042 ウネルハガネ
歩き続けてどこまで行くの?
風に尋ねられずとも疑問を抱き始めた時、リーベたちは異変を捉えた。
西を目指して延びる街道。その脇にぽっかりと、直径1メートルほどの穴が現れたのだ。
「なにこれ?」
リーベはヴァールの前に歩み出てその中をのぞき込もうとした。チラリと、それが底が見えないほどに深い大穴であると知れた時、襟首を引っ張られた。
「おげっ――げほげほっ! い、いきなり何するの!」
噎せながらヴァールを睨むも、睨み返されてしまう。
「それはこっちの台詞だ! 何の用心もしないで魔物の掘った穴を覗くヤツがあるか!」
(……確かに、今の不用心だったな)
「……ご、ごめんなさい」
「たく、怪我してからじゃ遅いんだからな」
「はい……」
項垂れているとフェアが「失敗は誰にでもありますよ」と励ましてくれた。その傍らでフロイデが首を傾げる。
「カナバミの巣?」
「ううむ。巣穴ではないな」
ヴァールはチラリと、解説を求めるようにフェアを見る。すると彼はこほんと喉を鳴らし、大好きなスライムの生態を滔々と語り始めた。
「カナバミスライムは地中深くに生息し、金属を食しながら潜行していると考えられています。まあ、それは目撃例が山の麓など、高地との境に集中している事実からの推測でしかありませんがね」
「へえ……」
リーベとフロイデの声が重なった。
「じゃあじゃあ、山を掘ってたらたまたま外に出ちゃったってことですか?」
「その可能性が高いでしょう」
「でも、また潜った。どうする、の?」
「そうですね……。――当座の危機は去りましたし、如何いたしましょうか」
問われたヴァールは深く唸る。
「ぬう……ギルドに報告するのが妥当だろうな――」
「倒そうよ!」
言葉を遮って進言すると「どうしてだ?」と視線を向けられる。
「ロイドさんたちを傷つけた魔物を放置するなんて、絶対にしたくない! それに、強い魔物が倒されずにいるなんて、サンチク村の人が知ったら怖がっちゃうよ!」
するとヴァールは逡巡するように瞑目し、それから相棒と弟子に目配せする。
「倒そう……!」
フロイデが賛同すると、フェアは「2人がこう言っていることですし」と言葉を添えてた。それを受けてヴァールは決心し、弟子たちに呼び掛ける。
「うし、やるぞ!」
「やった!」
喜びを感じたのも一瞬、リーベは根本的な問題に思い至った。
「あ……でも、カナバミは潜っちゃったよ?」
するとフロイデが短い声を上げ、ヴァールの方を見た。しかし答えたのはフェアだった。
「報告によると、カナバミが潜ったら、穴の中に氷を落とすと良いそうです」
「こおり?」
年少者2人が揃って首を傾げると、フェアは楽しそうに続ける。
「硬くて冷たいものが体に触れると、それを金属だと勘違いするようで。だからその性質を利用するんです」
「なるほど……」
「つーことだから、ちょっと離れるぞ」
ヴァールの指示に従って穴から20メートルほど離れると、フェアがロッドを構えながら言う。
「今からカナバミを誘い出します。準備はよろしいですか?」
「おう」
「うん」
「は、はい……!」
3人の了解を得た彼は「では、参ります!」とロッドを掲げた。
するとロッドの先端で珠が仄白くきらめき、その上空に一抱えほどの大きさの氷を生み出す。そして「アイス!」の掛け声と共に穴の中に放り込んだ。
穴は相当に深いようで、氷が砕ける音はなかなか聞こえてこない。穴の途中で支えてたりしないだろうかと疑ってい始めたその時、フェアが第2陣を投入する。
「アイス!」
…………………………………………パキン……
「あ、いま砕けた音が」
「穴が浅くなっている証拠ですね」
「つまり奴さんが上がってきてるってことだ」
ヴァールの言葉に緊張が走る。リーベは鼓動が早まり、喉が渇くのを感じた。それをどうにかしようにも、余計に焦ってしまう。
「う、うう……」
するとツンツンと、肩をつつかれた。振り返った先にはフロイデが頷く。
「ぼくたちも、一緒」
「フロイデさん……」
「そうだ。さっきも言ったとおり、これはお前1人の戦いじゃねえんだ。だからお前1人で緊張を背負うのは道理じゃねえ。……そうだろ?」
ヴァールがいつになく優しい笑みを浮かべたその時、穴の中からギラリときらめく物体が頭を覗かせた。
「来ます!」
フェアが警告した途端、それは吹きこぼれるように穴から這い出てきた。
溶けかけたアイスクリームのような形状のそれは、小屋ほどの大きさがあり、全身を白銀に染めていた。比喩ではなく液状の金属であるがしかし、熱くはなく、むしろ光沢のせいで冷たい印象を受けた。
「これが、カナバミスライム……」
(この魔物がロイドさんたちを……許せない!)
怒りを募らせていたリーベだが、カナバミがびくんと体を波打たせ、迫ってきた途端、気勢を削がれてしまった。しかしフロイデが「いくよ、リーベちゃん……!」と発破をかけてくれたおかげで気力を取り戻した。
(こんな魔物に負けてたまるか!)
リーベはお腹の底に力を込め、声を張り上げる。
「はいっ!」
カナバミスライムは液体だから音は立てず、口がないから咆哮を発しない。だから今、それが一行たちに迫る様は、霧が垂れ込めてくるかのように静かだった。しかし、視界を埋めんばかりに迫る様は悍ましく、そのちぐはぐさが生理的な嫌悪感を喚起させた。
カナバミはクサバミの時と同様、高く伸び上がり、高波のように襲いかかってくる。男3人は後方に跳んで、リーベは後ろに走ってのしかかりを躱した。
「す、すごい攻撃……」
驚嘆したのも束の間、リーベたちの反対側に広がっていた体液が新たな波となって襲いかかってくる。
「こんなの、どうすれば――」
「見てろ!」
ヴァールは叫ぶと背中から大剣を抜き放った。カナバミと同様に鈍色にギラつくそれを、担ぐ体勢で構える。
「ドオオオオオオオオオオオッッッッッ!」
裂帛の叫びと共に上体の捻りを解放。斬撃を放つ。
ブオン!
切っ先が空を裂いた瞬間、空気がゆがんで見えた。直後、空気の歪みはカナバミへと、波紋が広がるように迫る。
スパンッ!
痛快な音を響かせ、カナバミが2つに割れる。そして2股に分かれた状態で固まった。
「すごい……」
リーベは驚いた。ヴァールの斬撃の威力に。カナバミが瞬時に固体化したことに。
「ボーッとするな」
ハッとして振り向くと、彼がカナバミを指さしながら言う。
「ヤツは刺激を受けると驚いて固まるんだ」
「そ、そうなんだ……」
(図鑑には『防衛本能が強い』とあったけど、このことか!)
「……変わってる」
フロイデがぼそりと呟いた時、当のカナバミはじゅくじゅくと硬化を解き始めていた。そんな中、フェアがロッドを振るう。
「ダイマ!」
光の滴が溶けかけた金属塊に触れ、大きな爆発を引き起こす。最初に音が、次いで衝撃が広がり、リーベのポニーテールを翻した。
(さすがフェアさん。発動までが早い……!)
感心していると彼は固まったままでいる敵を見つめながらフェアが言う。
「……と、このようにすることで動きを止め続けられます」
「なるほど」
「でも、倒せない」
フロイデがじれったい思いを口にする。
(……確かに、カナバミスライムは不透明な魔物で、核がどこにあるのかわからない。わかったとしても、金属の体にはアイスフィストが貫通しないだろう)
彼女の父エルガーは『斬撃を飛ばすしかない』と言っていたが、それもどの程度効果があるのか。
「ううん……」
唸っていると、フェアが「見ててください」と、ロッドを振り翳す。
「メガ・ファイア!」
オレンジ色の光の玉が飛翔し、大きな鉄くずと化したカナバミに打つかる。直後、ダイマの時よりかは控えめな破裂音が響き、命中箇所を赤熱させた。
「そしてこうだ!」
ヴァールが赤熱した箇所をめがけて斬撃を飛ばすと、スパッと、カナバミの一部が切り離され、地面に突き刺さる。
「こうやってヤツの体を削ぎ落としながら核を探すんだ」
その一言にリーベとフロイデは目を合わせ、うなずき合った。
「来るよ……!」
振り向いたちょうどその時、カナバミが硬化を解き、ヴァールが切り落とした部分に触れた。すると大小の水滴を接触させた時みたいに、金属片がカナバミの方へ吸い込まれていった。
「リーベさん!」
フェアに言われると同時にスタッフを構える。
覚えたての魔法を活かす時が来た。魔力を練り上げ……今、解き放つ!
「ダイマ!」
魔弾はゆっくりと飛翔し、高波となった魔物の中心部に至る。「パアン!」と破裂音が轟き、衝撃は波紋のように広がり、その跡が塊となって残った。
硬化が解けない内に……!
(慌てず騒がず落ち着いて………………できた!)
「メガ・ファイア!」
切り落とせるように端っこの方をめがけて放つ。命中。フェアよりも手間取が、無事、真っ赤にしてやれた。
「フロイデさん!」
「うん……!」
呼びかけるも、彼はすでに構えを取っていた。ヴァールと同じ、本気の構えだ。
ふと、疑問に思う。
(フロイデさんって斬撃を飛ばせるのかな?)
以前は10メートルほど離れた所にある木を揺らす程度のものだった。それで果たして、カナバミの体を削ぎ落とすことができるのだろうか。
「にゃあっ!」
短い叫びと共に斬撃が放たれる。
それはヴァールのと比べれば見劣りするが、『空を斬る』という奥義を確と実現していた。つまりリーベの失礼な心配は全くの杞憂だったのだ。
袈裟に斬られた体は切り口に沿って滑り落ち、ズシンと重たい音を立てて地面に突き刺さる。
「すごい!」
「ぼくも、いつも頑張ってる……!」
フロイデが得意げに言った直後、カナバミは硬化を解き、彼が切り落とした部位を体内に取り込んでしまった。
「ああ……」
弟子たちは揃って残念の声を零したが、師匠2人は違った。
「ダイマ!」
フェアは即座に魔法を放ち、魔物の動きを止める。一方でヴァールは「敵の前で呑気してんな」と叱責した。
「ご、ごめんなさい」
2人の声が重なる中、師匠は続ける。
「いいか? 切り落とした分を拾わせるな。じゃねえとジリ貧になっちまう」
「確かに……じゃあ落としたら、それとは反対側に回り込めばいいのかな?」
「カナバミの立場になってみろ。ヤツは触るだけで破片を取り込めるんだから、そっちを優先しないか?」
「確かに……」
「じゃあ」替わってフロイデが提案する。「リーベちゃんがアレを固めるついでに、破片を、遠くに弾き飛ばすのは、どう?」
するとヴァールは「そうだ」と頷いた。
「戦う時は効率適に戦え。長引けば長引くほど、俺たちにゃ不利なんだからな――」
末尾はダイマが爆ぜる音にかき消された。
そして術者が言葉を添える。
「間違っても破片をこちらに飛ばさないように、十分に注意してくださいね」
(そうか、そんな危険もあるのか……これは責任重大だぞ)
リーベは渇いた喉を唾液で湿らせ、頷く。
「はい!」
魔物に視線を戻す。
カナバミスライムは硬化を解き、相も変わらず無感動に獲物を目指していた――
「メガ・ファイア!」
この魔法は弾速が遅いという欠点があるが、ターゲットであるカナバミ動かない状態であれば、それも関係なかった。魔弾はカナバミの左半身に衝突し、甲高い音と共に熱波を解き放つ。
肌に熱気を感じつつ、リーベはパートナーに呼びかける。
「フロイデさん!」
「にゃああっ!」
彼が長剣を振るう傍ら、リーベは作戦決行のため、次なる魔法を練り上げる。
スパンと見事に切り落とされた赤熱した金属片。それはカナバミの足下(スライムに足などないが)に墓石のように突き立っている。彼女はそれとカナバミの間に狙いを定め、魔法を放つ。
「ダイマ!」
光の滴は両者の僅かな隙間に潜り込み、金属片の方に触れて炸裂した。
破裂音が耳朶を叩くと同時に、一抱えほどの大きさの金属片がボールのように軽々と宙を舞う。だが最高点に達した途端、自重を思い出したかのようにズシンと落ちた。
その振動を足の裏に感じながら敵を見ると、カナバミはダイマの衝撃にすっかり固まっていた。
「よし!」
成功を喜びつつも、次の魔法の準備をしなければならない。
「うぬぬ……できた、メガ・ファイア!」
再び魔法を放ち、先ほどフロイデが切り落とした場所を赤熱させる。それを彼が切り落として、破片を弾き飛ばしつつ硬化を維持する。それを数回繰り返した時だった。
「あ!」
例によってフロイデがカナバミを斬ると、その白銀の断面にポツンと、象牙色の玉が現れた。それが核の一部であることは考えるまでもない。
「核だ!」
リーベはメガ・ファイアで一気に仕留めようと思ったが、フロイデが待ったを掛ける。
「慎重にいこ……!」
それはつまり、もう一巡、繰り返そうということだ。
彼の指示は安全確実に獲物を仕留める冒険者らしい判断だったが、リーベは歯痒さを感じずにはいられなかった。
それはそうと、この好機を逃すまいと、彼女は急いで魔法を拵える。
「ええい、ダイマ!」
スタッフを掲げ、魔法を放つ。その瞬間、リーベは手元が狂ったのを直感した。
「あ――」
短い声を発する一方、放たれた魔弾は狙いを外し……最悪なことに、破片の向こうに着弾しようとしていた。
バゴオオンッッッッッ!
破裂音と共に破片が弾かれ、リーベの顔面を目掛けて飛んできた。
重厚な金属の塊が高速でこちらに飛んでくる……そんな悍ましい出来事にリーベは悲鳴を上げることさえできずにいた。
「リーベ!」
ヴァールが横合いから刺突を繰り出し、高速で飛翔する物体に切っ先を打つけた。そんな神業によって弾道の逸れた金属片はわたしの顔のすぐ脇を「バギイッ!」と妙な音を立てながら横切っていった。
「あ、ああ……」
そんな出来事に腰の抜けてしまったリーベ、敵の目前であり、目標を仕留めるチャンスであるにもかかわらずへたり込んだ。
そんな彼女を余所にヴァールが相棒に指示を飛ばす。
「フェア!」
「はい! メガ・ファイア!」
呆然と見開かれた視界の中でカナバミの一部が赤熱し、そこに埋め込まれていた核もろともフロイデによって両断された。するとカナバミは僅かに溶けていた部分までをも硬化させ、完全な金属塊となり、静止した。
「……大丈夫か」
ヴァールが手を差し伸べてくる。リーベがその手を取ると腕を引かれて立ち上がる。しかし足腰にうまく力が入らず、すぐに尻をついてしまった。
「ご、ごめん。腰が抜けちゃったみたい……」
「まあ、しゃあねえな。怪我はねえか?」
「う、うん……助けてくれてありがと」
「いいさ」
ヴァールが短く言うと、フェアが安堵を浮かべて頷く。
「ご無事でなによりです」
「リーベちゃんの顔、ちゃんと付いてる」
恐ろしい言葉とは裏腹に、彼は心底ほっとしているようだった。
「それよか、お前ら。結果はあんなだったが、よくやってたぞ」
「ほんと?」
「質の悪い冗談は言わねえよ」
ヴァールの言葉にリーベとフロイデは目を合わせ、微笑みあった。
それから彼女は彼に右手を伸ばす。
「……?」
「勝利のハイタッチですよ。……ハイじゃないけど」
「……う、うん…………」
彼ははにかみつつも、これに応じてくれた。
パン!
そんなことをしている内、足腰に力が入るようになった。ヴァールの手を借りつつ立ち上がると、なんだか力が湧き上がってくるのを感じた。
「なんだか強くなった気がする」
「ぼくも……!」
不思議に思っていると、カナバミの心臓を回収し、ついでに破片を収集していたフェアがほくほく顔で教えてくれる。
「カナバミスライムはその希少性と特異な性質から、『倒すと1年分の経験を得られる』と言われているんです」
「へー」
「そうなんだ……」
弟子たちが感心していると、ヴァールは「まあ、迷信だがな」と苦笑した。
「うし。倒し終わったことだし、加工場の連中を呼ぶか」
そう言うと大きな手をポーチに突っ込み、友呼びの笛を取り出した。
「あ、わたしが――」
「ぼくが――」
声が重なり、わたしとフロイデさんは互いに譲るまいとにらみ合った。その時だった――
「おや!」
突如フェアが大きな声を上げた。
2人たちはもとより、ヴァールまでもがギョッと振り向く。
「どうかしました――ってあああっっ⁉」
振り返った先ではなんと、リーベのスタッフが、燻し銀が、見るも無惨な姿で横たわっていた。珠は砕け、柄はへし折れ、もはやスタッフの体をなしていなかった。
「な、なんで――はっ!」
(そう言えばカナバミの破片が横切った時、いやな音がしていたような……)
「そんな……わたしの燻し銀が」
相棒を失った悲しみが、リーベのあらゆる喜びを貪っていった。




