116 希望の華
太陽が顔を覗かせ初めたころ。リーベは住み慣れた我が家に別れを告げると、寂しさと不安と冒険心とに胸をうずかせながら母が施錠する様子を眺めていた。
「まだ眠いか?」
父エルガーが優しい声で言うが、眠いわけではない。だが自分の不安に父を巻き込んではいけないと思い、彼女は嘘をつく。
「うん。ダンクを抱いてるからかな? なんか眠くて。ふぁ……」
嘘のつもりが、本当に欠伸が出てしまった。
「ふふ、リーベは相変わらずね」
母シェーンが施錠できているか確認しながら笑う。
「はは、馬車の中でたっぷり寝られるんだ。もう少し我慢しろよ?」
そう言うとエルガーは娘の荷物を握り直し、中央広場の方へ足を向ける。
その背中を追いかけようとした時、視界の隅に色鮮やかな花々が映り、思わず足を止めた。
「リーベ? どうした」
「ねえ見て。いつの間にかお花が咲いてるよ」
向かい建物の軒下に置かれたプランター。そこに植わってる花々は冠毛を中心に、赤・白・黄色・オレンジ・ピンクの色とりどりの花弁が放射状に広がっている。それが僅かな朝露を湛えて煌めいているのだ。
母子がその美しさにうっとりとしてると、父が眉間をつまんで唸る。
「ええと……あ、デイジーってやつか」
「ガーベラよ」
「ガーベラか~……」
不正解だったことが悔しくて彼はため息をついた。
その様子をおかしく思いつつも、リーベは父にさらなる問題を与える。
「ねえお父さん。ガーベラの花言葉って知ってる?」
「知ってると思うか?」
「思わないね、ははは!」
リーベはひとしきり笑うと花々に目を戻し、教えて上げる。
「『希望』だよ」
「希望、か……」
「うん」
リーベは父のように、街の人々の希望になるために冒険者になった。それだけに彼女は、旅立ちの日に出会ったこのガーベラたちに運命的な物を感じずにはいられなかった。
「…………」
プランターという小さな世界の中で、空を讃えるかのように花弁を広げる彼女たちを見つめていると、リーベは妙に内省的な気持ちになった。
「……わたしは、みんなの希望になれたのかな……?」
1人呟くと彼女は不安な気持ちになった。胸を冒す不安から逃れるべくダンクを抱きしめ、その頭に鼻先を埋める。そうして自分の世界に閉じこもろうとすると、エルガーがつま先を心のドアに挟み込んできた。
「リーベ……お前が昨日見てきた街並みは、そんな鬱屈したものだったのか?」
「それは……違うけど」
「ならそう言うことだ。お前が街に希望をもたらしたから、みんなは元の生活に戻れたんだ」
「お父さんの言う通りよ? それにみんな、あなたに負けてられないって、自分も頑張らないとって、言っていたわ」
両親の言葉に、リーベの心に蟠っていた不安が溶けていった。しかし、それでも僅かに残る不安の残滓をエルガーは見逃さなかった。
「俺が与えられたのは安心だけだ。でもお前はどうだ? 安心だけじゃなくて、張り合いを与えてやれたんだ。それはお前の言う希望とは違うのか?」
「……違わないよ」
リーベは両足に力を込めて立ち上がった。そうして両親の顔を見ると、2人は微笑みを浮かべていた。
彼女はテルドルの人々に希望を与えたかった。その中には無論、両親の事も含まれているわけで、彼女は1番大切な人たちが希望を湛えているその事実に深い感慨を抱いた。
「行こうぜ? きっとヴァールたちが待ってるだろうよ」
「うん……!」
リーベは両親の間に立つと、街の中央広場を目指して歩き始めた。
澄んだ心を通して見る景色は美しく、石造りの街並みが朝日によって銀色に煌めいていて、石の都のはずが、まるで銀の都であるかのようだ。
「テルドルって、こんなきれいだったっけ?」
「そうよ。朝のこの時間は特にね」
母が得意げに言う傍ら、父は疑わしげに言う。
「今まで冒険に出るときは気付かなかったのか?」
「う、うん……眠かったから」
素直なところを言うと両親は笑った。
「はは! そんな朝が弱くて大丈夫か?」
「心配だわ」
「だ、大丈夫だよ! おじさんが起こしてくれるから」
「余計不安になったぞ」
そんな他愛もないやりとりをするうち、一家は中央広場にたどり着いた。
広々とした用地には露天の建物があるが、人影はない。そんな閑静な空気の中、低く這うような声がリーベの耳朶を打った。
「リーベのヤツ、また寝坊したんじゃねえよな」
「シェーンさんもいますし、その心配は不要でしょう」
「じゃあ、何で……?」
フロイデの声がか細く聞こえてくると、エルガーがそれに答えながら歩み寄る。
「話し込んでたからだ」
父に続いて姿を見せると、馬車の踏み段に座っていたフロイデがギョッと目を剥く。
「お待たせしました」
駆け寄るとおじさんが振り向く。
「遅いぞリーベ――て、なんだ。その人形も持ってくんか?」
「違うよ。連れて行くんだよ!」
「はあそうか。別にかまわねえが、途中でなくしたりすんなよ?」
そうして許可を得るや、わたしはダンクに呼びかける。
「一緒に行っていいって」
「…………」
ダンクと一緒に喜んでいると、フェアさんが微笑を湛えて言う。
「ダンクと言いましたか。大事にされてるのですね」
「はい、1番の友達なんです!」
そう聞かせていると、フロイデさんが羨ましげにダンクを見つめているのに気付く。
「抱いてみますか?」
「いいの?」
「どうぞ。すごいもふもふですよ」
手渡しながら言うと、彼はダンクがモフリティが高いことに気付き、頬を綻ばせた。
「もふもふ……!」
童顔な彼がダンクを抱く様は非常に愛らしいもので、リーベは微笑ましい思いで眺めているた。その傍らではヴァールエルガーから荷物を受け取りながら言う。
「それよか、もうそろそろ出発しねえと、ラルバの町に入れなくなるぞ」
「あ……うん。そうだね」
暗に別れを促されると、リーベは振り返る。
そこには努めて笑顔を浮かべる両親の姿があった。
リーベは冒険者になったのだ。それは命を賭けて魔物と戦う職業であり、命の保証はない。いくら仲間が強くとも、両親と再会できるという保証はないのだ。それを思うと彼女の胸が痛切に痛む。
(でも……それでもわたしは行かなきゃならないのだ。テルドルの希望になれるくらい強くなって帰ってくるんだ)
そう自分に言い聞かせると、リーベは両親の頬にキスをした。すると2人は優しく抱擁してくれた。その温もりに、愛情に、涙が滲んでくる。だけどそれは悲しいものだからと、リーベは努めて笑みを作る。
「お父さん……お母さん…………」
「リーベ……無茶だけはしないでくれよ」
「ちゃんと帰ってくるのよ!」
両親の顔を目に焼き付けると、リーベは1歩下がり、宣誓するように言う。
「うん……それじゃ、行ってきます!」




