155 沼地の幽霊船 その③
触腕が振り下ろされる。
2人が咄嗟に跳んだ次の瞬間、短くなれど長大な触腕が叩き付けられ、泥を散らす。
それが顔に掛かりそうでリーベが仰け反るとバランスが崩れる。
「きゃっ!」
「ウィンディ!」
転倒しかけた時、風に尻を持ち上げられた。
「わとと! あ、ありがとうございます……!」
「礼は無用です――それよりも攻撃を!」
「あ、そうだった!」
振り返るがしかし、触腕は引っ込められてしまった。
リーベは攻撃の機会を逃したが一方でフロイデは触腕の中頃に30センチ程の深い切り傷を与えていた。
「わたしも頑張らないと……!」
気を取り直して敵を睨むと、触腕を大きく広げていた。
この状況で予測される攻撃は――
「下がって!」
フロイデが叫ぶと同時に跳び退いた。すると一瞬前までいた地点を触腕が薙ぎ、空振った触腕の2本がビタンと衝突する。
本来であれば透かさず追撃が飛んできただろうが、ヴァールによって脚が4本にされた為バランスを崩し、大きな隙を生んだ。
「今……!」
フロイデが駆け出し、一拍遅れてリーベが続く。
「たあっ!」
すぐに逃れられるよう、彼女は先端に近い場所を狙う。
剣を顔の横に構え、爪先を狙う部位に向ける。
「やあああああ!」
右脚で大きく踏み込み、上体をぶん回す。重量、筋力、遠心力の3つが合わさり、会心の手応えをもたらした。攻撃の直後、彼女が一瞬、確認すると深さ20センチほどの切り傷を作っていた。
「もう1回!」
剣を振り戻し、同様にして追撃を叩き込む。
しかし狙いは甘く、真っ赤な体に二条の切り傷が並んだ。
「くっ……! 今度こそ――」
構え直そうとしたその時、触腕が持ち上がる。
「……え?」
ミストクラーケンは叩き付けの姿勢に入っていた。狙いはもちろんリーベだ。
(完全に出遅れた! でも何処へ避ければいいの⁉)
追い詰められたその時、リーベはある妙案を思いつく。
上体を限界までねじり、剣を背中につくくらい引きつけて構え、頭上に狙いを定める。
「たあああああああ!」
上空目掛けて剣を振るうと、斬撃が空へ飛ぶ。その途中で先ほどまで切りつけていた部分に追撃し、触腕を完全に切断する。
バタァンッ!
本来わたしを叩きつける筈の触腕は明後日の方へ飛んでいき、残った部分が彼女の爪先から十数センチ離れた場所をビタンと叩きつける。
「や、やった……!」
喜んでいると、鋭い視線を感じる。振り返ると、フロイデが険しい形相をしていた。
「フロイデさん……」
「来るぞ!」
ヴァールの叫びにハッと振り向くと、ミストクラーケンが天を讃えるかのように量の触腕を広げていた。ここから繰り出される攻撃は薙ぎ払いだろう。リーベは急いで安全圏まで退避するも、フロイデは違った。
「フロイデさん!」
叫ぶも、彼はすでに剣を構えていた。どうやら斬撃を飛ばして触腕を落とすつもりらしい。それを悟ったリーベ助けを求めてヴァールを見やるも、彼は剣を杖のようにして静観するばかりだった。
目線を戻すと、そこでは触腕を切り落とし、無事に攻撃を凌いだ彼の姿があった。
ホッと胸を撫で下ろしていると、背後でヴァールが叫ぶ。
「フロイデ! お前は何と戦ってるんだ!」
ミストクラーケンの叫びにも負けない大音量に、リーベもフロイデも、揃ってビクリと跳ね上がる。
「リーベに張り合ってどうする! お前は魔物を倒しに来たんだろ!」
その言葉に一瞬、場が沈黙するが、魔物がまた動き始める。
ミストクラーケンの触腕は元の半分以下の長さになっており、もうさほど脅威ではないだろう。とすると、次はどうにかしてトドメを刺さなければならない。でも、胴は高い位置にあるし、下手に近づこうとすれば触手に絡め取られるだろう。
(……やはり、斬撃を飛ばすのが1番かな)
そう考えたその時、魔物は今まで見せなかった行動を取る。
「チュニイイイイイイイイイイイッッ!」
短くなった触腕を振り乱しながら、触手を使って大地を滑るかのように前進する。それは存外素早くて、これが移動ではなく攻撃であることを雄弁に物語っていた。
そして進路上にはフロイデがいた。
「くっ――うわ!」
彼は慌てて横に跳ぼうとするも、ぬかるみに脚を取られて派手に転倒した。
「フロイデさん!」
リーベが叫ぶ間にも魔物は彼に迫る。
もしあの攻撃に巻き込まれたら、吸盤についたトゲで全身をズタズタにされてしまうだろう。
(どうにかしないと……!)
咄嗟に思いついたのはウィンディで彼をさらに攻撃線上の外へ吹き飛ばすことだった。
しかし、彼の後方数十メートルの位置には林がある。
アルボルメデューサが潜んでいることを考えると上策ではない。
「…………そうだ!」
ミストクラーケンの胴体は重く、常に触手を前後に展開することでその重量を支えていた。ならば触手の1本でも切断してしまえば、バランスを崩して転倒するはず。彼女はそう考えた。
「よし!」
リーベは魔物の背後へと全速力で駆けつけ、剣を構える。狙うは後方の重量を担う触手だ。
「やああああああ!」
斬撃を飛ばすと見事命中し、触手がちぎれた。
するとミストクラーケンの巨体は前後に揺らめく。
「もう1回!」
次の一振りでもう1本切断すると、巨体は重量を抑えきれず転倒する。
ズシン……!
ミストクラーケンは泥を大量に散らしながら後ろに倒れた。その巨体越しにフロイデさんの様子を窺うと、彼は目を丸くして放心しているが、ともあれ彼は無事だ。
「よかった……」
リーベがホッと胸を撫で下ろしていると彼と目が合う。
その瞳は驚きに見開かれており、ここ数日の敵愾心は感じられなかった。
「ほら! 今のうちトドメを刺しちまえ!」
ヴァールが呼び掛けるとフロイデはハッとして、未だ起き上がれずにいたミストクラーケンの頭部に接近し、眼球に突き立て、さらに奥へと差し込む。
ぐちゅりと気色悪い音が響いたかと思うと、ミストクラーケンの巨体はびくりと跳ね上がり、その体色を赤から元の藤色へ。そこからさらに白みがかった色へと変えていった。
「終わった……」
途方もない安堵感に深いため息をついているとフロイデが彼女の元へやって来る。
「あ、フロイデさん。怪我はありませんでしたか?」
問い掛けるも、彼は口を噤んだまま、リーベの爪先の辺りを見ていた。
「……ヴァール、言ってた」
「はい?」
「才能は誰かを助ける為にあるって」
「おじさんが……?」
「うん。だから、ありがと。助けてくれて」
「い、いえ。わたしの方こそいつも助けられちゃって……ありがとうございます」
そう言って微笑みかけると彼は赤面して、目線を振り乱したが、しばしの後、再び彼女の目を見る。
「リーベちゃん……八つ当たりして、ごめんなさい」
その謝罪を受けると、リーベの胸には温かい物がこみ上げてくる。
「フロイデさん」
「……なに?」
「わたしがあの時、なんて言おうとしてたかわかりますか?」
『もちろん怖いです。でも、わたし1人の戦いじゃありませんから。いざとなればおじさんにフェアさんが護ってくれますから。それに――』
「キックホッパーの時は違いましたけど、わたしが戦う時にはいつもフロイデさんが隣に立ってくれました。だから怖くても戦えるんです」
「リーベちゃん……」
「フロイデさん。いつも隣にいてくれてありがとうございます」
そう言うと彼は照れくさいのか、さらに視線を振り乱してそわそわしだす。
いつものフロイデさんが帰ってきたと、リーベの胸が高鳴る。
そんな喜びの中、彼女は自然と手を掲げていた。
「ハイタッチ」
「……うん…………!」
パチン!
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