043 こわれつちまつた悲しみに…
「う、うう……」
初めて買ってもらったスタッフを早々に失った悲しみ。そして壊してしまった不甲斐なさがリーベを惨めな気持ちへ陥れた。それは拭い難い感情であり、フロイデが友呼びの笛を譲ってくれても、やって来たアデライドがもふもふさせてくれても、変わらず彼女の心を蝕むのだった。
「はあ……」
ため息と共にもふる手が止まる。するとアデライドは心配するように小さく鳴き、大きな頬をすり寄せてくる。その繊細な毛並みを肌で感じていると微かに心が温かくなるが、やはり負の感情には勝てなかった。
「アデライド……慰めてくれるんだね」
「ウォフ」
彼の温もりを全身で感じていると、後方からカンカンと甲高い聞こえてくる。横目で見ると、そこではヴァールがツルハシを振るい、カナバミの残骸を砕いているところだった。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
彼が1度振るうたびに残骸に大きな亀裂が走り、ボロボロと小さく崩れていく。それをフェアとフロイデ、そしてアデライドの騎手であるスヴェンが荷車に運んでいた。
「えっほ……! えっほ……! えっほ……!」
残骸を抱えたフロイデさんがわたしたちの横を通っていくと、おじさんが呼びかけてくる。
「もう十分落ち込んだだろ? お前も手伝え」
気分は相変わらず最悪だが、その言葉には了解するより他になかった。
「……はーい――アデライドはここで待っててね?」
普通の魔物であればアデライドが咥えて荷車に乗せてくれるが、カナバミはアデライドが咥えるには重く、また、口内を切る恐れがあった。だから今の彼は暇なのだ。
「ウォン……」
残念そうな鳴き声に後ろ髪を引かれつつも、リーベは残骸を運ぶのを手伝った。
カナバミの残骸はそれこそ山のようにあって、とても1回で運び出せる量ではなかった。それにリーベたちの体力にも限界が迫っていたため、数回に渡って運び出されることとなった。
「お、終わった……」
リーベの火照った体からは汗がだくだくと滲み出てきて、まるで魚に塩を振ったかのよう。そのせいで肌着とレギンスが体にべったりと張り付いてきて不快極まる。
だがそんなものは圧倒的な疲労を前にしては些細なことだった。
「づがれだあ……」
リーベは鉛のように重くなった体を動かし、アデライドの前までやって来た。すると彼は彼女をペロペロで労ってくれた。
「おら、いつまでも戯れてねえで帰るぞ」
いつの間にか上裸になっていたヴァールが上着を絞りながらながら言う。その先には馬車が停まっていて、フェアとフロイデが乗り込むところだった。
「うう……またね、アデライド」
「ウォン!」
「スヴェンさんもお疲れ様でした」
アデライドに騎乗していた彼は「リーベちゃんこそ。午後はお家でゆっくり休んでね」と言った。
挨拶を交わすと2人に道を空け、見送った。それから街道の脇に停車していた馬車に乗り込む。毛布を敷いた座面に尻を置くと、もう動けないかに思われた。
「ああ……疲れた」
「お疲れ様です」
「フェアさんこそお疲れ様で……って、結構余裕そうですね」
「ふふ、体力には自信があるので」
冒険者の中では細身のフェアだが、それでもやはり冒険者らしい体力を持っているようで、リーベは「自分もそうならないと」と思うのであった。
フェアの隣ではフロイデがスカーフを結び直していた(作業中は外していたのだ)。
彼もまた細身で、しかも小柄なのに随分余裕そうだった。
「フロイデさんはあと体力どのくらいありますか?」
「……4割、かな?」
小首を傾げた彼に「すごいですね」と素直な感想を言うと、得々と鼻を膨らませた。
「むふーっ!」
そんな会話をしていると、御者が「お疲れ様です」と声を掛けてきた。
「何も手伝えなくてすみませんね。なんせ歳なもんで」
「いいさ。それよか、随分待たせちまったな」
「それも仕事ですから。それじゃ、出発しますが、忘れ物はありませんね?」
ヴァールが面々を見回し「ないぞ」と返すと馬車は動き出した。
リーベは慣性とに負けないように左手を突いて踏ん張る。すると指先が麻袋に触れた。
「あ……」
膝に乗るサイズの麻袋。内側から押されて不規則に隆起したこれの中には、彼女のスタッフの残骸が収まっている。
悲しい事実を思い出し、リーベはひどく落ち込んでしまった。
「リーベちゃん……」
「明日にでも新しいものを選びに行きましょう」
対面の座席に掛けた2人が口々に励ましてくれる中、ヴァールが気まずい思いで喉を鳴らした。
「あー、なんだ。その……悪いな。壊しちまって」
「……おじさん」
彼がリーベの顔面目掛けて飛翔するカナバミの破片の軌道を逸らした結果がこれなのだ。不当なものではあるが、律儀なヴァールは責任を感じているのだった。
「謝らないで。おじさんはわたしを守ってくれただけなんだから……」
(……そうだ。あんな避けようのないものから守ってくれたんだ。その結果としてスタッフが壊れちゃったけれども、わたしのするべきはそれを嘆くことじゃない。今、命があることを喜ぶことなんだ)
「……スタッフが壊れちゃったのは悲しいけど、それでも、おじさんのおかげでこうしていられるんだもん。だからありがと、おじさん」
涙が滲んだ視界に小さな瞳を映すと、ヴァールは彼女の名前を呟いた。
スタッフとの別れを経て、リーベはまた1つ強くなれたような、そんな気がした。
無事テルドルに帰還した冒険者一行はギルドに向かうその前に、食堂エーアステに立ち寄った。理由はもちろん、リーベの両親に無事を告げるためだ。
リーベは客の邪魔にならないよう気をつけつつ、表から入る。するとオーダーを告げたばかりなのか、父エルガーが入り口正面にいて、娘に気付くなり「おかえり!」と飛んできた。
それに呼応するかのように客たちからも「おかえり」の声が上がる。
「あはは、ただいまです」
リーベは客たちに手を振ると父の方へ向き直った。
「お仕事中にごめんね。どうしても顔だけは見せたかったから」
「いいさいいさ! いくらでも邪魔してってくれ」
エルガーがそう言った途端、その背後から「これ2番さんね」とリーベの母であり、この食堂の亭主であるシェーンの声が響いてくる。
「お、呼ばれちまったか。ちょうど良い。お前もシェーンに顔を見せてやってくれ」
そう言いつつエルガーは持ち場に戻った。リーベはそれに続く形でカウンターの方へ向かい、は厨房にを覗き込む。
「お母さんただいま」
「あら、お帰りなさい」
複数の調理を同時に行っていた母が微笑む。
「無事で良かったわ。また後でお話を聞かせてね?」
今のシェーンは世界中の誰よりも忙しいのだ。にも関わらずこうして愛情を注いでくれるのだから、リーベは幸せ者だ。
「うん! それじゃあね」
母の元を離れると、リーベは外に待たせている仲間の元へ――ではなく、自室に向かった。なぜならおじさんに『ついでに荷物置いてこい』と言われているからだ。
「ただいま、ダンク」
ベッドの上にちょこんと座り込んでいた彼は飼い主を見ると安堵に瞳を潤ますが、直後、他の犬の気配を感じ取って威圧感を放つ。
「…………」
「あはは……気のせいだよ」
荷物を下ろしたリーベはダンクを抱きしめようとしたが、いまの自分が汚いことに気付き、撫でるにとどまった。
「また後でね? 行ってきます」
リーベは親友に見送られて店の前に出る。
そこではヴァールたちが退屈そうにしているかに思われたが、違った。
「あ、ボリスさん」
そう。ボリスと話し込んでいたのだ。
「あ、リーベちゃん。おかえり」
「ただいまです。怪我の方は大丈夫ですか?」
「ああ。俺はあのゴミ拾い野郎とハゲフラワーと違って打撲だったからな。すぐ退院できたんだぞ」
「はは、そうなんですね」
(ゴミ拾い野郎はともかく、ハゲフラワーって……)
「それより聞いたぞ。リーベちゃんが倒したんだってな」
「え?」
同じ言葉でも話し方によって印象は変わってくるものであり、彼の言う『リーベちゃんが倒した』は、『リーベを含めた四人で倒した』という意味ではなく、『リーベ1人で倒した』という意味にすげ替えられていた。
それを不思議に思って仲間の方を見やると、3人は一様に頷く。
その裏にどんな意図があるのかはリーベには知れなかったが、彼女はひとまず、話を合わせた。
「は、はい。なんとか」
「そっか~……はあ」
ボリスは深いため息をついた。それには安堵の他にも複雑な感情が込められていることを、リーベは直感した。だから慌ててフォローの言葉を口にする。
「ああでも! わたしは正面から戦いましたし、みんなにフォローしてもらってどうにかでしたから! だから……」
言葉に詰まると、彼が丸い目をしていることに気付く。一瞬の間を経て、彼は「ぷっ!」と吹き出した。
「ははは! そんな気ぃ使わなくていいぞ」
「で、でも……」
「俺たちを負かした魔物を、リーベちゃんみたいな新人が倒しちまったのは確かに悔しいさ。でもそれより嬉しいんだよ」
「嬉しい?」
「ああ。俺たちの英雄の娘が、こんなにも早く手柄を立てたんだ。この街の人間としちゃ、嬉しくなっちまうもんさ」
「そ、そうなんですか……ちょっと気恥ずかしいです。はは……」
「俺だけじゃねえぞ。ロイドもバートも、他の連中も。みんなが喜ぶさ。だから覚悟しとけよ」
彼はカラカラと笑うと「んじゃ、俺は飯食いに行ってくっから、あばよ」と食堂エーアステに入店するのだった。
その背中を見送ると、リーベは仲間たちの方へ振り向いた。
「どうしてあんな嘘をついたの?」
「なりたいんだろ。希望に」
師匠の口から出た言葉にリーベはハッとさせられた。
「どうしてそれを……?」
「師匠から聞いたんだ。弟子が何のために冒険者やってんのかは知っとくべきだろ?」
「それは、そうだけど……でも! その為に嘘をつくなんてダメだよ!」
「嘘はついてない。事実を多少、誇張しただけだ」
「同じことだよ!」
その言葉を最後に、両者は睨み合うような形になった。もちろん互いに敵意を持っている訳ではないが、品性のすれ違いがこの対立を生み出したのは事実であった。
リーベはだんだんと虚しくなっていって項垂れた。するとヴァールが諭すように言う。
「いいかリーベ。希望ってもんはな、お前が与えるんじゃなくて、周りが勝手に抱えるもんなんだ。だからお前はどんな賞賛も、行き過ぎた評判も。毅然と受け止めなければなんねえんだ。そうでなきゃ、誰もお前に希望を見出せねえぞ」
「それは……そうかも、だけど……でも!」
振り仰ぐと、ヴァールは彼らしからぬ達観した瞳をわたしに向けていた。
「嘘で終わらせたくないなら、お前はお前の希望に近づく努力をしなきゃならない。そうだろ?」
「おじさん……」
リーベの理想――それは強く誠実であり、人々の信頼を受ける、そんな英雄の像だ。だがそれはあくまで彼女個人のものであり、街のみんながそれぞれ持っているものとは違ってくる。
現状、街の人々は「英雄の娘が冒険者になった」というその事実に希望を抱いた。そして『英雄の娘が魔物を倒した』という事柄がそれを補強しているのだ。
たったそれだけのこと。倒したのがクサバミだろうがカナバミだろうが、そんなことは些細な問題でしかない。そして問題になるのは、彼女の理想との乖離だ。
彼女は人々の心に希望を与えたいと思った。だが、その課程で『魔物を倒した』という結果を提示しなければならない。それは言い換えれば『リーベがどれほど強いか』という事だ。
しかし、リーベ以前に街の注目を集めていた冒険者エルガーは違った。
『この人がいる』
たったそれだけの事実で周囲に希望を与えていたのだ。強さや戦績などではない、もっと純粋な信頼だ。それをはリーベの現状とは異なっている。
――ではどうすればその落差を埋めていけるか。それは偏に、『結果を出す』ということであった。街の人々が心から信頼できる実績が、必要なのだ。
「……わかったよ。わたし、もっと強くなる! 嘘になんてさせないんだから!」
「その息だ!」
ヴァールはリーベの背中を強かに叩いた。
「うげほっ! い、痛いよ……」
「気合いを入れてやったんだ。感謝しろよ」
彼は言うが、痛いことをされて感謝するのは変態だけだ。彼女は無論、そんな趣味はない。恨めしく睨んでいると、それまで沈黙を貫いていたフェアがくすりと笑う。
「気合いも入ったことですし、冒険を続けましょうか」
「え? またどこかに行くんですか?」
「報告をするまでが、冒険……!」
そう格言を残したフロイデの瞳には、報酬金で美味しいものを食べようという目論見がありありと浮かんでいた。
「ふふ、そうですね。早くギルドに行きましょうか」
リーベたちは肩を並べて冒険者ギルドを目指し、歩き出した。体力は空っぽに等しい状態であったが、気力に限っては出発時よりも豊富にあるような気がした。




