152 魔物の仕業か
馬車で急行し、昼下りには東方にあるエギルの町に入り、そこから徒歩でさらに南進し、湿原を囲うヌクレール山脈の麓へとたどり着く。
しかし到着した頃には日も暮れており、調査は明日に見送られる事となった。
リーベはまた野営をさせられるのではないかとヒヤヒヤしたが、運の良いことに、麓には山小屋が建てられていた。
「今日はあそこに泊まるぞ」
リーダーであるヴァールの決定を聞くとリーベはホッとため息をついた。
「おら、さっさと休もうぜ」
一行は小屋に入る。
内部には家具の一切がなく、暖炉が虚しく口を開けているばかりだ。
4人はそれぞれ毛布を取り出すとそれに包まり、床に横になった。
「おじさん、手、繋いで?」
リーベが隣に寝ていたヴァールに呼びかけると、「しょうがねえな」と大きな手が差し伸べられる。
タコで固くなった手指はほんのり温かかった。その特徴が彼女の父エルガーの物と似ており、リーベはとても安心できた。
「ふふ、おやすみ」
「ああ、良い夢見ろよ」
2人が仲睦まじいやり取りをする一方、フェアとフロイデは既に眠りに就いていた。
そして迎えた翌日。
この日は生憎の曇天であり、リーベは雨の予感に気持ちが萎えていく。
「うわあ……雨降りそう…………」
彼女の前に佇むヴァールは空を見上げ、深刻な顔をしていた。
沼地で雨に降られれば移動はおろか、立つことさえ困難な物になる。それは4人の命も危ぶまれる訳で。ヴァールはリーダーとして、踏み込むか立ち止まるか選択を迫られていたのだ。
仮に調査を見送った場合、その間に湿原の情勢が変異してしまう可能性もあり得る。
その可能性がヴァールに熟考を強いていた。
「……よし。行くぞ!」
それが彼の選択だった。
他の面々はリーダーの指示に頷いて答えると湿原に至る山間の坂道の方を登り始める。
道中、フェアが警告する。
「リーベさん。それに、フロイデも。湿原には樹木に擬態する魔物もいますので、安易に木に近づかないようにしてください」
樹木というありふれた物体にまで気を配らなければならないなんてと、リーベは畏怖の念を募らせる。
「わ、わかりました……」
彼女が怖々とする一方、フロイデさんは「わかった」と淡然と返す。彼は場数を踏んでいるだけあって、肝が据わっているのだった。
(わたしも負けてられない!)
左右を山肌で挟まれたこの坂道は、勾配こそ緩やかであるものの、頂上までが遠く、リーベの体力を着実に奪っていった。しかし彼女は数度の冒険を経てある程度の体力が着いていた。お陰で休まずに登り切れた。
「うはあ……着いた……!」
「上出来だ」
ヴァールはリーベの肩を叩くと前方を見るように促す。
「わあ! なにこれ……!」
なんと、眼下は霧に覆われていて、そこに広がっているはずの光景が僅かにも見えなかった。白い霧が垂れ込めるその様は、まるで雲海のようである。
「すごい……雲の上にいるみたい!」
リーベが登山家の気持ちを体験している傍らで師匠2人が意見を交わす。
「フェア、どう思うよ?」
「条件が揃っていますからね。これが魔物によるものと断言はできません」
「じゃあどうやって確かめる、の?」
フロイデが口を挟むと、フェア答える代わりにロッドを構える。
「魔法を使って霧を払います。少し離れていてください」
その言葉に従い仲間たちが数歩下がると、ロッドの先端の珠が光りを宿す。
「クリアー!」
突風が大地を覆い隠す霧を払い、その全容を浮かび上がらせる。
一帯には沼が点在し、濁った沼には藻や水草が繁茂しており、水辺ではアシがそよいでいる。僅かに残った陸地にはシラカバやミズナラが生えており、それらは野鳥の住み処や休憩所として活用されていた。
「へえ、湿原ってこうなってるんだ……!」
見慣れぬ景色に感動していると、リーベの目に異物が映り込む。
「ん? なにあれ?」
陸地に岩のように大きな物体が四つ見える。しかしそれは人工的とも言える丸みを帯びていて、とても岩とは言いがたい。ともすれば球状に丸まりそうなそのフォルム――それに彼女はものすごい既視感があった。
「ダンゴムシ?」
首を傾げるとフロイデさんが「クーゲル」と、その名を呟く。
「クーゲル……」
「見ての通り大型のダンゴムシです。非常に温厚な魔物で、こちらから手を出さない限りは安全ですのでご安心を」
フェアの解説を聞き、リーベは知識欲は満たされていくのを感じた。その一方でフロイデは再度問う。
「それで、どうやって確かめる、の?」
「アレを見ろ」
ヌクレール湿原は彼らのいる北側と、西側の二方が山に囲われている。西側の山は湿原に迫り出しており、それが目前の大きな沼をハート型に押しつぶしていた。ヴァールが指し示したのはその山陰で、そこから霧が雪崩のように垂れ込めてくるのだ。
この光景によって、異変が魔物によるものであり、その魔物は山陰に潜んでいることが判明した。
「あそこか……遠いね」
リーベの言葉にヴァールが鷹揚に返す。
「なあに。歩いてればそのうち着くさ」
「それはそうだけど……」
「んじゃ、さっそくいくか――とその前に、お前ら、アレを見ろ」
ヴァールの示す方を見ると、そこには何の変哲も無いシラカバの木が1本生えていた。
「さっきフェアが木に擬態する魔物がいるって言ってたのを覚えてるよな? そいつはアルボルメデューサっていうヤツで、近づいたヤツを麻痺させてから捕食するんだ」
具体的な生態を知らされた事で、リーベはいっそう木が怖くなった。
「うう……み、見分け方とかないの?」
「あるぞ。フェア」
相方の目線を受け、フェアがロッドを掲げる。
「見ていてください――アイスフィスト!」
彼の撃ち出した氷塊は見事、幹の真ん中に命中した。リーベその精度に感心させられたが、続く驚愕に思考は塗り替えられる。
シラカバの白色の樹皮はモスグリーンに染まり、樹冠は笠に、幹は幾本もの触手に変わっていった。その姿は昔図鑑で見た『クラゲ』という海洋生物に酷似していた。
「チュルルー!」
クラゲが奇声を上げたかと思えば、今度は触手を地面に叩きつけながらダバダバと走り去っていった。
「…………」
異様な光景を前に、リーベとフロイデはあんぐりとした。
その傍ら、フェアが解説する。
「あれがアルボルメデューサです。陸に進出したクラゲが、湿地帯の環境に適応した姿だと言われていますね。彼らは自らが動くことはなく、通りがかった動物や魔物、そして人間を痺れさせ、捕食します。ですので木には近づかないでください」
「……あんな魔物もいるんですね」
「ええ。大きい体を保ったまま、外敵を避けるための工夫です。その分、擬態がバレると激しく動揺してしまうようですが」
「要するに、手当たり次第に魔法を打つけてけば良いんだ。まあそれはフェアに任せるとして、さっさと動かねえと日が暮れちまうぜ?」
「そ、そうだね」
「では、参りましょうか」
フェアが再び霧を払うと、一行はいつもの隊列でヌクレール湿原に踏み込んだ。




