040 ディナータイム
何人かに呼び止められる以外は何事もなく、リーベは平穏無事に自宅に帰り着いた。
「ただいまー」
カランとカウベルを鳴らしてドアを開けるとホールに人影はなかった。首を傾げていると厨房の方から会話が漏れ聞こえて来た。
「もうすぐ出来るから配膳を進めちゃってちょうだい」
「あいよ」
そんなやり取りの後、エルガーがスイングドアを体で押しながらホールにやってくる。
逞しい体つきに反してエプロン姿であり、違和感はありつつも不思議と様になっていた。
布巾を片手に食卓へと向う中で、彼はふと娘に気付く。
「あ、リーベ。今帰ったのか?」
「うん。ただいま、お父さん」
「ああ、お帰り」
皺の目立ち始めた口下を歪めて笑む。
「今準備してるから着替えてきな」
その言葉に従い着替えに向うその前に、カウンター越しに厨房を覗き込む。
そこではシェーンが出来たばかりの料理を皿によそっていた。盛り付けたそれをカウンターに置こうとしたところで目が合う。
「あら、お帰りなさい」
「ただいま」
「今晩はヴァールさんたちもくるから、今のうち着替えていらっしゃい」
「はーい」
短いやり取りの後、彼女は2階に上がった。
自室のドアを開くとそこには愛しのダンクが待ち構えていた。窓から差し込む夕日に照らされ、情緒的な面持ちだった。
「ただいまー」
抱きしめようとしたが、ハッと手を止める。不本意ながら、彼女は今、とても清潔とは言いがたい状態にある。ギュッてするのはお風呂に入るまでお預けだ。
「また後でね?」
男の子であるダンクの目を壁側へ向けると装備を外し、私服に着替える。
厚い生地によって閉じ籠められていた熱が解放されて、清々しいことこの上ない。『このままお風呂に入れたらなー』と思ってしまうが、エーアステ家は習慣的に夕食の方が先だ。だからダンクもお風呂も、今はお預けだ。
汗を掻いたまま綺麗な服を着るのは気が引けたが、致し方ない。気が進まないでも、袖を通すと凄いすっきりした。
「ふう……」
清涼感についウトウトしてしまう。
「いけないいけない……」
かぶりを振って眠気を払うと下から声がした。
「リーベ、ご飯できたわよー」
「あ、はーい!」
ホールにやって来ると食卓には料理が並び、それをヴァールたち冒険者を含めた面々が囲んでいた。
フロイデを除く全員の瞳が彼女に向けられる。
「遅いぞリーベ」
「おじさんたちが早いんだよ」
実際、一度宿に帰って装備を解いてきたというのに素速いこと。感嘆を通り越して半ば呆れていると、「それもそうか」とヴァールは1人で笑い出した。一体何がツボに入ったのだろうかと不思議に思いつつ、リーベは着席する。
今晩は川魚のクリームシチューと、グリルチキンのサラダだった。
リーベがチラリとフロイデを見やると、彼の瞳は好物の魚料理を前に釘付けだった。
辛抱堪らんとばかりに瞳を輝かせる彼を見かねてか、シェーンが微笑を湛えて言う。
「みんな揃いましたし、冷めない内にいただきましょうか」
その言葉に誰もが賛同した。
「いただきます」の声が幾つも重なり食堂を満たしたのも束の間、今度は食器の打つかる音がカチャカチ
ャと響く。それはリーベの手元からも同様であり、空腹が想像以上のものであることを思い知らされた。
「はあ……おいしい」
昼食の虚しさとの落差でいつも以上の美味しいと感じられた。
そんな娘の様子に事情を察したのか、エルガーが苦笑しながら聞いてくる。
「干し肉とビスケットはどうだ、不味いだろ?」
「うん……虚しい味がした」
「ははは! 虚しいか!」
「みんな、よくあんなのを美味しくないのを食べられるよね?」
その言葉に応じたのはヴァールだった。
「そりゃ、冒険先で贅沢は言ってらんねえからな」
「それはそうだろうけど……わたしもその内、慣れちゃうのかな?」
「ええ。人は順応する生き物ですから」
フェアは微笑むとシェーンを見る。
「しかしこうも美味しい食事に慣れていると、些か酷かも知れませんね?」
「あら? 娘を苦しめてしまうなんて、私は悪い母親ですね」
淑やかに冗談を交わす2人を他所に、ヴァールとフロイデが立ち上がる。
「おかわり!」
声がハモったかと思えば、2人は別のテーブルに置かれていた鍋に飛びつく。先にお玉を手にしたのはヴァールで、したり顔でシチューをよそっていく。
「ヴァール、取り過ぎ……!」
「へん! 早いもん勝ちだ!」
そんな様子を前に自然と溜め息が零れる。
「もう、おじさんったら。大人げないんだから」
「ふふ、焦らなくても沢山ありますよ?」
シェーンがくすりと笑う一方で、フェアは身内の幼稚さを恥じらうように黙々と食べ進めていた。その様子にエルガーが笑う。
「はは! 相当苦労してるみたいだな」
「全くです」
「その上リーベが増えんだから、お前には苦労をかけるな」
「あ! わたしはあんなに幼稚じゃないよ!」
つい口に上った言葉に、シチューをなみなみよそってきたヴァールが反応する。
「おいフロイデ、お前、幼稚だってよ」
直後、じろりと黒い瞳が向けられる。不服が在り在りと伝わってくるその視線に当てられ、彼女は弁明を迫られる。
「おお、おじさんのことですよ!」
「声、震えてんぞ?」
「幼稚じゃない……!」
「ご、ごめんなさい……」
粛々とするも、彼の頬にシチューが付いているのに気付いてつい笑ってしまう。
「むう……」
おかわりを手に着席した彼はジトリと彼女を睨むがしかし、気迫なんてものは微塵もなかった。むしろ可愛らしいくらいで、彼女は可笑しくて仕方なかった。
「ふふ……!」
「……また笑った」
「だって、ほっぺにシチューつけてるんだもん!」
指摘すると、彼は服が汚れるのも厭わずゴシゴシと袖で拭い取った。それからは若干の恥じらいを浮かべて押し黙った。
「はあ……どうも、騒々しくてすみません」
フェアが言うとシェーンが鷹揚に笑む。
「いいえ、食事はこうでなくちゃ。それにリーベもすっかり打ち解けたみたいで」
エルガーが続く。
「ああ。お前には負担を掛けるだろうが、よろしく頼むな」
「はい。ヴァール共々、リーベさんを指導して参りますので、どうぞご安心ください」
「そう言うこった」
ヴァールが堂々と言うも、エルガーは苦笑を浮かべる。
「お前じゃ、ちと不安だがな」
「どういうことだよ!」
「ははは!」
食堂は絶えずして笑いが満ちるのだった。




