180 懐かしいあの味
自室を後にし、厨房に立ったリーベは早速調理に取り掛かる。
今晩の献立は彼女の家族が営む食堂エーアステの看板メニュー、鶏のグレントマト煮だ。
この料理の肝となるのはグレントマトという野菜だ。真っ赤なこの野菜は唐辛子のように辛く、生食には適さないものの、火を通すことで普通のトマト以上の甘みを引き出せるのだ。
そんな特殊な性質をテルドル随一の料理人である母シェーンは完璧に把握している。リーベはそんな母の元で料理を習っていたのだから、多少なりとも自信があった。
あの絶品をクランのみんなに振る舞えば、きっと喜んでもらえることだろう。
仲間たちの笑顔を想像しつつ、リーベはトマトの湯むきに取り掛かった。
そしてトマト煮が出来上がった頃、立ち上る芳香を嗅ぎ付けたかのようなタイミングでヴァールが帰ってくる。
「お、今日はトマト煮か!」
「ふふ、正解。ほら、もう出来てるから手を洗ってきてね」
「う~い」
ヴァールがその大きな体には小さい室内を、窮屈そうに進んでいく。その一方、縫い物を終えたフェアが二階に上っていった。気の利く彼であるからして、フロイデを呼びに行ってくれたのだろうとリーベは思った。
この隙に配膳を終え、皆が集まると食事となった。
「いただきます!」
自分が手をつけるその前に、リーベはみんなの反応を窺う。
(どきどき……)
「美味え!」
真っ先に反応を見せたのはヴァールだった。
「ほ、ほんと?」
「ああ。シェーンが作るのと同じ味だぞ」
母のそれと同じ味を再現できたのであれば、こんなに嬉しいことはない。
心がうずうずしてくる中、フロイデも「おいしい……!」と言ってくれた。まだフェアの反応を見ていないが、これ以上我慢できなかった。
リーベはスプーンで鶏肉を掬い、口内に運び込む。唇を越えたその瞬間、彼女の口内には懐かしくも愛おしいあの匂いが広がった。香りだけでない。舌を優しくくすぐるこの甘さと僅かな酸味。その対比は母が作るトマト煮そのものだった。
「んっ! おいしい!」
自画自賛すると、フェアが微笑んで言う。
「まさか王都でもこの味を楽しめる日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「わたしもです。ここまで上手に出来たの、今日が初めてですよ」
「さすが、シェーンの娘だな」
ヴァールの素直な賞賛はこそばゆくも心地よいものだった。
「ふんふん……!」
口いっぱいに鶏肉を詰め込んだフロイデがしきりに頷いて同意する。
するとリーベの胸は得意な気持ちでいっぱいになった。
「ふふ! お母さんとお父さんにも食べて欲しいな」
「きっとお2人も喜んでくれるでしょう」
「ああ。師匠なんて泣き出すかもな」
「そんなに?」
問い掛けつつも、リーベはその情景を容易に思い描けた。それも手伝って、リーベはより一層、両親にこの料理を振る舞いたくなった。
しかし、2人ともここ王都から南に遠く離れたテルドルの街にいるのだ。
そう思うと、今度は急に寂しくなってきた。
「リーベ、ちゃん?」
フロイデに呼ばれてハッとした。
「なんだ? ホームシックか?」
日頃のヴァールならば揶揄ってきただろうが、この時に限っては真摯であった。
「う、うん。ちょっとね……」
「そう言えば、リーベさんがこちらに来てからもう一月ほど経っていますね」
「ま、なるならこの時期だよな」
「リーベちゃん、大丈夫?」
3人の心配そうな視線を受けると、リーベの孤独感は幾分か和らいだ。
冒険者になった以上、いつでも両親といられるわけじゃないのだ。だから実家を思い悲しむよりも、今ここにある温もりを大事にした方が良いだろう。
そう思い至った彼女は気丈に返してみせる。
「ふふ、大丈夫ですよ。それより早く食べないと冷めちゃいますよ?」
「おっと、そりゃいけねえな」
「トマト煮、冷めないで……!」
「それは無茶なお願いでしょう」
フェアはくすりと笑うと、食事に戻った。
リーベもそれに続き、懐かしい味を楽しむのだった。




