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004 リーベ、戦場に立つ

 男4人が汗を流しに言っている間に、リーベは母の手を借りることなく、1人で昼食を(こしら)えることになった。


 台所を乗っ取られたシェーンはというと、鼻歌交じりに縫い物をしていた。彼女は働き者で、休む事を知らないのだ。


(お母さん、少しはゆっくりしたら良いのに)


 そう思いつつ、リーベは気を引き締める。


 料理は刃物や火などを使う大変危険な作業であり、故に集中して臨まねばならないからだ。


「さてと、献立はどうしようか?」


(フロイデさんの好みは分からないけれど、冒険者なんだから、ボリュームのあるものの方が良いとよね? となると……)


「ねえ、油使って良い?」


 ホールにいる母に呼び掛けると、「いいけど、気を付けてね?」と返される。


「はーい!」


(献立はシュニッツェルとマッシュポテト。それにフレアシードのサラダにしよう)


 献立が決まったところで、次にするべきは工程の組み立てだ。何をするにも、効率よく行うに限る。


(ジャガイモを茹でつつ油を温めて……その間にピリ辛ドレッシングと、あとソースを用意をしておこう)


 そうと決まれば、早速調理開始だ。


 リーベは腰のホルダーに挿したワンドを取り出し、魔法で火を点け、鍋に水を張り、洗ったジャガイモを茹で始めた。それから油を――








それから調理は進み、いよいよ肉を揚げる段階に突入した。

 カラカラと小気味よく響く揚げる音は耳に心地よく、精神疲労の回復に効果があると思われた。自然と気分が良くなり、鼻歌なんかも歌ってしまう。


「ふんふ~ん♪」


 女性陣は1人1枚で十分だが、男性陣はそれでは足りないのは明白だ。取り分け、体の大きなヴァールはたくさん食べるだろう。


 そういうわけで大量にシュニッツェルを用意していると、カウベルが鳴り響く。続いてドヤドヤと入浴を終えてきた面々の声が聞こえてくる。


「ただいまー!」


 エルガーが愉快そうに帰宅を告げる。それに対して「おかえりー!」と大きな声をホールに投げる。


「お、これは油もんだな?」


 即刻気付いたヴァールが舌なめずりをする。


「もうちょっとで出来るからー!」


 そう呼び掛けるとリーベに対し、出来るだけの配膳をしてくれていたシェーンが冗談めかして言う。


「ふふ、もうすっかり料理人ね?」

「だってお母さんの娘だもん。これくらいできなきゃ」

「まあ! ――ふふ、そうね。わたしの娘だものね」


と、最後の1枚が揚げ上がった。






「いただきます!」


 言うが早いか、ヴァールとフロイデがシュニッツェルに飛びつく。

 ナイフで切り分ける事なく、ソースにべったり付けて、そのまま(かぶ)りつく。品は無いが、それだけ素直に食事を楽しんでいると言う事だ。故に誰も注意はしなかった。


「がつがつ……!」

「もっもっ……!」


 体に大小はあれど、2人は共に冒険者である。その食べっぷりは全く同じと言っても差し支えないだろう。

「かーっ! うめえ……!」


 ヴァールは感想を口にした。


「どーお? わたしだって成長してんだから!」

「ああ、見直したぜ」


 食事に夢中で、その口振りはまるで寝言のようだった。 


 だが、それだけに素直な賞賛であり、リーベの自尊心は大いに満たされたのだった。


「そういえば、リーベさんは油を使えるようになったのですね」


 フェアが言うように、リーベは以前まで油を使わせて貰えなかった。理由はもちろん、危ないからだ。

 食堂において大事なのは1に安全、2に衛生で、味や収益はその次に位置する。だから油を使うことが認められるということは、それだけ彼女が信頼されていると言うことであり、些細なことではあるが、リーベにとっては油を使えることは誇りなのだ。


「ええ。リーベも大分成長しましたからね」


 シェーンは誇らしげに言った。賞賛はともかく、身内に褒められるというのは何となく気恥ずかしいもので、リーベは羞恥を誤魔化すべく、主菜を頬張った。


 シュニッツェルは叩いて広げた肉を揚げる料理だが、肉々しさを損ねない程度に叩いているため満足感は高かった。それに加え、トマト、キノコ、レモンの3種類のソースも奥深い味わいに仕上がっていて、揚げた肉によくマッチしていた。


 自分の料理に満足していると、エルガーが訝しい顔でフェアに尋ねる。


「……ちゃんとしたもん食わせてんだろうな?」

「もちろんです。リーベさんほどではありませんが、多少、腕に覚えがありますので」


 その言葉とは裏腹に、エルガーは心配そうにヴァールとフロイデを見やる。


先ほどまで必死に肉を頬張っていた彼らだが、共に食べる手を止め、蒼い顔をしていた。


「……そうか」


 フェアは大抵の事は人並み以上に熟せる才人であるが、こと料理においては壊滅的な腕前をしていた。そんな事情を以前に聞いていた為、リーベは内心彼らを哀れんだ。


 一方、ヴァールとフロイデは目に見えて咀嚼回数が増えたのだった。








 食事と片付けを終えると、リーベはヴァールに言う。


「ねえ、おじさん。また、冒険の話を聞かせてよ」


 彼の語る冒険譚は明らかに誇張が入っているが、その分、聞いていて楽しいのだ。リーベは子どもの頃からこれが好きで、会うたびにこんな風にねだっていた。


 爪楊枝を使って歯を掃除していた彼だが、彼女の方を見て、それから師匠であるエルガーに目配せする。エルガーが引退した今、冒険譚を聞かせることでリーベが『わたしも冒険者になりたい!』などと言い出さないか、心配だったのだ。


 結局エルガーが目を瞑って却下したので、ヴァールが語ることはなかった。


「……それよかリーベ。暇ならコイツの案内をしてやってくんないか?」


 そう言って弟子の背中を叩く。するとフロイデは動揺して、あたふたと視線を彷徨わせる。


「……え? なんで?」

「なんでも何も、これからしばらくテルドルにいるんだ。それなのに不案内じゃいられねえだろ?」

「それは……」


 フロイデは救いを求めるようにフェアを見やるも、彼もまた、同意見だった。


「街を知り、地域の人と交流を図るのも大事な事ですよ?」


 そう言われては返す言葉もなく、彼は俯いた。

 一方でリーベは嫌がっているのに連れ回すのはどうかと思ったが、フェアに一言「お願い出来ますか?」と言われると、つい了承してしまった。


「それじゃ、行きましょうか」

「……うん」


 彼はぎこちない動作で立ち上がると、壁に立て掛けていた長剣を背中に掛けた。


「馬車には気を付けるのよ?」


 シェーンに言われるとリーベは笑顔で返す。


「うん。行ってきます!」

「行ってらっしゃい」









 

食堂を出て数歩のところでウワサ好きのサラ婦人に声を掛けられた。


「あらリーベちゃん。いつの間にボーイフレンドなんて作ったんだい?」


 その言葉を聞いた途端、隣にいたフロイデはボッと音が出そうなほど一気に赤面した。


「ボーイっ……⁉」


 リーベは彼が俯く様子に苦笑しつつ、答える。


「はは……この人はフロイデさんで、ヴァールおじさんのお弟子さんです。今は街の案内をしてる――」

「ああ、この子がかい! そんでまあ、こんな可愛い冒険者がいるなんてねえ!」


 サラは爛々と輝く瞳をフロイデに近づけた。


「う、うう……」


 彼が表情を引き()らせつつ仰け反ると、彼女は大声で笑った。


「もう、そんなにビクビクしないでちょうだい! まるであたしが虐めてるみたいじゃない!」


 言いながら、ガサゴソと腕に掛けたバスケットを漁る。


「脅かして悪かったね、ほら、飴ちゃんあげるから機嫌直してね」


 完全に子供扱いであるが、フロイデは至って嬉しそうに飴玉を受け取った。


「ありがと、おばちゃん……!」

「まあ!」


 その無邪気な姿ににサラはすっかり機嫌を良くして、おまけで数個手渡した。


「ふふ、仲良くお食べ。デートの邪魔して悪かったね。それじゃ!」


 結局彼女は勘違いしたまま去ってしまった。


(まあ、後で訂正すればいっか)


 リーベがそう考えていると、フロイデが飴玉を2つ、差し出してきた。


「ん」


 飴玉に頬をぽっこりさせる彼の瞳に緊張の色はなかった。甘いものを摂ることで緊張がほぐれたのだ。そのお陰で小さな顔には清々しい笑みが浮かんでいる。


「ああ、ありがとうございます」


 受け取り、包みを取り除く。すると薄いピンク色をした飴玉が表れる。内部には種子が閉じ込められていて、イチゴ味であることがわかった。


 リーベは女の子の例に漏れずイチゴが好きだった。自然と心が弾んでくる。


「いただきます……ん! 甘い!」

「……おいしいね」

「はい!」


 何気ないやり取りの中で目が合った。真っ黒く大きな瞳は無邪気に煌めいていたが、次第に羞恥が滲み、背けられてしまう。リーベはそんな彼の様子を微笑ましく思っていると、彼は不機嫌そうに言う。


「……リーベ、ちゃん?」

「あ、すみません。それで、何処から行きましょうか?」

「ぼくに聞かれても……」


 全く以てその通りだ。


「ふふ、そうでしたね。ギルドにはもう行きましたか?」

「うん」

「そうですか。じゃあ……」


 中空を見上げ、フロイデが行きそうな場所を思い描く。


(あそことあそこと……)


「うん。それじゃ、ご案内しますね?」








 リーベは道中、知り合いに呼び止められつつ、最初の目的地に到着した。

 それは一見すると単なる民家であるが、小さな庭で薬草を栽培しており、薬草特有の香気に2人は鼻がすーってなるのを感じていた。


「ここは?」

「ここは診療所です。医者のランドルフ先生は評判で、お父さんもケガをした時はお世話になっていたんです」

「へー……」

「専門は外科ですが、軽い風邪とかも見てくれるんですよ」


 するとフロイデは得意げに小鼻を膨らませた。


「ぼく、風邪引いたことない……!」

「そうなんですか? わたしは毎年罹っちゃうので……秘訣とかってあるんですか?」

「毎朝牛乳を飲む……!」

「牛乳かあ……」


 料理の具材の1つとしか認識していなかったけれど……確かに、健康には良さそうだ。


「そっか、早速明日から実践してみますね?」

「うん、きっと良くなる……!」

「ふふ、それじゃ、次に行きましょうか」






 服屋や床屋など。必要と思われる施設はあらかた紹介し終えた。


(あとは……)


 彼女らの向かう先にはテルドルにしては珍しい赤い屋根をもつ建物があった。その入り口の斜め上には看板が吊られており、剣と斧が交差したシンボルが描かれている。


「見ての通り、ここは武器屋です。武器屋ですが、キッチンナイフも売って――」

「入っていい……?」


 フロイデは期待を満面に浮かべていた。


「ふふ! はい。もちろんです」


 すると彼は放たれた猟犬の如く店内に飛び込んでいった。

 リーベが後を追って入店すると、お馴染みのご婦人が出迎えてくれる。


「おや、リーベちゃん。こんにちは」

「こんにちは、スーザンさん」


 スーザンはここの店主で、西にある工房で夫のダルが作った武器を販売しているのだ。そんな婦人はフロイデを見つめながら、溜め息交じりに問い掛けてくる。


「これがウワサの坊やかい?」

「はい、多分そうです」

「へえ、とても冒険者には見えないねえ」


 繁々(しげしげ)と武器を見ていたフロイデがキッと視線を返す。


「チビじゃない……!」


(誰もそうは言っていないけど……まあ言ったようなものか)

「ははは! こりゃ失礼! 詫びの品はないが、ゆっくり見て言ってよ。うちは冷やかし大歓迎だからねえ!」


 スーザンは裏表のない人で、故に言葉を選ぶこともしないのだ。


 それはそうと、リーベはフロイデに付いて武器屋を見学させてもらう事にした。


 天井にクモの巣が張られている店内には、多種多様な武器が置かれている。


 剣は剣でも、ダガー、短剣、長剣、大剣とあり、この4カテゴリーの中でさらに形状が違っている。リーベは今までじっくり見たことはなかったが、剣にも個性があって見ていて楽しくなってきた。その感覚は服を選んでいる時に似ていた。


「いろいろありますね」

「うん……!」


 フロイデは純粋な眼差しを剣に向けたまま言った。


 一緒になって観察していると、スーザンが冗談半分に言う。


「なんだい? リーベちゃんも冒険者になるんかい?」


 驚くべき発言に振り向くと、その瞳が期待に煌めいているのに気付く。


「まさか! だってわたし、女の子ですよ?」

「女の冒険者がいたって良いじゃないか。それになにより、あのエルガーさんの娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ」

「わたしが……冒険者…………?」


 想像してみた。


『てやー!』

『ぐおーっ!』

ぺち!

『きゃー!』

 きらーん☆


「…………わたしにはムリですよ、はは……」

「そうかい? やってみなきゃ分からないよ?」

「それはそうですけど……」

「……あ、背中にクモが」


 フロイデが彼女の肩に付いたクモを捕る。


「え、うそ!」

「うそじゃないよ。ほら」


 そうして見せつけられたのは脚の長いクモだった。


「きゃああああ! あああ、あっちにやってください~!」


 必死に顔を背けていると、スーザンは溜め息をついた。


「はあ……こら、ホントにダメかもねぇ」








「はあ……」


 武器屋を見物していただけなのに、随分疲れてしまった彼女は深いため息をついた。


「……ごめんね?」

「いえ。フロイデさんは悪くありません……むしろ、助かりました」


 答えつつ、空を見る。赤く焼けた空には金色の雲が漂っている。その雄大な景色に見蕩れていると、何処からかカラスの声が聞こえてきくる。


「かーかー」


(今日のは大家族だな……)


 リーベが和んでいると、フロイデが言う。


「そろそろ、帰ろ……?」


 キラキラした瞳には夕食を期待する気持ちが表れていた。


「ふふ! そうですね――と、その前に少しだけ、付き合ってくれますか?」

「つ、付き合う……!」


 彼は夕日に負けないくらい真っ赤になった。


「そういう意味じゃありません! ……もう、寄り道ですよ」

「……って、どこに?」

「それは着いてからのお楽しみです!」

 







 2人は街の北端にやって来た。

 ここら一帯は草地がこんもりと盛り上がっていて、ちょっとした丘になっている。丘の北側に隔壁が(そび)えているほかは何もなく、その景勝っぷりから誰が決めたか、展望台と呼ばれていた。


「ふう……ついた…………」


 丘を登り切ったリーベが深い溜め息をつく一方、フロイデは事も無げな様子。だがひとたび振り返ると、その美しい景色の虜になった。


「わあ……」


 その様子にリーベはちょっぴり得意になりつつ、自らもまた展望した。


 眼下にはテルドルの灰色の街並が見えた。薄闇が垂れ込めつつある屋内にはポツポツとランプが点り始めていた。そんな街並の向こうには、西日によって赤と黒に塗り分けられた高原が広がっている。そのさらに向こうにはグラ・ジオール山が厳然と佇んでいて、まるで自分こそが世界の中心であると主張しているかのようだ。


「きれい、だね……」

「はい……この景色はテルドルの宝なんです」

「そう、なんだ」


 それからしばらく、2人は夕焼けを眺めていたが、いい加減、帰らないと両親が心配するだろうということで、リーベが切り出す。


「そろそろ帰りましょうか」

「……うん」


 そうしてリーベは丘を下り始めたが、フロイデの気配が近づいてこなことに気付く。不思議に思って振り向く。


「フロイデさ――」

「リーベちゃんっ!」


 振り向いた瞬間、彼が飛びついてきて――


 バサッ!


 彼の背後――直前まで彼女がいたところに大きな陰が過る。


「……え――ごふうっ!」


 背中に衝撃を受けたのも束の間。フロイデは立ち上がり、背中の長剣を引き抜く。


「ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!」

「いてて……え?」


(一体何が起きてるの?)


 身を起こすと、すぐそこに体高2メートルほどの大きなカラスがいた。


――時に、獣の中で特異な生態・能力をもつ存在を魔物という。その定義に当てはめればこのカラスは――


「ま、魔物っ⁉」

「早く!」


 フロイデが叫ぶとカラスは彼へとくちばしを伸ばす。リーベは恐ろしくなって目を背け、そのまま丘を駆け下り始める。


(ごめんなさい、ごめんなさい……!)


 心の内で謝りつつ、彼女は応援を求めて脚を速めた。








 フロイデがリーベが逃げた方とは逆へ跳ぶと、直径30センチはありそうななくちばしが真横を過る。

 着地すると、傾斜のせいで危うく転倒しかけた。


 もしここで転倒したら、そのままゴロゴロと長い坂を転げ落ち、目が回ったところを襲われる羽目になるだろう。そう直感すると彼は気を引き締めた。


「くっ……」


 彼が歯噛みする一方、カラスは苛立たしげな声をあげて振り返る。


「カーッ!」


 そのくちばしは先端が鋭く、全体が光沢を帯びていて、西日を受けてギラリと鋭く煌めいた。その物々しさたるや、まるで黒鉄の槍のようだ。その一方でつぶらな瞳をしており、その落差に、子供が蝶の(はね)(むし)って遊ぶような残酷さを想起させる。


「…………」


 フロイデはチラリと胴体を観る。


 カラスの脚の付け根を覆う紺色の羽毛には乾いた泥が大量に付着していて、樹上性のカラスとは根本的に異なる生物である事が窺える。その特徴から類推するに、この魔物の正体は――


「……ヘラクレーエ…………!」

「クアッ!」


 短く鳴いたかと思えば、またくちばしを伸ばしてくる。

 くちばしは真っ黒な上、微妙に湾曲しているせいで距離感が掴みにくい。だがそれでも、経験と勘とで対応するしかなかった。


「っ!」


 右足で踏み込み、攻撃線上から外れる。するとくちばしが彼の袖を撫でる。それでも気にせず、体を90度左に向け、そのまま刺突の態勢に入る。狙うは左眼。視力を奪って有利を取るのだ。


「ふっ!」


 刺突を繰り出すと切っ先が眼球を貫く。

 ぷちゅりという気色悪い感触に本能的な不快感を催す中、ヘラクレーエは絶叫を轟かせる。


「クアアアアアアアッ!」


 傷口から鮮血が滲むと同時に魔物は盛大に仰け反った。

 反撃を警戒して飛び退いたが、運悪く彼は踵で小石を踏んづけてしまった。


「うわ!」


 直後、視界がぐるりと回った。







 坂を駆け下りたリーベだが、魔物の絶叫を聞いて振り返ると、まさにフロイデが坂を転がり落ちる瞬間だった。


「フロイデさん!」


(魔法で助けなきゃ!)


 慌てて駆け出そうとするも、恐怖で脚が動かなかった。


『ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!』


 彼はそう言っていた。魔物絡みの事件において、冒険者の指示は絶対だ。そう思って(きびす)を返そうとした時、彼女の自制心が――良心が呼び掛けてくる。


(それでいいの?)


 そう自問したとき、彼女は自分が理屈ではなく、単に怖いから引き返したくないのだと気付いた。彼女は民間人であり、そう思ってしまうのは当然であり、『卑怯』と批難されるようなことではない。


 そう理解しつつも、もし自分が逃げたら、フロイデはどうなるのかと不安になった。


懊悩(おうのう)する中、リーベは父の言葉を思い出した。


『俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ……そのせいで対処が遅れて、危険にさらされる人間が出てくるんだ…………』


冒険者たちがどうにかしてくれると妄信して逃げたら、いったい誰がフロイデを護るのか。


 今、彼を救える人間がいるとすれば、それは街の何処で何をしているか知れない冒険者ではない。


 今ここにいて、魔法が使える彼女だけだ。


「っ!」


 世界を蹴り飛ばすつもりで駆け出した。


展望台からはさほど離れておらず、すぐに駆けつけられた。


 肩で息をしながら状況を確認すると、フロイデは坂の下で起き上がろうとしていた。しかし平衡感覚を失くし、酩酊(めいてい)しかのようににふらついている。


 一方、ヘラクレーは潰された左目からポタポタ血を垂らしながら、憎き冒険者の方へくちばしを向けていた。そして今、ぴょんぴょんと跳ねながら移動を開始した。


 それを見たリーベは急いでホルダーからワンドを引き抜き、魔法を放つ。


「ええいっ!」


 放ったのはこぶし大の小さな火球だった。

 こんなちっぽけな魔法では討伐できないことなど百も承知であったが、それでも魔物の気を引ければ十分だ。しかし、狙いが甘く、初撃は足下に着弾した。


(だったら数だ!)


「当たれ! 当たれ! 当たれぇっ!」


 距離を縮めながら乱発すると、2発が大きな胴体に当たった。


「クアッ⁉」


 不意の高熱に短い悲鳴を上げたヘラクレーエは、ビクリと仰け反った後、恨みがましい視線をリーベに向けた。その時、大きなくちばしに西日が反射し、彼女はまるでナイフを突きつけられているような恐怖を感じた。


「ひっ――」

「カアアアアア!」


 ピョンと一度の跳躍で詰めてきて、そのままくちばしを――


「うわっ!」


 思わず仰け反ると彼女はフロイデと同様にして、坂を転げ落ちた。だが、そのお陰で回避に成功する。

 一方、攻撃を外した魔物は敵を見失い、キョロキョロと辺りを見回している。


「……どうしたんだろう?」


リーベは不思議に思ったが、フロイデが魔物の左目を潰したお陰で死角が広がり、彼女はそこに転がり込むことで追撃を免れたのだ。だが彼女はそこまで頭が回らず、魔物と同様に混乱していた。そんな時、平衡感覚を取り戻したフロイデが駆け寄って来る。


「どうして、戻って来たの?」

「その……心配で……」


 彼は口を開き掛けるが、言葉を呑み込んだ。それから気持ちを切り替えるように小さく溜め息をつくと、リーベに言う。


「ありがとう。あとはぼく1人で大丈夫だから」


 彼はそう言うが、リーベはこの期に及んで戦意を燃やしていた。


「あの、わたし、魔法が使えます!」


 フロイデはその言葉に逡巡し、目を瞑り、頷いた。


「…………魔法を使うときは、何を使うか叫んで」

「……はい!」


 魔法には技名が定められている。

 それは後衛である魔法使いが自分の行動を仲間に伝えるためのものであるが、冒険者に限らず、全て魔法使いの常識とされている。それは今回のように、冒険者に協力せざるを得ない状況を想定してのことだ。


「…………」


 リーベは戦場に立つと不思議と胸が高鳴った。それが勇気ではなく、もっと単純な昂揚であることに気付いた。それは父がしてきたことの、その一端を体験できることに対するものであり、彼女は自分の浅はかさに自嘲した。しかし、それでフロイデとこの街を守れるなら、それでいいと割り切った。


 ワンドを握り絞め、フロイデの斜め後方に陣取る。


 辺りには坂も何もなく、動きやすい。戦うには良い環境だ。


「ふう……」


 呼吸を整えている間に、ヘラクレーエは2人を再発見していた。


「カッカックアアアアア!」


 魔物は鳴き声を発した直後、正面に立つ剣士を目掛けて飛び掛かる。

 対するフロイデは勇敢にも脚の下をくぐり抜けて背後へ回り、鍛練の時に見せた構えを取る。整然とした構えはそのまま攻撃へと派生、紺色の体を赤く塗り変えた。


「クアアア!」


 不利を悟った魔物は翼を広げて風を捕らえようとする。そんなとき、フロイデが叫んだ。


「リーベちゃん!」

「はい! ファイア!」


 頭部を狙った火球は運良く、負傷した目に命中した。それは筆舌に尽くしがたい痛みを魔物にもたらした。全身をびくりと痙攣させ、地面を離れたばかりの鳥が地に墜ちる。


「やあああああッ!」


 透かさず駆けつけたフロイデが、起き上がり掛けたカラスの翼を斬り落とす。

 いきなり心臓を狙わず、手足を捕って有利を捕るのが冒険者の基本的な戦い方だった。フロイデはその点においても模範的だった。


「カーッ⁉」


 バサリと翼が落ちたその時、カラスは静止した。

 翼のない鳥は、もはや鳥ではない。頭の良い彼は、自らのアイデンティティの喪失を悟り、放心した。そんな中、フロイデがカラスの心臓を貫ぬいた。







リーベは魔物の赤黒い血液が街路を浸していくのを呆然と見つめていた。するとふと、周囲が騒がしいのに気付く。


 振り向くとそこには観衆が集まっており、彼らは恐怖や畏怖と、それより大きな好奇心を湛えた瞳をヘラクレーエの亡骸に向けている。


「あの坊主がやったのか?」

「剣持ってるし、そうだろうな」

「知ってるか? アイツ、ヴァールさんの弟子なんだってな」


 そんな会話がひそひそと響く中、その何倍もの大音量がうわさ話を蹴散らす。


「リーベ!」


 エルガーが観衆をかき分けながらやって来た。


「魔物が出たって聞いたが、まさかお前が襲われてたなんて……」


 そんなことを口にしつつ、熱心にわたしの体を確かめている。


「もう、お父さんたら……心配しすぎだよ…………」

「しすぎも何もあるか! お前は俺の娘なんだぞ!」


 怒鳴り声に彼女は華奢な肩を跳ね上げた。


「ご、ごめんなさ――」


 言い掛けた時、エルガーは娘を胸に抱き込んだ。

 するとリーベはその温もりに緊張の糸がぷつりと千切れ、泣き出した。


「お父さん……うう…………」


 彼は父親として、娘を慰めながらフロイデに目を向ける。


「お前には礼を言わねえとな、フロイデ」

「……う、ううん。ぼくの方こそ、助かった…………ありがと、リーベちゃん」


 その言葉にリーベは胸板から顔を離し、恩人を見やる。しかし、拭った側から涙が滲んできて、彼の顔がよく見えなかった。


「い、いえ。こちらこそ……ありがとうございます。フロイデさんって、強いんですね」


 再び指先で涙を拭うと、鮮明になった視界の中でフロイデが顔を赤くしていた。


「そ、そんなこと、ないよ……」


照れ屋な彼はスカーフと前髪を掴んで顔を背ける。


 その一方でエルガーが首を傾げる。


「ん? 助かったって……もしやリーベ! お前が戦ったんじゃ――」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」


 エルガーの事情を問う声は、ドスの利いた叫びにかき消された。三人が振り返ると、観衆が悲鳴を上げて左右に分かれる。そうして出来上がった人垣の合間をヴァールが猛然と駆け抜けてくる。それからやや遅れてフェアもやって来る。


 2人は共に武装していたが、エルガーは無手だった。彼には無手でも時間稼ぎが出来る技量があったのだ。


 そんな事情はさておき、ヴァールは魔物の死骸を見て、弟子を見て、小首を傾げる。


「ああん? どうしてフロイデが……まさかお前がやったんか?」

「ううん。ぼくと、リーベちゃんで」


 彼が答えた途端、観衆はざわざわと騒ぎ出した。そんな中、フェアが気を利かせて言う。


「……ひとまず、後始末は我々に任せて、お2人はお戻りください」


 フェアの言葉にヴァールが続く。


「そうだな。さっさと帰って、シェーンを安心させてやれ」


 そう言ってグローブを付けた手でリーベの頭を撫でた。


「あー!」


 髪の毛を気にしていると、エルガーが言う。


「んじゃ、後は頼んだ――いくぞ」

「う、うん……」


 去り際、リーベは魔物の死骸を見つめていたフロイデに呼び掛ける。


「フロイデさん、本当にありがとうございました」








 黒く(にじ)んだ空の下、魔導師が街灯に明かりを点けて回っている。そうして出来た青白い光の中、リーベとエルガーは肩を並べて歩く。


 現場を後にして以降、エルガーはむっつりと口を閉ざしていた。リーベはそこに怒りの感情があるのを悟った。しかし、弁明の言葉を発する事もできず、ただ緊張に押し黙るばかりだった。緊張を和らげようとしていると、エルガーがようやく口を開く。


「どうして魔物と戦ったんだ?」

「それは……フロイデさんが危なかったから……」

「だとしても、あの時お前のやるべきは、誰でもいいから冒険者を呼ぶことだ」


 元冒険者のの言葉であり、リーベの胸には確かな重みを持って響いた。だがそれでも、自分の選択が正しいという確信は揺るがなかった。


「で、でも! 本当に危ないところだったんだから!」


「結果論だ――じゃあ聞くが、お前の心配は全くの杞憂で、それどころか、余計な被害を招いたとしても同じ事が言えるか?」

「それは――」


 一蹴(いっしゅう)され、閉口させられた。


 どうにか言い返そうと考えを巡らせていると、エルガーは溜め息と共に続ける。


「冒険者の世界じゃ、仲間を見捨てることなんて当たり前だ。命あっての物種なんだからな」


 冒険者は死と隣り合わせである以上、合理的な決断が求められる。翻って、見捨てられる覚悟がある人が冒険者になるのだろう。だとすれば自分は、余計なことをしてしまったのかもしれない。


 そんな考えに苛まれていると、エルガーが実感の籠もった声を零す。


「……ディアンの右腕がないのは、俺を庇ったからだ」

「え」

「アイツは冒険者であることを誇りに思っていた……腕をなくしたとき、アイツがどれだけ絶望したことか…………救われておきながら俺は、お前にはそうなって欲しくねえんだ」

「お父さん……」


 長い腕が娘を包み込む。


「……無事で、良かった…………」

「お父さん………………ごめんなさい……」


 大きな手が後頭部を撫でる中、リーベの耳に、聞き馴染んだ心地よい声が響いてくる。


「リーベ!」


 父の胸板から顔を離し、振り向くとそこには母シェーンがいた。


「ああ……帰って来ないから心配したのよ!」

「ごめんなさい……」

「良いのよ、無事でいてくれればそれで――まあ! こんなボロボロになって」


 その言葉にリーベは視線を落とす。

 彼女の纏っていたライムグリーンのワンピースは擦過でボロボロになり、砂と草で汚れ、見るに堪えない状態になっていた。


「ああ⁉ ……そんな…………」


 がっくしと肩を落とすと、エルガーが明るい調子で言う。 


「なあに。服なんてまた買えばいい――」

「良くないよ!」


 娘の大声に父は目を丸くした。


「……お誕生日プレゼントだったのに…………」


 服なんてこの世界にいくらでもあるが、誕生日の――しかも15歳の成人祝いにもらった服は世界にこの1着しかないのだ。はそれを思うとリーベは無性に悲しくなってきたのだった。


 だがエルガーにはその言葉がなによりも嬉しく感じられた。


「くう……! リーベっ!」


 娘の名を呼ぶと共に抱きしめる。

 しかし太い腕に締め上げられ、分厚い胸板に押しつけられる。その苦痛たるや、もはや抱擁の域にはなかった。


「うぐぐ……ぐ、ぐるじい…………!」


 リーベが腕を叩いて知らせるも、中々解放されない。微かに聞こえた母の警告も聞き入れられなかったため、彼女はしばらく苦痛に喘ぐこととなった。

 




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