014 質素な食事
魔法使いの役割と当座の目的を理解したところで本格的な指導が始まった。
「杖の選定の時に体験したように、スタッフは仕手の魔力に敏感です。なのでまずは魔力を抑える訓練をしなければなりません。スタッフを出してください」
「はい」
リーベはスタッフの柄を握り絞めると武器屋で暴発しかけたのを思い出し、微かに恐怖した。それを見かねてフェアが微笑む。
「失敗してもカバーしますので、どうぞご安心ください」
「は、はい……」
頼もしいが、それでもやはり怖いもので。リーベは柄を握る手に力を込めた。
「それでは早速、訓練に移りましょう。スタッフにゆっくりと、ほんの少しずつ魔力を籠めてください」
「は、はい……むむむ!」
魔力をゆっくり籠めたつもりが、思いのほか珠が煌めいてしまい、慌てて引っ込める。
「ふう……難しいです……」
「反復あるのみです。さあ、もう一度」
「はい……!」
それから何十回か繰り返して、ようやくゆっくりと魔力を籠める事に成功した。
「で、できた!」
淡い輝きに目を灼かれつつ感動を零すと、フェアさんが次なる指示を飛ばす。
「今度は減らしていってください」
「やってみます!」
魔力を籠めるのに成功していたからか、はたまた魔力を弱める方が簡単だったのかは彼女には分かり兼ねるが、何れにせよ、師匠の指示を無事にこなせたのだった。
「ふう……できました」
額を拭いながらフェアの方を見ると、彼は「重畳です」と微笑んだ。
「これをあと10回やったら一度、休憩を挟みましょう」
先の1回でコツが掴めたようで、苦労しつつも成功を重ねられた。
この調子で感覚を焼き付けたいところだったが、休憩を挟まねばならない。リーベはそれが口惜しく思いつつも休息を始め。すると彼女は自分が自分で思っている以上に疲労していたことに気付く。肩に重くのし掛かるそれに喘ぐ。
「うう……なんか気怠い気がします」
「魔法を使うと気力を消費してしまいますからね。体もそうですが、何より頭を休めるようにしてください」
「わかりました……はあ」
頭を空っぽにしようとする仲、ヴァールたちの声が聞こえて来た。
物を考えないように。目と耳を、受け入れるままにして振り向くと、そこには汗だくになった剣士2人の姿があった。
「よう、そっちは順調か?」
「ええ。元々魔法が扱えるお陰で呑み込みが早いです」
「そうかそうか! そんならまたすぐに冒険に出られるな!」
満足げに言うと彼女を見ると、ヴァールはその小さな目を丸くする。
「どうした? フロイデみたいにむっつりしやがって」
彼の隣では当人が不服そうな顔をしていた。
「頭を休めてるの……」
「意識してたら却って疲れるんじゃねえの?」
「……確かに」
リーベが納得するとヴァールは小さく笑い、相棒に呼び掛ける。
「それよか、水入れてくれ」
「……ぼくのも」
そう言って2人はフェアに水筒を、口を開けた状態で差し出す。
それに対し彼はせっかくのロッドを使うことなく、指先から魔法を――水を生み出した。
熟練者は杖を必要としないというのはリーベは知っていたが、いざ目の当たりにすると感嘆させられた。
「すごい……」
「リーベさんもいずれは出来るようになりますよ」
(スタッフの扱いにさえ苦戦してるのに、そんな凄いことが出来るようになるのかな?)
未熟という切実な現状に気圧されるも、『できない』と悲観することはなかった。
今は出来ずとも、いずれ出来るようになればいいのだ。
幸いにして、リーベはそれが許される環境にあるのだから。
(慎重に慎重に……)
リーベがゆっくりと魔力を籠めていくと、紫紺の珠は太陽のように白く、煌々と輝いた。その時、フェアの口から次なる指示が飛ぶ。
「そこで止めてください」
「は、はい……!」
魔力の供給を断たず、かといって流し過ぎず。絶えず同量の魔力を籠めた状態を維持する。そう意識しているがしかし、チラチラと光量が変化してしまう。しかしここで慌ててしまえば全てがご破算だ。努めて冷静に魔力を調整し……
「そうです。そのまま……」
「すう……ふう……」
「ゆっくりと魔力を弱めて……そこで止めてください。そうです……今度は強めて……」
言われるままに魔力を制御していると、スタッフを握り絞めた両手の平にじっとりと汗が滲むのが分かる。それだけじゃない。額や背中にと、まるで猛暑日であるかのようだ。
「ふうう……」
集中していたその時、目に汗が入り、制御を手放してしまう。
ボウッ!
「きゃあ!」
珠から人1人呑み込めそうなほど大きな炎が上がり、黒煙を立ち上らせている。その様はまるで松明のようだ。
「ど、どうすれば……!」
戸惑っていると、透かさずフェアが叫ぶ。
「そのままで!」
彼は手の中に大きな滴を生み出し、唸る業火に呑み込まれていた珠に叩き付ける。
すると「ドジュウウッ!」とまるで呻くような音と共に業火は消え失せた。
リーベはボヤを起こした戸惑いと恐怖、そして炎が収まったことへの安堵で胸がいっぱいだった。心臓はバクバクと激しく拍動し、こめかみの辺りでは脈打を打っている。それらに促されて汗が水源のように滲み出る。
「お怪我はありませんか?」
フェアに言われて彼女は我を取り戻した。
「あ……はい。その、ごめんなさい……」
「訓練に失敗はつきものです。それよりも、手放さないでいてくれたお陰で、安全に消火できました」
彼が微笑むのを見て、彼女はようやく落ち着いた。
鎮まりつつある心臓を、胸当てごしに押さえて溜め息をつく。
「ほっ……助けてくれて、ありがとうございます」
「いえ。これも役目ですから。杖も無事のようですね」
「え? ……ああ、ホントだ」
あれほどまでに燃えていたのに、僅かにも焦げていなかった。
「どうして焦げてないんですか?」
疑問を打つけると彼は難しそうに目を瞑った。
「それを説明するには魔術理論について語らなければなりません。長くなりますので要約しますと、魔法で生み出した火は魔力の塊であって、本物の火ではありません。なので魔力を流している物に対しては引火できないのです」
「? ええと……」
「難しいことですので、そういう物だと思っていただければ結構です」
「わ、わかりました……」
自分を納得させるべく内心、胸に言い聞かせていると、返事代わりか腹が鳴った。慌てて腹を押さえると、フェアはくすりと笑って空を見上げた。
目線を追うと、太陽は既に天頂を過ぎていた。
「おや、もうこんな時間ですか。少し遅いですが、お昼にしましょう」
そう言ってヴァールたちに手を振ると、向こうも振り返してきた。
「テルドルに戻るんですか?」
「いいえ。ここで食べます。食べますが……お口に合うかどうか」
彼にしては珍しく、申し訳なさそうな顔をしていた。
それを不思議に思いつつも、彼を苦渋させるその何かに対し、リーベは畏怖の念を募らせるのだった。
練習場に立てられた小屋の中には家具の類いが一切なく、雨風を凌ぐためだけの空間であった。そんな無機質な空間の中で、リーベたち4人は車座になって昼食を摂ることに。しかし彼女はエーアステに戻って食べるものだと思っていたものだから、何の用意もしていなかった。
「あの、わたし、お弁当なんて持ってきていないんだけど……」
「俺らの方で用意しといたから安心しな」
そう語るヴァールの顔には表情という物がなかった。
他方、日頃無表情なフロイデはというと、今は明確に嫌そうな顔をしている。
この異常事態にリーベは大いに当惑したが、フェアから分け与えられたそれを見て、全てを理解したのだった。
「干し肉とビスケットです。行動食として常日頃携帯しているのですが……お察しの通り、味は悪いです。なので今のうち慣れていただこうと思ったんです」
「なるほど……」
リーベの父エルガーは冒険者を引退して良かった事の1つとして、これを食べなくて済むことをあげていた。それ程に不味いのだ。
彼女が恐々としていると、ヴァールが諭すように言う。
「日頃美味いもんばっか食ってるお前の事だ。今のうち慣れとかねえと後が大変だからな。観念しろ」
「……う、うん。わかった……」
それ程までに忌み嫌われる食べ物とは一体……恐ろしく思いつつも、一方で楽しみ感じている自分がいた。そのことにリーベは、人間の感性が妙なことを感じずにはいられなかった。
視線を下ろした先にそれらはある。
赤褐色の肉塊と、手のひらサイズのビスケット。いずれも質素な見た目で、とても食欲は湧いてこない。これを進んで食べるということは即ち、他に食べるものがないと言うことで。リーベは食事の面から冒険者業の過酷さを知らされるのだった。
「い、いただいても?」
「どうぞ」
「じ、じゃあ、いただきます」
みんなが見守る中、リーベは干し肉に齧り付いた。
「あぐ……むぐむぐ」
干しているだけあってパサパサとしていて、グニグニと固い食感は噛み千切るというより、噛み潰すと表現する方が適切だろう。味は牛肉の特有の赤い風味が凝縮されていて、微かな塩みを感じる。だがこの具合から鑑みるに『味付けのため』ではなく、『保存が利くように』という目的で調味されたのは明らかだった。これは確かに――
「美味しくない……」
「だろ?」
「そうでしょう」
「……やっぱり」
3人は口々に同意を示した。
それ程までに嫌われているこの食べ物が可愛そうになってくるが、それは彼らの献身の証なのだ。だから不味さも愛嬌というべきだろう。
「こっちは?」
ビスケットを手にすると、ヴァールが忠告する。
「固いからふやかして食えよ」
「ふやかすって、どうやっって?」
「咥えて唾でふやかすんだ。下手に砕こうとすると前歯がやられるぞ」
「ええ、怖い……」
「冒険者は前歯欠けてる人、多い」
フロイデの言葉にリーベ思いだした。
(そういえばボリスさんは前歯がなかったっけ……)
身近な人を襲った不幸に彼女は震え上がった。
(前歯がなくなったら、もう人前で笑えなくなっちゃう……!)
「うう……わ、わたしは干し肉だけでいいです」
ビスケットを置こうとした時、フェアがピシャリと言う。
「それはいけません。ただでさえ、冒険中は栄養が偏りがちなのですから、その上で偏食など言語道断です」
「ご、ごめんなさい……」
「分かれば良いのです。それより、私たちもいただきましょう」
「そうだな」
「……うん」
こうして昼食が始まったのだが、誰もが黙々と食していて団欒などなかった。
3人が早々に平らげ食休みしている中、リーベは未だに食事を続けていた。それは量が多いからではなく、食べづらいからで。彼女は父の咀嚼が早い理由がここにあるのだと思い至った。
「……ごくん。いつもこれしか食べないんですか?」
それに答えたのはヴァールだった。
「いや。川が近い時とかは――」
「さかな!」
フロイデが目を輝かせる。
彼は魚が好物だった。それによってリーベの彼に対する「猫っぽい」という印象が一層強まるのだった。
「ははは……」
「――そこで止めて」
「う……!」
暴走しないギリギリまで魔力を高め、そこで維持する。その難易度と、先の失敗に由来する恐怖感から額に汗が滲み、伝ってくる。今度は目に入らないよう、まぶたを閉じて凌ぐ。
「そうです。そのままあと10秒」
フェアが数え下ろしていく。
かつてこれ程長い10秒を経験したことがあるだろうか? いやない。
「くう……っ!」
「イチ……ゼロ」
数え終わるや、リーベは脱力してへたり込んだ。
「はあ……はあ…………」
浮かぶに任せていた汗をようやく拭うとすっきりして、達成感に包まれた。
「お疲れ様です」
水筒を渡される。
「ありがとうございます……ぷは! ふう……生き返る」
「ふふ。初日にしてここまで出来るとは。予想以上の成果です」
「ほ、本当ですか」
(ひょっとしてわたし、才能あるんじゃ……!)
自尊心が満たされ、やる気が一層のものとなっていく。
しかし間の悪いことに、ヴァールが「帰るぞー!」と言った。
「えー、もう帰るの?」
「逆にまだいるつもりか?」
「え?」
彼は空を示した。見上げると夕焼け空が目に飛び込んできた。
「あ、もうこんな時間?」
「そうだ。そろそろ帰んねえと夜になっちまうぞ」
納得しつつも、なんだか口惜しい気持ちでいっぱいだった。それを察してフェアが笑う。
「ふふ、気概は素晴らしいですが、目の前のことに囚われてはいけませんよ?」
「は、はい……気を付けます」
粛々としているとフロイデがぼそりと言う。
「それに、心配してると思う……よ?」
彼が言っているのは、彼女の両親のことだった。
(確かに、お父さん抜きで街の外に出るのはこれが初めてだ。きっと今頃、そわそわして家事も手に付かないでいるだろうな……)
「確かに……早く帰らないと」
「そういうこった。ほら、行くぞ」
それからが大変だった。
坂道は数百メートルに及び、じわじわとリーベのなけなしの体力を奪っていった。道半ばでへとへとになり、東門をくぐる頃にはげんなりとしていて、ヴァールの苦笑を買ってしまう。
「たく、こんくらいでへばってるようじゃ困るぜ?」
「ぜえ……ぜえ…………」
答えようにも答えられない。情けない思いでいっぱいになる中、フェアは言う。
「体力とは活動する内に自然と身に付く物です。焦ることはありませんよ?」
「は、はひ……ふう……」
肩で息をしていると、フロイデが妙に浮かれているのに気付いた。
「早く行こ……!」
(あれだけ剣を振り回していたのに、元気だな……)
「行くってどこへですか?」
「お店……!」
彼の答えは要領を得ないもので、リーベが首を傾げているとフェアが言う。
「実は今晩、シェーンさんからお招きに預かっているんですよ」
という事はつまり、今晩は賑やかな夕食になるということだ。
そう思うとリーベは多少、元気が湧いてきた。
「そっか……! じゃあ、早く帰らないとですね」
「ああ。だがその前に俺らは武器を片付けてくるから、一旦ここで解散な」
武装したまま食事をするわけにはいかないから、それも当然だった。
「わかった。それじゃ、お店で待ってるね」
こうして彼女らは一時解散したのだった。




