033 冒険の始まり
リーベが冒険者登録した翌日。エーアステはスーザンが亡くなって以来の賑わいを見せていた。
「リーベちゃん! 冒険者になるって本当なんかい?」
ウワサ好きなサラ婦人がふくよかな顔をずいと寄せて問い掛ける。彼女だけじゃない。周りの客は皆がリーベに注目していた。
「ええと……」
「どうなんだい!」
「ほ、本当です……」
仰け反りつつ答えると、周囲がドッと湧いた。
「ははは! エルガーさんの娘が冒険者になるなんてねえ! これでようやく、安心して眠れるよ!」
「そ、そんな……大げさですよ」
大げさでも何でも、街の人が元気を出してくれれば、それが本望なのだが、つい謙遜してしまう。
「そんなことねえぞ」
別の男性が言う。
「なんたって俺たちの英雄の娘なんだからな! きっと才能の塊だよ」
そうだそうだ、と同調する声が多数上がる中、リーベは一緒に給仕をしている父に助けを求める。
「お、お父さんからもなんか言ってよ」
するとエルガーに視線が集まる。その視線は昂揚したものであり、まるで余興でも観るかのようだ。
エルガーはそんなノリに乗じて仰々しく咳払いをして答える。
「あー、お前ら。期待するなとは言わねえが、コイツはこんな細い娘だし、第一魔法使いなんだ。それを分かった上でだな――」
「えー! リーベちゃんは魔法使いなのかい?」
「ダニエルは剣士だって言ってたぞ!」
エルガーの言葉は流れていってしまった。
「……ま、魔法使いです……」
リーベが断言すると場は多少の落ち着きを見せた。中には溜め息をつく人の姿も……
(やっぱり、わたしは剣士になる事を求められていたんだ……)
そう実感する一方で、期待がすぼんだことに安堵している自分がいた。
父と同じだけの活躍を期待されるのは酷と言うにもほどがある。目標を低く持つつもりはないが、リーベはリーベである。彼女なりに、自分にできるだけのことを精一杯やって、それが街の人々の安心に繋がってくれればそれでいいのだ。
波乱のランチタイムを凌ぐと、リーベはもの凄い疲労感に襲われた。
「ふう……こんなに疲れたのはいつぶりだろう」
表の札を『準備中』に変えた彼女は、懐かしい感覚に独り言ちた。
「前に戻っただけなんだが、妙な感じだな」
「ほんと~……」
それだけ忙しい日々が常態化していたと言うことで、それはそれでどうなのだろうとリーベとエルガーは疑問に思った。
そんな贅沢な疑問はともあれ、父子は疲れを絞り出そうと伸びをした。その最中、厨房からシェーンがやって来る。
「ふふ、でも忙しいってことは、それだけお客さんがあなたに注目してくれているってことよ?」
母の言葉に、リーベは期待の籠もった眼差しの数々を思い出す。1つであれば胸をくすぐるだけであったろうが、あんな束になって向けられると重圧以外の何物でもない。
「うう……思い出したら緊張してきた…………」
「はは! 『みんなの希望』になれたんだから良いじゃねえか?」
エルガーはニヤニヤと、1番弟子のような意地悪な笑みを向ける。
「もー! 揶揄わないでよ!」
「揶揄ってねえさ! ……誇らしいんだよ」
そう言って娘の頭に手を置いた。
「お父さん……?」
「ディアンが言ってたんだ。『英雄に求められるのは腕だけじゃない』ってな」
エルガーはほんの半月までディアン作の『断罪の時』が飾られていた場所を見つめる。
「武勇で優れることじゃない。身近で活躍していることじゃない。ただ純粋に、希望であればいいんだ。
『あの人が頑張ってくれているから大丈夫』ってな具合にな?」
向き直ったその顔は、雨上がりの空のような、清々しい表情をしていた。
ヴァールたちが冒険から帰還して、リーベを迎えに来たその瞬間からの冒険者活動は始まるのだ。だから彼女は日を重ねるごとに度を増してそわそわとしていたが、彼らは中々やって来ない。
早く冒険に出たいと言う思いと、食堂の仕事を続けたいという思い。
相反する2つの事柄に煩悶としている内に時間は流れ去り、遂にその時が訪れた。
「邪魔するぜ」
ヴァールがドア枠に上体をねじ込みながら言う。続いてフェアとフロイデが屋内に入ってきた。彼らはいつもと違い、妙に余所余所しい雰囲気を醸しており、今日この瞬間が如何に特別であるのかを物語っていた。
「おじさん……」
「よう、迎えに来たぜ」
彼はその大きな顔をリーベの両親であるエルガーとシェーンへ向ける。
「これからは俺たちの都合でリーベを連れ回すが、本当に良いんだな?」
その問い掛けに両親は揃って閉口し、悲しげな目を娘に向ける。その儚い煌めきにリーベは胸が苦しくなって、目には涙が滲んできた。
「わ、わたし……」
食堂への未練が急速に膨らんでいき、彼女の胸を押しつぶそうとする……だが、それでもりーべは存在になりたいと思っていた。街の人々を励まして、安心させてあげられる……そんな冒険者になりたかったのだ。
そのためにはまず、両親を安心させてあげないといけない。
彼女は窄まろうとする唇を吊り上げ、笑みを作って見せる。
「――っ」
エルガーは下唇を噛んで、シェーンは顔を覆った。
「……リーベを頼む…………!」
「ああ、任された」
師弟は拳を突き合わせるとリーベを見る。
「頑張れよ、リーベ」
「うん……!」
母へ目を向けると、涙ぐんだまま両手を広げた。リーベがその腕に収まると、震えた声が耳元にか細く響く。
「……お店の心配ならしなくていいから。あなたは、あなたのやるべきことを頑張りなさい……いいわね?」
「……うん。わたし、頑張るよ……!」
強く抱擁を交わし……体を離すとリーベは2人を。そしてホールを見渡した。
彼女の家であり、職場である。今まで、いろんな事があった。
失敗したこともあったし、怖い客に当たったこともあった。でも、辛いことの何倍もの素敵な出来事があった。そのどれもが愛おしくて、他の何にも代えがたい思い出だった。
そしてリーベは今日、この時を以て、この食堂を卒業するのだ。
「…………」
ひょっとしたら何かの形で携わることもあるのかもしれない。だから別れは言わなかったが、それでも尚、寂しさが胸を圧していた。
「……っ!」
リーベは思いを振り払って、新たな仲間たちに向き合う。
「……よろしくお願いします!」
頭を下げると、3人は口々に彼女を歓迎してくれた。
「おう!」
「こちらこそ」
「……よろしく」
ヴァールはドアの方を親指で指すという。
「これから鍛練に出るから、お前も来い」
「うん……!」
短く答えるとリーベは2階に駆け上がり、慌ただしく身支度を整えてきた。
「中々サマになってるじゃねえか」
「よくお似合いです」
彼女の冒険服姿を見るや、ヴァールとフェアは口々に褒めた。
「ふふ、ありがと」
最後に両親の方を見る。
「それじゃ、行ってきます!」




