025 絶望に陰る街
スーザンの訃報がもたらされてから一夜が明けた。
今日は平常どおりに営業することとなったわけだが、客足は目に見えて減っていた。その僅かな客たちはみんな鬱々とした面持ちで、ホールにはいつもとはほど遠い、絡みつくような空気が充満していた。
「リーベちゃんも危ないところだったんでしょ?」
常連の婦人が言うと同時に、方々から視線が集まるのをリーベは感じた。
「あの――」
「運が良かったわね? あの坊やと一緒じゃなかったら、今頃――」
「おい」
エルガーの険しい声が婦人を黙らせた。同時に、リーベに向けられていた視線の数々が散っていく。客を脅すなど言語道断だが、リーベは救われた気がした。
しかし脅された側はそうはいかない。エルガーを――街の英雄を怒らせてしまった恐怖と動揺、そして羞恥とに縮こまっている姿は見るに堪えず、リーベは何事も無かった風に尋ねる。
「ご注文をお伺いします」
「そ、そうね。じゃあこれと、これで」
娘がオーダーを取る一方、エルガーは厨房から様子を見ていたシェーンに呼ばれた。向かった先に叱責が待っていることを、リーベはよく知っていた。
あの婦人の後にも好奇心をに任せてものを言う客が何人も現われ、リーベは不快な思いをさせられた。それでも看板娘としての笑顔を忘れず、ランチタイムを凌ぎきった。そんな彼女の肩には疲労感がのしかかるのだった。
店内の清掃を終え、世間的には遅めの昼食を取っても気分は相変わらずだった。
それは一緒にホールで働いていたエルガーも同様で……いや、口止めの為に脅すことを禁じられたことで、彼女以上に不満をため込んでいた。
カツカツと乱暴に食器を扱いながら食事をする様子に、リーベは父がこんなに怒ったのはいつ以来だろうかと、記憶を探っていた。
その一方、当人は憤然と鼻を鳴らす。
「まったく、不謹慎な連中ばっかりだな」
「気持ちは分かりますが、お客さんを威圧するなんて言語道断ですよ?」
シェーンの理性的な言葉にエルガーは瞑目して答える。
「ああ……悪かったよ」
しかし食器の扱いは相変わらずだった。
剣呑な空気が変わることなく、息苦しいままに昼食を終えた。
普段であれば憩いのひとときとなっていたのだが、今日に限ってはそうもいかず、リーベは胸をモヤモヤさせたまま仕事に戻ることになった。
シェーンと共にディナーの仕込みをしていると、ホールの方からカウベルの音が聞こえて来た。続いてエルガーの、若干機嫌の良い声が厨房に響いてくる。
「お、ディアンじゃねえか」
ホールの掃除をしていた父が来訪者の名を呼ぶと、リーベとシェーンは目を見合わせた。
今は準備中というのもあるが、なにより昼夜逆転の生活を送っているディアンが昼間に訪ねてくるのが珍しかったのだ。不思議に思っていると、エルガーも同様の疑問を口にした。
「商談を終えたばかりなんだよ。それより、妙な噂を聞いてな。リーベはいるか?」
「ああ――リーベ。ちょっと来い」
彼女は母に目配せをするとホールに出た。
そこには確かにディアンがいた。年相応に皺の目立つ顔は険しいが、リーベを一目見た途端、微かに和らいだ。
「お前が魔物に襲われたと聞いてな。無事なら結構だ」
「心配してくれて、ありがとうございます。でも、もう1週間くらい前のことですよ?」
「ワシは引きこもりだからな。情報が古いんだよ」
「威張って言うことか」
エルガーがツッコむとリーベは笑った。そうする間にディアンは曰くありげな目で彼女を見ていた。
「それとだ。お前が冒険者になるって噂も聞いたが、それはどうなんだ?」
シェーンを気遣い、ディアンが声を潜めて問い掛ける。
その言葉を聞いた途端、リーベはスーザンが生前に発した言葉が思い出した。
『リーベちゃんも冒険者になるんかい?』
(わたしが冒険者になる?)
『あのエルガーさんの娘なんだ。アンタにも才能があるはずだよ』
(そんなの……あるはずがない)
リーベがヘラクレーエと対峙したとき、彼女は高揚をしていた。それは英雄の血が騒ぐとか、そんな大それたものではなく、未知との遭遇を無警戒に楽しんでいただけなのだ。未知の事柄に対し、真っ先に警戒を抱けない。そんな人間が冒険者の素質を持っているなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。
彼女は酷く内省的な気分になりながらも答える。
「…………なれません」
すると彼女の目を見据えていた瞳が、不健康に白いまぶたによって隠される。
「そうか」
「ディアン、お前……」
「邪魔したな」
そう言い残して彼は去って行った。
カウベルの残響が耳鳴りのようにリーベの頭に響く。彼女は内からこみ上げてくる煩雑な感情から逃れるべく、厨房へ足を向ける。スイングドアに手を掛けたとき、エルガーがいつまでも友人が去っていったたドアを見つめているのに気付いた。
「お父さん?」
「ん、ああ。わりい、ボーッとしてた」
「そう? 何でもないならいいや」
そう言い残して彼女は仕事に戻った。
昼と夜で客の顔ぶれが変わるものだが、彼らの関心がスーザンの死にあることは変わらなかった。給仕をしているとどうしてもその話が聞こえてしまうもので、彼女の心には人々の恐怖と悲嘆とが蜘蛛の糸のように嫌らしく絡みついていく。
「…………」
看板娘として暗い顔はできない。
だから笑顔を繕うも、とあるお客さんの会話を耳にした時、それは解けてしまった。
「はあ……街中に魔物が出るなんてな」
「安全なとこなんて、何処にもないってことだろ」
「エルガーさんも引退しちまったし、もうこの街もお終いなんだな」
その会話はこの街に垂れ込める憂愁を、何よりも雄弁に言い当てていたのだった。




