160 愛しのあの子
そして迎えた翌日。リーベは今にも爆発しそうな心を抑えながら朝食の支度をしていた。
「ふんふ~ん♪」
朝の清澄な空気の中、フライパンの上でベーコンがじゅうじゅうと心地よい音を奏でている。それを伴奏に鼻歌なんかを口ずさんでいると、フェアが階段を下りてくる。
「あ、フェアさん。おはようございます」
「はい、おはようございます。今朝の調子は如何でしょう?」
冒険明けだからとフェアは心配したがしかし、彼女は今日。類を見ない程に元気だった。
「はい、元気ですよ。フェアさんこそ、疲れているんじゃ?」
「私は1番楽をした身ですから。時に、今日は随分とご機嫌ですね?」
「だって、今日はあの子をお迎えに行くんですもの!」
「ふふ、お預けをしただけに楽しみなのですね」
「はい! あの、フェアさんはペットを飼ってたことって無いんですか?」
「ありますよ」
「へえ、何を飼ってたんですか?」
「ミミズです」
「へえ、ミミズクですかー」
「いいえ、ミミズです」
その返答にリーベは絶句したが、彼はさらに驚くべきことを口にする。
「ふふ。『ロザリー』と名付けましてね――」
「ろ、ロザリー⁉」
ロザリーというのはバラに由来を持つ名前で、本来であれば美しい女性につけられる半ば尊称のような名前だった。しかし、彼はそれを、よりによってミミズに付けたのだ。その事実の恐ろしいこと、リーベ言葉を失った。
それからフェアのミミズ談義は続く。
まるで美女を讃えるような壮麗な言葉がいくつも飛び出すが、その対象がミミズとあっては形無しだった。結局リーベは共感できず、テキトーに相づちを繰り返すのだった。
そうして朝食の用意を進めていると、ヴァールとフロイデが下りてくる。
「ふぁ……飯はまだか?」
「お腹空いた……」
「ふふ、もう少しで出来るから待っててね?」
2人に言いつけるとリーベは雑談を切り上げ、朝食を仕上げる。
今朝は無難にベーコンエッグと野菜のスープであった。
「いただきます」
言うが早いか、ヴァールとフロイデは主菜に食らいつく。
「がつがつ……!」
「もっもっ……!」
朝からよくそんなに入る物だと感心しながらもフェアを見やると、彼は食い意地の張ってる2人とは対照的に、上品にスープを啜っていた。
「おや、どうかしましたか?」
「あ、いえ。なんでもありません」
「そうですか」
不思議そうな目をした彼であったが、すぐに気持ちを切り替えたようで、ベーコンエッグを平らげた二人に問い掛ける。
「ところで、私は今日、リーベさんとぬいぐるみを買いに行きますが、2人はなにかご予定は?」
「俺も付いてくぞ」
「ぼくも」
(フロイデさんはともかく、おじさんがそう言うなんて珍しい)
「あ、おじさんも来るんだ。筋トレはいいの?」
「ああ。その後にいくらでも時間は取れるからな」
「ふーん」
不思議に思っているとフェアさんがくすりと笑う。
「ふふ、リーベさんの喜ぶところが見たいのでしょう」
「バカ! てめえ、変なこと言うんじゃねえぞ!」
「ヴァール、照れてる?」
「照れてねえ!」
ヴァールが動揺しているところは珍しく、実に愉快なものだった。
「ふふふ! おじさんったら!」
ぬいぐるみ屋は9時に開店するため、それまでの間、4人は各々の時間を過ごすことになった。
この間、リーベはダンクの体毛を梳かし、首元を青い蝶ネクタイで飾った。
「ふふ。これであの子もメロメロだよ?」
彼女がそう呼び掛けるも、彼は不安げに口を噤んだままだった。
「大丈夫だよ。もっと自分に自信を持って!」
「…………」
依然として及び腰ながらも彼は頷いて見せた。
「大丈夫。ダンクは世界一のトイプードルなんだから!」
と、その時。廊下に通じるドアが開いてフロイデが現れる。
「もう行くって」
「あ、はーい」
答えるとリーベはダンクを胸に抱いて一階に下りる。そこには3人の姿があった。
ヴァールは彼女の腕の中にダンクがいるのに目を留めると、「なんだ、そいつも連れてくのか?」と笑った。
「うん。一緒にお迎えするんだ」
「そうか。んじゃ、行くぞ」
「うん!」
そしてぬいぐるみ屋の前にたどり着くと、リーベは喜びと興奮でどうにかなってしまいそうだった。それほどに激しい感情を抑え込むことはもはや不可能。リーベはこれから、次々と訪れる幸福感を貪るモンスターになることだろう。
「いくよ、ダンク……!」
愛犬に呼び掛けると彼女はドアの取っ手を掴み、開いた。
「こんにちはー!」
店頭には誰もいなかったが、彼女の声を聞きつけて奥から店主である老人がやって来る。
「おや、この前の。ということはあの子を迎えに来たんだね?」
「はい!」
元気よく答えると店主は笑い「ちょっと待っててね」と店奥にいった。
リーベはダンクをギュッと抱きしめ、あの子がやって来る時を待った。そして数十秒の後、その時は訪れた。
店主が戻ってきた。その手の中にはクリーム色をしたトイプードルがいて、くりくりの目でリーベとダンクを見つめていた。
「お待たせ。さ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます……!」
恐る恐る片手で彼女を抱き上げると、ダンクに勝るとも劣らない程の圧倒的なモフリティを感じた。その素敵な感触にリーベの鼓動は早まり、体温が上がっていく。
「わあ……はは! もふもふだ!」
歓喜しているとヴァールが「大事にするんだぞ?」と微笑ましげに言う。
「うん!」
「名前、決めてる?」
フロイデに言われるとリーベはこほんと咳払いし、改まる。
「えー、発表します……この子の名前は……」
ドゥルルル…………ドン!
「『ボニー』です!」
「ボニー……可憐で素敵なお名前ですね?」
フェアの賛美を受けると、リーベは飼い主として、とても誇らしい気持ちになった。
「ふふ、これからよろしくね、ボニー!」




