129 初めての夜
夕食と入浴を終え、クランハウスに戻ってきたのは夜8時過ぎだった。リーベは暗い室内をランプの明かりで照らし出すも、そこに帰ってきたという実感はなかった。
「明日は休みにするが、だからと言って夜更かしはすんなよ?」
「うん、それじゃ、お休みなさい」
リーベはルームメイトであるフロイデと共に寝室に向かった。ドアを開けて、ダンクにただいまを言うとパジャマを取り出すべく、クローゼットを開く。
「あ、そうだ。フロイデさんって寝るとき服はそのままですか?」
「そう、だよ?」
そう答える声は若干上擦ったものだった。
「へえ、そうなんですね。わたしのお父さんも着替えないで寝ちゃうんですよ。冒険者ってみんなそうなんですかね?」
「フェアは着替える、よ。リーベちゃん、も?」
「はい。なので少しだけ部屋を出てもらってもいいですか?」
「あ……うん」
彼は若干の動揺を見せて廊下へと出て行った。
リーベはドアが閉まったのを確認するとパジャマに着替えた。
「もう良いですよ」
そう言うとフロイデが戻ってくる。彼はベッドへ向かうでもなく、呆然とリーベを見ていた。
「フロイデさん?」
気になる女の子のパジャマ姿に興奮していた彼は『何か答えないと』と慌てて辺りを見回らす。その中で彼女のパジャマの裾に犬の刺繍があるのに気付く。
「あ、ええと……そ、それ、犬……?」
「あーこれですか? お母さんがダンクの顔の刺繍をしてくれたんです。可愛いでしょう?」
そう言って裾をピンと張って見せつけるも、彼は居たたまれなくなって「お、お休み……!」とベッドに逃げ込んでしまった。
「? お休みなさい」
その時ふと、彼女はやるべきことを思い出した。
「あ、そうだ手紙を書きたいので少しだけ明かりを点けてても良いですか」
「い、いい、よ?」
壁を見て横たわった彼の答えを聞くと、リーベは机に向かった。そこに鎮座していたダンクを脇の方に避けるとランプを抱かせ、便せんを広げる。それは白地に罫線を引いただけのシンプルなものだった。
(さて、どう書きだしたものか……)
しばし考え、ペンを取った。
『お父さんとお母さんへ。
まずはダンク共々、無事に王都にたどり着けたことをご報告します。
……堅苦しいのは恥ずかしいので、ここからは普通に書かせてもらいます。
今日、ギルド本部に行ってきたんだけれども、そこでリアちゃんと友達になったよ。
お互い一目見て相手が誰かわかっちゃうんだから、不思議だよね。
リアちゃんはギルドで受付嬢をやってたから、たくさんお話は出来るけれども、もっとたくさんお話がしたいな。いつか遊びに誘ってみるよ。
あと、ダルさんから剣の形をしたロッドをもらったでしょ? だからおじさんが剣術を教えてくれるって。
正直、お父さんが剣士をやってたから、わたしも最初は剣士になりたかったの。だから剣術を教えてくれるっていわれたとき、本当に嬉しくって!
ああでも、魔法使いが嫌って訳じゃないよ。だって魔法は楽しいものなんだから。
でも明日から稽古って訳じゃないんだよね。ほら、だって今日到着したばかりだから。旅の疲れを取らなきゃいけないし、ああでも、王都の観光もやってみたいな。
ああ、なんて忙しいんだろう。
今のわたしはピークタイムのお母さんよりも忙しいよ――なんてね。
まだまだ書きたいことはいっぱいあるけれども、おじさんに夜更かしするなって念を押されたのでここまでにします。
これから手紙を書けるときは毎日書いて、溜まってきたらまとめて投函していくから(お小遣いがね……)楽しみにしててね。
それじゃ、わたしは元気だから、2人も元気でいてね。
あなたたちの娘のリーベより』
「ふう……」
手紙を書き終えると、リーベは一息ついた。一度にこれだけの文字を書いたのは久しぶりかもしれない。そんなことを考えながら手紙を読み直し、丁寧に折りたたんで封筒にしまった。それから封蝋を垂らして、犬の顔が彫りこまれたシーリングスタンプを捺す。
「わん! なんてね。んーっ! はあ……」
大きく伸びをすると、リーベの耳に可愛らしい寝息が聞こえてきた。
振り返ると、フロイデさんはもう眠りに就いており、赤ん坊のように片手を毛布の外に投げ出している。
「ふふ。わたしたちも寝よっか」
ダンクに向けて言うと、リーベは手早く道具を片し、愛犬と共にベッドに潜り込む。毛布で外界とを遮断すると、フロイデを起こさないように声を潜めて語り合う。
「久しぶりの王都はどうだった?」
「…………」
ダンクは興奮の余り、声にならないようだ。
「ふふ、楽しかったんだね」
言いながら大きな頭を撫でると、ダンクは心地よさそうに身を委ねてくる。そんな様を愛おしく思っていると、リーベは以前した約束を思い出した。
「そうだ。お風呂に入れて上げる約束だったよね?」
すると彼は嬉しそうに瞳を煌めかせ、飼い主を見つめた。
「明日はお休みだから、朝からお風呂に入れて上げるね」
「…………」
「ふふ、もっふもふにしちゃうよ~」
そう言って彼をもふもふし始めるとリーベは体の底から旅の疲れが滲んでくるのを感じた。
それと同時に眠気を催し、彼女の思考はもやの中へと……




