031 宣誓
「ただいまー!」
ホールに入ると、そこに母の姿はなかった。リーベは首を傾げたが、調理をする音と共に美味しそうな匂いが漂って来たことで母が厨房にいるのだと知った。それに導かれ、厨房へ向かう。
「ただいま」
そこにはシェーンがいた。彼女はキッチンナイフをまな板の奥に置くと振り返る。
「おかえりなさい――ってまあ!」
娘の姿を見るや、まるで数年ぶりに再開したような、そんな大げさとも言える反応を示した。
「ふふ、もうすっかり冒険者ね」
先程はあんなに泣いていたというのに、今では清々しいまでの笑顔を見せてくれている。
それに対しリーベは娘を気遣っているだけなのか、はたまた素直な感情なのかわからなかったが、母が笑顔を見せてくれたのがとにかく嬉しかった。
「うん! ドラゴンだってやっつけちゃうんだから!」
ブンブン剣を振り回す仕草をすると、即座に「こら、厨房で暴れないの」と窘められる。
「ご、ごめんなさい……」
「はは! 叱られてやんの」
カウンター越しにエルガーがにっかりと笑う。
「ほら、燥いでねえで荷造り済ませちまうぞ」
「あ、はーい――それじゃお母さん、また後でね?」
「ええ――とそうだ、今晩はトマト煮よ」
「え、ほんと!」
(ふふ、今日は良いことずくめだよ!)
冒険に持っていくものは様々で、大きく見えたリュックは見る間に満杯になってしまった。
「……意外と入らないんだね」
「ああ。持ち物の取捨選択にも冒険者の技量が現れるんだ。テルドルにいる間は俺が見てやれるが、王都に行ったらそうもいかねえ。ヴァールによく見てもらうことだ」
「うん。わかった――って、王都⁉」
リーベが叫ぶとエルガーは『何を驚いてる』とばかりに眉を顰めて娘を見る。
「ヴァールは王都のギルド本部所属の冒険者だぞ? だからアイツの弟子であるお前もそれにくっついていくワケだ……まさかと思うが、そこまで考えてなかったのか?」
「う、うん……てっきり、ずっとここでやるものだと…………」
娘の浅はかさに父は深い溜め息をついた。
「あのな……やる気は結構だが、もっと将来を見据えてくんねえと困るぜ?」
「ご、ごめんなさい……」
「たく……もう後戻りは出来ねえんだ。いまさら嫌とは言わねえだろうな?」
「だ、大丈夫だよ! 嫌じゃない! 嫌じゃないけど……」
彼女は俯いた。
冒険で数日離れる事はあれど、両親とダンクと一緒に暮らすことに変わりはないものだと思っていた。それだけにその衝撃は大きかった。
「うう……」
「リーベ。お前はこの街を出たことがなかったな」
「……うん」
「世界は広い。お前が想像も付かないようなすげえものばっかで、きっと目が回っちまうだろうよ。だから、寂しいことなんてすぐに忘れちまうさ」
娘の肩を叩いて励ます。
「……お父さん…………」
その言葉を反芻する内に、外の世界に対する憧れが強まっていった。
「王都か……」
(テルドルより広くて、お城があって……)
新天地へ想いを馳せていると階下から母の呼ぶ声がした。
「晩ご飯ができたわよ!」
その声を聞くとリーベの腹がぐうう、と鳴った。
「~~っ!」
「ははは!」
エルガーは一頻り笑うと、穏やかな顔をして言う。
「王都にも美味い店は沢山あるが、うちが1番だ。今のうち、しっかり味わっとけよ」
「うん、わかった」
荷物を壁際に寄せて部屋を出ようとした時、父が振返って言う。
「汚しちゃいけねえし、着替えてから来な」
「あ……」
その言葉に自分が武装したままである事を思い出した。同時に自分が燥いでいたことを思い知らされた。こんな自分が、果たして親元を離れて大丈夫なのだろうかという疑問が胸に起こる。
(大丈夫……大丈夫、だよね?)
自分に問い掛ける間に、父は娘の部屋を出て行った。
その夜。魔法のランプが照らす私室のベッドの上で、リーベは親友ダンクへの報告会を開いていた。
もふもふの彼は飼い主の膝に前脚を置いて、くりくりの瞳で見上げている。
「報告があります」
「…………」
ダンクは神妙に口を噤み、報告を待ち受けている。
リーベは彼の誠意に報いるべく、丸い瞳を見つめて言う。
「わたし、リーベは冒険者になりました」
「…………」
飼い主の言葉に驚くあまり、ダンクは言葉を失った。
それもそのはず。リーベは単なる食堂の娘であり、体力に優れるわけではなく、これと言った戦技を持っているわけでもない。そんな彼女が冒険者になるだなんて、防具屋のダニエル以外に、一体誰が想像できただろうか。
「……大丈夫かって? うん、ちょっぴり不安なの」
展望台でヘラクレーエと戦った時のことを思い出す。
自分より背の高いカラスが一息で距離を詰めてきて、極太いくちばしを伸ばしてくる。あの恐ろしい光景はしかし、あまりにも非日常的で、悪い夢でも見ていたかのようにも思えてしまう。だが、これからは日常の一部になるのだ。それを思うと、どうしても不安になってしまう。
それに両親と離ればなれになる事が同じか、ひょっとしたらそれ以上に恐ろしかった。
「怖いよ。怖いけど…………でも」
客たちの落ち込んだ顔、静まり返った街……その悲しい情景が彼女の勇気を奮い立たせる。
「それでもね、わたしは冒険者になりたいの。冒険者になって、みんなの希望になるの。お父さんみたいに……だからダンクも応援してね?」
「…………」
無言のまま彼は頷いた。
ダンクの応援を得られて、リーベの勇気は一段と高まっていく。
だがしかし、今は夜だ。しかも深夜だ。その勇気を発揮する機会などない。リーベは空回った胸を宥めるようにダンクを抱きしめる。
「おやすみ……」
ダンクをギュッと抱きしめたその時、ふと思った。
(おじさんたち、いつ帰ってくるのかな?)
彼らが帰還したその時から、リーベの冒険者活動が始まるのだ。翻って、それまでの僅かな期間が、彼女が家族に尽くせる時間なのだ。そう実感すると、途端に悲しくなってきた。
『やっと家族みんな、一緒でいられるようになったのに』
母の言葉が心に重くのし掛かる。
彼女は自分の意思で、心で、冒険者と言う道を選んだんだ。そこに後悔はない。あるとすれば、それはほんのちょっぴりの寂しさだけであろう。




