057 はじめての夜
掃除を終えたリーベは茶でも淹れて一服したいところだった。しかしこのクランハウスには茶葉はおろか、茶器すらもないようで、リーベたちはフェアが魔法で出した水で喉を潤すこととなった。
「ふう~良いお手前で」
気分だけでもと思って口にするも、ただただ虚しかった。
「はは、ただの水だぜ?」
ヴァールが言ったとき、「クァ~~」とカラスの鳴く声が聞こえた。その声に、彼女は一層虚しくなった。とその時、リーベの隣から「ぐうううう……」と腹の虫が鳴く音が聞こえてくる。
「お腹、空いた……」
フロイデが腹を擦りながら言う。
「そろそろ良い頃合いですし、夕食を食べに行きましょうか」
フェアはそう言うがりーべは料理担当として、そう易々と外食を受け入れる訳にはいかない。
「あ、わたしが作ります」
「今からか?」
ヴァールにそう言われると閉口するしかなかった。
「気持ちは受け取るが、明日から頑張ってくれ。な?」
「……うん」
2人がそんなやりとりをしている間にもフロイデは身支度を調え、入り口の方からもの言いたげな視線を飛ばしてくる。
「ふふ、私たちも用意をしてしまいましょうか」
「そうですね」
フロイデに急かされる形で向かったのは、クランハウス街の中心部にある牛々亭という食堂だった。ここでは冒険者たちに向けた豪快な料理が振る舞われると言うことで、リーベは好奇心と若干の畏怖を募らせていた。
この店では酒も提供しており、扉を開けた瞬間、彼女の顔には男たちの陽気な声が塊となって打つかってきた。
「う……っ! 凄い音量?」
「ここはこういう店なんだ。すぐに慣れるだろうよ」
そう言いながらヴァールは店員さんを捕まえ、空席があるか尋ねた。
幸いにして食卓が1つだけ空いているようで、一行はそこに着くこととなった。
銀魚亭の時と同様、リーベはテルドル一の食堂の娘として、厳しい視線で辺りを見回した。
天井は低く、縦横に広い方形の空間に丸テーブルを可能なだけ敷き詰めた場末の食堂らしい営利的な体裁だ。客層は場所柄、屈強な男たち(おそらくは冒険者だろう)が多数を占めていて、彼らは大きな肉塊を食らいながら酒を飲み、愉快に談笑し、あるいは歌っていた。
「なるほど……冒険者相手に特化したお店か」
「ふふ、敵情視察ですね」
「それもいいが、とりあえずメニューを選んでくれ」
「あ、そうだった」
ヴァールに促されてメニュー表に視線を落とす。
そこには如何にも冒険者が好みそうな豪快なメニューが連なっていたが、特に目を引いたのは『ドラコバッシュのガーリックステーキ』だった。
「なに、これ?」
興味を起こして呟くと、フロイデが教えてくれた。
「このお店の、看板メニュー。おいしい」
「へえ、そうなんですね」
(つまりエーアステで言うトマト煮か)
そう思うと、リーベこの料理を食さなければならないという使命感を抱いた。
「じゃあわたしはこれ」
「大丈夫ですか? 結構量が多いですけど」
フェアが心配そうに問うと、食いしん坊なヴァールとフロイデが声を揃えて言う。
「大丈夫だ!」
「大丈夫……!」
2人の瞳からはリーベが残した分を頂こうという思惑が在り在りと見て取れ、リーベは苦笑させられた。
「はは……」
(頼もしい限りだ)
「注文たのむ」
ヴァールが手を上げて言うと若い女性の給仕がやって来る。彼女はリーベを見て目を丸めながらもメモを構える。
「オーダーを窺います」
「ドラコバッシュのガーリックステーキを4つ」
「4つですね~」
メモを取っていた彼女だが、ふと心配そうにリーベを見る。
「あの~このメニュー、女の子にはちょっと多いと思うんですけど、大丈夫ですか?」
「あ、はい。大丈夫だと思います」
そう言って鼻息を荒げるヴァールとフロイデを見ると納得して、彼女はオーダーを伝えに向かった。その背中を見送ったリーベの胸にはとある疑問が浮上してきた。
「あの、今更ですけど、ドラコバッシュってなんですか?」
それはエーアステでは扱っていない食材であった。
「威嚇するときの声がドラゴンの唸り声に似ている牛です。一応魔物に分類されていますけれど、温厚な性格をしているので家畜化されていますね」
「へえ……そんな魔物もいるんですね」
「ええ。ソキウスなどもそうですが、意外と魔物は身近な存在なのです――」
「お待たせしました。ドラコバッシュのガーリックステーキです」
「ありがとうござ――て、おっきい!」
リーベの前に置かれたそれは彼女の握りこぶし10個分程もある肉厚のステーキで、プレートとの間で油をジュージュー言わせていた。その圧倒的な存在感に、ただでさえ脇役である野菜たちの陰が一層薄らいでいた。
驚いている間にも全員分運ばれてきて、一同は早速食事に掛かることにした。
「いただきます!」
言うが早いか、ヴァールとフロイデは肉を飛びつき、ナイフを入れ始めた。リーベどちらが早く食べ終えるか気になったが、自分もこの肉と戦わなければならない故、そんなゆとりはないのだった。
「……よし…………!」
フォークで押さえ、ナイフで小さく切り分ける。すると断面からは水源のように脂が滲んできて、ジュージューと食卓を賑やかせる。
「わあ……!」
その夢のような光景に歓喜しつつ頬張ると、肉は驚くほどに柔らかく、噛むとまるで果実のように肉汁があふれ出て、その背徳的な旨味に頬が緩まずにはいられない。
驚くほどに食べやすく、リーベは自分でも食べ切れてしまいそうだと思いながら一口目を飲み込む。喉奥へと滑り込んでいく肉はニンニクの香りを口内に残していって、それがわたしにある種の罪悪感を起こさせた。
「美味しいけど、こんなの食べたら太っちゃいそう……」
「なあに。お前は細いんだから少しくらい肉をつけなきゃだめだぞ」
「うん。それに、いつも動いてるから、大丈夫」
2人の言葉は悪魔の甘言のようにリーベの心を怪しく撫でた。
生憎と今晩は天使は不在で、彼女はこの背徳をとことんまで楽しもうと思ってしまった。
「そ、そうだよね。このくらいなんともないよね……!」
そうして彼女は二切れ目を口に運んだ。
結果を言うと、リーベはあの肉塊を4割までしか食べられなかった。その事実に彼女は、自分でも食べ切れてしまいそうだとは何だったのかと、若干の敗北感を抱いた。
パンパンに膨れたお腹を擦りながらも、彼女は食事を続ける人たちを見た。
「がつがつ……!」
「もっもっ……!」
リーベの敗北によっておかわりにありつけたヴァールとフロイデ。2人はこれが1食目であるかのような、ものすごい食べっぷりを発揮していた。
(……おじさんはともかく、わたしと同じだけ小柄なフロイデさんがどうしてあんなに食べられるの? 冒険者はみんなこうなのかな?)
そう思うと、今度は1人前しか食べていないフェアが心配になる。
「フェアさんはアレだけで足りるんですか?」
尋ねると、上品に口元を拭っていた彼は微笑む。
「ええ。私は2人ほど健啖家ではありませんから」
そう言いつつも、山のようにあった肉を食べきった彼だった。
夕食と入浴を終え、クランハウスに戻ってきたのは夜8時過ぎだった。リーベは暗い室内をランプの明かりで照らし出すも、そこに帰ってきたという実感はなかった。
「明日は休みにするが、だからと言って夜更かしはすんなよ?」
「うん、それじゃ、お休みなさい」
リーベはルームメイトであるフロイデと共に寝室に向かった。ドアを開けて、ダンクにただいまを言うとパジャマを取り出すべく、クローゼットを開く。
「あ、そうだ。フロイデさんって寝るとき服はそのままですか?」
「そう、だよ?」
そう答える声は若干上擦ったものだった。
「へえ、そうなんですね。わたしのお父さんも着替えないで寝ちゃうんですよ。冒険者ってみんなそうなんですかね?」
「フェアは着替える、よ。リーベちゃん、も?」
「はい。なので少しだけ部屋を出てもらってもいいですか?」
「あ……うん」
彼は若干の動揺を見せて廊下へと出て行った。
リーベはドアが閉まったのを確認するとパジャマに着替えた。
「もう良いですよ」
そう言うとフロイデが戻ってくる。彼はベッドへ向かうでもなく、呆然とリーベを見ていた。
「フロイデさん?」
気になる女の子のパジャマ姿に興奮していた彼は『何か答えないと』と慌てて辺りを見回らす。その中で彼女のパジャマの裾に犬の刺繍があるのに気付く。
「あ、ええと……そ、それ、犬……?」
「あーこれですか? お母さんがダンクの顔の刺繍をしてくれたんです。可愛いでしょう?」
そう言って裾をピンと張って見せつけるも、彼は居たたまれなくなって「お、お休み……!」とベッドに逃げ込んでしまった。
「? お休みなさい」
その時ふと、彼女はやるべきことを思い出した。
「あ、そうだ手紙を書きたいので少しだけ明かりを点けてても良いですか」
「い、いい、よ?」
壁を見て横たわった彼の答えを聞くと、リーベは机に向かった。そこに鎮座していたダンクを脇の方に避けるとランプを抱かせ、便せんを広げる。それは白地に罫線を引いただけのシンプルなものだった。
(さて、どう書きだしたものか……)
しばし考え、ペンを取った。
『お父さんとお母さんへ。
まずはダンク共々、無事に王都にたどり着けたことをご報告します。
……堅苦しいのは恥ずかしいので、ここからは普通に書かせてもらいます。
今日、ギルド本部に行ってきたんだけれども、そこでリアちゃんと友達になったよ。
お互い一目見て相手が誰かわかっちゃうんだから、不思議だよね。
リアちゃんはギルドで受付嬢をやってたから、たくさんお話は出来るけれども、もっとたくさんお話がしたいな。いつか遊びに誘ってみるよ。
あと、ダルさんから剣の形をしたロッドをもらったでしょ? だからおじさんが剣術を教えてくれるって。
正直、お父さんが剣士をやってたから、わたしも最初は剣士になりたかったの。だから剣術を教えてくれるっていわれたとき、本当に嬉しくって!
ああでも、魔法使いが嫌って訳じゃないよ。だって魔法は楽しいものなんだから。
でも明日から稽古って訳じゃないんだよね。ほら、だって今日到着したばかりだから。旅の疲れを取らなきゃいけないし、ああでも、王都の観光もやってみたいな。
ああ、なんて忙しいんだろう。
今のわたしはピークタイムのお母さんよりも忙しいよ――なんてね。
まだまだ書きたいことはいっぱいあるけれども、おじさんに夜更かしするなって念を押されたのでここまでにします。
これから手紙を書けるときは毎日書いて、溜まってきたらまとめて投函していくから(お小遣いがね……)楽しみにしててね。
それじゃ、わたしは元気だから、2人も元気でいてね。
あなたたちの娘のリーベより』
「ふう……」
手紙を書き終えると、リーベは一息ついた。一度にこれだけの文字を書いたのは久しぶりかもしれない。そんなことを考えながら手紙を読み直し、丁寧に折りたたんで封筒にしまった。それから封蝋を垂らして、犬の顔が彫りこまれたシーリングスタンプを捺す。
「わん! なんてね。んーっ! はあ……」
大きく伸びをすると、リーベの耳に可愛らしい寝息が聞こえてきた。
振り返ると、フロイデさんはもう眠りに就いており、赤ん坊のように片手を毛布の外に投げ出している。
「ふふ。わたしたちも寝よっか」
ダンクに向けて言うと、リーベは手早く道具を片し、愛犬と共にベッドに潜り込む。毛布で外界とを遮断すると、フロイデを起こさないように声を潜めて語り合う。
「久しぶりの王都はどうだった?」
「…………」
ダンクは興奮の余り、声にならないようだ。
「ふふ、楽しかったんだね」
言いながら大きな頭を撫でると、ダンクは心地よさそうに身を委ねてくる。そんな様を愛おしく思っていると、リーベは以前した約束を思い出した。
「そうだ。お風呂に入れて上げる約束だったよね?」
すると彼は嬉しそうに瞳を煌めかせ、飼い主を見つめた。
「明日はお休みだから、朝からお風呂に入れて上げるね」
「…………」
「ふふ、もっふもふにしちゃうよ~」
そう言って彼をもふもふし始めるとリーベは体の底から旅の疲れが滲んでくるのを感じた。
それと同時に眠気を催し、彼女の思考はもやの中へと……




