013 最初の指導
リーベとフェアと別れたフロイデはヴァールと共に東門の外にやって来た。
空は雲1つ無い晴天で、そよ風が吹いている。剣術の鍛練をするにはちょうど良い天気だ。
「素振りからで良い、よね?」
尋ねると、ヴァールは大きな喉仏を動かして「ああ」と言った。脇に抱えていた2本の木剣を足下に置き、クマのように極太い腕を組む。小さな瞳にはいつもの快活さから一転、厳格な眼差しを放っていた。
日頃のフレンドリーさからは想像も付かないが、ヴァールは彼の師匠だ。これからの数時間、彼は威厳を以て弟子に接していくのだ。
フロイデは多少の緊張を覚えつつもヴァールから十分距離をとって剣を抜く。その状態で90度橫を向くと長剣の柄に手を被せる。確かめるように小指から順に柄を握り込み、ゆっくりと息を吐き出す。するとフロイデの頭は鎮まり、剣士としての彼が浮き上がる。
「…………」
今は戦闘中ではないため、最初の1回はゆっくりと時間を掛けて構える。
左足の親指から小指のラインを目標に対して垂直に据え、右足のつま先を右肩のほぼ真下に置く。左手で柄頭を握り込むと、剣を体の向きと並行に構え、切っ先を立てる――垂直ではなく、肩に担ぐつもりでやや後方に倒すのがコツだ。
「すう……」
丹田に意識を集中し、そこから力が全身を巡っていくのを確かめていると、ふと雑念が過る。
「…………くっ」
素振りを中断するも、叱責を受けることはなかった。
ヴァールはむしろ淡然と、聡明であるかのように彼の心を言い当てて見せた。
「リーベのことか?」
「……わかる、の?」
「弟子の考えくらい分からねえとな」
分厚い唇を微かに吊り上げ、鼻で小さく笑う。
「そんで?」
「……ヴァールはいい、の? リーベちゃん、冒険者にして」
「良いも悪いも、アイツが決めたことだ。俺がやるべきはそれに答えることだけさ」
彼らしい男気に溢れた回答だったが、フロイデにはどこか嬉しそうにも感じられた。
その直感は間違いでは無い。
ヴァールはリーベを、彼女の両親に負けないほどに愛していた。今までは年に数回しか会うことが出来なかったが、これからはずっといっしょにいられるのだから。喜ばないではいられない。
フロイデは師匠の考えに想像が及ばないまでも、その鷹揚とした考えは些か無責任であるように思えてしまった。
「…………」
批難してやりたい気持ちを抑えて、疑問を述べる。
「……わからない。リーベちゃんには家族がいるのに……どうして離れたがるの?」
「それは自立ってもんだ」
「自立……」
「自分で選んだ道が親のそれと違うなんてのは良くあるもんだ。そうなりゃ、自然と家族からは離れていくものだろ? お前もそうだったんじゃないのか?」
「…………」
(ぼくは……違う……)
今の議論においてフロイデ事情など、どうでも良い。
彼はリーベの家庭を思い出す。
愉快な父親に、優しくて美人な母親。それに店も繁盛していて裕福であることは想像に容易い。そんな絵に描いたような幸せを手放してまで、どうして冒険者になるんだろうか。
「…………」
熟考の末、考えたところで意味がないという結論に落ち着いた。
(それよりも、今は剣を頑張らないと)
こんな雑念が入り込む余地のないくらい集中して臨まないとアレに勝てない。
フロイデはそう胸に言い聞かせると、訓練に望んだ。
武器屋を後にしたリーベたちはそのまま東門にやって来た。
門の傍らには門番のサイラスの姿があった。その佇まいは何時にも増して凜々しく、この街の番人としての威厳が満ち満ちていた。
しかし彼女の姿を認めるや相好を崩し、親しげに手を上げる。
「やあリーベちゃん。それにフェアさんも。これから鍛練ですか?」
「はい! これからフェアさんに魔法を教わるんです!」
リーベは自分の武器を手にした喜びと、本格的に魔法を教わることに対する好奇心とにすっかり昂ぶっていた。
「ふふ、教え甲斐のありそうで、私も楽しみです」
フェアが穏やかに笑うと、彼女は燥ぎすぎたと羞恥に頬を染める。
「ははは! 良い師弟じゃないですか!」
一頻り笑うとサイラスは笑みを取り払い、代わりに感慨深げな顔をする。
「そっか……ウワサには聞いてたけど、本当に冒険者になったんだね」
「……わたし、この街のみんなに元気になって欲しいんです」
「元気に?」
「はい。……あんなことがあって、街のみんなが怖がっちゃってて……だからお父さんみたいにみんなの希望になれたらなって」
「なるほどね……確かに、あれから街が死んだみたいだもんね」
彼は恥じ入るように視線を落とした。
「本当なら俺たち衛兵だけが頑張らなきゃいけないのに、リーベちゃんにも迷惑かけちゃってごめんね?」
「い、いえ……」
気まずい沈黙が流れる中、フェアが話題を転換する。
「ところで、何やらいつもと雰囲気が違うように感じるのですが、何かあったのですか?」
「あ、わたしも気になってたんです」
するとサイラスは頬を掻きながら答えてくれた。
「ええ、実はこの前の会議で俺たち衛兵の職務態度を指摘されたそうで。つい昨日、厳しく指導されたんです」
その言葉にリーベは、とある衛兵が警邏の途中で広場で買い食いしている姿を思い出した。
「ああ……」
納得していると、サイラスが彼女らの背後を指した。振返るとちょうど衛兵がやって来る。しかしその歩き方は今までのそれとはまるで違っていた。ピンと指を伸ばし、膝をしっかり上げながら歩いている。まるで行進でもしているかのようだ。
東門正面の十字路までやって来ると前後左右を指差した後、なんと彼は空まで見回した。
「異常なあしっ!」
朗々とした声を発し、今度はサイラスの方を見て合図を送る。するとサイラスは彼と同様に辺りを見回し、声を張り上げる。
「異常なあしっ!」
十字路の彼が鎧をジャラジャラ言わせながら去って行くと、サイラスさんは苦笑した。
「……とまあ、こんな事を義務づけられちゃってね」
「勝手が違うと大変でしょう」
フェアさんが言うと彼は額を拭った。
「はい。……まあ、すぐ慣れると思いますが」
「夜はどうするんですか?」
「夜は投光器を使って確認したり、合図をしたりすることになったんだよ」
投光器とは魔法のランプの派生品で、遠くを照らすためのものだ。
「へえ……本格的というか、なんというか」
「騎士団も本腰を入れているのですね」
「はい。それに魔法兵も増員する計画もあるみたいで。冒険者ギルドの方は何か?」
「こちらは魔物の警戒圏を広げることになりまして。該当地域の調査が急がれています」
「なるほど……これはお互い大変になりましたね」
「ええ。しかし全ては平和のためですから」
冒険者と衛兵。2人の会話を耳にしているとこの街が変わりつつある事をリーベは肌で感じた。平和のため、人々を安心させるために行動を起こしているのは彼女だけではないのだ。当然のことではあるのだが、彼女はその事実に励まされ、負けてられないという気持ちでいっぱいになった。
そんな気概を察したサイラスは微笑んで門を開けた。
「お互い、頑張ろうね」
「はい!」
東門を出たそこではヴァールとフロイデが木剣を打ち合わせていた。
両者の体格差は圧倒的で、まさに大人と子供だ。しかしフロイデはそれを感じさせないほど果敢に喰らい付いていて、その勇敢な姿にリーベは目を奪われた。
「くっ!」
上段からの振り下ろしに押され、彼は苦悶する。
「お前はチビなんだから力でやり合うな!」
「――っ! チビじゃ、ない……!」
叱咤の声に呼応するように、相手の剣を左側面へ流し、その隙に肉薄。左腕を相手の腕に絡めて剣を封じ、右手に保持した長剣を喉笛へ突きつける。
「ふう……ふう…………!」
「そうだ。それでいい」
ヴァールの声を最後に戦いは――いや、組み討ちは終わり、2人は険を取り払い、剣を下ろした。
弟子がだくだくと汗を流す一方、師匠は微かに汗を滲ませているだけだった。グローブの甲で狭い額を拭うと、小さな目をリーベに向けてくる。
「よう。ちゃんと買えたみてえだな」
陽気な言葉と共にクマのような大きな手を軽く上げた。
「うん、見て見て!」
リーベは駆け寄ると肩に回したベルトに難儀しつつもスタッフを取出し、見せつける。
「なんだ、お前にしちゃ、随分地味じゃねえか」
(おじさんたらすぐ意地悪言うんだから!)
「違うよ! これは燻し銀なんだから!」
「だはは! 物は言いようだな!」
大口を開けて笑うから唾が飛ぶ。リーベは咄嗟にスタッフを掲げて逃したものの、代わりに顔を汚す羽目になった。
「ぬう……」
「ふふ、気に入って貰えたようで嬉しい限りです」
リーベが顔を拭う傍らでフェアが微笑むと、ヴァールは苦笑した。
「たく、オモチャじゃねえんだぞ?」
「わかってるよ!」
反論していると、むっつりと口を閉ざしていたフロイデと目が合う。
もの言いたげに見えたがしかし、ぷいっと目を背けられてしまう。
「?」
首を傾げる彼女を他所に、師匠2人は話を進める。
「魔法の訓練をするには手狭ですし、あそこへ行きましょう」
「おっそうだな。行くぞフロイデ」
「……うん」
2人が歩き出す中、リーベはフェアに尋ねる。
「行くって、どこにですか?」
「それは着いてからのお楽しみです。それより、私たちも参りましょうか」
「あ、はい!」
テルドルの東門から延びる街道は緩やかに傾斜していて、北東の平地を目指してゆったりと大きな弧を描いている。故にその道程は酷く単調で、おまけに景観にも変化がないのだから、リーベが途方もないという感想を抱いてしまうのも致し方ないことだろう。
「うへえ……どこまで、行くん、ですか……?」
坂を下るのにも存外体力を使うもので、厚着に武装していることもあり、彼女はすぐに疲れだした。
「もうそろそろです――と、ここです」
街道の脇に大きな広場が現われた。外周は木の柵で囲われている他、鳴子が施されている。
手前には小屋があり、奥の方には金属製の的が4つ立てられている。
この光景に彼女は以前、冒険者の客が『練習場が――』という話をしていたのを思い出す。
「こ、ここが練習場、ですか……? ふう……」
「そうです。街の近くで魔法の練習をするのは危ないからと、冒険者ギルドが作ったんですよ」
「へえ……でも、その割には人がいないですね」
率直に問い掛けると彼は苦笑した。
「ええ。街にいるときくらい、ゆっくりしたいという方が多いんですよ」
「なるほど……」
痛いほどに共感していると、フェアは言う。
「では、少し休憩したら訓練に入りましょうか」
「わかりました」
適当なところに腰を下ろし、一息つく。すると遠くで剣士2人が木剣を振るっているのが目に付いた。
リーベらがスタッフを選んでいる時から剣を振っていたにも関わらず、その動作にはキレがあった。さすが冒険者だとリーベは感心させられたが、同時に、自分もあれくらいの体力を付けなければいけないのだと思い知らされる。遠大極まる目標に溜め息が零れるも、やる気が損なわれることは無かった。
10分ほどの休憩を終えると、リーベは早速指導が始まった。
「冒険者における魔法使いの役割とは、なんだと思いますか?」
「ええと……魔物を倒すことです」
「いいえ。違います」
意外な言葉を耳にした途端、自然と疑問が口に上った。
「だって、おっきい炎を出したり、氷を打つけたり出来るんですから、その方が早いんじゃないんですか?」
思うままに言うと彼は満足そうに笑んだ。
「そう思うでしょう。しかし実際は違うんです」
例えば、と手で器を作った。
「ここにお金が山ほどあるとします。これはリーベさんの自由に使えるお金です。このお金をあなたはどうしますか?」
「ええと……服を買ったり、美味しい物を食べたり――じゃなくて! 貯金します!」
「それは何故です?」
「使ったらなくなっちゃうから……本当に必要な時に困るからです」
「では、お金を魔力だと思ってください」
その言葉を聞いたとき、リーベは自身の魔力量『361』を思い浮かべた。
「魔力は魔法として、火を起こしたり、水を生み出したり、はたまた害敵を倒したりと、無限の使い道があります。さて、あなたはこれをどうしますか?」
「温存します」
お金の例もあった為、自然とその言葉が口に上った。
「そうです。魔法はその多様さ故に、その有無が命に直結するんです」
「なるほど……魔物を楽に倒そうとして魔力を減らしちゃったら、本当に必要な時に困っちゃいますもんね?」
「そのとおり。リーベさんも段々と分かってきましたね?」
「えへへ……」
フェアは微笑むと続ける。
「魔法使いにおいて最も重要なのは、効率良く戦うことです。そのために必要なのは、剣士との連携です」
彼は練習場の隅へ顔を向ける。
視線を追うと、そこには相変わらず木剣を打ち合わせる2人の姿があった。
「剣士は魔物と戦い、魔法使いを護る。そして魔法使いは剣士を支える。これが最も効率的な戦い方です。それを実現するために私たちが培うべき素養は3つ」
向き直ると、彼は手を翳し、人差し指を立てた。
「1つ目は制御技術。これがなくては始まりません」
中指を。
「2つ目は判断力。どんな状況で、どんな支援が必要か。それを迅速に、適切に見分けなければなりません」
薬指を。
「そして3つ目。絆です」
「……きずな?」
唐突に出てきたふわっとした言葉にリーベは戸惑うも、フェアは至って真面目だった。
「剣士の性格や技量、癖といったものを深く理解すること。これができなくては魔法使いの役割は果たせません」
最後の一言が彼の矜持に火を点けたのか、彼の弁舌は一層熱心なものとなっていく。
「翻って、如何に技術に優れようとも、知性に溢れていようとも。仲間と絆を紡げなければ優れた魔法使いとは言えません」
フェアらしからぬ力強い主張だった。それだけに彼の主張は真実みを帯び、真実を超えた真理としてリーベの胸に深く刻まれるのだった。
「……絆」
呟くと、彼ははにかんで言う。
「話が脱線しましたね。先に挙げた内、今のリーベさんが身に着けるべきは制御技術です。シェーンさんから魔法を教わっていると聞きますが、冒険者に求められるのはより高度なものです」
「うう……難しそう」
「心配には及びません。料理に活用できているということは、基礎ができているということですから」
「だと良いんですけど……」
彼女が不安がる一方、彼は空を見上げていた。目線を追った先では太陽が南中しようとしていた。
「時間はたっぷりあります。それに明日も明後日もあるのですから。焦らず、着実に修得していきましょう」
優しい言葉にリーベは励まされ、不安はそのまま、やる気となった。
「はい!」




