029 次なる冒険は
夕食の席にて、リーベは今日の出来事を語っていた。
「今日ね、クサバミスライムと戦ったんだよ」
娘の報告にエルガーは然して驚いた風も無く、「へえ、1人でか?」と問い返す。肯定するとそのまま「勝ったか?」と問いを重ねる。
「勝った……?」
(アレは勝ったって言えるのかな? それに……)
苦い記憶が蘇ってきたため、リーベはそれを振り払うように大きな声で答える。
「勝ったよ! ボコボコにしたんだから!」
「はは! そうか! さすが俺の娘だ!」
気を良くしたエルガーは娘の頭をわしゃわしゃと撫でた。
リーベは頭を撫でられるのは好きだったが、髪型が乱れるのが困りものだ。
「もお、髪型崩れるからやめてよ」
「あとは寝るだけなんだし、別に良いだろ」
「むう……確かに」
そんなやり取りをしていると母シェーンがくすりと笑う。
「でも1人で魔物を倒しちゃうなんて凄いわね」
「ふふん! わたしだってお父さんの娘なんだから、このくらい当然だよ!」
胸を張ると父は陽気に笑って再び頭を撫でてきた。
「わっ! 髪が!」
「どうせ寝るだけなんだからいいだろ?」
「……確かに」
同じ会話を繰り返しているのに気付くと、リーベら一家は笑った。
両親が入浴に向かう中、リーベは食事の後片付けをして、本日の日課は終わりとなった。このまま眠ってしまっても良いのだが、彼女は眠る前に、今日戦ったクサバミスライムの生態について勉強することにした。
机上の隅にダンクを座らせ、彼に魔法のランプを抱えさせる。それから図鑑を開くと、青白い光に照らされて煌めく活字を目で追った。
「クサバミ……クサバミ……あった」
真っ先に目に付いたのは挿絵だった。
スライムなんて丸を2つで描けそうに思えたが、これを描いた人は陰影を付けたり、周囲に草花を生やしてみたりしてこの生き物を表現していた。
それを見た彼女は、果たして他のスライムとどう表現されているのか気になったが、それはまた別の機会にだ。
「ええと、『クサバミスライム……第六級危険種』か」
(やっぱり六級か……なのにわたし、あんなに燥いじゃって……)
恥ずかしくなってくるが、勝利したことに変わりはないのだ。誇って何が悪い。そう開き直ったリーベはそのまま、解説を小声で音読する。
「『その名の通り草葉を食むスライム。食料が潤沢にある事から個体数が最も多く、放置していると一帯を荒れ地にしてしまうことがある。
故に冒険者諸君にはこれを見つけ次第、排除して欲しい。また、同種は非常にか弱い存在であるが、他のスライムが強力な存在であることを忘れてはならない。別項をも精読し、肝に銘じるべし。』
へえ……」
(最弱だけど、環境への脅威は大きいんだ)
もしかしたらクサバミスライムはかなり異端の魔物なのかもしれない。
そんなことを考えつつ、彼女は解説者の言葉に従い、別項を読もうとした。しかし、途端に眠気が襲ってきて、向学心を打ち負かされる。
「ふぁ……ふう、明日にしよ――寝よ、ダンク」
「…………」
図鑑をパタンと閉じるともふもふの彼を抱えてベッドに飛び込んだ。
「ふう……おやすみ、ダンク」
挨拶をして目を瞑ると、甘い痺れが体を包んだ。
雲1つ無い青空の下、こんもりと連なる樹冠はまるで山のようで、見ていると清々しい気持ちになれる。だが少し目を下ろせば、それが鬱蒼たる森林であると知らされ、気分がどんよりとしてくる。だからリーベはさらに手前を見る。
そこには土手があり、その手前には的がある。的は金属の支柱に円盤が載っているシンプルなモノで、塗装は剥げたのか元からしていないのか、素の鋼鉄が陽光に晒されてギラリと輝いている。
彼女はこれからアレに何十発も打ち込むのだ。まるで親の敵であるかのように。
「アイスフィスト!」
双円錐の氷塊はまるで矢のように鋭い軌道を描き、的の中央で砕け散った。
「やった!」
喜んでいるとフェアさんが指示を出す。
「この調子であと何発か撃ち込んでみてください」
「はい! ――アイスフィスト!」
ド真ん中に命中! それを3度繰り返した時、また別の指示が飛んでくる。
「メガ・ファイアと交互に撃ってみてください」
「え? わ、わかりました――メガ・ファイア!」
橙色の光の玉がゆっくりと的を目指し、着弾と同時に「パアンッ!」破裂音を轟かせる。
その残響が消えぬ間に今度はアイスフィストを放つと、先程までと同様に的の真ん中に命中した。
それを何度も繰り返している内、何故こんな事をしているのかと疑問が膨らんできた。そうなると集中も出来なくなり、リーベはスタッフを下ろし、師匠に問う。
「あの、どうして交互に撃つんですか?」
「反復していると当然、精度が上がってくるわけですが、問題はそれがちゃんとあなたの中で定着しているかです。なので全く性質の異なる魔法を交互に使ってもらったのですが……どうやら杞憂だったようですね」
フェアの微笑みを見て達成感を感じていると、彼は休憩を告げた。
「休憩が終わったら、今度はいろんな場所から打ち込んでみましょう」
「はい!」
赤焼けた空の下。冒険者一行はテルドルを目指して坂道を上っていた。
当初のリーベはこの練習場からテルドル間の短い距離で喘いでいたが、ライル村からテルドルまでの道程を経験したお陰で『この程度』と思えるくらいには体力がついた。
あの冒険が彼女の体と精神の両方を鍛えてくれたのは想像に容易く、なれば今後の冒険でどう成長するのだろうと、リーベは自分のことながら、楽しみになった。
「ねえおじさん。次はいつ冒険に出るの?」
問うとヴァールはフェアに意見を求める。
「どうなんだ?」
「そうですね。アイスフィストも大分当たるようになりましたし、相手を選べば十分に戦えると思いますよ」
「じゃあ冒険に出る、の?」
フロイデさが橫から問うとヴァールは頷いた。
「ああ――まあ明日見て、手頃なのがなかったら考えるがな」
するとリーベを見て言葉を重ねる。
「今回はお前とフロイデに戦わせる。そのつもりでいろ。いいな?」
「う、うん……!」
魔物と戦うのは相変わらず恐ろしいが、今、この瞬間に限ってはどれだけやれるか試してみたいという気持ちの方が勝っていた。
「明日、次の仕事を受けに行くんだ」
夕食を頬張りながら、リーベは明日の予定を両親に話した。
すると2人は食べる手を止め、何かを堪えるように瞑目したり、水を口に含んだりした。
その様子にリーベは胸が痛めたが、両親が感情を抑えているように、彼女もまた、抑えなければならない。鼻から大きく息を吸い込んで、心を宥める。そうしていると、エルガーが口を開いた。
「今度はお前も戦うのか?」
「うん。わたしにも出来そうなのがあれば、だけどね」
「そうか……」
エルガーが口を閉ざすと、食卓は沈黙に包まれた。
言葉にせずとも――いや、言葉にしないからこそ、2人の心配のほどが痛切に感じられて、胸が苦しかった。こんな深刻な不安を感じながらも口にしないのは、娘の冒険者としての矜持を尊重しているからだ。であれば彼女のやるべきことは、無事に帰還することだけだ。
(さっきは腕試しがしたいとか思ったけど、そんな考えで冒険に臨んじゃだめだ。絶対に生きて帰る。そのつもりで臨まないと……!)
リーベは自分の胸に訓戒すると、夕食を再開した。




