188 初めての酒の味
天井の低いホールの中には場末の酒場らしく、円卓が置けるだけ置かれていた。座席数も相当数確保されていたが、今は満員。店内は人いきれでむんむんと暑く、怒鳴るようなしゃべり声が各所から上がっていてやかましいことこの上ない。
「お待たせしました!」
騒音に負けじと給仕の女性が声を張り上げながらエールで満たされたジョッキを3つ持ってくる。これで一座全員に酒が行き渡った。
「じゃあ、あとこれとこれと――他に食べたいのある?」
主導権を握っていたブリッツが面々を見回すとフロイデは魚を、ヴァールは肉を、リーベはサラダを所望した。ブリッツは勘定を気にすることなくオーダーしていき、給仕が去って行くとジョッキを掲げて言う。
「それじゃ、まだ料理が来てないけど、先に乾杯しましょ」
その言葉を受け、皆はジョッキを持ち上げる。
初めてジョッキを持ったリーベはそのずっしりとした重量感に、特別なことをしている実感に高揚した。
「それじゃ――」
かんぱい、の斉唱と共に掲げるとリーベとフロイデ以外は各々ジョッキに口を付ける。中でもヴァールはその大きな喉仏をごくごくと動かしながら半量ほどを胃に流し込む。
「ぷはっ! かあ! 久しぶりの酒だ!」
「ほんと、半年ぶりでしょうか」
白髭を生やした彼にフェアが続く。
「なに? あんたたちそんな酒飲んでないの?」
ブリッツが不思議そうに言うと、フランメが鉄仮面の下に白髭を生やしながら「私たちは月一くらいで飲んでるよね」と言う。
「もっと落ち着いた場所ですけどね」
ラヴィーネの言葉にリーベが納得する。
「こういう場所、女の人だけじゃ来づらいですもんね」
「アタシ1人なら別に気にしないけど、妹たちを連れてだとね~」
ブリッツが微笑んで視線を外に投げる。それを目で追うと、他の島の男たちが興味津々と一座を見つめている様子が見えた。
「たく、俺たちは用心棒ってか?」
ヴァールの言葉を受けて彼女は大口を開けて笑った。
「そうね。まあ今日はアタシたちの奢りなんだから良いでしょう」
「まあな。それに、こういう機会でもねえと酒なんてのまねえからな」
それよか、とヴァールは小さな瞳を、未だ酒に口を付けないでいるリーベに向ける。
「どうしたリーベ」
「ああ、うん。ちょっと緊張しちゃって」
「なあに。お前ももう大人なんだから思い切っていっちゃえよ」
「う、うん。それじゃ……」
恐る恐ると口先をジョッキの縁に着け、ゆっくりと傾ける。そうして泡の下からエールを校内に注ぎ入れる。するとその香ばしさと苦みとに舌が驚く。
「苦っ! これ、苦いよ!」
「そういうもんだからな」
「飲んでるうちに慣れるわよ」
「ほんとに?」
にわかに信じがたい。
その一方、リーベと同様に酒に口を付けにいたフロイデへフェアが呼び掛ける。
「無理して飲むことはないのですよ」
「姉さんの言葉なんて気にしなくて良いんだよ?」
「フランの言うとおりですわ」
フランメとラヴィーネが言い添えるもしかし、フロイデのプライドがその言葉を拒む。
彼はジッと泡立つジョッキを睨み、やがて覚悟を決めた。
「ん!」
小さな手には大きなジョッキを両手で持ちあげ、グビグビと、まるで嫌いな野菜を無理して飲み下すようにエールを呷る。そうして半量ほどを飲みきったところで苦みと酒気とに縮み込んだかのような舌を空気にさらす。
「うええ……」
「ふふ。ミルクの方が良かったかしら?」
フロイデに酒を飲ませるという目的を果たしたブリッツがほくそ笑む。
そんな時、料理を手に給仕がやって来る。彼女はテキパキと配膳を済ませると一礼して背中を向けるが「もし」フェアが呼び止める。
「ご注文でしょうか?」
給仕は彼が端正な顔をしていると知ると若干のたじろぎを見せた。
「すみませんがお冷やを2つ、お願いできますか」
「あ、はい。ただいま!」
彼女は浮かれた調子で要望に応えると、「ありがとうございます」と微笑と共に労われる。それを受けて彼女は去って行く。その様子はフェアを想う女性の1人であるラヴィーネは微かな苛立ちを覚える。
しかし当人はそんな妬心を知ることなく、年少者2人に水を勧める。
「アルコールに慣れていない内は水と交互に飲むと良いでしょう」
「あ、ありがとうございます」
バケツリレーの要領でリーベとフロイデの手に水が行き渡る。
「ぼくはこれで良い……」
フロイデが苦いのはもう勘弁と告げるとブリッツが「じゃあ残りはアタシが飲んじゃって良い?」と問う。彼はアルコールによって僅かに紅潮させた頬を膨らまして「いいよ」と不機嫌そうに返す。すると彼女はニヤリと笑んでフロイデのジョッキへ手を伸ばす。
「ふふ、黒猫ちゃんと間接キッス――」
「やっぱダメ……!」
「あら残念」
年下の男の子を弄んでブリッツはたいへん上機嫌だったが、弄ばれる側はそうではない。フロイデは憤懣を治めようと魚料理を頬張った。しかし無愛想なその振る舞いすら彼女にとっては愛おしいものなのだった。




