040 負傷者たち
「はあ……はあ…………」
2度に及ぶ往復持久走によって体力は奪われ、フェア特製の回復薬によって気力が削がれ、今のリーベはまさに満身創痍の状態だった。それでも懸命に足を動かし、テルドルの東門へ至る坂道を登れているのはここ半月に及ぶ冒険者活動の賜物だろう。
そう思いながら自分を励ます内、東門にたどり着いた。門番のアランに街の中に入れてもらうと、内側に立っているはずのサイラスがいないことに気づく。
「あれ? サイラスさんは?」
リーベが疑問を口にするとフェアが続く。
「妙ですね。彼が持ち場を離れるなんて」
「おしっこ、じゃない、の?」
フロイデが憚りなく言う傍ら、ヴァールがアランに尋ねる。
「おい、サイラスの奴はどこ行った?」
「え? ……あ、いない。妙だな。便所に行くにしても相方に声を掛けるのが決まりなのに」
彼が独り言のように疑問を述べたその時、「おーい!」と、街中の方から当人が駆け寄ってきた。
「サイラス! お前勝手にどこ行ってんだ!」
「悪い、男手が欲しいからって呼ばれて……ぜえ、慌ててたんだよ」
実際、彼は息を切らしていた。いったい何があったのだろうと、リーベの疑問は一層深まっていった。
「それで、何があったんだ」
ヴァールが尋ねると、サイラスはちらりとリーベを見て、逡巡するように瞑目し、やがて告げた。
「ロイドくんたちが失敗したみたいで、今さっき運ばれてきたんだよ」
「ええっ⁉」
驚きのあまり、わたしの声は上擦った。
「失敗って、ケガは?」
「ロイドくんとバートくんは手足の骨折。ボリスくんは肩に打撲だって」
「そう、ですか……」
彼らを襲った不幸を恨めしく思う気持ちと、命に別条がないことに安堵する気持ちとでリーベの心情は混沌としていく。
「どこの病院ですか」
フェアが問うと、「ランドルフ先生のところです」と即答される。
すると冒険者一行は顔を見合わせ、頷いた。
しかしリーベ以外の面々にはお見舞いとは別の目的があることを、彼女は知らないでいた。
ランドルフ先生の自宅兼診療所にやってきた。
柵で覆われた小さな庭では薬草が夕風にそよぎ、つんと鼻を刺激する香気を立ち昇らせている。薬草の植えられたプランターの上方には開かれた窓があって、嗄れた男性の声と友にロイドの声が漏れ聞こえてくる。
「いてて……もっと優しくしてくださいよ!」
「大の男がそんな情けないことを言うんじゃないよ。ほら、これで終わり」
「いったああああっ!」
冒険者らしからぬ悲鳴にリーベは唖然とさせられたが、同時に安心した。
「ほっ……一応元気みたいだね」
「そうだな」
淡然と答えるとヴァールは大剣を含めた荷物を庭に置き、「邪魔するぞ」と屋内に踏み込んでいった。リーベたちもそれに続く。
そうして病室にたどり着くと、そこには大小の傷を負った冒険者たちの姿があった。
「あ、ヴァールさん。それにリーベちゃんたちも。お見舞いに来てくれたんですか」
腕にギプスを嵌めたロイド嬉しそうに言うと、ヴァールが小さく笑って答える。
「まあ半分はな」
「ちぇ、半分かよ」
上裸に包帯を巻いた姿のボリスが悪態をつくと、足を挙上したバートが「せっかく来てくれたのにそんな言い方ないだろ」と窘める。
ケガをしてもいつもと変わらない様子にリーベが胸を撫で下ろしていると、廊下からランドルフ先生がやってくる。
手足が細く、腰の曲がり始めた老人だが、瞳は若者に負けない煌めきを湛えていて、頼りがいのある風格を醸していた。そんな先生は「なんだ、見まいか。テルドルの連中は相変わらず耳聡いな」と穏やかに笑っていたが、フェアに目を止めると医者の顔になった。
「フェアくんか。ちょうどいい、3人に治癒魔法をかけてやってはくれないかの」
「わかりました」
頷くとフェアはワンドをロイドの患部に突きつけ、魔法による治療を開始した。珠からは緑色の淡い光がぽわーっと広がり、数秒を経て収まる。
「ありがとうございます」
「いえ、ご気分はいかがですか」
「大丈夫です」
「そうですか」
フェアは微笑むと、今度はバートの治療に掛かる。
……時に、治癒魔法とは何か。
それは魔力を通じて対象の生命力に干渉し、治癒を促進させる魔法である。言い変えるならば、自然に治る範囲内に限り即座に治癒できる素晴らしい魔法である。
リーベは幼いころ『ちゆまほーがあるのに、どうしておいしゃさんがいるの?』とランドルフ先生に聞いたことがあるが、その時はこう返された。
『治癒魔法はの、治るようにしか治せないんだよ。だから骨折した人にはギプスをつけてあげなきゃいけないし、病気は取り除いてあげなきゃいけないんだ。そのためにお医者はいるんだよ』
先生の言葉にも表れているように、治癒魔法は外科治療の延長にあるものなのだ。
「――これで終わりですね」
ボリスに魔法をかけ終わったフェアさ微笑むと、ボリスは「まだ痛えから、もっと魔法かけてくれよ」と言う。しかしフェアはまるで本物の治癒術師のように整然と答える。
「お気持ちはわかりますが、体力がない状態で治癒魔法を掛け過ぎてはいけません。明日以降、治癒術師の方とよくお話して、治してもらってください」
治癒魔法はその性質上、対象の体力を著しく消耗するのだ。現に3人ともケガの具合は良くなったが、気怠そうな顔をしている。
「ちぇ……まあ仕方ねえか。ありがとさん」
「ちょうどフェアくんが来てくれて良かったよ」
ランドルフ先生は人の好い笑みを浮かべながら「ところで」と話題を転換する。
「お前さんたちはこ奴らに用があるんじゃないかの?」
「ああ」
ヴァールが頷く。
「なんでこんな目にあったのか、同業者として聞いとかなきゃなんねえからな」
「そうかい。まあ狭い病室だが、ゆっくりしゃべっていて構わんよ。だがリーベちゃんは良いのかい? もう暗いし、エルガーくんたちが心配しとるはずじゃよ」
その言葉に時間の経過を知らされたリーベは逡巡した。
(……お父さんとお母さんには悪いけれど、今は冒険者としての仕事を優先した方が良いよね?)
「……大丈夫です。わたしはもう、冒険者ですから」
そう答えると、ランドルフ先生は目を丸くし、白い顎髭を扱き始めた。
「ほお……ちょっと見ない間に立派になったの。それじゃ、ワシは邪魔にならんよう、奥に引っ込んどるよ」
そう言い残して先生が部屋を出ると、入れ替わりで冒険者ギルド職員である青年、アルミンが入って来る。
「表に荷物があると思ったら、リーベちゃんたちだったんだね」
「あ、アルミンさん。こんばんは。もしかして聞き取りに?」
「うん。こんな時間だけどね」
彼は大儀そうにため息をつくと、面々に挨拶をして手近なスツールに掛けた。それからバインダーを開くと右手にペンを持ち、ロイドたちを見回す。
「それでは何があったか、お聞かせください」
アルミンの問い掛けに答えたのは一行のリーダーであるロイドだった。
「はい。サンチク村の南西でミラージュフライを倒した時でした。情けない話ですが、俺たちは気が緩んでたんです。だから足音を立てないヤツの接近に気付けなかったんです」
本人にそのつもりはないのだろうが、もったいぶったその言い回しにリーベも、そして当初はめんどくさそうにしていたアルミンさえもが強く引き込まれた。
彼はバインダーを強く握りしめ、前屈みになって問い掛ける。
「足音を立てないとは。あなたたちは一体、何者に襲われたのですか?」
その問い掛けに対し、3人は揃って悔し気な顔を見せた。そうして数舜の間を経て、ロイドが告白する。
「……カナバミスライムです」
「かなばみ……すらいむ?」
リーベとアルミンは異口同音に零した。
どうやら若手の彼はその名を知らなかったようで、解説を求めるように冒険者一行に顔を向ける。
するとヴァールがごく太い腕を組み合わせながら教示する。
「名前の通り金属を食うスライムだ」
端的に言うとため息をついて、同情するような目で負傷者3人を見た。
「かなり希少な魔物で、スライムの癖に物理的に攻撃をしてくる厄介なヤツだ」
「それじゃ俺たち……」
「ツいてなかったのか」
バートとボリスは揃ってため息をつくが、透かさずヴァールが言う。
「逆だ。あんなワケわかんねえヤツから誰1人欠けずに逃げおおせたんだ。お前らは誰よりもツいてたし、誰よりも賢く動いた。その結果が今だ。それは誇っていいことだぞ」
「ヴァールさん……」
その言葉を聞いて3人は、まるで英雄譚を聞く子供のように目を輝かせた。
「……それで、そのカナバミスライムとやらはその後、追ってきたりしましたか?」
アルミンが尋ねると、ハッとしたロイドさんが答える。
「いいや。俺たちはアイツがカナバミだってわかったから剣も鎧も、逃げる方とは反対側に投げたんです」
その言葉にボリスが続く。
「だからたぶん、俺らを追って東には来てないと思う――」
「いや待て」
頭まで真っ青になったバート口を挟む。彼は震える手で口元を覆いながら、不安を述べる。
「……もしかしたら、サンチク村に向かってるかもしれません」
「サンチク村に?」
「でもカナバミは牛とかをねらわないんじゃ――」
リーベとアルミンさんが口々に疑問を呈すると、フェアがズバリ言う。
「農具です」
「農具?」
「人のいるところなら、金属、いっぱい。だから、危ない」
フロイデの言葉に2人は納得し、同時に恐怖を募らせた。
カナバミスライムがどうやって物を見ているのかは定かでないが、ロイドたちの証言によって金属を探知できることは確定している。だからサンチク村が危険に見舞われる情景が容易に想像できた。
「そんな……早くサンチク村に行かないと!」
そう訴えると、ヴァールは「そうだな」と頷き、アルミンの方を見る。
「この一件は俺らが預かって構わねえよな?」
「も、もちろん!」
彼の顔には『渡りに船とはこのことだ』と書いてあるようだった。
この件はヴァールたちが受け持つということで決まろうとしていたその時、ロイドが待ったを掛ける。
「待ってください! そいつは……カナバミは俺たちが倒します」
「悔しいのはわかるが、お前らの回復を待ってられないんだ。諦めろ」
「で、でも……!」
言い掛けたが、返す言葉がなく閉口した。
彼は――彼らは獲物が他者の手に委ねられようとしている現状を見まいとするように深く項垂れていた。そんな様子に胸を痛めつつも、リーベは大切な人を傷つけた不埒な魔物に激しい憤りを募らせていた。
夕食の席でリーベは両親に今日の出来事を語って聞かせた。
すると父エルガーが「カナバミか……」と、険しい顔でつぶやく。
「やっぱり強いの?」
「ああ。ヤツは個体と液体、両方の性質を持ってる。固まってる時には剣も魔法も通じないし、溶けてる時は金属を溶かしちまう」
「え、じゃあ剣士はどうやって戦うの?」
「ドロドロになってるうちに斬撃を飛ばすしかないな。だがヤツは不透明だ。核がどこにあるか見極めなきゃなんねえしで、これ以上ないくらい厄介な相手だ」
「そ、そうなんだ……」
(なんて恐ろしい魔物なんだ……)
畏怖と驚嘆とが綯い交ぜになった胸を宥めていると、それまで口を挟めないでいた母シェーンが心配そうな面持ちでわたしを見た。
「そんな魔物とリーベが戦うの?」
「どうだろう。まだそこまで話してなくて……」
「そう……心配だわ…………」
母が呟くように言うと、夫が励ますように陽気な声で言う。
「大丈夫さ。厄介なヤツだが、ヴァールとフェアがついてるんだから、なんてことないさ」
「……そうね」
シェーンが健気に笑んで見せると、張り詰めた空気が弛緩していった。
それはそうと、リーベは自分が冒険者になってからというもの、父は希望的な発言をすることが増えている気がした。以前であればもっと切実なことを言っていたはずなのだが。
娘が自分の手の及ばないところへ行ってしまうのだから、希望に縋ることでしか安心できないのだ。それは母も同様で、だから2人は今も笑っているんだ。
そんな優しい両親にリーベがしてあげられること、それは無事に帰ってくることだけだ。
「…………」
リーベは微笑みの仮面の下で決意した。
食事を終えると自室に引き上げ、ダンクと共に図鑑を読み込んでいた。
調べていたのはもちろんカナバミスライムのことであり、リーベはそのページを熟視し、読み上げる。
「『金属を糧とするスライムの変異種。発見例が非常に少なく、それに伴ってここに記せる情報が非常に限られてくる。現状わかっていることは金属を糧にしていること。固体と液体の状態を使い分けていること。防衛本能が強いこと。この3つだけだ。この特性から剣も魔法も効果が薄く、より柔軟な対応が求められる。……情報が少ない故、冒険者諸君の活躍がこの項を充実させることを期待している』か……」
リーベは情報の乏しさにため息をつきながらパタンと図鑑を閉じる。背もたれに寄りかかって深いため息をつくとともに、未知の存在との対決に不安を募らせていった。




