022 悲劇
「またのご来店、お待ちしています!」
最後の客を送り出したリーベの胸には達成感がこみ上げてくるが、すぐさま疲労の奔流に呑まれ、結局、疲れたという感想しか残らなかった。
「はあ……疲れた」
溜め息と共に笑顔を解き、表の札を『準備中』に替えた。そのまま店内に戻ろうとしたが、溌剌とした声に呼び止められる。
「あら、リーベちゃん。随分お疲れみたいね」
振り返ると、そこには武器屋のスーザン婦人がいた。
「はい……お店が賑わうのは嬉しいですけど、忙しい日が続くのも困ったものです」
疲れてるから今は勘弁して欲しいと思いつつ答える。
「ははは! そりゃ、贅沢な悩みだねえ!」
全くもってその通りだった。
「まったく、あんたって子は働きもんだねえ。あたしがリーベちゃんくらいの頃なんて、遊び呆けてたよ」
「ほんとうですか?」
「やぁだ! 世辞に決まってんだろ? あははは!」
裏表のない彼女らしいユーモアに、リーベはつい、笑ってしまう。華奢な肩をひくつかせていると、スーザンはポケットを漁った。
「そうだ、リーベちゃんに良いものあげる」
「良いもの?」
ちょいちょいと手招きをされ、歩み寄ると一口で飲み込めそうな小さな包みを握らされた。
「なんだと思う?」
「……飴、ですか?」
「違う違う! これはチョコレートだよ」
「ええ⁉」
チョコレート――通称チョコは外国名産のお菓子であり、国内ではごく僅かしか流通してない高級品だ。それが今、自分の手の中にある。その事実にリーベは驚愕させられた。
「こ、こんな高級品。貰っちゃっていいんですか?」
「いいよいいよ! リーベちゃんはいつも頑張ってるからね」
そう言うとスーザンはずいと顔を寄せ、ひそひそと言う。
「数がないから1つしかあげられないよ。エルガーさんに見つからないうちに食っちまいな」
「あ、ありがとうございます。でも、これからお昼なので。お仕事が終わったときの楽しみに取っておきます」
「なんだい! アンタまさか、ショートケーキのイチゴは最後まで取っておくタイプかい?」
「はい。最後の楽しみなんで」
「かーっ! これだから最近の若いのは! あたしゃ、1番最初に食べるどころか、旦那の分まで奪ってやるさ」
「え、ひどい……」
「やぁねっ! 冗談にきまってるだろ? あははは!」
ケタケタと笑いながらスーザンは去って行った。
その青空のような果てのない快活さに、リーベは幾らか元気が湧いてきた。
彼女の背を見送ると、チョコをエプロンのポケットに収め、大きく伸びをする。
「ん~~っ……! ふう。よし、午後も頑張ろ!」
今夜はチョコが待っているのだと思えば、どんなに忙しくても乗り切れそうな気がした。
ディナータイムも忙しいが、リーベはチョコを励みに頑張っていた。
「トマト煮とキノコサラダで頼むよ」
オーダーをメモしつつ、「他にご注文はございますか」と言いかけた時だった。
カウベルが鳴らないほどに早く、乱暴にドアが押し開けられた。それに店内にいた誰もがハッと振り返ると、そこには顔を真っ青にしたバートがいた。
ホールで一緒に働いていたエルガーが険しい顔で尋ねる。
「おいバート。どうした、そんな慌て――」
「ぶ、武器屋の……スーザンさんが…………はあ……」
その言葉になにか恐ろしいものを感じたエルガーは彼の口を塞ぎ、娘に命じる。
「! 落ち着け。奥で聞くから――リーベ、水を持っきてくれ」
「わ、わかった」
(スーザンさんに何が? まさか強盗にでも襲われたんじゃ……)
そんな不安に恐々としながらも、水を持って奥へ――
「スーザンさんが…………スーザンさんがヘラクレーエに攫われたんです!」
「………………え」
グラスを落とした。
グラスが割れた。
グラスが割れた音が響いた。
グラスの水が足を濡らした。
リーベの視界が揺らぐ。揺らぎ続ける。視界だけではない。意識が……彼女の心そのものが激しく揺さぶられていく。
(スーザンさんが魔物に……)
「うそ…………」
(スーザンさんが攫われた。ヘラクレーエに……あの大きなカラスに攫われた。エサにする為だ。こんな夜中じゃ、救助隊も動けないし……もうダメだ)
「う、うう……!」
(なんで、なんでスーザンさんが襲われなくちゃならないの? あんなに優しくて、楽しい人だったのに……どうして!)
「…………なんで」
途方もない悲しみと苦しみにリーベはダンクをギュッと抱きしめる。そうして感情の奔流を凌いでいると、いつかエルガーが言っていたことを思い出す。
『残されたメスが獰猛化するかもしんねえな』
(そうだ。わたしがあの魔物を――つがいを倒したからいけなかったんだ。カラスは賢い。倒すまでしなくても逃げたはずだ……いや、実際、逃げようとしていたんだ。でも、わたしが魔法で撃ち墜としたんだ)
「……わたしのせいだ…………!」
魔物と戦っていた時、彼女は昂揚していた。魔物と戦うという未知を、楽しんでいたのだ。
その結果がこれだ。親しい人を殺しておきながら、自分はおめおめと生きている。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。自己嫌悪に苛まれていたその時――
ゴンゴン!
乱暴気味にドアが叩かれる。
しかし彼女はとても人に会える心持ちではなかった。ダンクの腹に顔を埋め、誰かが去るのを待つがしかし、気配が動くことなかった。
「リーベ、起きてるか?」
エルガーの声だった。
「…………」
(いやだ……今は1人にして…………)
そう訴えるように沈黙を貫くと、ガチャリと音を立ててドアが開かれる。すると廊下からひんやりとした空気が流れ込んできて、彼女のスカートの裾からはみ出た脚を冷やした。
「飯の用意ができたぞ」
ダンクから顔を離し、横目で見やる。そこではエルガーがドアに背を凭せていて、淡然とした瞳で彼女を見下ろしている。
「……ひとりにして」
「断る」
彼は短く答えると深い溜め息をつき、諭すような、落ち着いた声を発する。
「お前のことだ。自分がヘラクレーエを倒すのに加担したことを悔やんでるんだろ?」
「…………」
「スーザンを襲ったのがアレのつがいだってことは、時期的に考えて間違いない」
「じゃあやっぱり、わたしが……!」
「違う。前も言ったが、それは結果論に過ぎないんだ。魔物が街に侵入したとき、冒険者は迅速にこれを排除しなければならない。そういう決まりがある。フロイデはそれに準じただけだし、それに手を貸したお前も、魔法使いの心得と……なにより自分の良心に従って行動しただけだ。それを咎めていいヤツなんていねえよ。もちろん、お前自身もな」
「……うう…………」
それからしばらく、お互いに言葉を発しないでいた。
澱んだ空気の中、彼女のすすり泣く声だけが響く。その虚しい音の連なりは彼女を一層、惨めな思いに突き落としていった。辛くなって再びダンクに顔を埋めた時、エルガーが言う。
「下に行くぞ」
そう言って彼は歩み寄る。
「シェーンが待ってる。だから行こう。な?」
「いや……」
逃れるようにダンクを強く抱きしめると、彼は静かに言う。
「リーベ……人の不幸を悲しめるのは優しさだが、それに人を巻き込むな。シェーンだって不安になってるし、その上、お前が引きこもちまったらどうなる?」
父の言いたい事は理解出来た。しかし、現状ではとても応じられなかった。
「……ごめんなさい」
どうにか声を絞り出すと、エルガーは深い溜め息をついた。
「……腹減っても知んねえからな?」
そう言い残して娘から離れていくと、ドアの前でピタリと止まった。
「……それと、明日は臨時休業だとよ。だから、今はゆっくり休め」
その言葉を最後に、エルガーは今度こそ娘の部屋を出て行った。
遠のいていく彼の足音に申し訳なさが募るが、リーベは今、自分のことで手一杯だった。




