038 訓練と食事会
今日も今日とてリーベたちは練習場にやって来ていた。目的はもちろん鍛錬のためだ。
(さあ、今日も頑張って魔法を身につけるぞ!)
そう張り切った彼女だが、今日は何やら、別の事柄から入るらしい。
「リーベさん。セロン村の村長さんのお話の中で、冒険者が魔物の異変を発見し、友呼びの笛を用いてギルドに伝えた、と言っていたのを覚えていますか?」
指導役であるフェアは少年学校の先生のように整然とした口調で問うてきた。リーベはこれに頷いて答える。
「友呼びの笛にそんな使い方があったなんて知りませんでしたから、よく覚えてますよ」
「そうでしょう。友呼びの笛の主な役割はソキウスを呼び出すことですが、それだけではありません。お話にもあったように、異変を伝えたり、救助を求める際にも使われます。ですので今から、リーベさんにもこれを覚えていただこうと思います」
言い終わると彼はローブのポケットからホイッスルを2つ取り出し、内1つを差し出してくる。
木でできたそれは滑らか質感をしていて、振ると内部でボールがカラカラと音を立てた。
「それでは早速始めましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
それからしばらくリーベは笛を吹き続けた。時に長く吹き込み、時に短く叩くように吹くこともあった。それを繰り返すうち、彼女の耳に危急を告げる音が焼き付いたのだった。
「テストも無事終わった事ですし、一度休憩して、それから魔法の鍛錬に入りましょう」
先生の指示に従い休息を取ると、魔法の練習が始まった。
魔力操作から始まり、ファイア、メガ・ファイア、そしてアイスフィストと、基本となる魔法がちゃんと扱えているかチェックされる。
彼女は完璧にこなせる自信があったし、実際に完璧と評された。
「ふん、このくらい楽勝ですよ!」
胸を張ってみせるとフェアはくすりと笑い、提案する。
「おやおや。ではリーベさんに満足していただけるよう、新しい魔法をお教えしましょうか」
「新しい魔法ですか!」
リーベはワクワクのあまり、声を大にして聞き返してしまった。これを彼は微笑みで受け止めると魔法の名を告げた。
「今回の冒険で見せたダイマという魔法を覚えていますか?」
「はい、あの爆発する奴ですよね?」
「そうです。以前も説明したとおり、この魔法は大きな音を立てたり、障害物を排除したり、はたまた空飛ぶの魔物を叩き落したりするのに使われます」
「叩き落す……」
「それだけ強力な魔法であるということはメガ・ファイア同様、たいへん危険であるということです。私が監督している以上、ケガはさせませんが、リーベさんも十分に気を使ってください。いいですね?」
そこまで厳重に注意されると、なんだか恐ろしくなってきた。
「ごくり……わ、わかりました……」
「そう硬くならずに。ただほんの少しばかり気を配れば良いのです。さあ、早速始めましょう」
そう言って的を示そうと手を持ち上げるが、ふと彼女に向き直った。
「――と、その前に。リーベさんは初めて魔法を教わった際、どのようにして習得しましたか?」
「ええと、ヴァイザー法……でしたっけ、あれで感覚を掴んでから繰り返し、練習しました」
素直に答えると彼は気恥ずかしそうな表情を見せた。しかしそれも一瞬のことで、彼はすぐさま本題に戻った。
「こほん。そうでしょう。あれは実に簡便な方法ですから。今回もそれを使いますが、その際、少なからず肌に触れるのでどうか悪しからず」
「ふふ、そんな畏まらないでください。わたしとフェアさんの仲じゃないですか」
そう返すと彼はくすりと笑った。
「それもそうですね。では早速始めましょうか」
言いながら彼は両手のグローブを外した。
一方でリーベは左手だけを素手になった。右手でスタッフを保持すると、左手は開いて手の平を上に向ける。するとフェアがが背後に来て、右手で首筋をそっと掴み、左手で彼女の手を握りこんだ。
魔法を知らない人からしたらさぞかし奇妙な光景に映るだろうが、この構えがヴァイザー法の肝なのだ。
「スタッフを空へ向けてもらって――そうです。それでは魔力を流しますね」
「はい」
返事をすると。首の後ろと左手がぞわぞわしてきた。これはフェアの魔力がリーベの体に流れ込んでいる証であり、これから魔法が発現する予兆でもあるのだ。
「ではいきます――ダイマ!」
スタッフに取り付けられた珠が輝いたかと思えば、光の雫とでも表現すべきものが宙に舞う。それは2人から30メートルほど離れた場所まで飛翔し、弾ける。
バゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!
その爆音に森がざわめき、小鳥たちが木々の梢から飛び立った。
リーベは森の生き物たちに申し訳ないと思ったが、生憎と彼女はこれから何発もこの魔法を撃ち込まなければならないのだ。
「もう1発いきます――」
それから2人は何度も放った。そのたびに森の住民に騒音をもたらしたわけだが、おかげでリーベその感覚を焼き付けることができた。
そして今、リーベはフェアが見守る中、その成果を披露しようとしている。
両手でスタッフを保持し、体に焼き付いた感覚を呼び起こす。その際、心に浮かべたのは、自分の魔法が強かに空を叩く情景だった。
「ダイマ!」
光の雫は空に落ち、雲に至ることなく弾けた。その大音量が耳朶を叩くと同時に、わたしは魔法の成功を実感した。
「やった! 1発でできた!」
喜んでいるとフェアが手を鳴らしながらやって来る。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます! あの、わたし、昔お母さんに魔法を教わったときは一発で成功しなかったんです。なのになんで今回に限って1発でできたんですか?」
すると彼は細い顎に指を添えて、考察を述べる。
「おそらくはダイマとファイアの性質が似ていたからでしょう」
「性質……そういえば、どっちも爆発しますもんね」
「そういうことです。ですが、あなたの才能も少なからず影響しているでしょうね」
「もう、フェアさんってば!」
リーベが謙遜すると、2人は笑い合った。
その中でリーベはヴァイザー法の偉大さを再認識させられた。
かつては魔導書に書かれた呪文を唱えながらイメージするという、個人の想像力に依存する方法で魔法を『修得』していたのだが、今は魔法を『継承』する時代なのだ。
この方法が如何に優れているかは、この短期間でリーベが魔法を習得できた事実が証明しているだろう。
「でもこの分なら、今日のうちに2、3個は魔法を覚えられそうです」
期待を胸に先生を見やるも彼はくすりと笑んでこれを却下した。
「気持ちはわかりますが、これからこの魔法をあなたの中に定着させなければなりません。次の魔法はまたの機会にですね」
「そっか……じゃあ少しでも早く次に行けるように、わたし、頑張ります!」
「その意気です――さ、少し休憩をしたら再開しましょう」
そういいながら彼は劇薬の入った小瓶を取り出した。
「うげっ!」
「ダイマは魔力の消費が激しいので。さあ」
「……はい」
もしも今日、さらに魔法を教わっていたとなれば、これを何本も飲む羽目になっていたことだろう。
(……魔法は少しずつでいっか)
そう思ったリーベは、グイっとやって、オエッとなった。
心地よい疲労感に包まれながら坂を上っていると、ヴァールが上機嫌に言う。
「さすがにもうこの坂くらいじゃへこたれねえか」
その言葉に対し、リーベは高い位置にある顔を見上げながら胸を張って答える。
「ふふんだ! もう2回も冒険に出てるんだから、このくらいなんともないよ!」
「そうかそうか! なら明日からは錘を持たせっかな」
「え、おもり?」
一瞬、耳を疑ったが、ヴァールは平然と続けた。
「そうだ。往復するついでに足腰を鍛えられるんだから儲けもんだろ?」
「……ちなみに何キロ?」
「最低でも5キロだ」
「そんな! 無茶だよ!」
「無茶で結構!」
そう言い切るとヴァールは実感を込もった言い方で続ける。
「何事もちょっと過酷なくらいがちょうど良いんだよ。慣れは怠惰の始まりだからな」
「確かにそうかもしれないけど……」
「フェアだってリュックに20キロの錘を入れてんだぜ?」
「え、そうなんですか?」
振り向くと、彼は穏やかな顔で頷いた。
「魔法使いといえど、やはり体が資本ですからね。むしろ我々こそが体を鍛えるべきなのかもしれませんよ」
「? どういうことですか?」
私の問いに対し、彼は問い返してきた。
「リーベさん。魔法使いの役割とは」
「あ、ええと、剣士を支えることです」
「そうです。なれば、私たち魔法使いが剣士よりも先に力尽きることがあってはならないのです」
「なるほど……体力がなくなっちゃったら、護れるものも護れませんからね」
「そういうことです。まあ、リーベさんは初めてですし、錘については三キロくらいから初めるとよろしいでしょう」
「わかりました」
了解し、話が終わると視界が広がった。それによって、彼女の前で先輩が深くうなだれ、幽鬼のような怪しい足取りで歩いていることに気が付いた。
「フロイデさん。さっきから静かですけど、具合でも悪いんですか?」
すると彼は3日砂漠を彷徨った人が水を求めるような声で言う。
「おなか、すいた」
「なるほど……」
フロイデさんらしいと思っているとヴァールが言う。
「コイツも少しずつ運動量を増やしてるからな。あんなみみっちいもんじゃ足りねえんだろうよ」
「確かに……干し肉とかじゃあまりお腹は膨れないよね」
と、その時、リーベは大事なことを思い出した。
「あ、そうだ。おじさんたちは今晩用事あったりする?」
「藪から棒だな。まあ、ねえけど」
「ならよかった。あのね、今日はお店が定休日だからみんなを晩御飯に招待してきてって、お母さんが――」
「ほんと……!」
フロイデは息を吹き返したように溌剌とした瞳を彼女へ向ける。リーベはその圧に押されつつも頷く。
「は、はい。フロイデさんたちが良ければ、ですけど」
すると彼はリーダーであるヴァールの方に振り向いた。
「行くよね……!」
無邪気に問いかけられると、ヴァールは意地悪く口角を吊り上げ、「行かねえよ」と言った。
「なんで?」
そう問いかける声にはおねだりが通じなかった少年のような悲愴を浮かべていた。これにはさすがの彼も耐えかねたようで「冗談だよ」と早々に撤回した。
「じゃあ行くの?」
「ああ――フェアもそれでいいだろ」
「ええ、もちろん」
「つーことだ、シェーンにもそう伝えといてくれ」
「うん」
そうこうする間にテルドルに帰り着いた。
例によって一行は東門前の十字路で別れ、それぞれの拠点に帰っていった。
食卓には川魚を使ったテルドル風クラムチャウダーを筆頭に、エーアステ家自慢の料理が並んでいる。それらから立ち上る芳香は6人には広すぎるホールを満たし、孤独を感じる余地を幸福で塗りつぶしていくかのようだった。
「この度はお招きいただきありがとうございます」
客人の1人であるフェアが丁重に礼を述べると、食事会の主催者であるシェーンもまた、丁重な物言いで応じる。
「こちらこそ、急にお呼びしちゃって。ご迷惑でなければ良いんですけれども」
「とんでもない。こちらとしてもたいへん嬉しいお話でしたよ」
そう言うと彼は両隣に佇む連れを見やった。視線の先ではヴァールとフロイデがジーっと、食卓に並ぶ料理を見つめてたい。
「相変わらず食い意地張ってんな、お前ら」
エルガーは愉快に笑うと、シェーンもまた微笑んだ。
「ふふ! さあ、お料理が冷めないうちにどうぞ」
こうしてみんなで食卓を囲み「いただきます」というと、ヴァールとフロイデは『よし』と言われた犬のようにに勢いよく料理に食らいついた。
「相変わらずすごい食べっぷり……喉詰まらせたりしないでよね?」
心配して言うと、ヴァールが咀嚼しながらコクコクと頷いた。
「まったく……品がなくてすみませんね」
フェアが詫びると両親は笑った。
「ヴァールさんたちはこうじゃないと」
「ああ。むしろ行儀よく食ってたら病気を疑うからな」
シェーンくすりと笑うとフロイデに問い掛ける。
「フロイデくんのお口にはあったかしら?」
すると一心不乱にクラムチャウダーを頬張っていたフロイデは顔を上げ、シェーンを見た。目が合うと彼は恥ずかしがり、空いた手でスカーフを握り、視線を彷徨わせる。
「う、うん……おいしい」
顔を赤くして答えると、シェーンは満足そうに微笑んだ。
「良かった。リーベから牛乳と魚が好きだって聞いてたからクラムチャウダーを作ったの。まだまだたくさんあるから、遠慮しないでどんどん食べてね?」
その言葉を聞くとフロイデは無邪気に目を輝かせた。
「うん、ありがと……!」
その言葉を受けたシェーンの表情は慈しみに満ちたもので、リーベは「もしかしたら男の子も欲しかったんじゃないかな」と思った。
どんな思いを抱くのかは当人の自由だが、リーベは娘としてはちょっぴり複雑だった。
「リーベも美味いか?」
ポテトサラダを食べていると、エルガーが埋め合わせるように問うてくる。だがその表情を見るに、この問い掛けには娘の機嫌を取ろうという打算はなく、純粋に批評を求めているのがわかる。
「美味しいよ?」
素直に答えると、彼は満面の笑みを湛えた。
「そうかそうか! そりゃ、良かった」
その反応を不思議に思いつつ、ポテトサラダを見つめていると、いつもより具材が大きめであるのに気付く。
(それになんだか、味付けが濃い気が……)
「あ! これもしかして、お父さんが作ったの」
「あーやっぱわかっちまうか。はは、シェーンみたいに上手くは出来ねえんだよな」
白々しく言いつつも、見破ってもらえてうれしそうだ。
「師匠が料理……しかもサラダって。柄じゃねえにも程があるだろ?」
ヴァールの歯に衣着せぬ物言いに対し、エルガーは鷹揚に笑って見せた。
「はは! 俺はもう食堂のオヤジだからな。サラダくらい作れねえと笑われちまう」
得意げにそう言っていると、隣でシェーンが笑った。
「ふふ、ジャガイモ茹でてる時なんて『そろそろいいか』って30秒刻みで聞いてきてたいへんだったのよ?」
「しぇ、シェーン!」
エルガーが妻に口止めしようとするも、時すでに遅し。
食堂はすでに娘らの笑い声で満たされていたのだ。
愉快な空気の中、食事を終えた一同は多少の歓談を経てお別れすることになった。
「今晩はお招きいただき、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそお疲れのところ来てくださって――」
フェアとシェーンが挨拶を交わす傍ら、ヴァールは練習場からの帰りに言っていた錘をリーベに手渡してきた。
「きっかり3キロだ。明日はこれを鞄に詰めてこい」
「う、うん。わかった」
「なんだ、錘なんて持たせて」
エルガーが横から問うてくると、意外なことにフロイデが訥々と答える。
「リーベちゃん、体力ついてきた、から」
「おお! なんだそうなのか」
上機嫌に言うと彼は娘の頭を撫でてきた。
「短期間ですごい成長っぷりだな」
「ま、まあね」
人前で褒められるのは何となく気恥ずかしくて、リーベは素っ気なく答えてしまった。
しかし嬉しい気持ちは父にちゃんと伝わっていた。
リーベがくすぐったい思いをしていると、挨拶を終えたフェアが仲間2人を連れて帰っていった。
するとエルガーは大きく伸びをする。
「んじゃ、これ片づけっか」
その声に振り返ると、食卓を埋め尽くす食器たちが目に飛び込んできた。毎度ながら、楽しい時間の後始末というのは実に億劫で、リーベはげんなりさせられた。しかし3人で掛かればこんなのあっという間だろう。
「……よしっ!」
リーベは気持ちを切り替え、片付けに取り掛かった。




