044 ジャイアントキリング
冒険者ギルドは今日も冒険者たちが屯しており、室内はまるで市場のような賑わいを見せていた。リーベたちが入場すると、入れ違いになる形で線の細い男性が出て行く。その表情には無骨な空間を脱した安堵が滲んでいた。
男性を横目で見送っていると、フェアがヴァールに冒険者カードを差し出しながら言う。
「それでは、私たちは待機していますので」
「お腹空いたから、早く、ね?」
フロイデが腹を擦りながらカードを差し出すと、ヴァールはニヤリと笑んで返す。
「ああ。腹空かしたからって泣くんじゃねえぞ?」
「赤ちゃんじゃない……!」
「ははは! それじゃ、行ってくる」
彼が受け付けに向かって歩き出すと、リーベは手続きの見学するためにその背中を追った。
2人の向かう先では受付嬢のサリーが書類整理をしていた。
「あ、リーベちゃん」
リーベに気付くと彼女は垂れ目を細め、「聞いてるよ~」と女子トークのトーンで語りかけてくる。
「カナバミスライムを倒したんだってね?」
彼女がそう口にした途端、リーベは周囲の視線が集まるのを感じた。その重圧の中、彼女ははゴクリとつばを呑み下し、恐る恐る頷いて見せた。
すると周囲がドッとわいて、「さすがエルガーさんの娘だ!」「これならテルドルも安泰だな」などなど、誇らしくも気恥ずかしい言葉がリーベの心をくすぐった。
「わ、わたし1人で倒したわけじゃないですよ! おじさんたちには何回も助けられちゃって――」
「ふふ、謙遜なんてしちゃって!」
サリーは口元を隠して上品に笑うとお仕事モードに切り替えた。
「それで、カナバミ退治の報告でよろしいでしょうか?」
「ああそうだ」
ヴァールが頷くと彼女はファイルを開き、2枚の書類を取り出した。その様式からして、リーベはそれが依頼書と報告書だろうと思った。サリーが事前に記入した部分もあり、ところどころに端正な文字が刻まれていた。
「それでは討伐参加者の冒険者カードの提示をお願いします」
「おう」
ヴァールが仲間の分を含む3枚を差し出すとリーベが続く。
「拝見します――はい、ありがとうございました。それではこちらの報告書に記入をお願いします」
ヴァールは差し出された用紙に角張った文字を、刻みつけるように記していく。
『サンチク村南西約3キロメートル地点に縦穴を発見。これは当該の魔物が地中へ潜行するために開けたものである。戦闘後、安全のためにこれを魔法で埋めた。出没地点の至近に集落がないことが幸いし、被害は見られなかった。また、周辺環境への影響は確認できず、安全なものと思われる』
相変わらずの堅苦しい文言にリーベは目で追うのが億劫になるが、それでもどうにか末尾まで読み込んだ。リーベもいつか、クランを代表して報告書を記す日が来るかもしれないからだ。
そんなことを考えている内にヴァールは署名を終え、提出した。
「ありがとうございます。それでは、報酬金のお支払いになります」
それを聞いた途端、リーベの胸が高鳴った。
(希少な魔物を倒したんだから、たくさんもらえるよね!)
「わくわく……!」
「ふふ、今回はすごいよ~?」
硬貨の載ったトレイを重そうに運んできながら、サリーがいたずらっぽく言う。彼女が「よっこいしょ」の掛け声でトレイを置くと、リーベとヴァールは揃って短い声を上げた。
「す、すごい……!」
「こんなにか!」
それは並の労働者が3ヶ月働いて得られる給与と同程度の額だった。
たった1回の冒険で、しかも時間にして半日でこんなに稼げてしまうなんてと、リーベは冒険者業にロマンを感じずにはいられなかった。
「はい。カナバミスライムからは大変貴重な素材が採れますし、何より、第一級に分類される手強い魔物ですから」
「え、カナバミって一級なの?」
意外な事実に驚いていると、ヴァールが言う。
「俺たちは適切に対処したから容易く映るんだろうが、あいつは本来、相当に手強い魔物だ」
「へえ……あ。剣も魔法も、普通にやったら効かないもんね」
「そういうこった」
ヴァールが結ぶと、サリーが微笑んで続く。
「そんな魔物を六級冒険者のリーベちゃんが倒しちゃうなんて、冗談抜きで凄いことなんだよ?」
碧眼を煌めかせてそう言った。
その言葉にリーベ自分がこの街の英雄の娘である事実を思わずにはいられなかった。
(……もしかしてわたし、才能があるんじゃ――)
そんな考えを抱いた途端、側頭部に鈍痛が走る。ヴァールがデコピンをしたのだ。
「あいだっ! もーっ! いきなり何するの!」
「弟子が増長しねえように、活を入れねえとな。おらっ!」
デコピン!
「あいったあーっ!」
「ふふふ! お弟子さんをいじめるのもほどほどにしてくださいね」
サリーが冗談っぽく言うと、ヴァールは「りょーかい」と最後の1発をお見舞いしてきた。
「あたた~っ!」
サリーはひとしきり笑うとヴァールの方を見て「ところで……」と、丁重に切り出す。
「明日からカナバミスライムの解体と運搬を行うので男手を集めていまして、ヴァールさんには是非、ご協力いただきたいのですが、如何でしょう」
テルドルは5大都市に数えられるくらいには大きな街だが、彼ほどに逞しい肉体を持つ者は早々いない。それを思えば、ギルドが彼の手を欲するのは当然のことだった。
「どうするの?」
リーベが尋ねるとヴァールは平然と答えた。
「明日なら別にいいぞ」
「ほんとうですか! ヴァールさんが手を貸してくれるならほんとうに助かります!」
「はは! ここの軟弱な連中に任しちゃおけないからな」
「ふふ、お給料も出ますので、ふるってご参加ください」
「おじさんがいるならあっという間に終わっちゃいますよ」
リーベがそう言って笑うと、ヴァールが「お前も手伝うんだぞ」と言ってきた。
「え⁉ なんで!」
「なんでってそりゃ、体作りのためだろ?」
「で、でも今日は冒険だったし、明日はお休みなんじゃ……」
「たった半日で成し遂げたつもりでいるようじゃあ、しょうがねえぞ?」
事実として、早朝から今までたったの半日しか経っていない。戦闘はハードであったが、移動は馬車を利用したこともあり、体に掛かる負担は前回よりもずっと軽いものだった。
「そ、そうだね……うん。明日も頑張ります…………」
殊勝な態度を見せるとヴァールは短く笑い、サリーへ向けて手を上げる。
「んじゃ、またな」
「はい。今後のご活躍を応援しています」
受付を離れた2人はフェアとフロイデと合流した。
「よう、待たせたな」
「遅い……!」
お腹をぐうぐう言わせながらフロイデが言う。
「ご、ごめんなさい……」
「ふふ、どんなお話をされていたんですか」
「ああ、明日カナバミの解体をやるから手伝えってな」
「ヴァールだけですか?」
「いや。体力作りのためにコイツも駆り出すことにしたよ」
そう言ってリーベの頭に手を置いた。グローブをつけたまま。
「ああ⁉」
彼女が頭に付いた砂を払っているとフェアはくすりと笑う。
「そういうことなら、私たちもお手伝いしなければなりませんね」
「お駄賃、出るの?」
「ああ」
「じゃあぼくも手伝う……!」
ほくほく顔でそう言った。駄賃の使い道について、何かプランがあるのかもしれない。それがなんなのか、リーベはちょっぴり気になったが、問い掛ける前に話題は別のものへ移ってしまった。
「ほらよ」
ヴァールは大金の入った袋をフェアさんに預けた。ここは人目があるからして、彼がその内容を確認することこそなかったものの、その重みに気付いたのか「おや」と短い声を上げた。
「どうした、の?」
「今晩はご馳走ですね」
「ご馳走……!」
食いしん坊なフロイデさんはに目を輝かせると、おじさんが腰に手を当てながら提案する。
「んじゃ、晩飯はみんなで食うか」
その提案は大変愉快なものだった。
「いいね、どこで食べるの?」
するとリーベに視線が集まる。
「んなの、お前んちに決まってるだろ?」
「でも、今日は営業日だよ?」
「鈍いなあ」
ヴァールが苦笑する傍ら、フェアがくすりと笑って言う。
「お客としてお邪魔するということですよ」
自分の家であり、以前の職場でもあるエーアステに客として踏み込むなんて、リーベは考えもしなかった。それだけにこの提案は新鮮で魅力的であり、彼女の好奇心に火をつける種火となったのだった。
「いいね、面白そう!」
「んじゃ、決まりだな」
「フロイデさんには聞かなくていいの?」
問い掛けると、「ほら」と顎で示される。
「トマト煮……クリームシチュー……チキンソテー……!」
彼は今晩何を食べるか、今から思案しているようだった。
「ふふ、なら決まりだね――それで、これからどうするの?」
「解散と言いたいとこだが、その前にロイドたちの見舞いに行くぞ」
「そうだね。きっとカナバミのこと気にしてるもんね」
「そういうこった。んじゃ、いくぞ」
ヴァールの後を追って歩き出すと、フロイデがぶつぶつ言って佇んでいるのに気付いた。リーベが言う前に、フェアが呼び掛ける。
「フロイデ、次にいきますよ」
「あ、うん……」
そう答えて歩き出したものの、心ここにあらずといった具合だった。
「ほお、よく来たの。お見舞いかい?」
ランドルフ先生は細長い顎を扱きながら目を細めた。
「はい。ロイドさんたちはまだいますよね?」
「ああ。退屈してっから顔を見せてあげなさい」
「はーい」
そんなやりとりを経て、一行は病室に踏み込んだ。天井の低いこの部屋には病床が3つ並んで置かれていて、うち2台は強面の男性が利用していた。
利用者の1人は海賊風の人物で、その手には『ゴミ拾いに生きる・下』という本がある。
もう1人はスキンヘッドで、窓際に置かれた植木鉢に咲くパンジーをうっとりと鑑賞していた。
その混沌さにフロイデが「変な夢みたい……」と困惑する中、リーベは2人に呼びかける。
「ロイドさん、バートさん。ただいまです」
すると2人は振り向き、頬を綻ばせた。
「あ、リーベちゃん」
「おかえり。早かったね」
「すぐそこだったんで。それより、具合はどうですか?」
「ああ。治癒師の先生は明日には完治させられるって言ってたよ」
「そうなんですね」
リーベがほっと胸をなで下ろしていると、ヴァールが笑いながらに言う。
「まったく、仲間が病室に寝そべってるってのに、ボリスは薄情だな」
「ああ。アイツのことだし、今頃一人で美味いもん食ってるんだろうな」
バートがため息交じりに言うとフェアが苦笑する。
「先ほどエーアステでお会いしましたよ?」
「なにぃっ!」
2人が目の色を変えて言うが、傷に障り、すぐに痛がり始めた。
「あたたた……」
「だ、大丈夫ですか?」
「暴れちゃ、ダメ」
フロイデの言葉に2人は粛々と頷いた。
ちょっとした事件があったものの、場はすぐに鎮まり、変わって神妙な空気が流れる。
ロイドはごほんと咳払いをすると、「それで、アイツはどうなったんですか」とヴァールに問うた。彼の言う『アイツ』とはボリスのことではない。彼らに手傷を負わせた忌まわしきカナバミスライムのことである。
「リーベが倒したぞ」
ヴァールが誇張して言うと2人はぎょっと目を見開き彼女を見た。
「……みんなにフォローしてもらって、ですよ」
強い希望を持ってもらいたいからとは言え、嘘をつくのはやはり辛かった。それになにより、肩を並べて戦ったフロイデに対して申し訳が立たない。
素直な性格であるからして、彼は賞賛を浴びたがっているはずだ。
そう思って盗み見ると案の定、瞳に不服の意が見て取れた。
「…………」
罪悪感に苛まれていると、ロイドが「凄いね」と素直な感想を寄せてきた。
「冒険者になったばかりなのにカナバミを倒しちゃうなんて。国中探してもそんなヤツいないよ。多分」
「俺たちも負けてられないな」
ロイドとバートは笑って言うが、そこには悔しさが滲んでいた。
その表情に居た堪れなくなるがしかし、リーベは毅然としていなければならないのだ。そうでなくては、見るものに希望を与えることなど出来ないからだ。
ランドルフ先生の病院を後にした一行たちはテルドルの中央広場までやって来た。この広場をリーベは西へ。ヴァールたちは東へ向かう為、ここで一時解散することになった。
「んじゃ、また夕方にな」
「うん。お父さんをびっくりさせちゃおうね」
「気取られんなよ」
「大丈夫。お父さん結構鈍いから」
そんなやりとりをしていると、フロイデさんが料理の名ををぶつぶつと、呪文のように唱えているのに気付く。それは2人も同じのようで、フェアさんはくすりと微笑んだ。
「ふふ。夕方が待ち遠しいようですね」
そう言うと彼はこちらに目を向けた。
「夕方まで時間はありますから、ゆっくりと体を休めてくださいね」
「休むことは得意なんで、任せてください!」
得々と言ってみせると、「誰だってそうだろ」とおじさんが苦笑した。
「駄弁ってても仕方ねえし、いい加減解散すっか」
「また後ほど、お会いしましょう」
「シュニッツェル……ローストポーク……」
「ふふ! はい、さようなら」
こうして一行は解散した。
入浴を終えたリーベはランチを凌いだ両親と共に遅めの昼食を取っていた。
例によって献立は全てお昼の余り物であるが、これらは店で出してるものと同じ物であり、味は保証されていた。もっとも、リーベは母が作るのだから美味しいに決まってると思っているため、保証など必要ないのだが。
「ふふ、おいし♪」
美味に頬を緩ませていると、父エルガーが興味津々と言った面持ちで娘に問う。
「ボリスから聞いたんだが、お前が1人でカナバミを倒したって、ほんとか?」
「ん? あー……」
街の人々にはリーベが倒したと脚色をして伝えていた。だから父にも同じ様に伝えようかリーベは迷ったが、逡巡の末、正直に答えることにした。
「ううん、ちょっと違うの」
「違う? どういうことだ」
「わたしとフロイデさんと、2人で戦ったの。もちろん、おじさんたちにフォローしてもらいながらだけどね」
「じゃあどうしてそう言わないの? みんなそうだと信じちゃってるわよ?」
正直であることを是とする母シェーンに厳しく追求され、彼女は腹のそこがじんと痛む。
「……ううん、おじさんがそうしたの」
「ヴァールさんが?」
「みんなに希望を持ってもらう為にって。もちろん、嘘は良くないとは思うよ? でも、だからこそ、それを嘘で終わらせないように頑張ろうって、そう決めたの」
「そうだったのね」
短い返答からは険しさが取り払われていて、リーベはホッと胸を撫で下ろした。
「まあ、その気概は大事だな」
エルガーは共感を示しながらも「だがな」と、心配そうな目を向けてくる。
「理想に囚われないことだ。いいな?」
「……うん。気をつけるよ」
「そうしてくれ」
その言葉を最後に、食卓には気まずい沈黙が訪れた。一家はそれぞれ食べ物を口に運んだり、喉を潤わせたりして間を潰していたが、リーベはふと大事なことを思い出した。
「そうだ。あのね、今日は晩ご飯いらないから」
「え?」
娘の言葉に両親は耳を疑った。
「どうしてだ?」
「今日はおじさんたちと外食するんだ」
その言葉にエーアステの亭主であるシェーンはが切れ長の瞳に敵愾を宿して問うてくる。
「どのお店へ?」
「あー……」
外食と言いつつも、客としてエーアステを訪れるつもりなのだが、まさかそれをバラす訳にもいくまい。だがその為の方便なんてものも用意しておらず、リーベは返答には数瞬を要した。
「ええと、おじさんのお気に入りのお店だって」
すると2人は目を丸くし、小さく笑った。
「そうか、美味いもん食えると良いな」
「う、うん……」
(あれ? なんか、思った反応と違う)
不思議に思っていると、シェーンが「でも冒険以外でリーベが外食するなんて、初めてじゃない?」と言う。
「あ、言われてみると確かに……うちがお店だもん。そんな機会ないよね」
「まあどこに行っても、結局うちが一番美味いんだからな」
エルガーがそう言うと、シェーンは普段は見せない無邪気な笑みを浮かべ、夫の肩を叩いた。
「もお、お父さんったら!」
「なんだ? ほんとのことを言っただけだろ?」
夫の言葉にシェーンが一層上機嫌になるのを見ていると、誇りを持って料理人をやっているのだなと思い知らされる。それだけの誇りを抱いているのなら、ヴァールが他にお気に入りの店を作ったことに少なからずショックを受けているかもしれない。どんな形であれ、やはり嘘は良くないものだとリーベは思わされた。
しみじみ思っていると、お母さんと目が合った。
「そんなボーッとして、どうかしたの?」
「あ、ううん。ちょっと眠くなってきちゃって」
「今朝も早かったんだ。ヴァールらが来るまでゆっくりしてろ」
「うん、そうするね」
(また嘘をついてしまった)
だが、今のは両親を心配させないためのものであり、誰が傷ついたワケでもない。だがそれでも罪悪感が残る。
ついても許される嘘と、許されない嘘。リーベがこの日ついた嘘の全ては、一体どちらに分類されるのやら。
(……いや、全部許されるように、頑張らないといけないんだ)
「よし……!」
リーベは気持ちを引き締めると、残る半日をより良いものに出来るように頑張ると心に決めた。




