183 もふもふ族とチョキチョキ族
冒険者ギルドは今日も大賑わいで、大きなホールは人いきれでむしむしと暑かった。そこにギルドの喧噪が合わさり、体感温度は実際温度よりも高かった。
「うわあ……暑いね」
季節が夏へと移りつつある今でこれなのだ。あと数日もすればさらに暑くなるだろう。
それを思うとリーベはげんなりとさせられた。
「たく、ケチってねえで冷風器つかえば良いのにな」
冷風器とは涼しい空気を発生させる魔道具である。
「例年、暑さが本格的になってからでないと使いませんから。しばらくはこの暑さと付き合うことになるでしょう」
「……けちんぼ」
フロイデが口先を尖らせる中、少女の高い声がリーベを呼んだ。
その声に振り返ると、フィーリアが手を振っていた。
リーベは手を振り返しながら友人の元へ向かう。
「リアちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様です!」
挨拶をしていると、リーベは彼女がギルドの堅苦しい紺色の制服を纏っていないのに気付く。
「あれ? 衣替えしたの?」
「はい、くーるびずです!」
「そっか~」
(くーるびずってなんだろう?)
不思議に思っていると、すぐ後ろから依頼書を手にしたヴァールが口を挟む。
「よう、盛り上がってるじゃねえか」
「あ、ヴァールさん。こんにちは」
「おう。――それよかリーベ、次はこれを倒しに行くぞ」
そう言って渡された依頼書には『ビエラの沼に出没したエクルヴィスの討伐』とあった。
「え、えくるびす?」
言いにくい名前だなと思っていると、フェアが簡潔に解説する。
「一言で言えば、巨大なザリガニです」
「ザリガニ……カニじゃないんですね」
「生憎と、その依頼はありませんでしたから」
フェアが言う一方、ヴァールが「なあに、カニもザリガニも似たようなもんだろ?」と微笑む。
(……確かに、ハサミを持つ甲殻類という意味では同じか)
「そっか。ザリガニか……フロイデさんはそのエクルヴィス? と戦ったことはあるんですか?」
すると彼は首を横に振る。
「ううん。ぼくも、はじめて」
「そうですか……フロイデさんも戦ったことがないなんて、ちょっと緊張しちゃいますね」
「リーベちゃんはミストクラーケンを倒せたんですから、きっと大丈夫ですよ」
「リアちゃん……」
親友に笑みを向けられると、緊張が幾分和らい出来た。
「ふふ、そうだね。きっと大丈夫だよ」
笑みを交わすと「そういうワケだから」とリーベが依頼書をフィーリアに手渡す。
すると彼女は自分の使命を思い出した。
「それじゃ、手続きに入りますね――」
そうして手続きを終えた一行は、明日からの冒険に備えて、食料や薬品などを買い揃えながら帰宅する。
するとクランハウスの前に郵便屋の制服を着た青年が佇んでいた。
彼はヴァールに気付くと小走りでやって来て「ヴァールさんにお手紙です」と封筒を手渡した。
「おう、ご苦労さん」
ねぎらいの言葉を受けた青年が一礼して去って行く中、ヴァールは差出人を見て顔をしかめた。
「誰からだったの?」
「……親父だ」
ヴァールは苛立たしげに言うと憤然と鼻息を吐き出した。
(お父さんからの手紙なのに、どうしてそんなに嫌がるんだろう?)
気になるが、問い掛けることは憚られ、リーベは疑問を呑み込んだ。
ともあれ帰宅すると一行はそれぞれ荷造りを終え、後は安息して過ごした。
夕食には温かいシチューを食べ、それから各々の寝室へと下がっていく。
師匠2人は部屋に入るや会話もなく眠ってしまったが、ペットを持つ弟子2人は眠りに就く前に各々のペットと触れ合う。
「ダンク、ボニー。わたしは明日ね、大きなザリガニを倒しに行くんだよ?」
リーベが愛犬二人に呼び掛けるが、ザリガニを知らない2人は不思議そうな目をした。
「ふふ、ザリガニっていうのはね、川とか沼に済んでる生き物でね? 固い殻で体を守っているんだ。二人とは大違いだよね?」
『もちろん!』と、もふもふな2人は頷いた。
「あ、そうそう! ザリガニは大きなハサミを持ってるんだよ? ふふ、2人が見つかったらもふもふをちょきちょき~って、裸にされちゃうかもね?」
すると2人は口ごもり、ぶるぶると震え出す。
(……もふもふ族の2人にとってチョキチョキ族は天敵。わたしとしたことが……一生の不覚!)
「だ、大丈夫だよ! ここにはザリガニなんていないからね?」
「…………」
彼らは一定の落ち着きを見せたものの、やっぱり怖じ気づいている。
(どうしたものか……)
「ううむ……」
熟考していると、隣のベッドからフロイデが呼び掛けてくる。
「そろそろ寝ないと、寝坊、しちゃうよ?」
「あ、そうですねえ……わかりました。おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
そう言って彼が毛布を目深に被るのを見届けると、リーベはペット2人を見やる。
「と、とにかく、ザリガニが来てもわたしが守って上げるから、安心してお休み?」
湖畔に悠々と広がる草原。ここには初夏の温かな風が吹き、野花をそよがせていた。そうして立ち上る青い香りの中に、リーベは愛おしいペットたちの気配を感じた。
「ダンク、ボニー? どこにいるの?」
問い掛けると、風上の方から鬼気迫る声が聞こえてきた。
「きゃううん!」
「きゃいいん!」
(ダンクとボニーの声だ!)
反射的に声のした方へ振り向いた。
するとそこには彼らの姿に加え、巨大ザリガニの姿があったのだ。
「シュウ……!」
ザリガニが両のハサミを掲げて威嚇すると、ボニーが「きゅうん……」と縮こまってしまう。するとダンクが両者の間に割って入り威嚇を始める。
「うう~! きゃん! きゃん!」
ダンクは必死に威嚇するがしかし、ザリガニは僅かにも動揺することなく二人に迫る。
「きゃん! きゃん!」
必死の抵抗虚しく、チョキチョキ族が両のハサミを頭上に掲げる。この危急の事態にリーベは全速力で駆け付け、両者の間に立ち塞がる。
「2人のもふもふは渡さないよ!」
割って入ると犬二人は飼い主の登場には安堵し、小さく鳴いた。
一方でザリガニはと言うと、リーベに狙いを変え、両のハサミを掲げた威嚇のポーズを取る。
「シュウウウ……!」
それを受けてリーベが中空に手を翳すとソードロッドが現れる。彼女は柄を握り絞め、ザリガニの三角形の小さな頭部を睨み据える。
「うぬぬ……!」
「シュウ……!」
睨み合う中、相手は一瞬、ダンクたちの方を見た。それが許せなかったリーベはその隙にザリガニの懐に潜り込み、右のハサミの関節を狙って斬撃を放つ。
「やああああっ!」
渾身の一撃であったがしかし、ひょいとハサミを持ち上げられて躱された。
「くっ! だったらもう一度――」
再び振りかぶるがしかし、ザリガニはドボンと湖に飛び込み、行方をくらませた。
「逃げるな~! 卑怯者~!」
訴えるがしかし、巨大ザリガニは湖の奥深くへ潜ってしまい、反応はなかった。そのことを歯痒く思っていると、ダンクとボニーが彼女の脚にすり寄ってくる。
「きゅうん……」
リーベは屈み、すっかり怯えてしまった2人を抱きしめる。
そうしてもふるのではなく、撫でて宥めながら、2人の状態を問う。
「大丈夫? 怪我はない?」
「きゃん!」
ボニーはそう答えたがしかし、ダンクは無言だった。危機を脱した安堵のために放心してしまっているのだ。
「ふふ。今日のダンクはとってもかっこよかったよ。――ねえ、ボニー?」
「きゃん!」
そう答えるとボニーはダンクの側まで歩み寄り、そのアプリコットの頬にちゅっと、キスをした。
するとダンクは「きゃうん⁉」と間の抜けた声を上げ、次いでぴょんぴょんと跳ね回った。
「きゃん! きゃんきゃん!」
「ふふふ! よかったね、ダンク?」
微笑み掛けると彼は「きゃん!」と、心底うれしそうに鳴くのだった。
無邪気に喜び回る彼を微笑ましく思いつつも、リーベはザリガニの消えていった湖の方を見やる。凪いだ水面は風に吹かれて僅かに波を立てる。それが陽光を乱反射させる様は宝石を溶かしたかのようだ。
しかし、この底にはあの怪物が潜んでいる。その事実を思えば、この美麗な光景がなにか、罠のように思えてしまう。
「…………」
「きゅうん?」
ダンクに呼ばれてハッとする。
「ううん。なんでもないよ。それより、あっちでボール遊びしよっか」
「きゃん!」
ダンクもボニーも嬉しそうに体を弾ませている。
その様子に和みつつも、リーベの意識は湖の方に向けていた。




