014 リーベ、戦場に立つ
坂を駆け下りたリーベだが、魔物の絶叫を聞いて振り返ると、まさにフロイデが坂を転がり落ちる瞬間だった。
「フロイデさん!」
(魔法で助けなきゃ!)
慌てて駆け出そうとするも、恐怖で脚が動かなかった。
『ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!』
彼はそう言っていた。魔物絡みの事件において、冒険者の指示は絶対だ。そう思って踵を返そうとした時、彼女の自制心が――良心が呼び掛けてくる。
(それでいいの?)
そう自問したとき、彼女は自分が理屈ではなく、単に怖いから引き返したくないのだと気付いた。彼女は民間人で、そう思ってしまうのは当然であり『卑怯』と批難されるようなことではない。
そう理解しつつも、もし自分が逃げたら、フロイデはどうなるのかと不安になった。
懊悩する中、リーベは父の言葉を思い出した。
『俺に頼れば済むって考えがあるから、誰もカンプフベアに立ち向かおうとしないんだ……そのせいで対処が遅れて、危険にさらされる人間が出てくるんだ…………』
冒険者たちがどうにかしてくれると妄信して逃げたら、いったい誰がフロイデを護るのか。
今、彼を救える人間がいるとすれば、それは街の何処で何をしているか知れない冒険者ではない。
今ここにいて、魔法が使える彼女だけだ。
「っ!」
世界を蹴り飛ばすつもりで駆け出した。
展望台からはさほど離れておらず、すぐに駆けつけられた。
肩で息をしながら状況を確認すると、フロイデは坂の下で起き上がろうとしていた。しかし平衡感覚を失くし、酩酊したかのようににふらついている。
一方、ヘラクレーは潰された左目からポタポタ血を垂らしながら、憎き冒険者の方へくちばしを向けていた。そして今、ぴょんぴょんと跳ねながら移動を開始した。
それを見たリーベは急いでホルダーからワンドを引き抜き、魔法を放つ。
「ええいっ!」
放ったのはこぶし大の小さな火球だった。
こんなちっぽけな魔法では討伐できないことなど百も承知であったが、それでも魔物の気を引ければ十分だ。しかし、狙いが甘く、初撃は足下に着弾した。
(だったら数だ!)
「当たれ! 当たれ! 当たれぇっ!」
距離を縮めながら乱発すると、2発が大きな胴体に当たった。
「クアッ⁉」
不意の高熱に短い悲鳴を上げたヘラクレーエは、ビクリと仰け反った後、恨みがましい視線をリーベに向けた。その時、大きなくちばしに西日が反射し、彼女はまるでナイフを突きつけられているような恐怖を感じた。
「ひっ――」
「カアアアアア!」
ピョンと一度の跳躍で詰めてきて、そのままくちばしを――
「うわっ!」
思わず仰け反ると彼女はフロイデと同様にして、坂を転げ落ちた。だが、そのお陰で回避に成功する。
一方、攻撃を外した魔物は敵を見失い、キョロキョロと辺りを見回している。
「……どうしたんだろう?」
リーベは不思議に思ったが、フロイデが魔物の左目を潰したお陰で死角が広がり、彼女はそこに転がり込むことで追撃を免れたのだ。だが彼女はそこまで頭が回らず、魔物と同様に混乱していた。そんな時、平衡感覚を取り戻したフロイデが駆け寄って来る。
「どうして、戻って来たの?」
「その……心配で……」
彼は口を開き掛けるが、言葉を呑み込んだ。それから気持ちを切り替えるように小さく溜め息をつくと、リーベに言う。
「ありがとう。あとはぼく1人で大丈夫だから」
彼はそう言うが、リーベはこの期に及んで戦意を燃やしていた。
「あの、わたし、魔法が使えます!」
フロイデはその言葉に逡巡し、目を瞑り、頷いた。
「…………魔法を使うときは、何を使うか叫んで」
「……はい!」
魔法には技名が定められている。
それは後衛である魔法使いが自分の行動を仲間に伝えるためのものであるが、冒険者に限らず、全て魔法使いの常識とされている。それは今回のように、冒険者に協力せざるを得ない状況を想定してのことだ。
「…………」
リーベは戦場に立つと不思議と胸が高鳴った。それが勇気ではなく、もっと単純な昂揚であることに気付いた。それは父がしてきたことの、その一端を体験できることに対するものであり、彼女は自分の浅はかさに自嘲した。しかし、それでフロイデとこの街を守れるなら、それでいいと割り切った。
ワンドを握り絞め、フロイデの斜め後方に陣取る。
辺りには坂も何もなく、動きやすい。戦うには良い環境だ。
「ふう……」
呼吸を整えている間に、ヘラクレーエは2人を再発見していた。
「カッカックアアアアア!」
魔物は鳴き声を発した直後、正面に立つ剣士を目掛けて飛び掛かる。
対するフロイデは勇敢にも脚の下をくぐり抜けて背後へ回り、鍛練の時に見せた構えを取る。整然とした構えはそのまま攻撃へと派生、紺色の体を赤く塗り変えた。
「クアアア!」
不利を悟った魔物は翼を広げて風を捕らえようとする。そんなとき、フロイデが叫んだ。
「リーベちゃん!」
「はい! ファイア!」
頭部を狙った火球は運良く、負傷した目に命中した。それは筆舌に尽くしがたい痛みを魔物にもたらした。全身をびくりと痙攣させ、地面を離れたばかりの鳥が地に墜ちる。
「やあああああッ!」
透かさず駆けつけたフロイデが、起き上がり掛けたカラスの翼を斬り落とす。
いきなり心臓を狙わず、手足を捕って有利を捕るのが冒険者の基本的な戦い方だった。フロイデはその点においても模範的だった。
「カーッ⁉」
バサリと翼が落ちたその時、カラスは静止した。
翼のない鳥は、もはや鳥ではない。頭の良い彼は、自らのアイデンティティの喪失を悟り、放心した。そんな中、フロイデがカラスの心臓を貫ぬいた。




