184 朱い武人 その①
馬車に乗り込み、南門から王都ホープを出た時、リーベは隣に掛けているヴァールに尋ねる。
「ねえ、ビエラの沼ってどこにあるの?」
「ああ。アミバの村とセルランの宿場町の間に沼があったのを覚えてるか?」
アミバの村にセルランの宿場町。いずれも今や懐かしい名前だった。
「あ、うん。あの道から外れた所にあったヤツだよね?」
「そうだ。それがビエラの沼だ」
「へえ。そこまでわかってるなら、今日は沼に直行するの?」
今までの冒険では情報を求めて村長宅を尋ねていた。
しかし今回の魔物は生息地が固定されているためその必要性は薄く思われた。
「いや、それでも念のため確認はするな」
「そうなの?」
首を傾げるとフェアが答える。
「ええ。今回の依頼主はアミバの村の村長さんですから、通りがけにでも尋ねて行きましょう」
「わかりました」
そんなやり取りをする中、彼女の対面の席ではフロイデが小鼻を膨らませていた。
「フロイデさん? まさかとは思いますけど、エクルヴィスを食べるつもりですか?」
「うん……! 大きな、海老……!」
「ふふ、ザリガニは海老ではありませんよ?」
「そう、なの?」
フェアの言葉に目を丸くするフロイデだったが、続くヴァールの言葉に落胆させられる。
「それにザリガニなんて泥くせえし、寄生虫だらけで食えたもんじゃねえ」
「そ、そんな……」
彼がガックリと項垂れたとき、馬車が停まった。
「おら、しょげてねえぜ仕事に行くぞ」
「……うん…………」
村長の話によるとエクルヴィスは沼から出て、周辺の森を彷徨いながら狩りをする姿が目撃されているようだ。
このまま放置していたならば、いずれ集落にやって来ないとも限らない。
最悪の事態を未然に防ぐためにも冒険者一行は早急な対応を求められた。
そういうわけで一行は残る半日でエクルヴィスを仕留めるべく、アミバの村を出た。
「あの、エクルヴィスが森にいたって話しですけど、なんで森で狩りをするんですか? 沼にも生き物はたくさんいるのに」
リーベはキックホッパーと戦った沼の情景を思い浮かべながらフェアに問い掛ける。
「リーベさんの言うとおり、本来なら沼か、その周辺でしか狩りをしないでしょう。推測ですが、他の何者かによって沼を追い出されたのかもしれませんね」
「追い出された?」
重ねた問いにヴァールが答える。
「もっと強いヤツに住処を追われるなんてのは、自然界じゃしょっちゅうあることだからな」
「猫もよくケンカ、してる」
フロイデが身近な事柄に例えたことでリーベにも合点がいった。
「なるほど……それで、わたしたちはどっちを倒すの?」
追い出した方と、追い出された方。
どちらか一方を仕留めないことには問題は解決しないだろう。
そう思ってヴァールを見やると、彼は即答する。
「追い出された方を仕留める。彷徨ってるうちに村に来ちまうかもしんねえからな」
「そう……でも、ちょっと可愛そう」
住処を追われた上で邪魔だからと殺されるのは、エクルヴィスの立場にしてみれば理不尽極まることだろう。リーベが悶々とする一方、ヴァールは淡然と言う。
「それが俺たちの仕事だ」
「……うん」
そんなやり取りをする内、ビエラの沼が見えてきた。
その規模はギガマンティス退治の時に見た湖と同程度であり、対岸まで数百メートルはあった。
この広大な沼の、あるいは周囲の森のどこかにエクルヴィスがいる。
そう思うと緊張しないではいられなかった。
「どこにいる、かな?」
フロイデがどんぐり眼で一帯を見回すも、そこに異変と呼べるものは無かった。
「エクルヴィスはエラで呼吸しますから、水源からそう遠くへは行けないはずです」
フェアが解説したまさにその時、森の方からガサリと大きな音が響いてきた。
4人がハッとして振り向くと、真紅の甲殻を纏った怪物が姿を見せる。
縦長の胴体と一対の巨大なハサミには赤黒い突起が無数に飛び出している。そんな見るからに重そうな巨体を4対の長い脚で支えていた。
「これが……エクルヴィス?」
リーベの零した言葉に、ヴァールが背中の大剣の柄を握りながら答える。
「そうだ」
そんなやり取りをする中、沼に飛び込もうとしていた魔物が冒険者たちの存在に気付き、大きな体をのそのそと転回させ、尖った顔を向けてくる。
「あっ!」
「ハサミが、ない……!」
フロイデの発したとおり、エクルヴィスは左のハサミは欠損していた。
「どうやらコイツが獲物みてえだな。――お前ら!」
ヴァールの低い声が響くと同時にリーベとフロイデは前方に躍り出る。
「両方から攻めますか?」
「その前に、湖から遠ざける……!」
(確かにその方が戦い安いし、逃げられる心配もないか)
リーベは兄弟子の戦略に納得し、頷く。
「了解です!」
そう答えるとリーベはソードロッドを抜き放ち、柄頭に据えられた珠をエクルヴィスの大きな胴体目掛けて構える。
「アイスフィスト!」
そうして放たれた鋭利な氷塊は重厚な甲殻に衝突し、砕け散った。その様子からして僅かにもダメージを与えられていないのは確かだが、今はそれで良い。
リーベは魔法で魔物の気を引くと湖から離れるように移動する。
するとエクルヴィスは四対の脚を器用に動かして旋回し、リーベを正面に捉えて前進し始める。
そうして水際から20メートルほど引き離すとそれまで距離を取っていたフロイデが左後方から接近し、脚の関節にロングソードを叩きつける。
ガギン!
関節部から響いてきた硬質な甲高い音にリーベとフロイデは驚愕する。
「何で⁉」
関節部は可動域を確保するため甲殻が存在しない。即ちに柔らかいのだ。それはフルプレートの鎧などにも言えることであるがしかし、エクルヴィスは違った。この魔物に限っては急所を護る術を有していたのだった。
「く……もう1回……!」
フロイデが再度斬撃をたたき込むが、結果は同じだった。
彼が動揺しているとエクルヴィスがフロイデの方へ振り向こうとする。
だからリーベはアイスフィストを連発して自分に意識を縛り付ける。
「フロイデさん! なんで攻撃が効かないんですか!」
「そんなの、ぼくが知りたい……!」
2人が言い争う中、ヴァールが助言を出す。
「観察しろ!」
「観察?」
その言葉にフロイデはハッとしてエクルヴィスの脚を睨む。
急所であるにもかかわらず斬撃が通じない理由、それを知るために。
「リーベちゃん、もう少し時間、稼いで……!」
「わかりました! ――アイスフィスト!」
堅い甲殻に接触した氷塊が砕け散る音を耳にしながら、フロイデは可能な限りエクルヴィスに接近し、関節部を注視する。
「……そうか…………!」
「何かわかったんですか!」
「トゲ……! 小さなトゲが攻撃を防いでた……!」
彼の言うトゲとは、甲殻の表面にある赤黒い突起物のことである。
これが間接部に飛び出していた為に斬撃を防いでいたのだ。
「だったら……!」
フロイデはエクルヴィスから距離を取ると関節目掛けて斬撃を飛ばす。
すると斬撃はトゲに阻まれて威力を削がれながらも関節部に達し、一条の浅い傷跡を刻み込んだ。
「シュウウ……!」
痛みにエクルヴィスの巨体が跳ね上げる。
「やった……! 斬撃を飛ばせば、効果、ある……!」
フロイデの言葉に光明を得たリーベは自らもまた、エクルヴィスへ斬撃を飛ばし始める。
「てやあ!」
右斜め前方から前足を狙った一撃はフロイデからの報告通りの効果を上げた。
するとエクルヴィスが痛みに絶叫し、右の巨大なハサミをグワッと開き、リーベを切り裂こうと差し伸べる。
しかしその攻撃速度は緩慢と言うほど遅くはないが、容易に回避できる程度のものだった。
ガチン!
ハサミの噛み合わさる硬質で鋭利な音がリーベに本能的な恐怖を抱かせる。
しかし彼女は幾度もの冒険を経て恐怖を払って立ち向かうだけの心の強さを身につけていた。
故に恐れず、反撃に出る。
「やあああっ!」
再び斬撃を飛ばすと、魔物の右前足の関節から青い血液が噴き出す。
その様子から深手を負わせたのを確信したとき、エクルヴィスの巨体がぐらりと揺らぐ――フロイデが左側面の脚の一本を切断したことで重心がズレたのだ。
「やった!」
「このまま押し切るよ……!」
「はい!」
そうして2人は剣の柄を握り直し、戦いに決着を付けるべく、攻勢に出た――




