187 宴の始まり
一行は風呂屋で身を清める間にも時間は過ぎていき、一行が待ち合わせの場所を訪れる頃には空は真っ赤に染まっていた。
「お腹、空いた……」
フロイデがぐうぐうと鳴きわめく腹を擦りながら言う。
「言えば言うだけ腹が減るぞ~」
ヴァールはそう言うが、彼自身、空腹感を堪えている。度合いで言えば体が大きい分、彼の方が上だった。
2人が空腹に苦しむ様子を横目に、リーベは「何処のお店にいくんですかね」と興味津々とフェアに問い掛ける。すると彼は中空を見上げながら答える。
「さあ、何処でしょうね。妙なところでなければ良いのですが」
(ブリッツさんはいかがわしいお店とかにも行きそうだしな~)
リーベの背筋にぞわりと生暖かい者が這い回ったその時、前方から当のブリッツの声が響いてくる。
「あ、遅いわよ!」
彼女が長い手を振る中、ヴァールは「時間ぴったりだろ」と街路に佇む時計を睨みながら言う。
「やあね。こういうのは男の方が先に来てるものなのよ」
「はは! だったら少しは女らしくした方が良いんじゃねえのか」
と言うのも、ブリッツの上半身はビキニを纏っているだけという、およそ普通の女性ができる服装ではなかったからだ。
「あら? アタシに恥ずかしい部分なんてないわよ。ねえ、黒猫ちゃん?」
ヴァールの背中越しに彼女の豊満な胸を凝視していたフロイデがビクリと身を跳ね上げる。そしてリーベに白い目を向けられている事に気付くと、フロイデはツンと鼻先を尖らせて何事もなかったかのように装う。
「ブリッツ、全部、変」
「もう、照れなくて良いのよ?」
そう言いながらフロイデの方へ回り込もうとするも、ヴァールの巨体の向こうへとフロイデは逃げ続ける。そうしてくるくる回る様子にため息をつきながらフェアは彼女の妹らへと遅参を詫びる。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
その言葉にラヴィーネが口ごもりながら答える。
「い、いえ。わたくしたちも今来たところですから」
そう答える彼女の頬は紅潮しており、伏し目がちにも彼の目を見上げている。
「あ、ふ~ん」
その様子に乙女の勘が働いたリーベはラヴィーネの隣に佇むフランメへと耳打ちする。
「あの、ラヴィーネさんって……」
「そうなんだよ。今日も気合い入れてきたんだよ」
鉄仮面で隠され目元を窺い知る事は出来ないが、フランメの口元は小さくつり上がっていた。いつもケンカしている2人だが、フランメは姉だか妹だか知れないラヴィーネの恋路を応援しているのだった。
そうして密かにやり取りが交わされていた訳だが、当人は耳聡く聞きつけ「フラン!」と口を塞ぐ。しかしすぐにハッとしてフェアに振り返り、笑みが向けられていると知ると赤面する。
「ふふ、初夏を思わせる素敵なお召し物ですね」
ラヴィーネは白のノースリーブのワンピースに薄手の空色ショールを合わせていた。それが彼女の長所である金糸のような髪を引き立てていた。
「あ、ありがとうございます……」
そうして目線を背けるとブリッツが彼女の肩を抱き寄せた。
「ほんと、アンベシルのたっかい服なのよ」
ラヴィーネが姉の言葉を制する声と、リーベがブランド名を叫ぶのは同時だった。
アンベシルというのは王都で人気の婦人服店のことで、その評判は遠く南のテルドルまでも届くほどであった。
「いいな~……チラッ」
「人形買ったばかりだろ」
リーベのおねだりを一蹴するとヴァールは「それよか」と切り出す。
「さっさと行かねえと席埋まっちまうんじゃねえか?」
「それもそうね。それじゃ、行きましょうか」
ブリッツに導かれてやって来たのは南東区の中頃にある酒場だった。
この建物の両脇には極東の島国ヒモトに由来する招き猫が置かれている。それはここの亭主のがめつさを表すかのように金塗りで、店の正面に堂々と佇む看板には欲望をそのままに〝金満亭〟と書かれていた。
店を営む以上、利益を上げることは絶対条件だ。だから客に飯を振る舞い、代金を頂戴する。
言い換えるならば、客が支払う金額を定めた上で取引をする訳で、金をいくら払うかは客の気持ちと懐次第である。
しかしこの金満亭はまるで「金を落としてくれ」と客にせびるようだ。
そんな下劣なあり方に、実家が食堂を営んでいるリーベは強い忌避感を抱いた。
「……このお店に入るんですか?」
「そうよ」
ブリッツはあっけらかんと答えるとズカズカとドアに歩み寄り、真鍮で出来たドアノブを引っ張った。すると堰を切ったかのように音の奔流が面々に襲いかかる。
ここは酒場だ。
主として酒を提供しているというため、客のにぎわい具合は牛々亭を優に上回った。
それだけでも喧しいのに、スタイル抜群の女が大胆な格好で表れただから、賑わいはいっそうのものとなった。それにフランメとラヴィーネが続いていくと額が脂ぎった男たちは揃って声を発する。
「ようねーちゃんたち、俺たちといっぱい飲まねえか」
同様の声が無数に上がるがブリッツは「今日は連れがいるのよ」とひらりと交わした。それでも彼女らを誘う声は絶えなかった。そんな中、客の1人がどさくさに紛れてラヴィーネの尻に触れようとしたが、彼女の後ろを歩いていたフェアに寄ってはたき落とされる。
「ああ⁉」
男は不機嫌に振り向くが、そこにフェアが、そして巨漢ヴァールがいるのを見ると途端に萎縮した。
「…………サーセンした」
「全く……」
フェアがため息をつく中、円卓を2つ確保したブリッツがヴァールらに手を振って呼び掛ける。
「ほら、そんなとこ突っ立ってないで、こっちいらっしゃいよ!」
その様子に2人がため息をつくとリーベとフロイデを伴って卓へ向かう。
2つ並べられた円卓には等間隔に8つ椅子が置かれている。
そしてこの日席を囲むのは7人。
座席は全員分あるが、問題はそこではない。どんな席順で座るかだ。接待のような礼節を要とする場であれば自ずと配置は決まるものだが、この無礼講の場においてはその場のノリと雰囲気によって決められることになる。
自然、彼らは同じクランの仲間で腰を並べようとしていたが、異を唱える者があった。そう、ブリッツだ。
「ちょっとちょっと! せっかくクラン合同の飲み会をしようっていうのに、そんなつまらない席順で良いのお?」
その言葉にフロイデは危機感を感じ「それでいい……!」と異を唱える。
しかしこうなることはブリッツも想像していた。そこで彼女は搦め手に出る。
乾いた唇を吊り上げ、彼の自尊心を煽るような目をして言う。
「な~に? まさか、大人のお姉さんの隣は恥ずかしいのかしら?」
すると目論み通りフロイデは「そんなじゃ、ない……!」と否定する。
「じゃあ別に構わないわよね? よし決定~!」
言うや、ブリッツはフロイデの細い肩に腕を回して席に着いた。彼は忌避感もあったが、押し当てられた胸の感触に気が散っていて抵抗するどころではなかった。
そうして2つの席が決まると後は皆、フロイデの心配をしながら各々席に着いた。
そして席順はブリッツから時計回りにフロイデ、フランメ、フェア、ラヴィーネ、リーベ、最後にヴァールと言う順になった。
ラヴィーネはちゃっかりフェアの隣に腰掛けていたし、ヴァールはブリッツからリーベを庇う席を確保した。
「……………………」
フロイデが恨みがましい目でヴァールを睨むが、分厚いまぶたによって遮られた。
それはともあれ、この席順に大変満足したブリッツは女性にしては低い声で給仕の女性に「お酒七つちょうだ~い!」と呼び掛ける。
「ブリッツ。まさかフロイデとリーベさんにも飲ませるつもりですか?」
「え? だって年齢的にオーケーでしょ?」
このフリーデン王国では15歳を以て成人と認め、飲酒と喫煙を許している。そしてフロイデは16歳。リーベは15歳。年齢的には何の問題もなかった。
しかしそうでないと、フェアはヴァールからも何か言うように目線を送る。
「まあ、そうだな。何事も経験だ」
意外なことにヴァールはブリッツの提案に賛成した。
「なあに。無理なら飲まなきゃいいだけだろ?」
「それはそうですが……」
フェアが特にフロイデを心配して様子を窺うと、彼は「お酒、嫌い……」と零すがしかし、ブリッツに「大の男が酒を飲めないなんて笑われちゃうわよ」と言われては拒否も出来なかった。
かくして、飲み会はブリッツの思惑通りに開かれることとなった。




