023 もふもふ、襲来
ラソラナの死骸を狙って他の魔物か獣がやって来るかもしれない。
そのためヴァールとフェア。そしてフロイデが交代で辺りを警戒している間、リーベはグニグニと干し肉を囓っていた。
「まだかな……」
南西の方角からアレがやって来るはずなのだが、影すら見えない。そろそろ現れても良い頃合いなのだが……
「待ってる内は来ねえよ」
一帯を警戒していたヴァールが呆れた風に言う。
「……確かに」
探し物とかも、探している内は出てこないのに、諦めた途端見つかることがある。それと同じことだろう。
「ふふ、気長に待つことが肝要ですよ」
フェアがくすりと笑んだ時、フロイデが短い声をあげた。
「あ、来た」
「ほんとですか⁉」
バッと振返ると、街道の向こうに大きな影が現われた。それは激しく上下に動いており、遠目にはその輪郭が掴みづらかった。しかしもの凄い速さで近づいてくるため、すぐに全容がはっきりとしてきた。
真っ黒な鼻を頂点に尖った白い顔。ピンと張った三角の耳と、そこから連なる雪のように白い長毛、それを向かい風に靡かせている。
「わあああ……!」
それはリーベの前に立ち止まると、切れ長の瞳を彼女に向け、短く吠える。
「ウォン!」
「ソキウスだ!」
リーベが溜まらず駆け寄ると白狼の背後から短い声が響く。
「おすわり!」
「ウォン!」
ソキウスは人の背ほどある長い後ろ脚を畳み、大きな尻を下げる。それは見紛うことなき『おすわり』であり、リーベはもう、メロメロだった。
「~~っ! お利口さんだねえ!」
その声に反応してソキウスが彼女に顔を寄せてくると、そのまま大きな舌を伸ばしてべろりと舐めあげた。
「もーっ! くすぐったいよ~!」
燥いでいると、ソキウスがなにやらくちゃくちゃと咀嚼しているのに気付く。
「ん……あ、わたしの干し肉!」
(さっきのペロペロはその為か! まったく、仕方ない子……でも許しちゃう!)
見上げていると、彼は満足そうに舌なめずりをし、お礼とばかりに顔を差し出す。
(……これはつまり、もふもふしてもいい……ってことっ⁉)
リーベは両手を広げると大きな顔に抱きついた。
「ふあああ……!」
顔周りの毛は綿のように柔らかく、シルクのように滑らかだ。それでいて体温でぬくぬくとしており、それを全身で感じられるなど、まさに天にも昇る心地だった。
彼女頬ずりしたり、両手で撫でたりしていると、至福のひとときを邪魔するヴァールの声が響いてくる。
「ほら、もう十分だろ?」
「いや! もっともふもふするの!」
「バカ言え! それじゃ帰れねえだろうが!」
ドカンと叱られるとリーベは渋々ソキウスから離れた。
すると聞き覚えのある笑い声がソキウスの背中から聞こえて来る。
「ははは! エルガーさんに聞いてたけど、リーベちゃんはほんとうに犬が好きなんだね」
声の主はスヴェンという青年だった。彼はよくエーアステに訪れる常連だった。
彼は現在、ギルドのイメージカラーである紺色のベストを纏っていて、その胸にはソキウスを模した徽章を着けていた。
「だって可愛いんですもん!」
「はは、そうかい。でも凄いね」
「凄いって、何がですか?」
「アデライド――コイツに限らずソキウスは気難しい魔物だからね。出会ったばかりの人間にそこまで触らせてくれるなんて、滅多にないことだよ」
「そうなんだ……!」
リーベはソキウス改め、アデライドを見上げる。
切れ長の瞳は絶えず彼女を見つめていて、またもふもふしてくれているのを待っているかのようだ。その様子に彼女は『わたしたち、心が通じ合ってるんだ……!』とときめいた。
「さ、挨拶も済んだだろ? ちゃっちゃと片付けてくれ」
ヴァールが呆れて言うとスヴェンは苦笑しながら「了解しました」と言い、アデライドの側面に回る。アデライドは特大サイズの荷車を曳いていて、これから両者の接続を解除するのだ。
ガチャガチャと速やかに解除すると、スヴェンはラソラナの死骸を指差して相棒に命じる。
「アデライド、アレを運んできてくれ」
「ウォン!」
アデライドは利口なだけじゃなくて力持ちだった。
人を丸呑みに出来るくらい大きなラソラナを咥え、ひょいと持ち上げると、相棒の指示に従って荷車に下ろした。
「わあ! 凄い凄い!」
その様子にリーベが燥いでいると、ヴァールが呆れた様子で「ほらリーベ、お前も手伝え」と言う。
「え?」
その声に振り返ると、フェアとフロイデが斬り落としたラソラナの脚を運んでいるのが見えた。
(まさか……)
血の気が引いていく中、ヴァールは例の意地悪な顔をして言う。
「言っただろ? 『覚悟しておけ』ってな? だからお前も手伝え」
「そんな~……」
覚悟は出来ていたはずなのに、実物を前にした途端、弱気になってしまう。人間とはままならない生き物なのであった。
「うう……」
ラソラナの脚はもちろん重かったが、それ以上に大変だったのはその感触と臭いだ。
筋肉質でありながら何故かぶよぶよとしていて、ドブのような臭いがする。それは女子でなくとも不快感を覚えるレベルであった。
「うぷ……っ!」
思い出した途端、再び吐き気がこみ上げてきたが、どうにか押さえ込む。
「ふう……」
「そんなにか」
ヴァールが苦笑して言うとフェアが批難がましく言う。
「リーベさんはあなたと違って繊細なんですよ」
そう言いながら彼は薬を差し出す。
「うげっ……⁉」
「吐き気止めです。どうぞ――」
「あー! なんだかスッキリしてきたなー!」
「そう、ですか……」
彼は残念そうに小瓶をしまった。そのことにリーベは深く安堵した。
額に浮いた汗を拭っていると、スヴェンと一緒にラソラナを荷台に括り付けていたフロイデが報告する。
「終わった、よ?」
言い終わらぬうちにスヴェンの声が響く。
「ヨシ!」
その声に振り返ると、彼はアデライドと荷車の接続をチェックしていた。指差し呼称を確認が済むとおすわりした状態の相棒の背によじ登る(アデライドの背中には縄梯子と鞍が取り付けられていた)。
彼は冒険者一行を見下ろして言う。
「それじゃ、俺たちは一足先に帰りますね」
「ああ、気を付けてな」
ヴァールが言い終ると同時にリーベはスヴェンに呼び掛ける。
「あの! 最後に少しだけ、アデライドを撫でても良いですか?」
その申し出を、彼は快く受け入れてくれた。
「ああ、いいよ。でももう暗くなるから、少しだけね?」
「はい! ありがとうございます!」
礼を述べるとリーベは正面に回り込み、アデライドに両手を差し出した。
「ウォフ……」
アデライドは短く鳴くとその大きな顔で彼女に寄せ、愛撫を受ける。リーベはこの温もりを忘れまいと、噛み締めるように堪能した(ついでに抜け毛を少し拝借した)。
「ふう……またね?」
「ウォン!」
リーベが脇に退くと「それじゃ、テルドルでお待ちしてます」とスヴェンは相棒と共に来た道を返して行った。
「バイバ~イ!」
手を下ろすとリーベはうっとりとした心地で溜め息をつく。
「はあ……可愛かったな…………」
「燥ぐのは今回だけにしてくれよな?」
ヴァールはいつになく真面目な声でそう言った。
「ご、ごめんなさい……」
駆け出しとは言え、リーベは冒険者なのだ。にも拘わらず、自然界で無邪気に燥ぐなど言語道断である。羞恥と若干の後悔が募る中、彼女は反省させられた。
厳かな空気が漂い出した中、フェアが空気を入れ換えるように気持ち大きな声で言う。
「さ。日が暮れる前にライル村に帰りましょうか」
「そうだな。いくぞ、お前ら」
「あ、待って!」
リーベが慌ててリュックを背負っていると、その脇でフロイデが呆然と立ち尽くし、スヴェンとアデライドが去っていた方向を見つめているのに気付く。
「フロイデさん?」
「……ぼくは猫派だから…………」
「あー……」
どうやら彼もアデライドに触りたかったようだ。
「おら、さっさと帰るぞ!」
「あ、はーい! フロイデさん、帰りましょ?」
「……うん」
空は赤く染まり、街道を挟む樹木は暗黒に霞む。その度合はじわりじわりと増していって、まるで『もうすぐ夜だぞ?』と冒険者一行を揶揄っているかのようだ。
しかしリーベのふくらはぎは焼けるように熱く、ブーツは鉛のように重い。そして体力も限界に近づいている。もはや夜気の嘲弄を毅然とあしらうことなど出来ず、ただ黙して歩みを進めるしかなかった。
「ぬう……ふう…………」
喘ぎながら歩いていると、手を貸してくれていたフェアが心配そうに尋ねてくる。
「休憩にしましょうか?
「い、いえ……あと、少しなので……ぜえ…………」
理由はそれだけではない。ここで脚を止めたらもう歩けない気がしたのだ。
「あとちょっとで森が途切れる。そこで一休みするぞ」
リーダーであるヴァールの言葉を受け、リーベは前方を見やる。数百メートル先で森が途切れており、森の向こうには小さく集落が見える。
(ライル村だ……!)
目的地を見つけると途端に気力が湧いてきた。これならあと少し、頑張れそうだ。
空が本格的に暗くなってきた頃、一行はようやくライル村に帰り着いた。
濃厚な闇の中、家屋の窓にはランプの明かりを切り抜いた人影が見える。
街と村の差はあれど、この光景はテルドルのそれと本質的には変わりなく、故にリーベは達成感と共に安心感を得るのだった。
「……づ、づいだあ…………」
リーベは柵に手を突いて膝を折った。
すると顔がカーッと熱くなって、額には汗が噴き出す。拭おうとも思ったが、そんな気力さえ彼女に残されていなかった。汗が目の脇を伝っていくのを感じていると、フロイデがしゃがみ込んで目を合わせてきた。
「だいじょう、ぶ……?」
「は、はい……大丈夫、です……」
力を振り絞って立ち上がると、ヴァールと目があう。
「歩くのは結構大変だろ?」
「う、うん……」
彼女は日頃、食堂のホールを忙しなく動き回っているから体力には自信があったのだが、それは思い違いだった。短距離を往復するのと、重荷を抱えて長距離を歩き続けるのは全く別の運動であり、思うように動けないのは当然のことだった。
「いきなりこれくらい歩けるんなら、まあ、及第点ってとこだな」
「ほ、ほんとう……?」
「嘘ついても仕方ねえだろ? それよか、さっさとパウロんとこ行こうぜ?」
「パウロさん?」
「あのおじちゃんのお家に泊まる、の?」
「そうだ」
ヴァールが短く答えると、フェアが補足する。
「ライル村には宿屋がありませんので、村長宅がそれを兼ねているんですよ」
「そう言うこった。んじゃ、行くぞ」
ドンドンドン!
「パウロ、いるかー?」
ヴァールがドアを叩きながら呼び掛けると、直ぐさまパウロがやって来た。相変わらず人の良い笑みを浮かべていたが、今はそれに加えて安堵を滲ませていた。
「お帰りなさい。中々戻って来ないので心配しましたよ」
「悪いな。それよか、一晩頼めるか?」
「もちろん。さ、ロクなおもてなしは出来ませんが、ゆっくりしていってください」
「お世話になります」
彼らは口々に挨拶すると、主人の案内に従って客間へと向った。
この家には客間として2人部屋が2つあって、自然、冒険者一行は2組に分かれることになった。
「部屋割りはどうしましょう」
フェアが言うと、フロイデがビクリと跳ね上げる。彼は顔を真っ赤にし、伏し目がちにチラチラとリーベを見ていた。
するとヴァールが呆れた調子で言う。
「俺とリーベ。フェアとそこのむっつりで良いだろ」
「む、むっつりじゃない……!」
「はん! どうだか!」
「はは……それより、早く荷物を置いちゃお?」
「そうだな」
リーベはヴァールと共に客間に入る。
そこはベッドと机、それにポールハンガーがあるだけの簡素な部屋だった。
「ふう……」
荷物を床に下ろすとリーベは開放感に包まれた。このままベッドに飛び込みたいという欲求が急速に膨らんでいくが、今はやめておいた。
「荷物置いたんなら居間に行くぞ?」
「あ、はーい」
ヴァールと一緒に居間へ向うと、そこにはフェアとフロイデの姿があった。
「あの、パウロさんはどこへ?」
「むう……」
問い掛けるも、フロイデは不機嫌で、答えてくれなかった。理由は言わずもがな、先程ヴァールに揶揄われたからだろう。
「ここにいるよ」
隣室からパウロが現われた。
その手にはトレイがあり、その上には牛乳で満たしたグラスが4つと、クッキーの盛られた皿が置かれていた。
「晩ご飯まで時間があるので、良かったら摘まんでください」
「牛乳……!」
フロイデは直前の不機嫌さが嘘であったかのように目を輝かせ、グラスに手を伸ばした。
「はは、今朝搾ったものだよ。良かったらどうぞ」
「うん、いただきます……!」
両手でグラスを持つと、ぐいぐいといい飲みっぷりを見せる。
「んっん……ぷは! 沁みる……!」
白髭を作った少年の姿に亭主は愉快そうに笑んだ。
「気に入ってもらえたようで嬉しいよ。もっと飲むかい?」
「うん……!」
そんな様子を見ていると、リーベは牛乳に一層の魅力を感じた。
「わ、わたしも……いただきます」
濃厚な味わいであるにも関わらず、すっきりとした飲み心地で、いくらでもいけそうだった。
「あ、おいしい……」
「本当に」
フェアが同意する。
「こんなにおいしい牛乳は久しぶりに飲みましたよ」
「ありがとうございます」
おかわりを持ってきたパウロが上機嫌に笑む。
「これも皆さんが村を護ってくれるお陰です」
リーベは自分が何の貢献も出来なかったことに若干の引け目を感じつつも、彼の笑顔を見ている内に今回の任務に参加できて良かったと思えた。
(わたしも早く、貢献できるようにならないと…………!)
気持ちを新たにしていると、不意にパウロが顔を引き攣らせる。
「ん? なんか臭わない?」
彼がきょろきょろと辺りを見回していると、白髭を作ったヴァールがニヤリと笑む。
「リーベだな」
「え、わたし⁉」
「ああ。だってお前、ラソラナに捕まったし、その後ソキウスに舐められただろ?」
「あ……」
事実を突きつけられ、リーベは途端に恥ずかしくなってきた。
「~~っ!」
火照る顔を隠していると、パウロが申し訳なさそうに言う。
「はは……あ、そうだ。ちょうど今、村の女たちが風呂に入ってたんだ。リーベちゃんも入っておいでよ」
「わ、わかりました~!」
リーベは一息で牛乳を飲み干すと大急ぎで着替を取りに行き、踵を返して家の外に飛び出した。




