035 セロン村の歓待
太陽が天頂を過ぎた頃、冒険者一行は無事にセロン村に帰り着いた。
出迎えてくれた村人たちは皆、ヴァールの担いでいたハイベックスの大きさに、あるいはそんな大物を担ぎあげている事に驚嘆し、継いで歓喜した。
わいわいガヤガヤと一帯が騒がしくなると、村長が杖を突きながらやって来た。
「相変わらず仕事が早いな。さすがエルガーくんの弟子だ」
「そりゃどうも。だが生憎と、俺はなんもしてねえよ。礼ならコイツらに言ってくれ」
親指で弟子たちを指し示し、弛んだまぶたをカッと見開き瞠目した。
「なに? まさか、リーベちゃんが⁉」
その驚きように恥ずかしくなったリーベは頬をポリポリと掻きながら「ま、まあ」と乾いた笑いを発しながら答える。
「おお! 冒険者になったばかりでハイベックスを倒すとは、さすがエルガーくんの娘だ」
村長が満足げに笑う中、フロイデが不服そうに告げる。
「ぼくも戦った……!」
「おや、これは失敬。お前も若いのにやるみたいだな?」
「むふーっ!」
彼が鼻息と共に小さな胸を這ったその時、村の北側の方がにわかに騒がしくなった。
「おや、到着したようですね」
フェアの言葉にリーベは期待を膨らませ、振り向く。南北を結ぶ通りの左右に家屋が並んでおり、通りの上には衆目を一身に集める純白のもふもふがいた。凛と澄んだ瞳、上品に尖った顔立ち、三角の耳、その脇から連なる雪花の如き長毛……あれはソキウスであり、愛しのアデライドだった。
「アデライド~っ!」
大角を持っているため、腕を振る代わりにピョンピョン跳ぶと、彼は気付いた。
「ウォン!」
とことこと、大柄でありながら無邪気な仕草で歩み寄ってくると、その大きな顔を寄せてきた。
「ヴォフ……」
しかし、残念な事に今、リーベは両手が塞がってる。そんなワケで頬ずりするだけに留めた。
「おすわり!」
相棒の指示にハッとしたアデライドは、短く鳴いてその大きな尻を下ろした。程なくしてアデライドの背後から騎手であるスヴェンが表われる。彼はややぽっちゃりとした顔をにっこりと歪めて冗談めかして言う。
「いやはや、リーベちゃんにすっかり懐いちゃったみたいで。リーベちゃん、君はきっと加工場も向いてるよ。だから加工場に転職してみない?」
その提案は大変魅力的だった。なぜなら堂々と、毎日ソキウスをもふもふ出来るのだから。
でもリーベは冒険者。父のように街のみんなの希望になるため邁進し続けるのが使命なのだ。
「はは、素敵なご提案ですけど、遠慮しておきます」
「そうかい? いつでも歓迎するよ」
カラカラ笑うと彼はヴァールの肩に担がれたそれに気付いた。
「や! ここまで運んできたんですか⁉」
「あんなとこで待ってても仕方ねえからな」
「まったく、型破りな人ですね。そういう事なら是非、荷車まで運んでいただきましょうか」
「おう。いくぞ、チビ共」
「チビじゃない……!」
反論しつつもフロイデはヴァールの後をアヒルの子のようについていった。だからリーベはアデライドを名残惜しく思いつつ、それに続いた。
「お願いします」
大角を差し出すとスヴェンは受け取りつつ尋ねてくる。
「これもヴァールさんたちが倒したの?」
「いえ、フロイデさんとわたしで――」
「そうなの⁉ 俺は冒険者じゃないけど、ハイベックスは中々厄介な魔物って聞くよ。それを冒険者になったばかりの君が倒したなんて知ったら、きっとみんなビックリするよ!」
「そ、そうでしょうか?」
照れくさくなって目線を背けると「ああ」と彼は言う。
「俺は黙ってるから、帰ったらみんなを驚かせてあげてね? ――さ、お別れの前にアデライドと遊んであげて」
「え、いいんですか?」
「もちろん。これを縛ってる間、コイツは暇だからね」
「やった! ありがとうございます!」
リーベは意気揚々とアデライドの前に回り込んだ。
「おいでー」
グローブを外した両手を差し伸べると、その大きな顔を寄せてきた。
(ああ……これだよこれ)
滑らかな手触りとその温もりは何にも代えがたい。もちろんダンクも高いモフリティをもつが、彼のそれとはまた違った趣があった。
抱きしめながらもふもふしていると、フロイデが羨ましそうに見つめているのに気付く。
「フロイデさんも一緒にもふもふしましょうよ!」
「で、でも……」
彼はアデライドを――ソキウスを恐れる素振りをした。
「ねえアデライド、フロイデさんもいいでしょ?」
そう尋ねると彼は鼻先をフロイデの方に向け、逡巡する。それからしばらくの後――
「ガルルル……!」
歯をむき出しにして威嚇をし始めた。
するとフロイデはしょんぼりと項垂れ、負け惜しみするようにぼそりと呟く。
「ぼくは猫派だから……」
「それがいけなかったのかもしれませんね」
傍らにいたフェアが苦笑交じりにそう言った。
「もお、アデライドったら。威嚇しちゃダメでしょ?」
……叱りつつも、リーベは独占欲を満たされて安堵したのだった。
心の中でフロイデに詫びていると、ハイベックスを荷車に固定し終えたヴァールとスヴェンさんが話しながらやって来る。
「今回はスペースも空いてることですし、どうです? 乗っていきますか?」
「乗るって、アデライドの後ろにですか⁉」
思わず口を挟むとスヴェンは「そうだよ」と微笑んだ。
(荷車に乗って、アデライドが一生懸命走る姿を堪能できるなんて……こんなに素敵な事はない!)
「ジ~……」
リーベは期待を込めて師匠を見やるも、彼はは大きな手を腰に当ててこれを断った。
「え~、なんで~?」
「お前の体力を付けるためだ――そういうことだから、お前らは先に帰っててくれ」
「わかりました」
スヴェンさんは冒険者一行を見回す。
「それじゃ、お先に失礼します――アデライド。リーベちゃんに挨拶しな」
「ウォン!」
「またね、アデライド」
2人は大小の鼻先をちょんと突き合わせ、別れの挨拶とした。
その大きな尻尾が風に靡くのを見送ると、村長が溜め息と共に言う。
「あのソキウスとは長いのか?」
「いえ。前回の冒険で初めて会いました」
「そうか……あの気難しいソキウスと打ち解けるなんてな。やはり器かもしれんな」
「そんな! 犬派だからですよ!」
謙遜ではなく、これこそが真理だとリーベは思っていた。人間でも言えることだけれども、好意というのは対面しただけでも伝わるものなのだ。
「なるほどな……そういえばエルガーくんは『リーベは犬が好きなんだ』って話してたっけな」
村長さん細長い顎を扱きながら微笑むと「立ち話はなんだ。うちへいらっしゃい」と招待した。冒険者たちはお招きに預かることとなり、村長が杖を突くのに合せ、ゆっくりと自宅を目指した。
妻が早めの夕食を用意してくれている間、冒険者たちは――と言うよりもリーベは、20年前の事件について、村長の話を聞くことになった。
「当時最南の集落だったシュバ村にある冒険者が派遣されていたんだ。彼は魔物の様子がおかしいことをいち早く察して、あの笛を使ってギルドにそれを伝えたんだ。それからはすさまじくて、ソキウスが何体もやって来て、南の集落から人や物を乗せて避難してきたり、魔法使いがあの壁を作ったりな」
村長はリーベの顔を見つめながらも、落ちくぼんだ瞳は遙か遠い過去を見つめているように呆然としていた。
「壁が出来てからワシらもテルドルに避難したんだが、そこで初めてエルガーくんに会った。他の連中が報酬の話をしたり、怯えたりする中、彼らだけは違った。深刻な顔をして、ワシらを哀れみ、助けようという気概が見せていた。彼らが英雄となったのは単に強いからじゃない。人を思いやる清らかな心を持っていたからだとワシは思ってる」
「村長さん……」
身内を誉めちぎられて抱いたのは羞恥ではなく憧れだった。
テルドルの人々の希望になるべく冒険者という道を選んだリーベにとって、村長に希望を与えた父の在り方は、素直に見習うべきものなのであった。
村長の言葉を心の辞書に書き留めるつもりで反芻していると、妻がやって来た。その手にはトレイがあり、そこに載せられた器からは温かな香りが立ち上っている。その芳香に今まで忘れていた食欲が呼び覚まされ、お腹が盛大になる。
「ふふ、沢山ありますからね」
「~~っ!」
リーベは恥ずかしさの余り深く項垂れたがしかし、お腹はしばらく鳴り止んでくれなかった。
早めの夕食を終えると、冒険者一行は貸屋に案内された。
「こんな辺境の村だから普通は宿屋なんてものはないけど、うちには時々学者が来るんだ。だからこうして一軒、拵えさせたんだ」
「へえ。学者って、20年前のことを調べるためにですか?」
リーベが問うと、村長は頷いた。
「事件の原因がなんだったのか。また起こったりはしないかを調べるためにな」
その話を聞いたとき、リーベは以前、父に見せてもらった黄金色の鱗を思い出す。遙か南のグラ・ジオール山で発見されたそれが事件の根幹に関わっていることは明白であったため口走りそうになったが、厳重に口止めをされていたお陰で口を滑らせずに済んだ。
「…………」
「リーベちゃん?」
「あ、すみませんボーッとしちゃってました」
すると村長はシワシワの唇を大きく開いて笑った。
「ははは! ハイベックスと戦ってきたばかりなんだし、それもそうだろうな。荒ら屋だが、今日はここで休んでいっておくれ」
「ありがとうございます」
「後のことは他のヤツから聞くといい。それじゃあの」
ヴァールに鍵を預けると村長は自宅に引き返していった。
「んじゃ、寝るか」
ガチャガチャと解錠すると身を屈めて室内に入っていった。それにリーベたちも続く。
村長は荒ら屋だと言っていたが、それは謙遜だった。内装はシンプルでありながら手入れが行き届いており、なんなら村長宅よりも綺麗な印象を受けた。
内装を観察するリーベを他所に、ヴァールは壁際に大剣を寝かせ、奥のドアへと向っていく。 ドアの向こうは広間になっており、ベッドが6台並んでおかれていた。
「今日は全員同じ部屋だぞ」
「わかったよ」
「あと、村の東に共同浴場があるから。この時間は誰も使ってねえだろうし、今のうち入ってきちまえ」
ヴァールは荷物を置きながら紅一点であるリーベに言う。
(こんな辺境の集落にもお風呂があるなんて、なんて素敵なんだろう! 魔法ばんざい!)
入浴を終えたリーベはヴァールたちと交代する形で貸屋に戻って来た。
ぽかぽかと温まった体は弛緩し、眠気がしてくる。しかし、先輩であるみんなより先にベッドに入るわけにはいかない。そんな殊勝な心掛けの下、食堂で待機していたが、その誘惑には抗い切れなかった。
寝室へ移動し、硬いベッドに身を横たえる。疲労のお陰か、質素な寝床でもまるで自宅のそれであるかのように心地よく感じられた。
今は夕方であり、鎧戸の隙間からは赤らんだ陽光が斜めに差してくる。こんな時間にベッドで横になって良いなんて、なんて贅沢なんだろうと感動した。だがその分明日が早いんだと思い至り、気が重くなった。
だがそんな感慨も全ては眠気が紛らしてくれて、リーベは気持ちよくなった。この分だと、ヴァールの手を借りずとも眠れるだろう。そんな推測を裏付けるように視界が霞み、全身を甘い痺れが包む。
その感覚に身を委ねていると、ふとまぶたの裏に両親の顔が浮かんだ。その表情は娘を送り出した時から変わらず笑顔だった。だが、それが不安を押し隠した結果であるのは、娘である彼女にとっては一目瞭然であり、申し訳なく思わずにはいられなかった。
しかし、無事に任務を果たした今となっては、その笑顔を本物に出来るという確信もあり、リーベは嬉しくなった。
(……待っててね、お父さん、お母さん。もうすぐ帰るから)




