028 VSクサバミスライム
「アイスフィスト!」
双円錐の氷塊が空を裂き、金属製の的の縁にその身を強かに打ち付ける。この衝突によって軌道を逸らされた氷塊は、そのまま後方に聳える土手に斜めに着弾し、深い弾痕を残した。
「ふう……ダメか」
ラソラナ退治のために中断した訓練を再開し、既に2時間が経過しようとしているがしかし、相変わらず命中に不安がある。
リーベの師事するフェアはこの前の戦闘中にアイスフィストを使用していた。
前方に剣士2人がいて、的は僅かにだが動いていた。そんな状況下でもピシャリと命中させて見せたのだ。必要なのはあれほどの正確性であり、的を掠めるのが精々では、とても魔法使いなど務まるまい。
(もっと、頑張らないと……!)
気持ちを新たにした時、折り悪く「休憩にしましょう」と言われてしまった。
「……はあい」
リーベたち魔法使い組に剣士組が合流して休憩を取っていた。その間、両師匠は互いの弟子の具合を尋ね合ったりしていた。一方、弟子はというと……
「牛乳、飲んだ?」
「今朝ですか? 飲みましたよ」
素直に答えるとフロイデは満足げに小鼻を膨らませる――リーベと習慣を共有できて嬉しいのだ。
「牛乳は凄い。風邪引かなくなるし、背も伸びる……!」
「はは……凄いですよね」
(ライル村に行ってからフロイデさんの牛乳好きに拍車が掛かったような……)
そんなことを考えているとヴァールが立ち上がりながら言う。
「リーベ、出番だぞ」
「へ?」
間の抜けた声を発しながら、彼の指し示す方を見やる。すると10メートルほど先には人の頭ほど大きな緑色の滴があった。それは極めて緩慢な動作で動いており、リーベは思わず「ナメクジ?」と口にしていた。
だがナメクジにはあるはずの目が見当たらず、形状も丸い。さらには内部には大きな胡桃のような物体が漂っている。
「あれは……魔物?」
スタッフを手に立ち上がった彼女が眉を顰めると、フロイデが呟くように言う。
「……スライム」
「す、スライム……っ⁉」
獲物を体内に捕らえ、生かさず殺さずの状態を維持し、長い長い時間を掛けて消化していくという、この世で最も残酷な生物――それがスライムだ。
そしてそのスライムが今、自分の目の前にいる。
この事実にリーベは慄かずにはいられなかった。
「無理無理、ムリだよ! 勝てっこないし、わたし死んじゃうよ!」
必死に訴えると、フェアが彼女の肩を優しく揺さぶって宥める。
「落ち着いてください。アレはスライムと言っても、クサバミスライムです」
スライムはその食性によって数種に分類される。
クサバミスライムはその名の通り、草を――植物を食む魔物であり、危険度はかなり低いとされている。現にあの魔物はまるで草刈りでもしてくれているかのように、練習場に生えた雑草を食んでいた。
「な、なんだ……驚かさないでくださいよ……」
リーベが安堵する脇でヴァールがフロイデの小さな頭に拳骨を落とす。
「質の悪い冗談を言うな!」
するとフロイデは目に涙を溜めながら頭を押さえた。
「うう……普通に言っただけだもん…………!」
「言葉足らずにもほどがあんだろ!」
そんな2人を見ているとリーベは、フロイデが可愛そうになってくる。だからひとまず、話しを進めた。
「ええと、アレと戦えば良いの?」
「そうだ。フェア、サポートしてやれ」
「わかりました」
短く答えると、フェアは何故か楽しそうに言う。
「いいですか? スライムの弱点は体内を漂っているあの石のようなものです。核あるいは心臓と言ったりしますが、アレを破壊することで粘性を維持できなくなり、自壊します」
「なるほど……」
「この場合、どの魔法が有効か、わかりますか?」
リーベは考える。
(威力ならメガ・ファイアだろうけど、核を壊さなきゃいけないんだよね? だったら――)
「アイスフィスト……ですか?」
「そうです。……命中に不安があるでしょうが、クサバミは人を即死させられるような攻撃はできません。ですので焦らず、数をこなして行きましょう」
「はい――やってみます!」
リーベは3歩前に出ると両手でスタッフの柄を握り込み、掲げる。
(クサバミスライム、勝負……!)
スタッフに魔力を籠めていると、クサバミスライムは動きを止めた。この魔物に顔が存在しないため判じがたいが、リーベには警戒しているように見えた。
如何にクサバミが弱くとも、スライムはスライム。恐怖を抱かないではいられない。
額には汗が浮かび、口内は乾く。しかしそれらを解消している余裕は無い。戦いは既に始まっているのだから。
「…………」
クサバミは彼女を睨んだ(?)まま動く気配がない。
(だったら!)
「アイスフィスト!」
放たれた魔弾はしかし、クサバミの背後に着弾して砂をまき散らすに留まった。
「外した! だったらもう1回――アイスフィスト!」
ヒュンと風を切って飛翔した魔弾は、今度はクサバミに命中した。しかし、核に当たらず、その液状の体に一時的に穴を穿つだけに終わった。
「あ、惜しい……!」
歯噛みしたその時、クサバミは大きく伸び上がり、まるで高波のように襲いかかってくる。「うわっと!」
彼女は咄嗟に横に跳んでこれを交わすと、視界の隅でヴァールとフェアが頷くのが見えた。
苦戦しているものの、2人の中で定められた基準を満たせてはいるようで。彼女は今の戦い方を維持しようと決めた。
リーベはクサバミが反転する前に距離を取り、流れ弾が仲間に当たらないよう、立ち位置を変える。そして放つ。
「アイスフィスト!」
仕切り直しの一撃はクサバミの体内に漂う核を掠め、ガッと固い音を響かせた。多少は核を抉ったものの、クサバミは依然、健在だった。ちょっと傷つけた程度ではダメらしいと知ると、彼女は歯を噛みしめる。
(もっと正確に撃ち込まないと!)
意識を澄ませ、慎重に魔力を練り上げる。するとスタッフの上の方に氷塊が生成される。後はこれを魔弾として、クサバミの核に撃ち込むだけ。狙いを付けて……今!
「アイス――」
今まさに魔弾として放とうとしたその時、クサバミが飛び掛かってきた。
不意の反撃は回避で対応するべきであるがしかし、核が間近に迫ってくるのを見て、体は別の動作をし始める。スタッフを体の脇まで引いた後、上体のひねりを開放する。
「――チェストおおっ!」
放たれずにあった氷塊を核に叩き付ける。するとゴッと固い感触が腕に伝わり、核が見事に砕ける。直後、クサバミの体は粘性を失った。
「やった――わぷっ!」
喜んだのも束の間、青臭く、冷たく、トロリとした体液が彼女を汚す。
その悪臭に、不快感に、リーベは変な声をあげずにはいられなかった。
「うへえ……」
と、その時、パサッとポニーテールが解け、髪が肩に掛かり、こそばゆい感覚が走る。
「ん――きゃああああああっ!」
なんと、上着が肌着ごとドロドロに溶けていたのだ。
もし革の胸当てをしていなかったら、大事なトコロを外気と人目に晒していたことだろう。
「な、なんでええええ⁉」
スタッフを手放し、慌てて胸を押さえながら叫ぶ。すると駆け寄ってきたフェアが自身の纏っていたローブをリーベに被せながら説明する。
「クサバミはその食性状、植物由来の繊維をも溶かすんです」
「そんな大事なこと、先に言ってくださいよ!」
と、その時。リーベは自らに熱烈な視線を注がれるのを感じた。
振り向くと、鼻血を垂らしたフロイデと目が合う。
「むふーっ!」
「~~っ! ふ、フロイデさんのえっち――っ!」
リーベは羞恥の余り、着替えも持たず小屋に逃げ込んだ。
「はあ……酷い目に遭った……」
着替えを済ませて戻ると、ヴァールは「避けないからああなるんだぞ?」とやや厳しい口調で訓戒した。それにフェアが続く。
「今回はクサバミが相手だったので無傷で済みましたが、これが他の魔物であったならばこうはいきません。魔物を相手にするときは攻撃よりも回避を優先してください。良いですね?」
「は、はい……ごめんなさい」
2人の言いたいことはわかるが、恥ずかしい思いをしたこともあって素直に受け止められなかった。しかしそれを表に出して2人を困らせるのは筋違いだろうということで、彼女は不満を呑み込んで、フェアにローブを返却する。
「あの、ローブありがとうございました」
ローブはウールは特殊な素材で編まれており、クサバミの体液に触れても無事だった。
「すみません。少し汚れちゃったんですけど……」
「構いませんよ」
彼は微笑むとローブを折って畳んでリュックの上に置いた。
「……はあ…………」
溜め息をついたとき、視界の隅にフロイデが映った。彼は鼻に詰め物をしており、それは鼻血で真っ赤に染まっていた。
「……フロイデさん。さっきのは忘れてくださいね?」
「ふん、ははっは……(うん、わかった……)」
鼻が塞がっているせいで、下手な吹奏のようにマヌケな声になっていた。その力ない響きと、なにより恍惚と潤んだ瞳が、彼の意識が未だ過去にある事を物語っていた。こうなればもう、彼の記憶の抹消は諦め、彼女の方がこの恥ずかしい体験を忘れるより他になかった。
「……はあ」
わたしは溜め息をつくとフェアさんからスタッフを受け取った。
「訓練に戻っても良いですか?」
「その前に1つ、見ていただきたいものがあるんです」
なんだろうかと首を傾げていると、ヴァールがクサバミの核を差し出す。
「見ろ。スライムの中ってこうなってんだぞ」
「どれどれ……」
スライムの核は、胡桃の殻のような外殻に無数のヒダを詰め込んだような造りをしていて、気色悪いことこの上なかった。
「うきゃあ! なにこれ、気持ち悪い!」
溜まらず顔を背けると、フェアが凄く良い笑顔をしているのに気付いた。
「スライムとは不思議な生き物でしてね、とある研究では生きた状態で核を摘出し、30分後に戻したところ、体は粘性を取り戻し、活動を再開したと言います。また、他の研究では別の個体と核を取り替えたところ、普通に動き出したらしいのです。これらの事実からスライムの体とは、我々のように命に直結しているものではなく、あくまで副次的な存在であることがわかります。その神秘は底知れず、今なお研究が続いていますが、果たして私たちの生きていられる内に全てが明らかになるのか――」
その後も彼のうんちくは止まらず、わたしもおじさんもあんぐりとさせられた。
「こいつはスライムオタクなんだ」
「……知らなかった」
リーベはフェアと知り合ってから長いが、全然知らなかった。
今まで知らないでいた一面を知れるというのも、行動を共にしているためだろが、正直なところ、こんな奇妙な趣味をしているなんて知りたくなかった。
なんとも言えぬ不思議な心地に包まれていると、彼は恐ろしいこと口走る。
「先程リーベさんが倒した個体からは新鮮なスライムゼリーが採れましたのでね、これでより上質な薬が精製できますよ」
「…………」
リーベが声にならない悲鳴を上げる傍ら、ヴァールは逃げ出すようにフロイデを連れて訓練に戻っていった。
「……あの、わたしたちも訓練に戻りませんか?」
「おっと、そうですね。見ていますので、どうぞ再開してください」
その言葉を聞いたリーベはオモチャを前にした猫のように無我夢中に訓練に取り組んだ。
師匠の口から出た恐ろしい言葉を




