056 もふもふ、襲来!
ラソラナの死骸を狙って他の魔物か獣がやって来るかもしれない。
そのためヴァールとフェア。そしてフロイデが交代で辺りを警戒している間、リーベはグニグニと干し肉を囓っていた。
「まだかな……」
南西の方角からアレがやって来るはずなのだが、影すら見えない。そろそろ現れても良い頃合いなのだが……
「待ってる内は来ねえよ」
一帯を警戒していたヴァールが呆れた風に言う。
「……確かに」
探し物とかも、探している内は出てこないのに、諦めた途端見つかることがある。それと同じことだろう。
「ふふ、気長に待つことが肝要ですよ」
フェアがくすりと笑んだ時、フロイデが短い声をあげた。
「あ、来た」
「ほんとですか⁉」
バッと振返ると、街道の向こうに大きな影が現われた。それは激しく上下に動いており、遠目にはその輪郭が掴みづらかった。しかしもの凄い速さで近づいてくるため、すぐに全容がはっきりとしてきた。
真っ黒な鼻を頂点に尖った白い顔。ピンと張った三角の耳と、そこから連なる雪のように白い長毛、それを向かい風に靡かせている。
「わあああ……!」
それはリーベの前に立ち止まると、切れ長の瞳を彼女に向け、短く吠える。
「ウォン!」
「ソキウスだ!」
リーベが溜まらず駆け寄ると白狼の背後から短い声が響く。
「おすわり!」
「ウォン!」
ソキウスは人の背ほどある長い後ろ脚を畳み、大きな尻を下げる。それは見紛うことなき『おすわり』であり、リーベはもう、メロメロだった。
「~~っ! お利口さんだねえ!」
その声に反応してソキウスが彼女に顔を寄せてくると、そのまま大きな舌を伸ばしてべろりと舐めあげた。
「もーっ! くすぐったいよ~!」
燥いでいると、ソキウスがなにやらくちゃくちゃと咀嚼しているのに気付く。
「ん……あ、わたしの干し肉!」
(さっきのペロペロはその為か! まったく、仕方ない子……でも許しちゃう!)
見上げていると、彼は満足そうに舌なめずりをし、お礼とばかりに顔を差し出す。
(……これはつまり、もふもふしてもいい……ってことっ⁉)
リーベは両手を広げると大きな顔に抱きついた。
「ふあああ……!」
顔周りの毛は綿のように柔らかく、シルクのように滑らかだ。それでいて体温でぬくぬくとしており、それを全身で感じられるなど、まさに天にも昇る心地だった。
彼女頬ずりしたり、両手で撫でたりしていると、至福のひとときを邪魔するヴァールの声が響いてくる。
「ほら、もう十分だろ?」
「いや! もっともふもふするの!」
「バカ言え! それじゃ帰れねえだろうが!」
ドカンと叱られるとリーベは渋々ソキウスから離れた。
すると聞き覚えのある笑い声がソキウスの背中から聞こえて来る。
「ははは! エルガーさんに聞いてたけど、リーベちゃんはほんとうに犬が好きなんだね」
声の主はスヴェンという青年だった。彼はよくエーアステに訪れる常連だった。
彼は現在、ギルドのイメージカラーである紺色のベストを纏っていて、その胸にはソキウスを模した徽章を着けていた。
「だって可愛いんですもん!」
「はは、そうかい。でも凄いね」
「凄いって、何がですか?」
「アデライド――コイツに限らずソキウスは気難しい魔物だからね。出会ったばかりの人間にそこまで触らせてくれるなんて、滅多にないことだよ」
「そうなんだ……!」
リーベはソキウス改め、アデライドを見上げる。
切れ長の瞳は絶えず彼女を見つめていて、またもふもふしてくれているのを待っているかのようだ。その様子に彼女は『わたしたち、心が通じ合ってるんだ……!』とときめいた。
「さ、挨拶も済んだだろ? ちゃっちゃと片付けてくれ」
ヴァールが呆れて言うとスヴェンは苦笑しながら「了解しました」と言い、アデライドの側面に回る。アデライドは特大サイズの荷車を曳いていて、これから両者の接続を解除するのだ。
ガチャガチャと速やかに解除すると、スヴェンはラソラナの死骸を指差して相棒に命じる。
「アデライド、アレを運んできてくれ」
「ウォン!」
アデライドは利口なだけじゃなくて力持ちだった。
人を丸呑みに出来るくらい大きなラソラナを咥え、ひょいと持ち上げると、相棒の指示に従って荷車に下ろした。
「わあ! 凄い凄い!」
その様子にリーベが燥いでいると、ヴァールが呆れた様子で「ほらリーベ、お前も手伝え」と言う。
「え?」
その声に振り返ると、フェアとフロイデが斬り落としたラソラナの脚を運んでいるのが見えた。
(まさか……)
血の気が引いていく中、ヴァールは例の意地悪な顔をして言う。
「言っただろ? 『覚悟しておけ』ってな? だからお前も手伝え」
「そんな~……」
覚悟は出来ていたはずなのに、実物を前にした途端、弱気になってしまう。人間とはままならない生き物なのであった。
「うう……」
ラソラナの脚はもちろん重かったが、それ以上に大変だったのはその感触と臭いだ。
筋肉質でありながら何故かぶよぶよとしていて、ドブのような臭いがする。それは女子でなくとも不快感を覚えるレベルであった。
「うぷ……っ!」
思い出した途端、再び吐き気がこみ上げてきたが、どうにか押さえ込む。
「ふう……」
「そんなにか」
ヴァールが苦笑して言うとフェアが批難がましく言う。
「リーベさんはあなたと違って繊細なんですよ」
そう言いながら彼は薬を差し出す。
「うげっ……⁉」
「吐き気止めです。どうぞ――」
「あー! なんだかスッキリしてきたなー!」
「そう、ですか……」
彼は残念そうに小瓶をしまった。そのことにリーベは深く安堵した。
額に浮いた汗を拭っていると、スヴェンと一緒にラソラナを荷台に括り付けていたフロイデが報告する。
「終わった、よ?」
言い終わらぬうちにスヴェンの声が響く。
「ヨシ!」
その声に振り返ると、彼はアデライドと荷車の接続をチェックしていた。指差し呼称を確認が済むとおすわりした状態の相棒の背によじ登る(アデライドの背中には縄梯子と鞍が取り付けられていた)。
彼は冒険者一行を見下ろして言う。
「それじゃ、俺たちは一足先に帰りますね」
「ああ、気を付けてな」
ヴァールが言い終ると同時にリーベはスヴェンに呼び掛ける。
「あの! 最後に少しだけ、アデライドを撫でても良いですか?」
その申し出を、彼は快く受け入れてくれた。
「ああ、いいよ。でももう暗くなるから、少しだけね?」
「はい! ありがとうございます!」
礼を述べるとリーベは正面に回り込み、アデライドに両手を差し出した。
「ウォフ……」
アデライドは短く鳴くとその大きな顔で彼女に寄せ、愛撫を受ける。リーベはこの温もりを忘れまいと、噛み締めるように堪能した(ついでに抜け毛を少し拝借した)。
「ふう……またね?」
「ウォン!」
リーベが脇に退くと「それじゃ、テルドルでお待ちしてます」とスヴェンは相棒と共に来た道を返して行った。
「バイバ~イ!」
手を下ろすとリーベはうっとりとした心地で溜め息をつく。
「はあ……可愛かったな…………」
「燥ぐのは今回だけにしてくれよな?」
ヴァールはいつになく真面目な声でそう言った。
「ご、ごめんなさい……」
駆け出しとは言え、リーベは冒険者なのだ。にも拘わらず、自然界で無邪気に燥ぐなど言語道断である。羞恥と若干の後悔が募る中、彼女は反省させられた。
厳かな空気が漂い出した中、フェアが空気を入れ換えるように気持ち大きな声で言う。
「さ。日が暮れる前にライル村に帰りましょうか」
「そうだな。いくぞ、お前ら」
「あ、待って!」
リーベが慌ててリュックを背負っていると、その脇でフロイデが呆然と立ち尽くし、スヴェンとアデライドが去っていた方向を見つめているのに気付く。
「フロイデさん?」
「……ぼくは猫派だから…………」
「あー……」
彼もアデライドをもふりたかったのだ。
「おら、さっさと帰るぞ!」
「あ、はーい! フロイデさん、帰りましょ?」
「……うん」




