031 因縁の地
早朝。リーベは家族みんなで食卓を囲んでいた。しかし両親はもっと遅い時間に朝食を摂るため、今食事をしているのは彼女だけだ。
そこに若干の申し訳なさを抱きつつも、母特製のムニエルの美味に頬が揺るんでしまう。この場にフロイデがいたならば、きっとヨダレを垂らして物欲しそうな顔で見つめていたことだろう。
そんなことを考えつつ牛乳で喉を潤していると、父エルガーが口を開いた。
「体調はどうだ? 風邪とか引いてないだろうな?」
「元気満点! だから大丈夫だよ」
微笑み掛けると「そうか」と短く返された。替わって母シェーンが「そういえば」と切り出す。
「今日はセロン村へ行くのよね?」
「うん。お父さんと関係ある場所だから行ってみたくて」
そう言いながら父を見やると、彼はなぜか渋い顔をしていた。
「『行ってみたくて』ってお前……そりゃ順序が違うんじゃねえか?」
「順序?」
「自分の実力で倒せるかどうか。それが第1であって、場所が何処かなんてのは2の次だ。違うか?」
「それは……うん、そうだけど――でも! おじさんは『お前でもやれる相手だから』って」
するとエルガーは「そうか」と押し黙った。
それは弟子を信頼しているからなのか、はたまたその判断が誤っていたのか……リーベにはわからなかった。だから父を見守るも、答えはすぐにはない。
しばしの後、エルガーは再び口を開く。
「……俺はお前の魔法を見たわけじゃねえからアレだが、ハイベックスはまだ早いと思う」
「あなた」
シェーンが小さく制する。それが娘の気概を損ねないためであるのは考えるまでもない。
妻の制止を受け、エルガーは一瞬口籠もるが、瞑目し、頑なに続ける。
「ヴァールがなんて言ったかは知んねえが、それを真に受けすぎないことだ。ハイベックスを前にした時、ムリだと思ったなら潔く引き下がれ。……いいな?」
図鑑やサリーのお話を聞く限りだと、ハイベックスはかなり強力な魔物に思える。クサバミに引き分ける程度の彼女では苦戦を強いられるのは火を見るよりも明らかだ。
『おじさんが勝てるって言ってくれたから~』などと、無邪気に言ってなどいられないだろう。
それを思えば、父が意地悪で言っているのではない。経験に基づいてわたしに――孫弟子に警告してくれているのは明白だった。
リーベ伏していた顔を上げ、父の真心の籠もった視線を瞳で受け止めると頷き返す。
「……わかった。無理だけはしないよ」
「そうしてくれ……悪いな。気勢を削ぐようなこと言って」
「ううん。心配してくれてありがと。お父さん」
素直に言うとエルガーの瞳が優しく煌めいた。
パチンと、静観していたシェーンが手を鳴らし、元気の良い声を発する。
「ほら、早く食べないとみんな来ちゃうわよ」
「あ、そうだった!」
リーベは慌てて食事を再開する。
ムニエルはすっかり冷めてしまっていたが、彼女にはとても温かく感じられた。
朝食を終え、家族3人で談笑しているとゴンゴンとノッカーが鳴った。迎えが来たのだ。
リーベがリュックを背負い、スタッフを肩に掛けている合間にエルガーが解錠し、彼女の仲間を出迎える。
「よう。元気そうだな」
エルガーが陽気な言葉と共に見せた笑みは屈託の無いもので、先程の危惧が何かの聞き間違いかと思ってしまいそうだ。それは娘に手招きするシェーンにも同じことが言えた。
しかしその裏に強い心配の念が宿っていることをリーベは知っている。
その健気さに胸が締め付けられるが、かといって苦い顔をしてはいられない。両親の想いに応えると共に自らの使命を果たすため、彼女は今日も元気よく冒険に出なければならないのだ。
「おはようございます」
リーベは表へ出るなりみんなに挨拶をした。
「おはよう」
「おはようございます」
「おは、よう」
ヴァールもフェアもフロイデも。みんな元気だった。そしてリーベもまた、元気だ。そうなればもう、あとは出発するだけだ。
リーベは悶々とする胸を宥めつつ、両親の方へ振り返る。2人は作りっぽい笑みを浮かべていて、「いってらっしゃい」と妙に上擦った声で送り出してくれた。
「……いってきます」
リーベは今回で冒険は2度目になるが、この瞬間はやはり辛いものだった。
テルドルの街の南側には1段低い壁で囲われた区画がある。
如何にも後付けされたこの区画は冒険者ギルドが所有するものであり、魔物の素材を加工、保管するための建屋が幾つも連なっている。そのため人々はこの区画全体を指して『加工場』と呼んでいる。
加工場の一角ではあのソキウスが飼われているため、犬好きなリーベにとっては憧れの場所だった。だから今からそこを通過するとなっては、昂揚せずにはいられない。
馬車に揺られ、アーチを描く南内門を通過したリーベは左右後方に目を凝らす。
「むむむ……!」
しかし残念なことに、馬車の左右は幌で覆われていて視界が狭く、そのうえ隔壁があるのだからあの至上のもふもふは目に映らなかった。
「はあ……見えなかった」
「なんだ? ソキウスでも探してたんか?」
ヴァールが苦笑しながら問い掛ける。
「うん……でも馬車からじゃ見えないね」
残念に思って言うと、フェアがくすりと笑う。
「残念ですが、ソキウスの厩舎は加工場とは別の区画にあるのでは見えませんよ?」
「そうなんですか?」
リーベは自分の情報が誤りであると知った。
残念に思っているとフロイデが「ソキウス、繊細」と付け加える。
するとヴァールがニヤリと口角を吊り上げる。
「だからお前みたいのがちょっかい出せないよう、壁で囲ってんだよ」
「なにそれ!」
剥れてみせるとヴァールは豪快に、フェアはくすりと、そしてフロイデは「くぷぷ」と忍び笑いをした。
そんな和気藹々とした時間が過ぎていき、太陽が南西の空に至った頃、ヴァールはおもむろに馬車を停まらせた。
「どうかしたの?」
馬車の前方には小さく集落が見えている。にも拘わらず車を停めることには誰だって疑問を抱くだろう。リーベはそう思ったが、フェアもフロイデも、事情を知っている風だった。それが一層、彼女の疑問を深めていく。
「降りろ」
その言葉に従って降車すると、ヴァールは西の断崖を指し示した。
「ただの崖じゃ……あ、穴が空いてる」
断崖の一部にぽっかりと穴が空いていて、まるで洞窟のようだ。
(でも、なんであんな高いところに洞窟があるの?)
疑問に思っていると、彼は続ける。
「ヘラクレーエの巣だ」
「それって、あのカラスの?」
テルドルに2度も飛来したカラス型の魔物……1度目はリーベが襲われたが、冒険者であるフロイデが居合わせたため事なきを得た。しかし2度目は被害者が出た。
ここまで来て、リーベはようやく『喜んでばかりもいられねえぞ?』の意味を悟った。
「そうだ。お前とスーザンを襲ったヤツらの巣だ」
「…………」
スーザンは見るも無惨な姿になって帰ってきた。つまり、ここに運ばれてきて、食べられたのだ。あの大きなくちばしで生きたまま、何度も何度も啄まれて……
「うう……!」
想像した途端、強烈なまでの不快感がこみ上げてきた。だがそれは一瞬のことで、親しい人を失った悲しみが全てを呑み込んでいった。
「スーザンさん……」
人間だれにも日常があって、その中にささやかな幸せがあったのだ。人はそれを少しずつ摘み取っていき、やがて大きくなった幸せを胸に、穏やかに死を迎えるものだ。
しかしスーザンはそれが許されなかった。
魔物という理不尽な存在によって奪われてしまったのだ。
そう思うとリーベは悲しくて、悔しくて目に涙が滲み、黙祷を捧げるとそれが頬を伝った。
その感触によって感情が休息に膨らんでいくが、彼女は泣くのを堪えた。
リーベはスーザンの死を乗り越えなければならないのだ。
でない彼女らが愛する人々の希望になれないからだ。
故にリーベは胸に誓う。彼女のような犠牲者を出さないために全力を尽くす、と。
そのために今出来ること。
それはこの先のセロン村近郊に群がるハイベックスを撃退することだ。
「…………」
(あなたの犠牲は無駄にはしません。なのでどうか見守っていてください。スーザンさん)
セロン村に着くや、何処からともなく杖を突いた老人がやって来た。線の細さに対し、瞳には覇気が宿っていて、リーベは見かけに対して若々しい印象を受けた。そんな老人はヴァール見るや、苦笑に口角を吊り上げる。
「またお前たちか」
「また俺たちだ」
そんなフランクなやり取りが繰り広げられる中、フェアが眉尻を下げて言う。
「今回はハイベックスが出たと伺ってきたのですが――」
「ツイてない」
フロイデがぼそりと言うと老人は深い溜め息をついた。
「ああ。踏んだり蹴ったりてのはこのことだ。まあ立ち話もなんだし、うちに――」
言いかけたところでリーベと目が合い、落ちくぼんだ目を不思議そうに歪む。
「その格好……お嬢ちゃん、まさかお前も冒険者なのか?」
「はい。リーベ・エーアステと言います。よろしくお願いします」
名前を告げると彼はあんぐりとして、ヴァールたちを見ていた。
「リーベってまさか、エルガーくんの……」
「そうだ」
すると老人はまじまじと彼女を見つめて、それから付近にいた壮齢の男性に「エルガーくんの娘が来たぞ!」と呼び掛けた。
そこからがすさまじかった。
まるで光が鏡の道を反射していくかのように情報が素速く伝達され、たちまち群衆が出来上がる。彼らの瞳は好奇心と、何より希望感に満ちており、それはリーベに増長とは違う健全な昂揚をもたらした。
「まさかあの人の娘が冒険者になるなんてな」
「ええ。新しい英雄の誕生ね」
……とは言え、実績なしで賞賛されるのはきまりが悪く、何より照れくさい。りーべは乾いた笑いを浮かべながら頬をポリポリと掻くより他になかった。
建物へ向かう道中、老人は自分が村長だと明かした。
老人改め、村長は冒険者たちを自宅に招くと、入ってすぐの卓に着くよう促した。それに従い着席すると、程なくして村長の妻がお茶を運んでくる。
「ありがとうございます」
「エルガーさんの娘さんが来たというのに、こんなものしかお出し出来なくてもうしわけありませんね」
「い、いえ、お構いなく……」
「ところで、エルガーさんはお元気ですか」
着席しながら妻が問う。
「はい。元気過ぎて困っちゃうくらいに」
「ほほ、そうですか」
妻が目元に皺を刻んで柔和な笑みを浮かべる傍ら、村長は言う。
「リーベちゃんにはいろいろ話したいことはあるが、ひとまずは仕事の話をしよう」
机に両肘を突き、指を組み合わせて橋を架けた。
「20年前まではここより南に村がいくつかあったんだがな、今はそれもなくなっちまった。また魔物が襲ってくるかもしれん場所には住めないからだ。お陰で自然の一部になったそこはワシらの狩り場でもあるんだ」
でもな、と溜め息をつく。
「1週間くらい前、ここから南東に向けて半日くらい歩いたところに山があってな、その麓にハイベックスの群れが屯しだしたんだ」
それを耳にしたとき、りーべはほんの些細な、しかし無視しがたい疑問を抱いてしまい、思わず挙手してしまった。
「どうかしたかの?」
「あの、ここって狩りをしている村だって聞いたんですけれども、村の人たちでなんとかできなかったんですか?」
この問い掛けを受け、老夫婦はきょとんとして、継いで笑った。その様子を不思議に思っていると、彼女のこめかみに鈍痛が走る。ヴァールがデコピンを食らわせたのだ。
「痛っ! おじさんったら、急に何すんの」
「ばーか! ここの連中でどうしようもねえから冒険者に頼ってんだよ」
「あ……確かに」
「あのな……」
ヴァールが頭を抱える傍ら、フェアとフロイデはそれぞれ笑っていた。
「ははは!」
村長は唾を散らしながら笑うと、指で架けた橋を崩した。
「狩りとは戦うことではない。罠や弓で敵の不意を突き、確実に獲物を仕留めることだ。だから警戒心の高いヤツらに群れていられると手出しが出来ないんだ」
その教えにフェアが続く。
「一方で私たち冒険者はより直接的な方法で害敵に対処します。この点が両者の違いになりますので、よく覚えておいてくださいね」
「なるほど……狩りと戦いって別物なんですね」
「牛乳とクリームくらい違う……!」
フロイデの例えが的確なのかはさておき、確かに全く別物であるのはわかった。
「う……すみません」
羞恥に駆られながら謝ると村長は鷹揚に笑った。
「素直でよいよい! 全く、エルガーくんが自慢したくなるのも当然だな」
「ホントですね」
老夫婦の笑い声を耳にしながらも、リーベは思った。
(もしかしたらお父さん、他所様に自慢して回っていたんじゃ……)
そう思った途端、彼女の羞恥は一層のものになるのだった。




