058 ザ・ミルキー
パウロ宅の斜向いに共同浴場はあった。
リーベがノックをしてから入ると正面には目隠しの衝立てがあって、その陰では村の女性たちが談笑しながら脱衣を進めていた。
「どちら様?」
壮齢の女性が発した言葉により、リーベに視線が集まる。
「あの今晩、パウロさんのお宅でお世話になる事になった冒険者なんですけど――」
「ああ!」
女性は手を打ち合わせた。
「じゃあ、あなたがエルガーさんの娘さん?」
「はい、リーベと言います。よろしくお願いします」
一礼すると場はざわめき、彼女に向けられる視線は熱烈なものへと変わっていく。
「へえ……こんなに可愛いんだもん。あの人が自慢したくなるのもわかるわ」
「あ、ありがとうございます……」
気恥ずかしくなって俯いていると、女性は短い声をあげる。
「あ、そうだ。私、パウロの妻のアリサよ。よろしくね?」
「こちらこそ。あの、今晩は――」
「聞いてるわ。冒険者はいつもうちに泊まってくからね」
「そうなんですか。お世話になります」
「ええ」
アリサは微笑むと「立ち話もあれだし、続きはお風呂でしましょ?」と言う。
「そうですね――あ、すみません。ちょっと色々あってわたし、いま汚いんですけど」
「構わないわよ――ねえ?」
彼女が周囲に問い掛けると、みんな(鼻を摘まんでいた人も含めて)は「ええ」と同意してくれた。唯一の例外として、年端もいかない少女が「おねーちゃん、くさーい」と無慈悲に言う。
リーベは周囲の慰めの言葉に乾いた笑みを返しつつも、心の中では泣いていた。
ライル村は小さな集落であるからして、浴場も相応に小さかった。しかし人数が少ないために窮屈ではないし、設備に関してはテルドルのそれと変わらず、不便は感じなかった。
今この浴槽に浸かってるリーベを除けば全てこの村の住人である。そんなコミュニティに対し、リーベは当初疎外感を抱いていたが、この村の人間は余所者に対して寛容で、湯船より温かく受け入れてくれた。
自己紹介や質疑応答を終え、彼女への感心が薄れていった頃、アリサは問う。
「さっきギルドの人がおっきなカエルを運んできてね、私、びっくりしちゃったわ。アレはリーベちゃんが倒したの?」
「いえ、わたしは見学してただけで、アレはおじ――師匠たちが倒したんです」
「というと、ヴァールさんたちが?」
肯定しつつ、ヴァールたちが度々この村を訪れていた事を思い出した。
「そうそう、ヴァールさんと言えば、もう一人弟子を取ったってパウロに聞いたけど、どんな子なの?」
『子供っぽくて可愛い人ですよ』と言いそうになるが、フロイデの名誉のためにグッと堪え、別の表現を探す。
「そうですね……とっても強い人なんです。剣も上手で、魔物を見ても動じなくて」
「へえ、頼もしいわね」
「はい! わたし、今日も助けられちゃって――」
自分の言葉に不甲斐なさを感じ、口籠もる。
(冒険者なんだし、自分の身くらい、自分で守れるようにならないとな……)
「リーベちゃん?」
「あ、すみません」
「よほど疲れてるみたいね。晩ご飯は食べられそう?」
「はい大丈夫です」
「そう。今晩はチーズフォンデュにしようと思うんだけど、どうかしら?」
(ライル村の牛乳を使ったチーズフォンデュ……)
彼女はごくりと喉を鳴らした。
「おいしそう……!」
「ふふ、決まりね」
アリサはすくと立ち上がると湯船を出ようとした。
「もう上がっちゃうんですか?」
「料理しなきゃならないからね」
「あ、じゃあわたしもお手伝いさせてください」
「え、でもお客さんだし――」
「わたし、料理大好きなんです!」
「あらそう? ならお願いしちゃおうかしら?」
「任せてください!」
2人は知り合ったばかりにも拘わらず、親しげに笑みを交わすと一緒に湯船を上がった。
食卓の中央に置かれた鍋からは湯気と共にミルキーな香りが立ち上っている。
それはリーベの内で鳴りを潜めつつある子供心を甚だしくくすぐるるものであったが、今は人前であるということもあり、彼女は慎んだ。
その一方で――
「おお……伸びる……!」
フロイデはフォンデュピックの先端でバゲットにチーズソースがねっとりと絡みつく光景に、無邪気に目を煌めかせていた。
その様子にアリサは苦笑を浮かべ、『この子が本当に強いの?』と疑問を籠めてリーベに目配せする。
「はは……」
笑って誤魔化すと、リーベはピックでプチトマトを刺してソースにくぐらせる。
赤と乳白色のコントラストが素晴らしいそれを口に運ぶ。
チーズと牛乳の濃厚な風味が口内を見たし、一拍遅れてプチッと、トマトの酸味が弾ける。
「ん! おいしい!」
「初めて食ったが、中々いけるな」
ヴァールが腸詰めを頬張りながら言うとフェアが続く。
「牛乳で作ったのは初めて食べますが、優しい味わいがして美味しいですね」
チーズフォンデュは白ワインで作るか、牛乳で作るかで大分味わいが違ってくる。リーベは両方食べたことがあるが、牛乳で作るほうがまろやかで好きだった。
「やっぱり素材が良いと違いますね?」
パウロに向って言うと彼は穏やかに笑った。
「リーベちゃんは褒めるのが巧いね」
「本当の事を言ってるだけですよ?」
「ははは! そうかい。気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
「ほんと。そう言ってもらえるとあの子たちを頑張って育てた甲斐があるわね」
『あの子たち』とは乳牛のことだ。
「牛乳って毎日絞ってるんですか?」
尋ねるとパウロが「そうだよ」と答えてくれる。
「早朝と夕方の2回採るんだ」
「へえ、早朝かあ~」
チラリとヴァールを見やると、彼は大きく溜め息をついてパウロに言う。
「明日、コイツに乳搾りやらせてやってくんないか?」
「いいですよ?」
「やった!」
喜んでるとアリサが尋ねてくる。
「なに、リーベちゃんは乳業に興味があるの?」
その目は同好の士を見つけたときのそれだった。
しかし生憎とそうではなかった。若干申し訳なく思いつつも、素直なところを口にする。
「ええと、牛に会うの初めてで、せっかくならやってみたいな~って……」
「ふふ、そんな顔しないで? 好奇心が強いのは良いことよ?」
「アリサさん……」
彼女の寛大さに胸が温まる中、リーベの隣から物騒な音が響く。
「お、おごっ……!」
振り向くとフロイデが喉を押さえて悶えていた。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「おいマジかよ!」
一座が騒然とする中、フェアがサッとやって来て、フロイデの腹を左手で押さえながら右手で背中を叩く。するとスポンとプチトマトが飛び出し、彼の取り皿の上に転がった。
「げほ! げほおっ! ……ふう…………」
彼は真っ赤になった顔を上げると袖で口下を拭いながら振り替える。
「あ、ありがと。フェア」
「いえ。あなたももう子供じゃないんですから、落ち着いて食事をしてください。いいですね?」
「ごめん、なさい……」
フロイデが俯きがちに謝るとフェアは彼の頭を一撫でしてから席に戻った。
「まったく、騒々しいヤツだな」
ヴァールに言わせたまま、フロイデは吐き出したトマトを口に戻し、恥じ入るように丹念に咀嚼した。
「まあ大丈夫なら良かったよ」
パウロが言う。
「トマトは詰まりやすいから、気を付けてね?」
「……うん。気を付ける」




