾みたい)
そんなことを考えていると、階下からドヤドヤと喋り声が聞こえて来た。
「ん?」
まだお店を開くような時間じゃないはず。そう思いつつホールに下りると、そこには両親の他にヴァールたちがいた。
「お、来たか。お前のことだからまだ寝てるんだと思ったぜ」
開口一番、ヴァールは意地悪を言う。
しかしリーベはその偏向的な想像の遙か上を行く高尚な行いをしていたのだ。自然と心が大らかになり、いつもと違って寛大に扱うことが出来た。
「ふふん。おじさんと違ってわたしは成長してるんだから」
『成長』という単語にフロイデが鋭く反応し、赤いスカーフを翻して彼女の隣にやって来ると、鼻息荒くフェアに尋ねる。
「どっちが高い……!」
皆が見守る中、彼は中腰になり、2人を見比べる。
「ふむ……若干ですが、フロイデの方が高いですね」
その言葉にフロイデは得意げに鼻を鳴らし、口角を吊り上げる。
「僕の方が成長してる……!」
「はは……おめでとうございます」
「むふーっ!」
何とも言えない空気が流れる中、ヴァールが「それよか」とリーベに向けて発する。
「これからギルドに行くから準備してこい」
(そうだ。これからラソラナ退治の報告に行かなければならないんだった)
「わかった。ちょっと待ってて」
彼女は2階に駆け上がると、ポシェットに冒険者カードや財布を詰めてホールに戻ってくる。
「お待たせ」
それを受けヴァールは彼女の両親に向けて言う。
「そんじゃ、リーベを借りてくぞ」
「おう。転ばねえように面倒見てやってくれ」
「お父さん!」
(まったく、子供扱いして!)
彼女がぷんすかしているとシェーンが笑って言う。
「昨日の疲れが溜まってるでしょうし、無理はしないのよ?」
「うん、わかった――それじゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
大好きな両親に見送られ、彼女は今日も冒険者活動に繰り出すのだった。




