143 晴れない心
それからもフロイデの不機嫌は続いた。それは食事に大好物の魚を出されても顔色一つ変えないほどに深刻なもので、他の面々は一層心配になるがしかし、彼の鬱憤を解消する術など誰も持っていなかった。
そうして何の好転も見せないまま夜になり、一行はアリアン村の宿で体を休めることになった。しかしリーベはフロイデのことが気がかりでまんじりとも出来ないでいた。
「…………」
ヴァールが差し出してくれた手を弄びながら眠気の到来を待っていると、誰かが起き出す気配がした。リーベはその息づかいからフロイデが起きたのだと察すると、居た堪れない気持ちになった。
「…………」
月明かりが差す闇の中、彼は剣を手にしてと部屋を出て行った。
「……フロイデさん?」
気になった彼女は眠っている2人を起こさないように気を遣いながら彼を追う。
そうしてたどり着いたのは宿屋の裏手にある草地だった。
建物の陰からそっと覗き込むと、そこではフロイデが真剣を構えていた。リーベがヴァールに教わったのと同じ、顔の横に剣を据えるあの構えだ。切っ先は天に向けられていたが、次の瞬間、月光を閃かせて縦に振るわれる。すると彼の前方に映えていた木が枝の1本を落とした。
「おお……!」
その見事な剣技に見蕩れ、半歩身を乗り出したその時――
パキ……!
「あ」
彼女は枝を踏んでしまった。
夜の静寂の中、その乾いた音は大きく響いた。無論、フロイデの耳にも届いている。
「だれ? ……リーベちゃん」
「すみません。気になっちゃって」
潔く言うとリーベは彼の下へ向かう。
「こんな時間に訓練ですか」
「眠れなかったから……それだけだよ」
その言葉には拒絶の意思が籠もっており、言われた彼女は悲しい気持ちになった。
「……明日も早いですから。余り遅くならないでくださいね?」
その言葉に彼は目を合わせることなく答える。
「………………うん」
リーベは彼の心情をわかっているつもりであったが、それで尚、いつも無邪気であった彼に素っ気なくされるのは悲しかった。
早朝にアリアン村を後にした一行は徒歩で王都へと帰還した。
両者の距離はさほど離れておらず、時刻は昼下りと言うには少し遅い。そんな時刻だった。
「ふいー。まあ早く着いたことだし、この脚でギルドに行くか」
「そうですね」
ヴァールの言葉に同意すると、フェアはリーベに微笑み掛ける。
「お迎えはその後はですね」
「あ……はい。楽しみです。はは……」
歯切れの悪い返事をしながら彼女はチラリとフロイデを見やる。彼は今朝からむっつりと口を閉ざしていた。その理由は言わずもがなであるが、要因たる彼女としてはは非情にやりづらい思いだった。
「ヴァール」
フロイデはガサゴソとポーチを漁り、冒険者カードを取り出すと「ん」と一行のリーダーである彼に差し出した。
「特訓してくる」
「そりゃ構わねえが、無理だけはすんなよ」
「うん」
短く答えると、彼は今まで歩き通しだったにもかかわらず、大荷物を抱えて走り始めた。目的地である練習場にたどり着くまでは立ち止まらないだろうとリーベは思った。
「フロイデさん……」
「たく。年上のくせにへそ曲げやがって」
「フロイデは努力家ですから、仕方ありません。それより、私たちは私たちで、用事を済ませましょう」
「そうだな」
リーベは2人よりも一拍遅れて歩き出した。
「あ、リーベちゃん!」
ギルド本部にやって来るなり、フィーリアが手と跳ね毛を振りながら友達を呼んだ。それを受けてリーベは小足で向かうと彼女は両手を差し出してくる。女の子特有のコミュニケーションだ。
「あ、わたし、手汚れてるから」
「ぜんぜん汚くありませんよ」
そうして2人は手を取り合った(グローブは外している)。
「今帰ってきたんですか?」
「そうだよ。もう足が棒になりそう」
「ふふ、リーベちゃん脚細いですもんね」
(ん? なんか微妙に噛み合ってない気が……)
不思議に思うも、彼女の関心は別のところへ移っていた。
「ヴァールさんもフェアさんもお帰りな――あれ? フロイデくんはいないんですか?」
「ああ。アイツなら1人で練習場に行ったぞ」
ヴァールの言葉にフィーリアは丸い目を見開いて驚く。
「え⁉ いま冒険から帰ってきたばかりなんですよね?」
「今回はリーベさん1人で戦ってもらいましたので。移動だけじゃ物足りなかったのでしょう」
フェアはそう言った。
「え⁉ じゃあキックホッパーはリーベちゃん1人で倒したんですか?」
フィーリアは尊敬に瞳を輝かせて友を見る。
「はは……なんとかね」
「さすが、おじさまの子です!」
キラキラした視線をくすぐったく感じていると、ヴァールが「それよか」と切り出す。
「キックホッパー退治の後処理を頼む」
「あ、はい。かしこまりました」
それからヴァール書類に所感を記し、自らの仕事が確かであることを証明すると、報酬金の支払いとなった。
リーベはこの金でダンクに友達を作って上げるのだと思うと、フロイデの事は忘れて胸を高鳴らせた。
彼女の目の色が変わったのに気づき、フィーリアは問いかける。
「何かご褒美が待ってるんですか?」
「うん! 1人で倒せたらワンちゃんを買ってくれるって」
「素敵! どんな子なんですか?」
「クリーム色のトイプードルなんだけどね? お耳に赤いリボンを着けてて~」
「うん!」
「お目々はくりくりで~」
「うんうん!」
「こう、キュッとお淑やかに前足を揃えててね? それがまた――」
「リーベ」
ヴァールに呼ばれて振り返ると、他の冒険者たちの穏やかな視線を集めていることに気付く。
「後が支えてるからその辺にしとけ」
「むう、はーい。ごめんねリアちゃん、また今度ね?」
「はい! 楽しみにしてますね!」
ともあれ、無事に報酬金を受け取ると一行はギルドを出た。
そこには青空が広がっていて、リーベはとても晴れ晴れとした心持ちになる。
昼の温かな空気で胸を満たすと、ふとフロイデの姿が見えないのに気付く。
「あれ? フロイデさんは――あ」
「アイツなら練習場だぞ」
「……そうだった」
すっかり浮かれていたと反省すると、なんだか興奮が冷めてしまった。
「さ、あの子犬を迎えに行きましょうか」
フェアが言うが、リーベの心はときめかなかった。
「リーベさん?」
「あの……フェアさん」
「はい」
「あの子をお迎えに行くのはまた今度にしても良いですか?」
彼女の言葉にフェアとヴァールは短い声を上げる。
「フロイデのことを気にする必要はねえんだぞ?」
「そうです。あなたはあなたで成果を出したのですから」
「……ありがとうございます。でも、お迎えをするならもっと、晴れやかな気持ちでお迎えしたいんです。その方があの子も嬉しいでしょうから」
「リーベ……」
「リーベさん……わかりました。気持ちの乗るその時まで、この件は保留にしましょう」
「すみません」
「謝ることはありませんよ? あなたがそう思うのは、あの子を思ってのことなんですから」
「フェアさん……」
「そう言うこった。んじゃ、さっさと帰ろうぜ」
そうして帰宅したリーベを待ち構えていたのは、飼い主の帰りと、新しい友達の到来を今か今かと待ち続けるダンクの姿だった。
「ただいまダンク」
「…………」
彼はじーっとリーベを見つめ、『あの子はどこ?』と無言で問うてくる。
その無邪気視線を受け、リーベは申し訳ない思いを募らせていく。
「ごめんねダンク。今日はちょっと、あの子をお迎え出来ないんだ」
「…………」
彼はショックの余り言葉を失った。
「ごめんね? でもいつか。そう遠くないうちにお迎えするから、もう少し辛抱してくれる?」「…………」
ダンクは利口な子だ。それだけに飼い主の言うことには従順だから、思うところは全てその小さな胸の中に納めてしまうのだ。
(ごめんね。ダンク……)




