013 カラスが鳴くとき
「はあ……」
武器屋を見物していただけなのに、随分疲れてしまった彼女は深いため息をついた。
「……ごめんね?」
「いえ。フロイデさんは悪くありません……むしろ、助かりました」
答えつつ、空を見る。赤く焼けた空には金色の雲が漂っている。その雄大な景色に見蕩れていると、何処からかカラスの声が聞こえてきくる。
「かーかー」
(今日のは大家族だな……)
リーベが和んでいると、フロイデが言う。
「そろそろ、帰ろ……?」
キラキラした瞳には夕食を期待する気持ちが表れていた。
「ふふ! そうですね――と、その前に少しだけ、付き合ってくれますか?」
「つ、付き合う……!」
彼は夕日に負けないくらい真っ赤になった。
「そういう意味じゃありません! ……もう、寄り道ですよ」
「……って、どこに?」
「それは着いてからのお楽しみです!」
2人は街の北端にやって来た。
ここら一帯は草地がこんもりと盛り上がっていて、ちょっとした丘になっている。丘の北側に隔壁が聳えているほかは何もなく、その景勝っぷりから誰が決めたか、展望台と呼ばれていた。
「ふう……ついた…………」
丘を登り切ったリーベが深い溜め息をつく一方、フロイデは事も無げな様子。だがひとたび振り返ると、その美しい景色の虜になった。
「わあ……」
その様子にリーベはちょっぴり得意になりつつ、自らもまた展望した。
眼下にはテルドルの灰色の街並が見えた。薄闇が垂れ込めつつある屋内にはポツポツとランプが点り始めていた。そんな街並の向こうには、西日によって赤と黒に塗り分けられた高原が広がっている。そのさらに向こうにはグラ・ジオール山が厳然と佇んでいて、まるで自分こそが世界の中心であると主張しているかのようだ。
「きれい、だね……」
「はい……この景色はテルドルの宝なんです」
「そう、なんだ」
それからしばらく、2人は夕焼けを眺めていたが、いい加減、帰らないと両親が心配するだろうということで、リーベが切り出す。
「そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
そうしてリーベは丘を下り始めたが、フロイデが付いてこないことに気付く。不思議に思って振り向く。
「フロイデさ――」
「リーベちゃんっ!」
振り向いた瞬間、彼が飛びついてきて――
バサッ!
彼の背後――直前まで彼女がいたところに大きな陰が過る。
「……え――ごふうっ!」
背中に衝撃を受けたのも束の間。フロイデは立ち上がり、背中の長剣を引き抜く。
「ぼくが引き付けてるから、ヴァールたちを呼んできて……!」
「いてて……え?」
(一体何が起きてるの?)
身を起こすと、すぐそこに体高2メートルほどの大きなカラスがいた。
――時に、獣の中で特異な生態・能力をもつ存在を魔物という。その定義に当てはめればこのカラスは――
「ま、魔物っ⁉」
「早く!」
フロイデが叫ぶとカラスは彼へとくちばしを伸ばす。リーベは恐ろしくなって目を背け、そのまま丘を駆け下り始める。
(ごめんなさい、ごめんなさい……!)
心の内で謝りつつ、彼女は応援を求めて脚を速めた。
フロイデがリーベが逃げた方とは逆へ跳ぶと、直径30センチはありそうななくちばしが真横を過る。
着地すると、傾斜のせいで危うく転倒しかけた。
もしここで転倒したら、そのままゴロゴロと長い坂を転げ落ち、目が回ったところを襲われる羽目になるだろう。そう直感すると彼は気を引き締めた。
「くっ……」
彼が歯噛みする一方、カラスは苛立たしげな声をあげて振り返る。
「カーッ!」
そのくちばしは先端が鋭く、全体が光沢を帯びていて、西日を受けてギラリと鋭く煌めいた。その物々しさたるや、まるで黒鉄の槍のようだ。その一方でつぶらな瞳をしており、その落差に、子供が蝶の翅を毟って遊ぶような残酷さを想起させる。
「…………」
フロイデはチラリと胴体を観る。
カラスの脚の付け根を覆う紺色の羽毛には乾いた泥が大量に付着していて、樹上性のカラスとは根本的に異なる生物である事が窺える。その特徴から類推するに、この魔物の正体は――
「……ヘラクレーエ…………!」
「クアッ!」
短く鳴いたかと思えば、またくちばしを伸ばしてくる。
くちばしは真っ黒な上、微妙に湾曲しているせいで距離感が掴みにくい。だがそれでも、経験と勘とで対処するしかない。
「っ!」
右足で踏み込み、攻撃線上から外れる。するとくちばしが彼の袖を撫でる。それでも気にせず、体を90度左に向け、そのまま刺突の態勢に入る。狙うは左眼。視力を奪って有利を取るのだ。
「ふっ!」
刺突を繰り出すと切っ先が眼球を貫く。
ぷちゅりという気色悪い感触に本能的な不快感を催す中、ヘラクレーエは絶叫を轟かせる。
「クアアアアアアアッ!」
傷口から鮮血が滲むと同時に魔物は盛大に仰け反った。
フロイデは反撃を警戒して飛び退いたが、運悪く彼は踵で小石を踏んづけてしまった。
「うわ!」
直後、視界がぐるりと回った――




