026 依頼達成!
ちゅんちゅんと雀が鳴く声にリーベは目を覚ます。
「…………」
疲れて重たい体を起こし、さらに重たい頭で辺りを見回す。
室内は明るかった。
鎧戸の隙間からは明かりが差して枕元を照らしていた。
そこにはダンクが眠っている。
そして彼女は風呂屋から帰ってきた格好のままだった。
これらの情報を彼女の鈍い頭が整理する……が、答えはまとまらなかった。
「ぼけーっ……」
寝癖を部屋の淀んだ空気に晒しているとゴンゴンとドアが鳴った。
「リーベ、起きてるか?」
父の声だ。
「どうぞお~……」
ガチャリとノブが回り、ドアが内側に向けて開く。するとドア陰からエルガーが現われる。その逞しい顔は娘を見るや、ほろりと綻んだ。
「どうやらぐっすり眠れた見たいだな」
「うん……あれ? わたし、いつ寝たんだっけ?」
思い出そうにも、記憶が無く、妙に落ち着かない。飲酒を習慣としていない彼女にはわからないが、その気分はさながら酩酊した翌朝のようだ。
「風呂屋から帰ってきて、晩飯を待ってる内に寝ちまったんだよ」
「なるほど……」
(道理でパジャマを着ていないわけだ)
「それより、朝飯できてるから、さっさと下りてきな」
「うん……」
「冒険のことも、いろいろ聞きたいからよ」
そう言い残してエルガーは退室した。1人私室に残されたリーベは、父がいなくなったドアをボーッと眺めた後、ダンクを抱き抱える。
アプリコットのもふもふヘアーは寝癖になっていた。リーベはそんな彼を笑いつつ、その額にキスをする。
「おはよ。ダンク」
リーベが自分の寝癖の酷さに気付くまで、あと1分14秒。
母特製のラタトゥイユを頬張りながら、リーベは冒険中にあった出来事を語っていた。
「――でさ。ミルク缶が道の真ん中に転がってて、しかもあちこちが溶けてたんだよ!」
興奮気味に言葉を発した彼女は、牛乳で喉を潤した。
「え? ミルク缶って鉄なんでしょ?」
シェーンが驚く一方、元冒険者であるエルガーは実感を持って頷く。
「ラソラナは消化能力が高い魔物だからな」
「あ、フェアさんも同じこと言ってた。お腹の中で獲物に反撃されるかもしれないからって」
自分の言葉に思い出し、リーベは短い声を上げる。
「あ、そうだ。ねえお父さん。魔物の図鑑とか持ってない?」
「あるが――なんだ、勉強か?」
「うん。魔法だけじゃなくて、知識も付けないといけないなって」
するとシェーンがくすりと笑った。
「ふふ、良い刺激を受けられたみたいね」
「ああ。勉強熱心なのは良いことだ」
ところで、と母は心配そうな面持ちで娘を見る。
「その魔物と戦ってどう? 危なくなかった?」
「それは――」
『大丈夫だったよ』
嘘でもそう言いたかったが、出来なかった。
「…………」
口籠もっていると、シェーンは静かに、しかし悲愴な響きを持つ声で問うてくる。
「どうしたの? まさか、危ない目に遭ったんじゃ――」
「シェーン」
エルガーが言葉で制すと食卓は静寂に包まれた。
しかし2人の視線は『何があったのか言って見なさい』とばかりに娘に向けられていて、リーベはこの重苦しい沈黙を破ることを強いられたのだった。
「あのね……その、ラソラナのベロに捕まっちゃって――」
ラソラナの生態を知らないシェーンは夫を見やるが、夫は続きを促すように娘を見ていた。
「で、でもね! おじさんがベロを掴んでくれたから食べられないで済んだの! だから、その……大丈夫、だよ」
胸が苦しくなって言葉尻が霞む。
項垂れつつ、上目遣いに父を見やると、彼は腕を組み、傷跡の目立つ唇を開く。
「それで、どう思った?」
「……怖かった」
「やっぱりやめたいと思ったか?」
その問い掛けにリーベは首を横に振る。
死が急速に迫ってきて、確かに怖いと思った。でも、それで彼女の心が変わることも、勇気が潰えることもなかった。
それを目で訴えると、父は「そうか」と言葉を呑んだ。その後に発せられた小さな溜め息が、リーベにはとても残念そうなものに思えた。
「冒険に出る以上、そういう事もあり得る。だからこれからは、今まで以上に気を付けて行動することだ。いいな?」
「……うん、わかった」
神妙に頷くと、エルガーの目の色が変わった。
「ああほら、あんま話に夢中になってると、飯が冷めちまうぞ」
「そ、そうね。せっかくのお料理なんですもの。美味しい内に頂きましょ?」
何処か気まずいものを残しながらも、食卓には思いやりに溢れた明るい雰囲気が漂っていた。
リーベが温もりに包まれていると、『もしもあの時、おじさんが助けてくれなかったら……』と、恐ろしい想像が過る。
「…………」
今回のような危険を避けるためには、注意するだけでは足りない。ターゲットと、それが出現した地域に生息する他の魔物の性質をよく理解しないといけないのだ。父に図鑑を借りたらそこにある情報を漏れ無く頭に叩き込もう。彼女はそう心に決めると、食べる手を早めるのだった。
食後、リーベはエルガーに連れられて両親の寝室にやって来た。
夫婦の匂いで満たされたその部屋は、入って左奥にダブルサイズのベッドがあり、その反対には小さな本棚があった。それはシェーンの愛読している料理本や小説が多数を占める一方で、隅っこの方には年季の入った革張りの図鑑が2冊、収まっている。エルガーはそれをまとめて取出した。
「重いぞ?」
「うん――おもっ⁉」
リーベはガクッとなるが、どうにか踏ん張る。
「はは! 重いって言っただろ?」
エルガーの笑い声を耳にしながら、リーベはカニみたいな横歩きで自室へと向った。
両親が開店準備をしている中、冒険者であるリーベは父に借りた資料で勉強することにした。
(まずは図鑑でラソラナについて復習しよう)
彼女は2冊ある図鑑の内、ひとまず上巻を開いた。
色褪せた紙面には発行元である冒険者ギルドの偉い人による訓辞と激励の言葉が記されていたが、長いから飛ばした。
ページを捲った先には目次があるかに思われたが、違った。変わりに謎の表が目に飛び込んでくる。
「ええと、『危険度とその定義』?」
その表にはこう記されていた。
特級……迅速なる討伐を絶対的に要する
一級……人間に害を加える事に積極的で、高い戦闘能力を有する
二級……人間に害を加える事に積極的で、周囲に著しい害を及ぼす
三級……人間に害を加える事に積極的
四級……人間に害を加える事に消極的で、高い戦闘能力を有する
五級……人間に害を加える事に消極的で、生活に害を及ぼす
六級……人間に害を加える事に消極的で、周辺環境に害を及ぼす
「ふーん……」
(なんか難しいことがいろいろ書いてある)
今回挑んだラソラナは果たして何級だろうかと考えたリーベは、あの純粋な獰猛さは第三級に該当するのではないかと予想を立てた。
答え合わせをしようと目次を探すと、次のページがそれだった。
「ラソラナ……ラソラナ…………あった」
上巻の中頃に記述があるようで、該当するページを開いてみると、一昨日対峙したあの化けガエルの姿が目に飛び込んできた。
「⁉」
写実的なそのタッチに、舌で捕らえられた時の恐怖が蘇り、反射的に図鑑を閉じてしまう。
「すう……はあ…………」
呼吸を整えてから再度ページを開くと、なるべく挿絵を見ないようにしながら、周囲の文字を追っていく。その中で『ラソラナ……第三級危険種』という記述を発見した。
「やっぱり、三級なんだ」
予想が的中したことに喜びつつ、解説を読み上げていく。
「なになに……『北方の寒冷地帯を除く国内全域に生息するカエル。肉食であり、自分より小さな動物であればなんであろうとも捕食する。
特筆すべきはその投げ縄のような舌であり、これで獲物を捕らえ、口内まで引きずり込む。これは千切れても数日で再生することが確認されている。
丸呑みにした獲物を殺すため、強力な消化液を分泌する。これは鉄をも溶かすほど強力なものであり、剣士諸君はラソラナの胃袋を裂き、愛剣を溶かされないように気を付けるべし。』へえ……」
(あのベロって再生するんだ……トカゲの尻尾みたい)
そんなことを考えていると、階下からドヤドヤと喋り声が聞こえて来た。
「ん?」
まだお店を開くような時間じゃないはず。そう思いつつホールに下りると、そこには両親の他にヴァールたちがいた。
「お、来たか。お前のことだからまだ寝てるんだと思ったぜ」
開口一番、ヴァールは意地悪を言う。
しかしリーベはその偏向的な想像の遙か上を行く高尚な行いをしていたのだ。自然と心が大らかになり、いつもと違って寛大に扱うことが出来た。
「ふふん。おじさんと違ってわたしは成長してるんだから」
『成長』という単語にフロイデが鋭く反応し、赤いスカーフを翻して彼女の隣にやって来ると、鼻息荒くフェアに尋ねる。
「どっちが高い……!」
皆が見守る中、彼は中腰になり、2人を見比べる。
「ふむ……若干ですが、フロイデの方が高いですね」
その言葉にフロイデは得意げに鼻を鳴らし、口角を吊り上げる。
「僕の方が成長してる……!」
「はは……おめでとうございます」
「むふーっ!」
何とも言えない空気が流れる中、ヴァールが「それよか」とリーベに向けて発する。
「これからギルドに行くから準備してこい」
(そうだ。これからラソラナ退治の報告に行かなければならないんだった)
「わかった。ちょっと待ってて」
彼女は2階に駆け上がると、ポシェットに冒険者カードや財布を詰めてホールに戻ってくる。
「お待たせ」
それを受けヴァールは彼女の両親に向けて言う。
「そんじゃ、リーベを借りてくぞ」
「おう。転ばねえように面倒見てやってくれ」
「お父さん!」
(まったく、子供扱いして!)
彼女がぷんすかしているとシェーンが笑って言う。
「昨日の疲れが溜まってるでしょうし、無理はしないのよ?」
「うん、わかった――それじゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい!」
大好きな両親に見送られ、彼女は今日も冒険者活動に繰り出すのだった。
冒険者ギルド・テルドル支部の屋内では男性の声が幾重にも重なり、音の塊になって響いている。そんな環境下では女性特有の高い声がよく通った。
「あ、リーベちゃん。お帰りなさい」
受付嬢のサリーは安堵に頬を緩め、手を振りながらリーベを出迎えてくれた。
「ただいまです」
「無事でよかった~。もお、リーベちゃんのことが心配であまり眠れなかったんだよ」
そう口にしながらサリーは両手を差し出す。それをリーベはそっと握り返し、手を取り合う形になった。すると手指の繊細な感触と共に温もりが、思いが、じんと伝わってくる。
「ごめんなさい。実は昨日帰ってきてたんですよ」
「そうなの?」
「はい。でも遅かったから、報告は明日でーってなっちゃって」
「そうだったんだ。まあ、無事でいてくれたのならそれでいいよ」
話が一段落ついたところで、隣で今まで口を噤んでいたヴァールが「もういいか?」と口を挟む。するとサリーさんは目を丸くして驚いた。
「あ、ヴァールさん。いらしてたんですね」
「気付いてなかったのかよ!」
「はは……リーベちゃんのことでいっぱいで……」
苦笑しつつ、彼女は仕事モードへと切り替えた。
「それより、依頼達成のご報告ですね?」
言いながら、サリーはとある用紙を取り出す。
「……ああそうだ」
「ではこちらに当時の状況や、懸念点について、ご記入ください」
「あいよ」
ヴァールはその手には小さすぎるペンを、切り絵でもするみたいに立てて持つと、カリカリと、角張った筆圧の濃い文字を紙面に刻んでいく。
『馬車で逃げる村民捕まえようとした結果、ミルク缶を誤飲。消化しきれず吐き戻す。その後、イノシシを捕食した形跡あり。他の魔物を刺激した形跡は認められず。よってライル村は安全であると考える。』
彼らしからぬ堅苦しい文言に驚かされるが、確かに、報告書ならこういう文体になるだろうとリーベは納得した。それでも違和感が胸に残る中、ヴァールは署名をして書類を提出した。
「確認します――ありがとうございます。それでは、報酬金のお支払いとなります」
サリーはカウンターの奥から金属製のトレイを持ってきた。その上には金貨と銀貨と銅貨――すなわちお金が積まれており、その魅惑的な煌めきにリーベの胸が高鳴る。
「こんなに沢山……!」
依頼書でその金額を確認していたものの、いざ目の前にするとやっぱり違った。感動していると、サリーがくすりと笑んで解説してくれる。
「ラソラナは危険な相手ですからね。相応の報酬を積まないと、色々と障りがあるんですよ」
「そういうこった。さ、とっとと数えちまおうぜ」
「う、うん……!」
2人で金額を検めると、ヴァールが領収書に署名をして、手続きは――今回の依頼は完全に終了となった。
「お疲れ様でした。皆さんのさらなるご活躍を期待しております」
サリーに見送られながら受付を後にし、依頼書を眺めていたフェアとフロイデの下へと向う。
「おや、終わりましたか」
「ああ」
ヴァールがジャラリと、報酬金の入った革袋を見せつけると、フェアに手渡した。
「フェアさんにも確認してもらうの?」
尋ねると、ヴァールに変わってフロイデが答える。
「お金はフェアが管理してる」
「そうなんですか」
(まあ確かに、この3人の中なら、フェアさんが1番だろうな)
納得していると、不満げな視線が2方から集まる。
「なんか失礼なこと考えてるだろ?」
「ルーズなのはヴァールだけ……!」
「お前も大概だろ!」
「認めちゃってるじゃん……」
苦笑していると、高みの見物をしていたフェアが笑う。
「ふふ。ケンカも程々にして、そろそろ解散しませんか?」
「あれ? 今日はもう終わりなんですか」
「ええ。皆、疲れが溜まっていますからね」
(休みなら食堂の手伝いをしようかな)
そう考えていると、透かさずヴァールが言う。
「……そうだな。リーベ。食堂を手伝ったりしねーで、部屋で大人しくしてろよ?」
「わ、わかったよ……」
「んじゃ、帰るか」
その言葉に従い、リーベたちはギルドを出た。
すると向こうから、厳めしい出で立ちをした3人の冒険者がやって来た。
先頭を歩くのは立派な口ひげと、もみの木のようなな長髪を湛えた、海賊の頭領みたいな男性だ。その背後には続くは前歯の欠けた偉丈夫と、スキンヘッドの男性がいる。彼らは揃って悪者らしい顔立ちをしていたが、リーベを見るや、相好を崩して親しげに手を上げた。
「やあリーベちゃん。おかえり」
海賊みたいな人――ロイドが男性らしい威厳ある声で言うと、ボリスとバートも続いた。
「ただいまです」
「今帰ってきたのかい?」
「いえ。昨日帰ってきて、今は報告を終えてきたところなんです」
「そうなんだ。初仕事はどうだった?」
「脚が痛くて痛くて、大変でした」
「ははは! 確かに、冒険者の仕事の9割は移動だからね!」
ロイドが笑う脇でボリスが言葉を継ぐ。
「でも無事でよかったぞ。エルガーさんほどじゃねえけど、俺たちも心配だったんだ」
「ああ。ボリスなんてリーベちゃんの顔見るまでは仕事に出ないってゴネてたからね」
バートが笑って言うと、彼は顔を赤くして反論する。
「お前もそうだったろ!」
2人が言い合う中、リーベの隣ではフロイデがあんぐりとしていた。
「……見かけに、よらない」
ぼそりと呟くと、ヴァールが笑う。
「まったく、物騒な面しておきながら、妙な連中だな」
「ふふ、皆さんはこれから依頼を受けるのですか?」
フェアが問うと、ロイドが答える。
「はい。いい加減、仕事しなきゃいけませんからね」
「そうですか。今見た限りだと、中々の依頼が揃ってましたので、お気を付けて」
「わかりました。それじゃ、俺たちはこれで」
去り際、ロイドは「お互い頑張ろうね」と拳を出した。他の2人も。
「はい、頑張りましょう!」
リーベは3人と拳をぶつけ合うと、ギルドに入っていくのを見送った。
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